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はずした、かな?

2017年02月04日(土)

今日は第1回愛仁会学術集会で講演した。
聴衆は、愛仁会の職員で平均30歳くらいか。
ちょとはずした、のかもしれない・・・・
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まずは、愛人会ではない。
愛仁会。

高槻病院、千船病院、明石医療センターなどを要する大きな医療法人。
超急性期から回復期、慢性期、老健、サ高住まですべてを網羅している。

そんな格式高い医療法人の第1回学術大会。
しかも会場は大阪国際会議という大舞台。

そこで「終末期医療」につて1時間で話すのだ。

さすがに、「歌う」ことは諦めた。
ここは「医学会」なのだ。

最近、3時間、4時間コースに慣れているので1時間だとアッと言う間。
結局、何を話しているのか自分でもよく分からないまま1時間が経過。

ああ、はずした・・・

会場がいやに若いことが気になった。
ならば、ちょっと違うネタで話せばよかった。

帰り道に反省するが、後の祭り。

まあ、急性期病院のスタッフに死の話をすることに
もっと慣れるべきだ、な。

でもその前に、そろそろ、下手な講演もやめどきか。

もう久留米に到着だ。

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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

長尾先生、講演を引き受ける時にもっと自分のペースに巻き込んだほうがいいんじゃないですか?
聴講者の年齢層や職種を事前に知りたい、自分の思いは1時間じゃ伝わらないから最低2時間は欲しい、あるいは今回は終末期の医療倫理だけに絞って話す、とか、もっと自分で講演をデザインしたほうが良いと思います。相手側が「それでは困る」と言えば、ではまた次回チャンスがあればよろしく、でチョン。ほんとに長尾先生を必要としていれば必ずまた依頼が来ます。
伝道師は思いが伝わってこそ、です。
「お人好し」は時として「なめられる」原因となります。

Posted by 匿名 at 2017年02月04日 06:09 | 返信

こんばんは。
やっぱり講演の前に歌った方が会場が
あたたまって良かったかもです。

テレサ・テンの愛人とか(笑)➡すみません。

にのさか先生のオカリナをバックに歌えるといいですね。

Posted by 匿名 at 2017年02月04日 06:39 | 返信

今日、19歳前後の人たちに介護の講義をしましたが、やはりこの世代に介護の話しをしてもあまりピンとこない様子。いつも悩みます。

Posted by 社会福祉士河本健二 at 2017年02月04日 06:51 | 返信

愛仁会と検索するだけで、トップにHomeが表われるのは、IT的に、お金が掛かって
いますね。なる程、沿革には昭和33年 11月1日 医療法人設立認可 とあって、関西の
老舗医療法人様でした。
それにしても、ブログ文章の印象からですが、長尾先生はウケ狙いし過ぎかも。
長尾先生のお人柄を知る方の集まりであれば、サービス精神旺盛な性分をキャッチして
また、楽しませて頂くのですけれど、今時の若い方々は結構シビアですから。
結構、時と場合によっては、ギャグを封印して、真顔で専門的トークに専念されたならば
それもまた、ファン層を広げるチャンスかも知れません。
人は[意外性] に惹かれたりするものです。

Posted by もも at 2017年02月04日 07:29 | 返信

私も初めて長尾先生の「在宅医療」のお話を聞いたときは「なんとキザなお医者さんだ。慶応卒やろか?」と思いました。ブログを見ると宝塚ソリオにいらっしゃるというので、介護支援専門員協会の研修会を受講した後、遅刻してソリオに参加しました。その遅刻したのがいけなかったのか「ケアマネジャーは、ヤクザに雇われている。そうだね?」と私に向かって言われて、私は口を尖らして「ハア...。」と答えました。
そのあと高齢女性が「主人が、がんセンターから退院したい。在宅介護をしてほしいというので退院しました。若い在宅医が胃瘻をしましょうと言って胃瘻の準備をしてたら、その話を聞いたがんセンターの看護師さんが来てくれて「癌の患者さんに胃瘻をしたらいけません」と主張して、お医者さんと看護師さんが喧々諤々の大ゲンカをして看護師さんが勝ちました。主人は、お蔭様で平穏死できました。」と言って泣き出しました。私は、何のことかわからずにいると、長尾先生が「その看護師は、偉いね。末期癌の患者さんに、胃瘻をして栄養を付けると、癌細胞に栄養が行って、癌が大きくなって、患者さんは却って苦しむんだよ」と説明して下さいました。それど「あ、この先生は本物のお医者さんだわ」と初めて気が付きました。
この話、何回もしましたかしら?

Posted by 匿名 at 2017年02月04日 07:56 | 返信

若い職員が多い職場…
これからの時代を支えていくみなさんですね

今は長尾先生の想いが伝わらなかったとしても
必ずその時は やってくる
きっと 思い出す時がきます

この終末期っていうのは なかなか 理解できないですよね
でも 誰でも やってくる

Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2017年02月04日 11:01 | 返信

講演おつかれさまでした。
人に伝える事の難しさよくわかります。
経験された方ではないとわかりません。
与えられた時間内に伝えたい事のプログラムや時間配分など
考えるだけでも大変ですね。
講演中にも聞いてる方の顔色をみながら
アドリブしたり微調整したりいろいろ気をつかいますね。
その道のプロの方ならともかく・・・
本業でなければなおさら。
しかも大舞台とお聞きするだけで足がすくみます。

しばらくは若い方向けの1時間講演や
「1時間でわかる終末期医療」とか
講演されてはいかがでしょうか? 笑
気づきあってこそ次があります。

ダイジョブ ダイジョブ。

Posted by 匿名 at 2017年02月05日 04:42 | 返信

2015-10-21 終末期医療について考えよう!

私はよく 10年前に書いたブログをツイッターで紹介しています。

これを続けるためには、10年後に紹介できるエントリを今、書いておく必要があるので、今日は「終末期医療」について書いておきます。


このトピックは、10年後くらい後には大問題となり、おそらく法制化も議論されているはずだからです。

そうなった時、「あたしソレ、10年前に書いてるから」と言えるよう、今、書いておこうという作戦なんですが、

よく考えたら、あたしが 10年後に生きてるかどーかのほうが不確かなので、この作戦が成功するかどーかはよくわかりません。


★★★


終末期医療というのは、高齢者が最期の時を迎えた時の医療のあり方です。

これ、本当は“高齢者”に限定された話ではないのですが、今回は平均寿命付近まで生きてきた高齢者に限定して考えます。

概ね 85歳を超えた人がこういう状態に陥ったら、という前提でお読みください。


昔は、多くの人が自宅で亡くなっていました。でも、今は大半の人が病院で亡くなります。

(赤い線が病院で亡くなる人の比率、青が自宅で亡くなる人です↓)

f:id:Chikirin:20151021114951j:image:w550

 ( 厚生労働省・資料 )


これにより私たちは、死ぬその瞬間まで「死なないよう」万全の医療を受けることになりました。


口から薬が飲めなくなった患者にも、点滴や注射で薬剤を投与し続け、

出血したら輸血、

呼吸ができないなら人工呼吸、

ご飯が食べられないなら鼻チューブや胃瘻(いろう、胃へのチューブによる直接的な栄養補給)、

血液が浄化できないなら人工透析、

心臓が止まったら電気ショックに補助人工心臓です。


それも数日や一週間という話ではありません。

医療技術が進むにつれ、こういった延命治療によって年単位で、時には十年を超えて人間は生きることができるようになりました。

もちろんベッドの上で、です。


★★★


これらの「できる限りの治療」は、本人が「無駄な延命治療をしないでほしい」という意思を持っていたとしても、病院にいる限り必ず行われます。

なぜならそうしないと、医者は殺人罪に問われてしまうからです。


たとえ妻や息子、娘が医者に「お父さんは延命治療なんて望んでいなかった。止めてください」といっても、簡単には止められません。

今の日本の法律では、家族であっても勝手に他人の命を止めることはできないし、そもそも「配偶者の意見」でさえ、「家族の総意」ではありません。


息子と娘の意見が異なる場合もあるし、妻と子供の意見が一致して「父は延命治療を望まない。その意思を尊重したい」と言っても、

ほとんど会ったこともない父の兄弟が見舞いに来て、「ずっと支え合って生きて来た、たった二人の兄弟なんだ。最期までできる限りのことを!」と言い出す可能性もあります。

そういう人からの訴訟リスクもあるので、医師はその職業的な使命に忠実に、「できる限りの(延命)治療」を行います。


★★★


唯一延命治療が止められるのは、「始める前」です。

たとえば、既に何年も寝たきりの家族が自宅で体調を崩した時、救急車を呼んで病院に運ばれてしまうと、延命治療が始まりますが、

「救急車を呼ばず、自宅でできる限りのことをする」という選択肢を選べば、自然死がありえます。

(この場合は死因検査が行われ、「家族が殺したわけではない」というチェックが行われます)


もうひとつは、体に傷を付ける必要のある延命治療を始める前の選択です。

たとえば胃瘻については胃に穴を開ける必要があるので、家族の同意なしに医師が行うことはありえません。(と理解してます)

なので、この段階で「そういう治療はしない」と決めることはできます。


ただし、体に傷を付ける必要のない治療は、病院にいる限り(救急車を呼んだ段階で)自動的に行われると思ったほうがよいでしょう。

家族は、「入院させた」「救急車を呼んだ」時点で「死なないように、あらゆる治療をやってほしい」と病院に依頼したと判断されるからです。


★★★


今までは、これらはあまり大きな問題ではありませんでした。なぜなら、

1)自宅で亡くなる人が多かったので、病状が急変しても、できる治療は限られている

2)医療技術が進んでいなかったので、延命治療を行っても寿命は長くは延ばせなかった

からです。


でも今は、そしてこれからは、大半の人が病院で最期を迎え、進んだ医療技術の恩恵を受けて、ベッドで寝たきりのまま 10年、20年と生き続ける可能性がでてきています。

もちろん本人の意思に拘わらず。というか大半の場合、本人の意思は確認できないままに、です。

そして(敢えて書いておきますが)、その治療費の大半が「若い人達が働いて納めた税金や保険料」から支払われます。


★★★


最大の問題は、本人の意思を反映する法的な枠組みが整備されていないことです。これは、「リビングウィルの法制化」といわれる問題です。

ちなみに、「延命治療を拒否して自然死を迎えること」は「尊厳死」と呼ばれます。

もう十分に生き、本人も望んでいないであろう延命治療を延々と続け、ベッドの上で意思表示も食事もすることなく、何年も「死なせてもらえない状況」を拒否するのが「尊厳死」です。


これとは別に「安楽死」という言葉もあります。

これは、不治で末期の病状にある人が、原則として本人の意思により、医師など第三者に、薬物などを使って死期を早める措置を行わせることです。

病気の苦痛に日々耐えかねている患者さんに、塩化カリウムなどを注射して命を終わらせると共に、その苦痛から解放する、といったイメージです。

安楽死は「自殺幇助」そのものですが、一定の条件の下に、罪にも罰にも問われないことが決められています。


たとえばオランダでは、 2001年に安楽死が法制化、2014年の 1年だけでも 5306人が安楽死で亡くなっています。これは年間に死亡する人の 数パーセントにあたります。

2015年末には重い認知症の人でも(=本人の意思確認ができるか微妙な人でも、という意味)安楽死が選べるようになり、年間 80名以上が安楽死(2014年)、希望者は増え続けてるらしい。

また、アメリカではやオレゴンやワシントンなど、いくつかの州で安楽死が合法化されているため、末期の病状にある患者さんが(安楽死が認められていない)他州から引っ越してくる、という現象も起こっています。


が、私が今日のエントリで書いているのは、安楽死ではなく尊厳死についての話です。

個人的には安楽死も法制化すべきとは思っていますが、議論を丁寧に進めるためにも、まずは尊厳死について考えるべきだと思うからです。


★★★


さて、延命治療が必要になるような状況では、多くの場合、本人の意思確認はできません。たとえ意識があっても、まともな思考力が残っている状況ではないからです。

そして、たとえ尊厳死が法的に認められても、医者が単独でその決定をすることはありません。


法制化の後も、医者はあくまで、

・法的に認められる状態だと確認され、

・本人の(意識不明になる前の)意思が確認されたり、(法律がそれを許すなら)家族が尊厳死を望んだ場合に治療が止められる(治療をしないと決められる)だけです。


だから今もそうであるように(たとえ法制化されても)「本人の意思も家族の意思も確認できない患者」は、ベッドの上で延々と生き続けることになります。

意思表明をしていない身寄りのない人が道でのたうち回り、救急で運ばれてきたようなケースですね。


治療費はどうするんだって?

ケースワーカーなどが家族を探すのだと思いますが、誰も見つからない場合は入院したまま生活保護が受けられますから、医療費は国から支払われます。

(生活保護を受給すると医療費は完全に無料です)


こういった、「本人が意識不明になった時、家族がいない」という人は、これからは急増するでしょう。

結婚していない人、結婚しても子供がいない人(←夫婦が同時に死亡しない限り、残った方は「家族がいない」状態になります)、もともと家族はいたけれど、縁が切れてから何十年もたっている人も増えているからです。


★★★


とはいえ、話が複雑なのは家族がいても同じです。

自分の親の命を左右する決断をするのは、子供にとっても、ものすごく重い判断です。


そういった状況に陥いる親は 80代、子供は 50代くらいで、共に生活していたのは既に 30年も前のこと、だったりもします。

子供といえど、親が自分の人生をどう考えていたか、想像さえできないし、そもそも親とそんな話自体したことがない、という人が大半ですよね。


こういう場合、突然(ほんとは突然じゃないんですけど)倒れた親にパニックした子供は、

往々にして「これまでは全く親孝行ができなかった。だからせめて今から最大限の親孝行を!」と考え、

「先生、お金はいくらでも出します。できる限りのことをしてください!!」と言ったりするわけですが、

そんなのは「自分のこれまでの、親不幸な行いへの償い」に過ぎません。


そんなことを言い出したら、更に親不幸を拡大させる(=親に、本人が望んでいないベッド上での長期間の治療の苦痛を耐え続けさせることになる)可能性さえあるんです。

これじゃあ、親不幸を償うどころか、親不幸の拡大延長です。

そもそも親が元気なうちに孝行をしていない子供に(=親の生き方や人生についてじっくり話をしたこともなかった子供に)、親の人生を左右する決断なんてできるわけありません。


★★★


それでも、親や配偶者ならまだマシです。

叔母や叔父、(親の離婚や再婚に伴う)義理の兄弟や義理の親、遠い親戚の誰かが倒れて病院に運ばれた時、

その治療方法についての判断を医師から求められ、

適切に答えられる人、

もしくは、自分が答えるのが当然だと思える人なんて、いるんでしょうか?


先ほども書いたように、延命治療が延々と続けられれば、膨大な医療費の負担が必要になります。

それらは、人数も少ない若い世代(今の子供達)の負担になります。


命を「コスト」で語ることを、不謹慎だと思う人もいるでしょう。


でもね、


・(意識はなくなってるけど)本人も望んでない、

・医師も、自分だったらこんな治療は受けたくないと思ってる、

・家族も同様だけど、自分で「それをやめる」判断なんて怖くてできない


という治療に、月に何十万円もかかり、それを何十年もの間、次の世代に負担させるしか選択肢がない。


こんな制度を放置していて、いいんでしょうか?


★★★


急ぐ必要はありませんが、

「本人の意思で延命治療の選択を行うことができ、万が一意識がなくなった時も、その意思に基づいた治療が行われる」

「それに沿って治療を行った & 行わなかった医師が逮捕されることのない制度」について、

そろそろ議論を始め、考えて行くべき時期がきていると思います。

Posted by ロモラオ at 2017年02月05日 09:16 | 返信

世の中、真の正義ばかりが正義じゃない。と理解し、世の中を過ごす大多数の熟年が
存在するのではないでしょうか。一般人の周辺でも、理不尽を受け入れざるを得ない環境が
存在します。ましてや、生と死のラインは、明確に黒と白を分けるようには出来ないという
止むを得ない曖昧があるもの。医師という職業を歩むうちには、「割り切れない」現実を
飲み見込まなければ、過ごしてはいけない性(さが)があって成り立っているのではないかと
思います。一般人が思う正義の論議とはかけ離れた、奥の深い、少し怖いような世界が、
どこかにあるのではないでしょうか。
信じたいのは、「良心」でしかない。それでも時には、人知れずファジーな秘密事があるのが
医師の社会、と、この年になって垣間見てきたような気がします。
法の世界とかも、どうだか判らない、どこか訝しむ気持ちが無くはないものです。
要は、人任せにしてはいけない、ということではないでしょうか。

Posted by もも at 2017年02月05日 03:30 | 返信

長尾先生、講演からの久留米おつかれさまでした。
法人の理事長が愛仁会の講演を拝聴していました。ここ数年、長尾先生の平穏死のお話を法人へも発信していましたので「長尾先生の講演聴いたよ、よかたよ!」と声かけてくださいました。
えっ!私、その日の午後、久留米で長尾先生に会いましたよ〜〜!
先生の行動力に元気をいただく1人です。今は伝わらなくても、いつかきっと。草の根運動!先生のお陰で伝えられると心強く思っていますので。同じ時代に活動できることに感謝しています。

Posted by 訪問看護師 丹後 at 2017年02月09日 04:58 | 返信

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