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吉野ケ里遺跡で弥生ロマンに酔う

2016年12月25日(日)

吉野ケ里遺跡に、行けた。
弥生時代のロマンが蘇る。
吉野ケ里歴史公園は凄い場所だった。→こちら

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自分は、歴史が超苦手。
だからこんな年になっても、歴史を学び、すぐに忘れていく。

吉野ケ里遺跡は、弥生時代の歴史的価値の高い遺跡である。→こちら
弥生時代は紀元前5世紀から紀元3世紀まで約700年続いた。

この遺跡は、とにかく広い。
ゴルフ場1ケ分はゆうにあるのだろう。

昼間はとても空いていてほとんど人とすれ違わない。
まるで荒野の廃墟に迷いこんだような錯覚に陥りそうな感じ。

ちゃんと観れば丸1日かかるような壮大な公園だ。
かなりの健脚でないと、すべての見学は難しそう。

メインは、「北墳丘墓」である。→こちら
ここを見ないとそこに行く意味がない。

周遊バスでここだけ観に行くのであれば1時間あれば可能だ。

ここは、いわゆる古墳ではなく、その原型のようなもの。
発掘で明らかになった丘に埋められた王(貴族?)のお墓である。→こちら


自分なりに学んだこと。

・稲作が入り、身分制度ができた
・搾取する側と搾取される側、そして守る溝や物見やぐらなど
・平民は南側に、支配階級は北側に、そして墓は一番高い北側に
・クニができて、クニを保つために、ムラができ、市もできた
・木を祭る「神社」の原型があった
・亡くなった人を土葬する時に、石棺のようなお棺ができた
・大陸から来た装飾品とともに埋葬され、葬儀の原型もできた

私たちが営んでいる日常の原型はすべてこの遺跡にあった。
資本主義経済や死生観の原型が見てとれる。

私が一番驚いたのは、北墳丘墓と墓列と北内郭は一直線に並び、→こちら
その延長線上のはるか何十キロ先に雲仙の普賢岳があることだ。

すなわち、吉野ケ里は、見事な風水都市であったことである。
ここまでは書かれていないので、あくまで私が直感したことなのだが・・・

遺跡内は想像以上に起伏があり、変化に富んでいる。
映画の撮影に使えるくらい風情があり美しい。

ちなみに、冬至の季節は毎夜ライトアップと大花火大会がある。
さらにクリスマスは熱気球のナイトグローまであり、雰囲気満点。

現代から古代へ、幻想的なタイムトリップが味わえる。
それももの凄い規模だから、夜は子供たちタイムかも。


今年は、偶然にも仕事のおかげで、2つの遺跡を見る機会に恵まれた。

青森の三内丸山と
佐賀の吉野ケ里。


恥ずかしながら、そこに行くまでその名前も存在すら知らないで辿り着いた。
そんなオッサンの感想をもう少しだけ。

三内丸山は、まだこじんまりしていてとっても可愛い遺跡。
4500年前の平和で共同生活的な日本社会の原型が確かにある。

なんとも素朴な縄文土器や女性のポシェットやブレスレットは本当に可愛い。
そして単純な直接土葬なので骨は溶けてしまい存在しない。

一方、吉野ケ里は完全な弥生で、三内丸山の時代の4000年後で時代が全く違う。
稲作文化が貧富の差を生み、搾取する側とされる側、そして律令の原型が読み取れる。

この時代に、上納や貯蓄という概念、そしてそれを巡る争いが生まれる。
装飾品も大陸からの豪華品となり、亡くなった後の儀式、すなわち葬式も豪華になった。

両者の遺跡とも人口規模で言うと、数百人~1000人単位のものだろう。
そうは大きくは無いが、一方は平等で、一方は完全な格差社会そのもの。

おそらく日本中にそんな集落が点在していたのだろう。
たまたま三内丸山と吉野ケ里が発見され大きな注目を浴びただけ。

やがて古墳時代、そして平安時代、そして鎌倉、室町、戦国、江戸、開国へ。
1万年もの縄文時代に比べたら、弥生以降はせいぜい2000数百年だから数分の1.

この歳になってはじめて、歴史が楽しいと思う。
若いころは大嫌いだった。

歴史の先生と竪穴式住居を造ったこと以外、なにも覚えていない。
それが今年、縄文と弥生、という意味、そしてどうやってクニとムラが生まれたか知った。

佐賀は近代史においても、実に奥深い。

県立美術館、博物館、佐賀城本丸歴史館なども全部観て回った。

長崎の出島を護ったり、大砲(反射台)を造ったり、いろんなご奉仕をされたこと。
そして三重津海軍所跡が世界遺産に選ばれたこともはじめて知った。→こちら

鍋島直行がすごい人であったことや
江藤新平が日本初の法務大臣であったことも知った。

明治7年にできた医師法21条とも、きっとなんらかの関係があるのか。
そして佐賀藩の医学レベルは高く、医師資格の資料なども見て驚いた。

「佐賀城本丸歴史館」で一番感動したのは、
「葉隠と忠臣蔵」の展示があり、葉隠の原本を見たことだ。→こちら

実は、「葉隠」が成立してから今年はちょうど300年になるという。

どうしてそんなものができたのか、
山本常朝の談話を田代陣基が筆談したものだという。

年末になると赤穂赤穂事件が語られるが
どうしてそうなったのかが生々しく展示されている。

こうして考えると佐賀は見所が多いし、
偉人も多すぎるくらいいて覚えきれない。

佐賀駅でウロウロしていたら昨夜お世話になった尊厳死協会さがの
理事の訪問看護師さんに「長尾先生!」と声をかけられて驚いた。

今から仲間たちと多良という所に美味しいカニを食べに行くという。
一瞬ついていこうという誘惑に駆られたが反対側の鳥栖側に動いて良かった。

弥生ロマンに酔いしれながら帰阪し、また仕事に戻った。

メリークリスマス!


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この記事へのコメント

吉野ケ里遺跡で弥生ロマンに酔う ・・・・・ を読んで


佐賀駅で訪問看護師さんに声を掛けられ、仲間たちとの
美味しいカニをさかなとした宴会に誘われたのを振り切
って、吉野ケ里遺跡に向かったという成り行きは、俄か
には信じがたい展開でしたが、 ・・・・・・ そのお陰で、今
回の歴史ロマンに満ちたブログが出来て、日本の歴史の
長さと豊かさに想いを馳せることが出来ました。

日本の良さを改めて確認出来る "珠玉のブログ" と思い
ます。 ありがとうございます。

私は、長尾先生の性格を思い違いしていたようです。
失礼いたしました ・・・・・・ 。


話はちょっと飛びますが ・・・・・、2日遅れで、クリスマス
イブの昨日〔12/24【土】〕長尾先生の新刊本:赤と緑の
2冊が神戸の大型書店の棚にも並びました。

せっかく長尾先生が、クリスマスイブの発売に因んで
赤:『痛くない死に方』 ・ 緑:『薬のやめどき』
と表紙の配色にも気を配られたのに、書店では、赤は
"介護の棚" に、緑は "医療・健康の棚" に、10m以上
離れた別々の場所(棚)に置かれていて、両方ともちょ
っと寂しそうでした。

なので、両方の棚から1冊づつ取り出し、赤と緑の
ペア 〔クリスマス色〕 に戻して、家に連れて帰り、
クリスマスイブの一日ゆっくりと拝読いたしました。

ここ2~3年、いろいろなところで拝聴したご講演の
エッセンスがぎゅっと詰め込まれている集大成のよう
な内容で、全体像が見えてきて理解が進みました。 
どちらもとても良い仕上がりとなっていると思います。
お疲れさまでした。


赤い本:『痛くない死に方』のプロローグに、『痛いの
が怖い、全ての人に!!』とありますが、『痛いのが凄く
怖い、私のために書かれた本』のように感じました。
怖い! 怖い! "死の壁" が、低くなったように感じられ
て、ちょっとだけ安心することが出来ました。

緑の本:『薬のやめどき』は、説得力に満ちた内容。
その本のエピローグに『今回薬のやめどきについて書いた
ので、次回は医療(お医者さん)のやめどきについて書き
たい』旨の記述があり、執筆時間は10ヶ月以上もあるの
で、来年のクリスマスイブには、黄色の本『医療(お医者
さん)のやめどき』を是非読みたいと思っています。


医療との関わりあい方の本3部作、赤・緑・黄色:信号機
(シグナル)シリーズ ・・・・・・ ちょっといい感じです。
楽しみにしたいと思います。
よろしくお願いいたします。

Posted by 小林 文夫 at 2016年12月25日 08:22 | 返信

ほんとに「こんなところに長尾先生!」と言う番組が出来るかもしれないくらい日本中駆け回っていますね。
バーバード.ショーや、チャップリンも世界中を旅行して「こんなところにチャップリン!」とか言われて、結構ソビエト連邦の全体主義を批判したり、日本に滞在中は5.15事件に遭遇して、驚いたりしてますね。
私もぜひ、韓国にある前方後円墳を見てみたいです。あの平山郁夫画伯も確か、北朝鮮にある前方後円墳を見て歩いていらっしゃったとテレビで言っていましたけれど、何故か急に亡くなられました!

Posted by 匿名 at 2016年12月25日 09:11 | 返信

私も年齢を経て、歴史が好きになりました。
日本全国を股に掛け行脚なさる長尾先生が、超羨ましいです。
けれども地元でも、歴史を物語る碑であったり、謂れのある場所を隈なく歩いてみるのは
割合に大変なことです。昔々に思いを馳せる時に、人間の営みは凄いなァと思いますし、
歴史上の有名人が、そこで何かを行っていたと考えるだけでもロマンを感じます。

>ちなみに、冬至の季節は毎夜ライトアップと大花火大会がある。
>さらにクリスマスは熱気球のナイトグローまであり、雰囲気満点。
とありますように、ホームページにある写真を見ても、素敵ですね。
カメラマニアにとっては、打って付けな被写体や風景だと感じました。
長尾先生は、観光大使にもなれそう。

Posted by もも at 2016年12月25日 11:11 | 返信

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