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行ったり、来たりも、いいんじゃない

2017年02月18日(土)

病院か施設か在宅か。
2者択一ないし3者択一を求めがちだが、行ったり来たりもいいんじゃない。
がんの場合、治療と緩和の併用こそが患者さんの希望を自然治癒力に変える。
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産経新聞の記事。→こちら

本来は療養の場は関係無いはず。
そこに文化の差があれば、医療の神様に反すること。

だから、だから
行ったり、来たりも、いいんじゃないか、と思う。

多くの人は自然ににそう感じている。
硬直化しているのは医療者やMSWのほうだ。

明日は、日本病院協会のおエライ様の先生方にそんな講演をする。→こちら
その後は、神戸の緩和ケア医に緩和ケアの講演をすることに。→こちら

大丈夫、かな???
これを書きながら、明日、どこへ行くべきか確認している情けない男。

きっと、行ったり来たり、なんだろう。

でもいいじゃない。
人生なんて行ったり来たりしてるうちにある日、一人で死ぬんだから。


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この記事へのコメント

「人生なんて行ったり来たりしてるうちにある日、一人で死ぬんだから。」
同感。
生まれた直後から、死を背負って生きているんだけど
死は、作為的に招くものではなく向こうからやってくるものだ。
作為的に死を招く行為が、他殺、自殺、安楽死も入るのかな。
こういう視点だと事故死っていうのは、なんか運命論肯定せざるを得ず、みたいなところがあるけど、どうなんだろう。
延命っていうのは、作為的に死ぬ時期を延期する行為で、
尊厳死っていうのは向こうからやってくる死を許容する--これは行為じゃなくて普通の「成り行き」なのだろうと思う。

老人呆けゆえか認知症なる症状ゆえか元々の性格ゆえか、
自分のために地球が存在すると勘違いしている老父は、
「一人で死ぬ」ことを受容できないようだ。
周囲に誰が居ても居なくても、死ぬのは自分自身である。
自分が一人、死んで、周囲が生きている。
ヤツは、それが納得できないのだ。
祖母も、しょっちゅう死を語っていたのだけど、
私はこの数年、老父とのやり場のない会話に疲れています。
・・・あんただけ、一人でずっと生きなよ。
・・・私が先にいなくなるから。

Posted by 匿名 at 2017年02月18日 04:20 | 返信

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