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ショートステイ中の看取り

2017年01月02日(月)

相変わらず、昼か夜かよく分からない生活が続いている。
はやく言えば、完全に昼夜逆転なのだが、介護施設からの
深夜・早朝の電話に正月も翻弄されている。
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転倒→主治医への電話報告、が介護施設での約束事になっているようだ。
ほとんど大したことない変化でrも、電話だけは時間を問わずジャンジャンかかってくる。

その他、発熱や下痢でもかかってくる。
こちらは365日、体ひとつでの対応なので、報告電話攻勢に殺されそうである。

ちなみに今夜の介護職員にも寝させてもらえていない。
早朝の往診を終えて、今、仮眠から目覚めたところだ。


そんな中、ショートステイ仲の看取りもあった。
以前にも書いたが、看取り自体を拒否する介護施設が増えている。

介護訴訟の増加がその理由だそうだが、ショートステイ仲の看取りなど論外、
というところが多く、それでも亡くなれば、施設長にひどく怒られてきた昨年。

しかし「ショート仲の看取りもOK!]というところがあった。
まだ暗い早朝に訪問すると落ち着いた顔のヘルパーさんが待ってくれていた。

「ひと晩仲看ていましたが、今、息を引き取られました」と穏やかな表情だ。

そのヘルパーさんは、平穏死を知っているので「待つ」ことを理解している。
私の国立かいご学院の生徒さんではないが、私の本を読んでくれていた。

「ああ、このヘルパーさんに最期を看てもらって良かったね」とおでこをなでた。
きれいなお部屋の外からご遺体を眺めながら、「荘厳だなあ」と感じた。

朝9時のヘルパーさんが入って死亡確認することにケア会議で決まっている
在宅での「おひとりさま」もいる。

死亡を連絡しても誰も来ない「おひとりさま」もいる。
家族崩壊の人には、最期の現実は、厳しい。

そんな中、看取りに積極的なショートステイはとてもありがたい存在である。

なんだかんだいって、大変なのは最期の数日間。
それを誰がどう支えるのかが、大きな課題である。

社会的入院も満杯な昨今、そして「家で死にたい」という希望があった場合、
現実には、ショートステイの助けなしでは、とてもやっていけない。

国は、「ショート中の看取り」などは、隙間産業のようにしか考えていない。
しかし私には、とても大切な”地域の機能”に見えてしょうがない。

しかし、ずっと入っていた訪問看護は、ショート仲は入れない。
主治医は継続できても、看護は分断される、という現実がある。

すべては、医療保険と介護保険の連携がほとんど無いからである。

政府は、「医療と介護の連携を本気で考える会」を本気で作るべきだ。
掛け声や美談だけではなく、制度を変えないと、現場は本当に大変なことになっている。

市民は、そうしたことに取り組んでくれる国会議員さんを選ぼう。
厚労省には、1000年以上、横の連携を期待しても無理なのである。

正月早々、厳しい意見かもしれない。

しかし現場だからこそ発信できる問題が山ほどあると信じている。
今年もズバズバと直球を投げていく所存である。

今からまた看取り往診だ。




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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

どんなに暖かな空間で過ごす老後であっても、息を引き取る時には人知れず、いつの間にか
という臨終の方が、あるような、自然なような気もします。
映画のように、医師や沢山の人に囲まれて、誰かが手を取り、声を掛け、コクっと営みを止める
瞬間を誰かに看取られての臨終を望む..のはドラマチック過ぎはしないのか?
苦しまずに、我が道を全うしたという満足感を、自身が噛みしめる..。見つめる空間は、これから先の
道ではなくて、かつて歩んだ来た道程であれば、それでよし..ではないでしょうか。
息を引き取る瞬間に、振り返ることができる我が道を残して生きれば、それでよし、なのでは。

Posted by もも at 2017年01月02日 10:16 | 返信

昨今の世の中の多数が、人にお伺いし、人を巻き込み、決めて頂いた上でなければ
事が捗らず、それでいて決めて頂いたことには文句を言う、そんな風潮が多くある
のではないかと思う時があります。制度に自ずから踏み込み、振り回されて、自分を
見失うのではなくて、自分の意志がある上での人生なのだから、場所がどこであった
としても、自分で決めた場所に於いて、心穏やかに全うできれば、それでいいんじゃ
ないのか..肝心なのは「意志決定」なのだと思います。
その時に巡り合う、その業務に従事する方が、心優しい方であったならば、
それは幸せでしょう。

Posted by もも at 2017年01月02日 10:35 | 返信

介護保険は、国民の賛同を得て定着したように見えていますけど、医療と介護の分離というか、しっくりしていないようですね。
ところで、長尾先生は、外来と在宅医療の両方に狂奔していらっしゃるのですけど、20歳や30歳ならともかく、58歳になっていらっしゃるのですから、もう少し手を抜くわけにいかないのでしょうか?
日野原先生みたいに100歳まで長生きしてください。
私は父の介護の時は、母も元気だったし、私も50歳代だったので楽でしたけれど、母の介護の時は一人でしたし、60歳代後半になって、睡眠不足で疲れました。母にも申し訳なかったと思っています。
ご自分の年を考えて、仕事量を減らしていかなければ、却って周囲の方達に迷惑を掛けることにならないかと心配です。

Posted by 匿名 at 2017年01月03日 07:16 | 返信

一人で死んでいくのも悪くは無いと、個人的には思っています。孤独が悪い事の様に言われる風潮が世間にはありますが、宗教学者の山折哲雄さんも言っておられる様に「ひとり」の時間も大切です。「孤独でなぜ悪い。」ただ、死の前後には現実的な出来事が付き物ですから、痛みとどう付き合うか、そこをどう助けて貰うか、自分の死を社会化していく為の方法等の手の打ち方が大変とは思っています。

Posted by 樫の木 at 2017年01月03日 12:51 | 返信

後見人は、基本的に葬儀や遺品整理はしませんが、身内がいない人を担当しているため、実際は葬儀、遺品整理、永代供養までしている現実。誰も看取る人がいない現実。ますます、おひとりさまは増えていくでしょう。

Posted by 社会福祉士河本健二 at 2017年01月03日 04:38 | 返信

遺言書を書くには、伊丹の公正役場に行かなければいけないのでまだ遺言書は作っていません。
両親のお墓は私が死んだ後は継ぐ人が居ないので、早めにお墓終いをするつもりです。
50万円払えば、日蓮宗の墓地の共同墓地に入れてくれるそうです。
私自身の骨は、親戚に面倒をかけるのが嫌なので、白菊会に検体をして、白菊会の共同墓地に入れて貰いたいのですけど、ダメでしょうか?
両親のお墓終いはできても、自分の骨はどうしようか困っています。
親戚が、「一緒に本家の墓地に入ったら?」と言ってくれたのを拒否して、別に近所の墓地を購入して、両親を納骨したので、怒っています。
焼き場で焼いてくれたら、畑か川原にでも撒いてくれたらよいのだけれど...。

Posted by 匿名 at 2017年01月03日 08:05 | 返信

医療と介護の連携と言うことがどうしたら実現するかは、分かりません。
社会福祉協議会の看護師保健師の資格のあるケアマネジャーは、積極的に「社会福祉学」を勉強しているようです。
私は、引き続き医療の勉強と社会福祉学を勉強しようと思っています。
医療に関しては、長尾先生や河野先生のセミナーや講習会に参加しようと思っています。ただ、多様な難病患者さんの入退院時の看護や介護に関してはまだまだ勉強不足だなあと思います。社会福祉学に関しても、法律(成文法、不文法、慣習法など)の勉強や、患者さんや家族を見る見方、考え方があるのだなあと思うばかりです。
お互いに多様な立場で、夫々勉強していくしかないのかなあ思っています。

Posted by 匿名 at 2017年01月03日 08:42 | 返信

ほんとに…そうなんです

緊急対応加算を算定しときながら
緊急時に
ショートやデイサービスに伺えない不可思議なことが起きています

実際に現場で働いてみた人でしか 気がつくことができないんですよね
だから
医療が必要な利用者さまの受け入れを拒否されている施設が多いんです

デイサービスの場合
機能訓練加算のために 非常勤での看護師で対応しているため
常時、看護師がいなくてもよいことになっています

もし
デイサービスで バルンカテーテルが抜去したら 対応できないので
おうちに帰ってから 訪問看護師が呼ばれての対応になってしまいます

細かいことなんですが…
なんとかしたいですね

Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2017年01月03日 09:53 | 返信

以前にもコメントした内容ですが、介護と医療に境目は無い筈。
老いた身体には病気もあれば、動きも鈍くなります。
線引きというナンセンス: 現在の介護と医療という分類の他に
医療の中に、介護連携を請け負う部門があって然るべき。
人の身体に線引きは、できないでしょう。

Posted by もも at 2017年01月03日 10:12 | 返信

私は施設での看取り介護は原則廃止すべきだと思っております。
家庭崩壊、措置入所等に限るべきです。
介護の基本中の基本は自己決定権の尊重であり、本来自宅で暮らしたい利用者を介護施設に入居させた訳ですから、最後の看取りぐらいは家族にさせて人間の証明をさせるべきです。
そもそも終の棲家である介護施設に入居するのか、しないのかは利用者が決めるべきなのです。
私が見て来た限り、約8割の利用者のは在宅介護が可能でした。
「介護できないから施設に入れる」んじゃなく「介護したくないから施設に入れる」この現状にメスを入れるのはケアマネの仕事なんです。
私が最初の施設で初めて看取りに関わりましたが、どうして看るべき人がいて帰るべき家がある利用者が赤の他人である介護職員に看取られて人生を終えなければならないのかと思うと、断腸の思いでした。
本来、その事に心を痛めるのはケアマネであるべきなんです。
もっと利用者本位に真剣にケアマネには仕事をして欲しいです。
今や特別養護老人ホームは「終の棲家」としての施設特性から、在宅復帰を目指す性格の施設に変容しています。
当然、ケアマネは入所から退所までのケアプランを書くべきです。
私は、在宅介護が主流になり、特別養護老人ホーム等の終の棲家の施設が過去の遺物になるべきだと思っております。
最後は看取り介護から脱線しました事をお詫び致します。

Posted by hiroshi at 2017年01月05日 04:13 | 返信

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