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雪の三内丸山遺跡、雨の棟方志功記念館
2016年11月12日(土)
2日連続の青森での講演が無事終わった。
初日の認知症講演には110名、2日目の抗癌剤講演には70名の参加があった。
多くの方の熱心に聴講頂き、感謝申し上げる。
初日の認知症講演には110名、2日目の抗癌剤講演には70名の参加があった。
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青森市内はそんなに人がいない。
道を歩いていてもいても本当に人が少ない。
そんな青森での200人弱は、東京での2000人に相当する数だという。
尼崎でもエライ先生が来られても参加者が10~20人という講演会はザラだ。
青森の人はみなさん真面目だった。
厳しい気候の中、精一杯頑張っている青森の人に元気をいっぱい頂いた。
懇親会もすごくもてなして頂いた。
青森市医師会長先生や理事の諸先生方はじめ多職種の方と飲んで語って歌った。
青森の日本酒はしびれるくらい旨い。
本当は死ぬほど飲みたかったけど、一応セーブして飲んだつもりだ。
さて、三内丸山遺跡を訪れた。
雪化粧をしたい遺跡群や記念館に人がけはまばらだった。
ここは4500年前の縄文時代の人々の歴史が良く分かる。
当時は丸山遺跡の横を川が流れていて海とつながっていた。
竪穴式住居や民家や公民館や葬儀場や墓場やゴミ捨て場などが
まるで現代のニュータウンのようにちゃんと整備されて造られていた。
さまざまな建造物は35cmの倍数が単位となり、計算されて造られていた。
そこで人々は1500年もの長い間、争うこともなく仲良く暮らしていたようだ。
お米は無いので栗などの木を植えて栽培していたという。
雑穀類とサバなどの魚を食べていたようだ。
当時の平均寿命は30歳。
子供は4人に1人しか育たず、子供の遺体は土器に大切に包まれていた。
平均気温は現在よりも2~3度高く、福島県の気候と似ていたという。
現在より暮らしやすい環境であったようだ。
木の針による宝飾品も盛んで、ブレスレットやポシェットなどのお洒落もあった。
三内丸山の土偶は太い十字架のような形で、とても癒されるデザインである。
4500年前の土偶たちと誰も居ない館内で対峙していると涙がこぼれてきた。
時空を超えて、古代の日本人、私たちのご先祖さんと対話できるのが三内丸山だ。
メソポタミア文明やインダス文明は学校で習った。
しかし同時期にすでに日本に高い文明を持った人が1500年間争うこと無く暮らしていた。
これはまさに世界遺産に匹敵するし、世界遺産登録運動に協力したいと思った。
青森の人はアピールしないが、この遺跡の価値は世界スケールであると感じた。
もしアメリカのトランプさんが来日したら、ここを訪れれて、和の精神を知って欲しい。
日本人の本質が見事に表現されている。
奈良や京都は、その3000年以上後の話である。
そう思うと、なにかロマンというか不思議な気分になる。
さて、青森駅から青い森鉄道に乗って浅虫温泉で降り、温泉につかってきた。
ここは棟方志さんも好んで来られた場所で、2両編成の電車からも海が見える。
講演会場に近い、棟方志功記念館にも少し雨だったが、行ってみた。→こちら
ここで上映されている40分間のビデオだけでも圧巻だった。
棟方志功という名前作風は知っていても、具体的にどんな人でどうやって制作
したのはなどは全く全く知らなかったので、驚きの連続であった。
棟方志功は、まず世界で認められた。
ゴッホを目標としていたが、それを超えた。→こちら
彼の作品自体は宗教であり、彼は神や仏の想いを具現化するための使いだった。
彼はいつも笑っていた。また歌いながらものすごいスピードで絵を描き板を彫った。→こちら
映像のなかで特に印象が残ったことを2つだけ。
1)彼は毎朝、歩いていた
2)彼は「自分の言動に責任を持たない」と言った。
神や仏の意でやっていることなので、責任は自分には無いと。
無心になるとか私心が無いとはこんなことなのか、と思った。
彼はまさに青森が生んだ天才である。
近代では淡谷のり子(→こちら)と並んだ、青森の偉人である。
2日間、青森を徘徊していろんなことが、ねぶた記念館に行き、分かった。
なぜねぶたがあれほどカラフルなのか、ずっと疑問だった。
それは長い冬が冬が雪の白と黒のモノトーンであることの
裏返しであるのではないか。そう直感した。
棟方志功の絵のカラフルさも同様である。
厳しい気候がそうさせるのか。
三内丸山遺跡も棟方志功記念館も青森駅から市バスで200~300円で行ける。
青森に行けば、この2つをじっくり見ないと損だ。
本当は十和田湖や奥入瀬にも行きたかったが、高校の修学旅行で行った。
八甲田山にも行きたかったが雪をかぶっているので遠くから眺めたほうがいい。
青森と大阪はたった2時間弱だ。
5月の桜が狙い目だという。
帰阪するやいなや、、待ちかまえていたかのようにまた携帯電話が何度か鳴った。
夢から醒めたように、また尼崎の町を走ってきた。
青森のみなさまには親切にして頂いた。
これで5年間かけた48都道府県の講演の旅はひとつの区切りを迎えた。
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この記事へのコメント
昔、むか~しですが、友と二人旅した青森・奥入瀬を思い出しました。
奥入瀬の道を、せせらぎ、滝の音を聞きながらひたすら歩くと、心が洗われる
というか、世俗を一時でも忘れることができて、気持ち良かったのを覚えています。
棟方志功の版画、仏像が並んだ作品は、仏様が動いている様子に見えて不思議です。
心が落ち着く像の数々です。
親馬鹿すぎる発言になりますが、息子が小学生の時に、版画作品が二度入賞しました。
彫刻された顔が、棟方作品のその目と似ています(ほんの少しですが)。
なんだか嬉しい。
Posted by もも at 2016年11月14日 12:05 | 返信
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