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「薬のやめどき」が有るのか、無いのか

2017年02月07日(火)

世の中には何千、いや何万もの薬がある。
それらの薬に「やめどき」なるものが有るのか、無いのか。
どうやら「死ぬまでに決まっている」という先生が多いようだ。
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エライ先生に怒られた。

「君はエビデンスという言葉も知らないのか。
 エビデンスがある薬は死ぬまで使うべきだ。
 それが患者さんの利益なのに、君はそんなことも分からないのか」

そのエビデンスとやらを造った先生だった。
自分の造った(製薬会社からお金をもらって)エビデンスは永遠だと信じていた。

エビデンスは真理ではない。
神話だと言ったほうが近い。→こちら

あるいは、「科学という宗教」だと思った方が正しい。→こちら
エビデンスを連呼するエライ先生やメデイアは、それだけで疑ったほうがいい。

しかしそのエライ先生はエビデンスが絶対的真理であると信じて疑わない。
そんなエライ先生がお墨付きを与えているのが、”エビデンス”である。

なるほど、死ぬまで降圧剤、死ぬまでインスリン、死ぬまで抗がん剤という
患者さんだらけだが、患者さんがそれで苦しんでいるのを私は診ている。

そうじゃない。

そんなはずがない。

人間はどんどん変化していく。
動的平衡もやがてゼロに向かって終息していく中で、エビデンスなど意味が無い。

薬のエビデンスとは出資者が自分の都合のいいように患者と医者を使って
論文という形にして、自画自賛をしているケースが多々ある。

その程度。

多くの薬には、「やめどき」が有る。
そう確信しているので本を書いた。

しかしそんな医師はあまり居ないようだ。
私はそれ自体が不思議でしょうがない。

こんなアホな私でも分かることが、どうしてエラくて賢い先生が分からないのか。

まあ、そんな雑感を医療タイムスの連載に書いてみた。→こちら
医療界で誰か本気で議論してくれる医師はいないのか。

製薬マネーに汚染された医療界、マスコミ、天下り官庁らが、
政官財一体となっている「死ぬまで多剤投与」とは闘いたい。

それは患者さんの尊厳を守る土台になる。
「やめどき」を知ることが、「痛くない死に方」の必須条件なのだ。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


医療タイムス2月号    「薬のやめどき」ってある?無い?   長尾和宏
 

昨年末に「薬のやめどき」と「痛くない死に方」という本が2冊同時に発売された。「薬のやめどき」は、生活習慣病薬や抗がん剤や抗認知症薬の「やめどき」について述べた本である。しかしさっそくある偉い先生にひどく怒られた。「君はなんという本を書くんだ!薬は死ぬまで飲むに決まっているだろう。ちゃんとエビデンスがあるんだから。そんなことも知らないのか」。私は内心、「書いて良かった!」と喜んだ。敢えてそんな反論覚悟のうえでエビデンスが無い世界に挑戦したのだから。

たとえば「降圧剤にやめどきはあるのか?それとも死ぬまで飲むべきか」という命題に対する回答は私の中では「あるに決まってるやん。なんでそんなこと分からんかな」である。しかし上記のように怒る偉い先生を見るたびに「人が死ぬところを見たことがあるのかな?」と思ってしまう。在宅医療や介護施設には「昔は高血圧、でも今は低血圧」という人がいくらでもいる。だから病院からたくさん処方されている降圧剤を含む多剤投与を徐々に減薬していく。すると少しずつ元気になり家族に大喜びされる。また抗認知症薬は中止によって別人のように元気に回復する人がいる。薬をただ中止するだけで要介護4から要支援に改善する人を見るたびに「いったい誰のための医療?」と思ってしまう。

抗がん剤についても同じだ。「死ぬその日まで抗がん剤を投与すべきだ。そのために最期まで入院させるべきだ」と熱く説くがんセンターの部長を眺めながら、「ああ、こんな先生がこの世に本当にいるんや」となんだかとっても珍しい生き物を見たような気分になった。死ぬまで打っても患者さんが幸せなはずがない。もしそんな暇があったら他にもっと楽しいことをやったほうがいい、と考えるのが多くの町医者だろう。しかし専門医によってはそうは考えないようだ。だからこんな本を書いた意味がある。もし叶うならば「やめどきなど無い!」と主張する医師とちゃんと議論をしてみたい。

「やめどき」があるのか無いのか、だけでも議論になるのに、どんなタイミングで何を目安にやめればいいのかと問われれば日本の医療界はまさに真空地帯である。製薬会社の担当者の顔がちらつき「考えたくない」が本音なのかもしれない。しかしだから週刊現代がバカ売れする。市民の目は決して節穴では無く、想像以上に様々な情報を持っている。上手に誤魔化すなんて到底できない時代だ。欧米では様々な薬剤の中止基準があるのに日本にはそうした概念が希薄な真空地帯に小さな風穴を開けることができれば本望である。

「強引なジェネリック誘導政策よりも多剤投与対策の方が先だ!」とあちこちで述べてきた。しかしなかなか伝わらない。理由は簡単。「薬をやめて何かあったらどうするのか?」という訴訟恐怖のひとつの表現型が「多剤投与」である。しかし薬の副作用に関する訴訟も増えているので、とりあえずガイドラインにある薬を重ねておけば訴えられないはず、となりがちだ。しかし私はできるだけ薬を使わないのが医療、だと考える一人。だから医療界のタブーに挑戦してみた。もう一冊の「痛くない死に方」のほうは5年前の「平穏死10の条件」のリニューアル版である。嬉しいことに2冊とも発売1ケ月で早くも6刷りになった。是非みなさまの忌憚ないご意見をお待ち申し上げます。
 





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この記事へのコメント

クスリについては、ある種、絶望的な未来を予見しています。
社会構造そのものが、「体調不良は投薬医療で矯正して社会参加する」前提になっている。
クスリを服用するかしないか、これは、だれの責任でもなく本人の責任だと思います。
病状の説明とクスリの必要性、副作用、多面的に考えて、飲むのか飲まないのか、いつまで飲むのか、医者が責任を持つ問題ではないと思います。説明責任はあるけど、どうするかを決めるのは本人です。
ところが現在の医療は真逆で、医者はろくに説明しない。医者は患者と会話しない。クスリだけ勧める、というか、飲まない、という選択肢を提示しない、というか、医者が一方的に指示命令して、それに従わない患者は、「他へ行って下さい」と投げ出す。たいてい、「どうなっても知りませんよ」というような殺し文句がくっついてくる。だから、患者は医者の顔色をうかがうようになる。

いつ頃から、なんでしょうね、こんな医療になったのは。

Posted by 匿名 at 2017年02月07日 03:32 | 返信

先生、おはようございます。
いつも思うのでした。
死ぬということはどういうことなのか?小さい頃から考えることをしていれば、
病気に対しても医療に対しても自分の考えをもてるのではないかなって。
子供は死なない?そんなことはないですよね。病気になって亡くなることもあるし、不慮の事故もある。
年寄りは死なない?死なない人はいないですよね。
じゃあ、生きているということはどういうことか?
死ぬのが怖いのなら、なぜ怖いのか?
明日死ぬとわかっていたら自分はどうするのか?

宗教ではなくて、人間だから考える必要があるってわたしは思っています。

先生、今日は青い空がきれいですよ。

Posted by ヒヨドリ at 2017年02月07日 09:25 | 返信

長尾先生、「痛くない死に方」「薬のやめどき」6刷り目!突入おめでとう御座います。この先生の偉大な業績が、指示されればされるほど、風当たりが強くなること自体が、今の医療・医薬業界の一番の問題と感じています。先生のご苦労は計り知れませんが、一人でも多くの方に、先生の想いが伝わること、切に願っております。頑張って下さい。先生が魂込めて執筆されたこの2冊の本、本当に素晴らしい内容で、これからの日本を変えていく、支えていく為に、もっともっと多くの人に、実際に手にとって読んで頂きたい、そう願っています。微力ではありますが、自分のクリニックでは、院内推奨図書として購入し、スタッフや非常勤医師達にも是非読んで頂くよう勧めています。しかし、残念ながら、医師達からの反応は、今ひとつで、我々のような小さなクリニックでも、医師達の意識改革は中々難しい、と感じています。先生の本を真っ先に読まなければいけないのは、誰有ろう、何時までも、死ぬまで!抗癌剤を処方し続ける医師達、大量の薬を平然と処方しても何も感じない医師達、大病院志向のご家族を説き伏すことの出来ない他人任せの医師達、だと思います。医師の意識が変わって行かなければ、何れは、自分自身の首を締め付け、本当に求められる医療を継続する事が出来なくなる、そんな危機感を、この本を読んで感じ取って欲しい。先生のこの2冊の本が、日本中の書店の一番目立つ所に置かれ、10刷り・20刷り、いや100刷り!!!と、大ベストセラーになれば、日本が変わる、そんな気がいます。微力ながら、先生の想いを、一人でも多くの医師達に伝えて行きたい、と思っております。

Posted by Masanaru Ozawa at 2017年02月07日 09:47 | 返信

エライ先生に怒られた。←エライ先生の波動は、非常にわるい。エネルギーは、左回り超大、最悪な人物。

「君はエビデンスという言葉も知らないのか。
 エビデンスがある薬は死ぬまで使うべきだ。←NO。エビデンスがある薬は死ぬまで使うべきではない。
 それが患者さんの利益なのに、君はそんなことも分からないのか」

そのエビデンスとやらを造った先生だった。
自分の造った(製薬会社からお金をもらって)エビデンスは永遠だと信じていた。

エビデンスは真理ではない。
神話だと言ったほうが近い。→こちら

あるいは、「科学という宗教」だと思った方が正しい。→こちら
エビデンスを連呼するエライ先生やメデイアは、それだけで疑ったほうがいい。

しかしそのエライ先生はエビデンスが絶対的真理であると信じて疑わない。
そんなエライ先生がお墨付きを与えているのが、”エビデンス”である。

なるほど、死ぬまで降圧剤、死ぬまでインスリン、死ぬまで抗がん剤という
患者さんだらけだが、患者さんがそれで苦しんでいるのを私は診ている。

そうじゃない。

そんなはずがない。

人間はどんどん変化していく。
動的平衡もやがてゼロに向かって終息していく中で、エビデンスなど意味が無い。

薬のエビデンスとは出資者が自分の都合のいいように患者と医者を使って
論文という形にして、自画自賛をしているケースが多々ある。

その程度。

多くの薬には、「やめどき」が有る。
そう確信しているので本を書いた。

しかしそんな医師はあまり居ないようだ。
私はそれ自体が不思議でしょうがない。

こんなアホな私でも分かることが、どうしてエラくて賢い先生が分からないのか。

まあ、そんな雑感を医療タイムスの連載に書いてみた。→こちら
医療界で誰か本気で議論してくれる医師はいないのか。

製薬マネーに汚染された医療界、マスコミ、天下り官庁らが、
政官財一体となっている「死ぬまで多剤投与」とは闘いたい。

それは患者さんの尊厳を守る土台になる。
「やめどき」を知ることが、「痛くない死に方」の必須条件なのだ。

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医療タイムス2月号    「薬のやめどき」ってある?無い?   長尾和宏

昨年末に「薬のやめどき」と「痛くない死に方」という本が2冊同時に発売された。「薬のやめどき」は、生活習慣病薬や抗がん剤や抗認知症薬の「やめどき」について述べた本である。しかしさっそくある偉い先生にひどく怒られた。「君はなんという本を書くんだ!薬は死ぬまで飲むに決まっているだろう。ちゃんとエビデンスがあるんだから。そんなことも知らないのか」。私は内心、「書いて良かった!」と喜んだ。敢えてそんな反論覚悟のうえでエビデンスが無い世界に挑戦したのだから。

たとえば「降圧剤にやめどきはあるのか?それとも死ぬまで飲むべきか」という命題に対する回答は私の中では「あるに決まってるやん。なんでそんなこと分からんかな」である。しかし上記のように怒る偉い先生を見るたびに「人が死ぬところを見たことがあるのかな?」と思ってしまう。在宅医療や介護施設には「昔は高血圧、でも今は低血圧」という人がいくらでもいる。だから病院からたくさん処方されている降圧剤を含む多剤投与を徐々に減薬していく。すると少しずつ元気になり家族に大喜びされる。また抗認知症薬は中止によって別人のように元気に回復する人がいる。薬をただ中止するだけで要介護4から要支援に改善する人を見るたびに「いったい誰のための医療?」と思ってしまう。

抗がん剤についても同じだ。「死ぬその日まで抗がん剤を投与すべきだ。そのために最期まで入院させるべきだ」と熱く説くがんセンターの部長を眺めながら、「ああ、こんな先生がこの世に本当にいるんや」となんだかとっても珍しい生き物を見たような気分になった。死ぬまで打っても患者さんが幸せなはずがない。もしそんな暇があったら他にもっと楽しいことをやったほうがいい、と考えるのが多くの町医者だろう。しかし専門医によってはそうは考えないようだ。だからこんな本を書いた意味がある。もし叶うならば「やめどきなど無い!」と主張する医師とちゃんと議論をしてみたい。

「やめどき」があるのか無いのか、だけでも議論になるのに、どんなタイミングで何を目安にやめればいいのかと問われれば日本の医療界はまさに真空地帯である。製薬会社の担当者の顔がちらつき「考えたくない」が本音なのかもしれない。しかしだから週刊現代がバカ売れする。市民の目は決して節穴では無く、想像以上に様々な情報を持っている。上手に誤魔化すなんて到底できない時代だ。欧米では様々な薬剤の中止基準があるのに日本にはそうした概念が希薄な真空地帯に小さな風穴を開けることができれば本望である。

「強引なジェネリック誘導政策よりも多剤投与対策の方が先だ!」とあちこちで述べてきた。しかしなかなか伝わらない。理由は簡単。「薬をやめて何かあったらどうするのか?」という訴訟恐怖のひとつの表現型が「多剤投与」である。しかし薬の副作用に関する訴訟も増えているので、とりあえずガイドラインにある薬を重ねておけば訴えられないはず、となりがちだ。しかし私はできるだけ薬を使わないのが医療、だと考える一人。だから医療界のタブーに挑戦してみた。もう一冊の「痛くない死に方」のほうは5年前の「平穏死10の条件」のリニューアル版である。嬉しいことに2冊とも発売1ケ月で早くも6刷りになった。是非みなさまの忌憚ないご意見をお待ち申し上げます。

Posted by ロモラオ at 2017年02月07日 10:12 | 返信

進行癌患者なのですが、お迎えが来る間近までは、自分の足でうろうろ歩き、暮らすという生活を送りたいと思っています。癌が劇的大きくなっていかなきゃ、又は増えなきゃいいわけで、そのための治療や投薬は長ーーーく続けて貰いたいとは思うのですが、所謂エビデンスにのっとった標準治療だと、長ーーーーく普通の生活をしながら生き延びる人は余程の幸運人。減らし時、辞め時があってもいいですよね。患者は標準治療の実験体ではないんだしと思います。痛みを取ってくれるのだって治療だと思います。一人ひとりの患者のために試行錯誤して、量を考えたり、漢方を足したり治療を工夫しているお医者さん達を、偉い人は「エビデンスが無い」なんて言っているから、患者から「エビデンスに殺される」に近い感想が出てくるのだと思います。

Posted by 樫の木 at 2017年02月07日 10:49 | 返信

私は、元職鍼灸師の介護支援専門員に過ぎないので、意見を述べる権利も無いのですけど、患者として患者の家族として、長尾先生の「薬の止め時」は正しいことが書いて有ると確信します。
エライお医者さんに叱られたというのは、この本の内容に本当のことが書いて有るからだと思います。
開業なさっているお医者さんは、本能的に「薬は止め時がある」とご存じだと思います。
特に、在宅のお年寄りや、癌の末期の患者さんを診ていらっしゃるお医者さんは、ご存じだから、そこは「あ.うんの呼吸」で処方なさっていらっしゃるのではないでしょうか?
ただ、患者さんにも学歴に関係無く、賢こい、なんでも他人の責任にせず、判断力のある方と、あんまり賢くない、なんでも他人(お医者さん)の責任にする方がいますから、そこはいかに対処するかはケースバイケースではないかと推測します。
それに、私の母のように「アルツハイマー」では無いのに「アルツハイマー」と診断されて、家族である私もバカみたいに、ぼーっとする母にアリセプトを飲ませ続けて、「パーキンソン症候群」にしてしまうことが現実にあるわけですけど、それははじめに「アルツハイマー」と診断した脳神経外科に責任があるのであって(アリセプトを処方した)内科のお医者さんには責任はないと思います。私は家族として母に申し訳なかったと詫びるほかは有りません。これは全く誤診による、御投薬としか言いようがない。
長尾先生の「薬にやめ時」に「そうだなあ」と思っていらっしゃるお医者さんは多いと思います。
気を強く持って下さい。春は来るのは、遠くないと思います。

Posted by 匿名 at 2017年02月07日 01:42 | 返信

薬について、薬剤師さんの意見が聴きたいですね。薬剤師さんのコメントをあまり見ないので。

Posted by 社会福祉士河本健二 at 2017年02月07日 03:04 | 返信

ちょっとした御縁から、過去に製薬会社のセールスに従事していた方と知り合いました。
稼いだ額は、とか、医者接待の有様とか、言葉少なに、でも自慢げに話を披露してくれます。
こちらも深くは聞いちゃイケナイな..と思うし、相手もかつての敏腕営業とあれば、余分な
話は口にしません。何かとあるだろうな、あっただろうな。
大金が動く、その仕事に従事した過去の栄光を懐かしむような気配を漂わせているようです。
ただし現在は、常識的食物以外のものは口に入れない主義だそうです。薬なんて、もっての外!!
サプリメントも否定していました。売ってたのにネ。

Posted by もも at 2017年02月07日 08:48 | 返信

『「薬のやめどき」が有るのか、無いのか』以前に
そのクスリ、飲む必要が有るのか、無いのか、
ではないかしら、と思えてきた。

Posted by 匿名 at 2017年02月10日 07:28 | 返信

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