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「医者通いせずに90歳まで元気で生きる人」
2016年11月04日(金)
どんな時に出会うのかというと、
・たまたま酷い風邪をひいたときや
・往診先の家族の中に隠れていたり
・人づてに噂で知る、などのいきさつで知ることになる。
90歳でも、健康保険証も介護保険証も使わず、もちろん病気もせず
バイクを乗りまわして現役で仕事をしている人が現実にいる。
先日、役所の人が本当に生きているのか家まで見にきたという。
そりゃ、役所も不思議に思うだろう。
そんな人にこそ、表彰状か金一封でお祝いしてあげたらいいのに。
ずいぶんお国に貢献している。
60歳を過ぎると、2極化するような気がする。
老けこむ人と
歳をとらない人に。。
その差は何だろうか何だろうか?
同じ人間に生まれて、同じ時代を生きていても老化にはかなりの個人差がある。
遺伝的素因や後天的な習慣以外にも、いくつかの因子が作用している気がする。
医者に通わずに90歳まで現役でいる人の健康知識は凄いものがある。
やはり知恵が無いとそのように行かないようだ。
あとは、心がけや努力も大切だ。
私は無理をしてきたので到底そんな長生きはできないと自覚している。
せいぜいあと10年、70歳まで生きれたら大満足だと思って生きている。
ゴルフ場には、80代、90代でエイジシュートを何度もするような怪物がいる。
元気な90歳がゴルフ場に集まるのか、
ゴルフをしているから元気なのか。
いつも疑問に思うが、きっと前者なのだろう。
まあそんな本だけど。
興味のある人がいれば嬉しい。
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この記事へのコメント
長尾先生は長生きしたくないのかもしれませんけど、
「無理をして」きても長生きしているのがウチの父です。
といっても「やりたくないことはやらない」、「やりたいことにはがむしゃら一所懸命」ってのは、「無理をする」のとは違うのかもしれません。
牛肉、牡蠣、まぐろ、卵、サトイモなどのイモ類、が大好物。
ビールやウィスキーなど洋酒等で若いころは底無し。
77歳での脳梗塞後もビールは飲んでいた。
10代半ばからヘビーチェーンスモーカーで77歳の脳梗塞まで1日2箱以上吸っていた。時にはパイプ、葉巻も。
醤油ソースどばどば。82歳で食道癌。
にもかかわらず89歳の今、何でもばくばく食べている。
やりたい放題食べたい放題飲みたい放題吸いたい放題言いたい放題わがまま放題。
今は煙草もアルコールもやらないが文句タラタラ言いながら介護施設で100歳超えそうな予感。
糟糠の妻は「わがまま夫のお守り」に疲れ果てて先に死んだ。
長生きの一番の秘訣は、「わがまま放題自己中心」です。
Posted by 匿名 at 2016年11月04日 01:36 | 返信
医者通いせずに90歳まで生きるには、まずは医者嫌いでなければ話にならないでしょう。
"己の命は自分が知っているし、自分自身で生きる" のような信念を持っているのが
当たり前な人でしょう。明治・大正 生まれな方には、時々そんな方がおられました。
独自の健康法があって、少しの栄養と動く(労働)を欠かさない心掛けを信念にしていらした
と思います。別段、養生法とかを学んだ訳ではないでしょうけれど、和食文化からなる
健康食で、規則正しい日々を当然として過ごしていた方々がいらしたし、今も少なからず
どこかに、いらっしゃることでしょう。
道徳とか、躾とかを、身を以って示して下さっていた、日本の文化です。
Posted by もも at 2016年11月04日 10:13 | 返信
うちの義父は、数十年、内科のお医者さんにかかったことがありませんでした。老人オリンピックというのがあれば出れたはずです。何しろ百歳になっても、私が「お義父さん、お墓の掃除はいいですよ」と言っても、「俺を老人扱いするのか」と言って、山の中腹にあるお墓に掃除に行って、家族の誰よりも働いていました! 百歳になっても、こんなこと言う老人は日本で一人ぐらいでしょうね。
また、頭も冴えて、「典子さん、論理と理論はどう違うの」と言っていました。
とても健康でしたが、骨折をして入院して、口から食べることができなくなり、長尾先生、石飛先生の御本を読んで、平穏死の選択をして、102歳で亡くなりました。骨折には要注意でしょうね。
(『102歳の平穏死』興味のある方は読んでください)
Posted by 井上 at 2016年11月04日 11:22 | 返信
義理(夫方)の祖母は93歳で亡くなりました。老衰でした。
心臓は弱かったと言っていましたが、病院嫌いでしたし、
見た目には健康でした。
新聞や冊子など、活字が好きでした。
耳が遠いから、と言って会話が少なかったですが、元来
おとなしい性格だったかも知れません。けれど、冗談が上手い
ことには感心しました。働き者で芯が強い女性でした。
毎日モンペに履き替えて、決まった時間に自分で決めた作業を
こなして過ごしていました。
作業の手を止めて休んでいると、通り掛かる人が声を掛けてきたり、
小さな子供を連れたママが、足を止めたりして和んでいました。
こう書いていたら、祖母のチャーミングな笑顔が思い出されます。
まだ元気な時に、米寿を過ぎた頃だったか「死んだら赤飯を出して」
と言っていました。床に臥せてからも言ったと思います。
「満足している」という表現だと理解できました。
いつも同じような毎日を、つましく生きた祖母の遺言でした。
Posted by もも at 2016年11月05日 05:07 | 返信
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