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急激に遠ざかる施設での看取り

2017年01月06日(金)

国は「施設での看取り」を謳っているが、現実には、急激に遠ざかっている。
ここでいう施設とはグル―プホーム、サ高住、有料など株式会社系である。
主治医には一切連絡せずに、「看とり搬送」することが常態化しつつある。
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これまで積極的に看取りをしてきた施設が手の平を返すように
突如として看取りを拒否するというケースが増えてきた。

家族が施設での看取りを希望して、在宅医もOKしていても、
本部や本社からの指示で、「絶対に看とりはしない」に変わってきた。

どうやら
・警察とのトラブルや介護訴訟を恐れる、
・次の入居者がイヤがる、の2つの理由があるようだ。

施設側は、主治医にはまったく相談せずに勝手に救急車を呼んで
どこか知らない場所に搬送して、とにかく自分の施設では看取らない。

施設に入れば、そこのケアマネや施設長は、「患者の命は自分たちが自由にできる」
と考えるので、在宅主治医などは眼中にないし、無視というか、どうでもいいのだ。

あるいは、
・看とりをする医師は、NGで
・看とりをせずに、救急車を呼ぶ医師は好都合、となる。

その結果、当院のようなクリニックはどうなるのか。

看とりが近づけば必然的に追い出しプレッシャーがかかるので
お泊りデイや小規模多機能を大慌てで物色しなければならない。

介護保険制度に翻弄される在宅医療。

「こんな煩わしい仕事に見切りをつけたい」、という開業医の相談を受けるが、
本当に言葉に詰まるし、私とて無力感で一杯である。

地域包括ケアの理念に逆行しているのであるが、施設側にそんなことは関係無い。
自分の株式会社の利益が最優先、ただそれだけの世界である。

すなわち、2000年の介護保険制度の土台が間違っているのだ。
だから抜本的に変えていかないと、多死社会には到底対応できない。

しかし国は、介護保険制度万歳の大本営発表ばかりで
こうした現実を直視しようとはしない。

政治家も役所も、「あとはどうにでもなれ!」である。
まあ、それで世の中が回っているのであれば、別に取り上げる必要は無いだろう。

しかし7:1の急性期病院も、本来の救急用のベッドを看取り搬送のために空けている。
そのうちに看取り搬送のために、本来の救急搬送が受けられない事態が発生する。

7:1病院(急性期病院)は本来、受け入れ患者をトリアージしなければならない。
しかし実態は、大学病院ですら開業医でもしないようなお薬受診を許容している。

新年早々、無力感に包まれている。

まあ、どうにでもなれ、なるようにしかならない。

それにしても払った税金が、看とり搬送に費やされている姿を見るたび、疑問を感じる。








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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

「急に」ってなんで?って思います。まさか、医師会や厚労省のお声がかりで、「死にかけの年寄りは、病院に搬送して、死亡原因を明確にすること!」なんて命令がでてるんじゃないでしょうね。
厚労省はビッグデータがほしいんじゃないでしょうか?年寄りの死亡原因が知りたくて...。
まさかね。

Posted by 匿名 at 2017年01月07日 07:01 | 返信

1月7日07:01の匿名さんのコメント関連でコメントします。
日本は専門家利権団体がたくさんあって、皆それぞれご自分の専門職の必要性を主張している。自分の仕事はたいへんに価値があって世の中に貢献している、と。
法医学者という日陰の専門職も、ご多分に漏れず、日本は欧米先進国に比較して死因究明がいい加減で、親族や利害関係者による他殺隠蔽に利している、もっと司法解剖を増やして死因を明確にしなければならない、など、主張しています。
死んだ理由は何なのか、誰に責任あるのか、を細かく追及していくと、死者に関わったすべての人たちに責任が生じるのではないか、特に、医療・介護関係者、家族親戚知人見舞客、など死ぬ時期に関わった人たちすべてが詮索の対象になっていくのではないでしょうか。

Posted by 匿名 at 2017年01月07日 02:04 | 返信

確かに、おかしいですね。私も母を9年介護して来て、最後に買い物に出ている間に、母がトイレに行こうとしたらしくて、ベッドに起き上って、端坐位で動かなくなって、頸動脈も触れなくなっている時は「しまった」と思いました。救急車で救急病院について「心肺停止」と言われた時は「もうだめだ」と思いました。確か医師に「一人でいる時に死んだのだから、孤独死だ。だから警察で検視ということになるかもしれん」と言われた時は「来ター!」と思いました。患者さんから、夫が酒を飲んで風呂の中で死んだ時に、医師に「脳梗塞で死んだ」と言う死亡診断書を書いて貰っているのに、葬儀屋から「仏さん濡れてるから事故死やから、警察に電話させてもらうわ」と言われて、お婆さんと次男さんが警察に引っ立てられた話を聞いていました。それにしても買い物に行っている間に死んだことが「孤独死」と言われるとは驚きました。幸い医師のご厚意でCTスキャンで「大動脈解離に夜心タンポナーデと死亡診断書を書いて貰ったので、無事葬式も出せて、納骨も済みました。でも「孤独死」と言ったら一人暮らしの人が亡くなって何日も経って腐乱死体で見つかる事件だとばかり思っていましたけれど、一寸買い物に出ている間に死んだことが「孤独死」と言われるとは、背筋が凍る思いです。

Posted by 匿名 at 2017年01月07日 10:50 | 返信

 看取りに対する問題提起はわかるのですが、実際にその立場に立つと、少し違う感想を持ちます。
まず,まだ健康ではあるが,相当高齢になった親の看取りについて、訪問医療の医師と,訪問看護婦と話したとき、医師からは最後に、訪問医療の役目の一つは、本来急性期医療に使われるべき救急病院の負担を減らすことでもあると言われました。既に死んでいるとわかる患者を,わざわざ救急車で運んで死亡確認をするのは、救急車も医療現場も無駄な負担でしかないからという意味です。でも自分の親だと思うと、ちょっとこの言葉には不満がありました。高齢ですから、蘇生の可能性は少なく、蘇生しても植物状態など重篤な症状になる可能性があるとわかっていても、家族なら一縷の望みにかけてしまうのが人情でしょう。実際「高齢者は、死期を悟って覚悟を決めている。だから無駄な治療や延命は望んでいない」と思い込んでいる医療関係者が多いけれど、死期が近づけば近づくほど,ほとんどの高齢者は必死で生にしがみつく執着を見せます。身近でそれを見ていたら、駄目とわかっていても、救急病院に送り込んでできる限りの治療をと思うのが正直なところでしょう。看取りを謳っている在宅看護は、まるで国の医療資産を温存するために、役に立たない老人には医療資産を使わず、手っ取り早く始末してしまった方が良いと言っているように聞こえました。
 この意識が変わったのは,親が末期癌になったからです。現実的に入院しても治る見込みはなく、それどころか管につながれて二度と家に帰れなくなることがわかったとき、家で死にたいという親の希望を叶えるには、救急車を呼ばない選択をするしかないとわかったからです。弱って行く親を見ていて、ようやく家での看取りという意味がわかってきました。
 実は,私の同居している親戚は医者で、だからこそ在宅医療に懐疑的です。理由は私がかつて考えたように、緩和ケアの名の下に、出来る治療を放棄して,老人を手っ取り早く始末しようとしているかのように、感じているからです。医者ならば,最後まで生きる事に希望を持ち,患者を支え続けるべきだと思っています。と言うわけで,この人も高齢なのですが,在宅医療を入れません。
 医療関係者さえこうなのですから、現実に接することがないうちは、国民のほとんどが在宅看取りの意味を理解していないでしょう。救急車を呼ばず,救急病院で呼吸器をつけて,心臓マッサージをする事が必要がないと理解するには、やはり現実を我がこととして接する以外にないと思います。
 独居老人が在宅医療をする場合、一人の時になくなる可能性が高いです。それでも多くの高齢者がこの死に方を選択するのは、病院での死よりも,在宅医療に支えられた1人の死の方が孤独ではないと感じるからでしょう。現在その瞬間に向けて介護中ですが、おそらく自分の時も同じ選択をすると思います。ただ、そのためには充実した在宅医療のインフラが必要ですが。
 その一方で、金銭的な意味でも、介護保険を使った在宅医療しか選択できない人はとても多いと思います。病院には長期に入院は出来ず、施設も病気があると受け容れてくれず、ホスピスも3ヶ月で出なければならないとなると、厚生年金をもらっているような高齢者でも、在宅医療に頼らざるを得なくなります。後期高齢者医療制度によって、在宅医療は(緩和ケアです)工夫次第でそれなりに低予算で実現できるという現実があります。
 となると、在宅での看取りは、好むと好まざるとにかかわらず、現状ではもっとも普通の選択肢になりつつあります。
 早晩インフラの方が追いつかなくなると言う気がして怖いですが。

Posted by 藤本 at 2017年10月30日 11:23 | 返信

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