政府が進める「働き方改革」。医師への「時間外労働」の上限規制は猶予されることになったが、今後、医師の勤務環境改善に向けた議論が活発化するのは必至だ。“36時間連続勤務”も当然とされた一定年齢以上の世代の医師は、今の動向をどう受け止めているのか。
心臓外科の第一人者であり、順天堂医院院長、心臓血管外科教授としてマネジメントの立場にもある天野篤氏に、自身の経験や管理者としての立場を踏まえ、お聞きした(2017年2月9日にインタビュー、3月に追加取材。計3回の連載)。
――医師の過労、長時間労働が問題になる中、折しも政府は「働き方改革」を進めています。
まず今の若手医師に言いたいのは、「しっかり働いて、社会に還元してもらいたい」ということ。私大協(日本私立大学協会)などのデータでは、医学生1人に公費と授業料等を合わせ、年間約1850万円かかるとされている。6年間にすると1億1000万円以上。
20代前半の若者が、この1億円を用意すると仮定した場合、不動産や動産を持っていなかったら、銀行が無担保融資できるのは、せいぜい300万円。残る1億円以上は高額利子で借りるしかない。生涯返済金額は3~5倍程度にはなると試算され、今の平均的なビジネスマンの生涯年収を超えてしまう。また、2017年の医師国家試験結果からは、受験者の約1000人が不合格となり、約1000億円の税金が1年間は有効利用されないことになった。
それだけの費用をかけて養成してもらっている覚悟を持ってほしいということであり、「留年しないで確実に医師になる。医師になったら、ワークライフ・バランスは、自分中心ではなくて患者中心で考えなさい」と言いたい。それができた医師が初めて、自分のプライベートのための時間を考えることができる。また医学部に入り、医師になり、医師として働くために必要な健康な体を保てるのは、医療を含めて日本の社会保障制度が充実しているからこそであり、その恩恵も忘れてはいけない。
――医師の仕事は、「9時―5時」で終わるものではなく、自分のプライベートを多少犠牲にしてでも、働かなくてはいけない。
それは全然犠牲とは思わない。何をもって、自分の満足に変えるかという問題。今の医師の仕事を「働き過ぎ」と思うようだったら、それは医師に向いていない証し。「他の職種よりは安定的な生活ができるんじゃないか」などと思って医学部に入学して、医師になったような人は、多分向いてない。そうであれば、早くそのことを指摘してあげた方がいい。
そもそも医師が一人前になるには、経験を積むことが不可欠。人よりも無理してでも頑張って、ガツガツと症例経験を積んだ人が、よりいい医師になる可能性を高める。医療に限らず、一般社会でもさまざまな経験を積み、自分の中に取り込んだ人が、“勝ち組”になる。だから、今の初期の臨床研修もおかしい。研修医たちは、「もっと早く一人前になりたい」と考えているはずなのに、制度はそれを阻み、勤務時間を厳しく管理している。
――「昔は、多くの症例を経験したいから、自分で率先して当直して、救急搬送に対応していた」といった話も聞きます。
いい医師になりたいという医師の基本的な志は、今でも変わっていないと思いたい。
――ただ「朝から外来をやり、入院患者も診て、当直し、翌日も勤務」といった、36時間の連続勤務などは問題ではないでしょうか。
「働きすぎの医師から、医療事故が発生しやすい」というエビデンスは確かにある。一定の限度はあり、無理をさせてもいけない。要は、どんな働き方をしたいか、あるいはどんな働き方ができるかだ。それは本人と上司が、フィフティ・フィフティの立場で決めるのではなく、本人が自分の考えや資質を踏まえ、自らの責任で決めるべき。当然ながら医師によってそれは異なる。時間外労働を一律に規制するのではなく、さまざまな可能性を提供して、多様なキャリアを築けるようにしなければならない。
――ところで、先生ご自身の1日の労働時間は何時間でしょうか。今も平日は病院に泊まっておられるのですか。
平日は、ここ(順天堂大学)に泊まっており、院長になっても、もちろん手術を続けている。朝は5時から5時半くらいに起きて、メールなどをチェック。週に2、3回は朝8時から会議。昼間も会議が週に数回ある。大抵の会議資料は、事務職員が準備してくれるが、院長提案などの資料は自分で用意をする。それ以外の大半は手術。夜は取材を受けたり、会食に出かけたり……。手術のための地方出張も時々している。
――最も多くの手術をしていた時期や、その件数はどれくらいでしょうか。
天皇陛下の冠動脈バイパス手術を担当させていただいたのが、2012年2月。私の手術件数のピークはその翌年で、年間500件くらい。そのうち順天堂医院で手術したのが約400件、残りは他の病院で実施した。昨年は約400件で、うち順天堂医院での手術が280件ほどだ。
――週末の過ごし方は。
土曜日は取材を受けるなど仕事が入ることが多く、日曜日もゴルフに行かなければ、病院に来ている。ただ、日曜日の夜は家族と待ち合わせ、食事に出かけるようにしている。自宅での夕食は、月1回くらい。
――では先生の教室のスタッフは、どんな働き方をしているのですか。
心臓血管外科のスタッフは、大学で仕事をしているのが約10人。関連病院に出ている医師も含めると、24、25人くらい。
スタッフには、「大学では、週3日分、フルに働いてくれればいい。それ以外は自由」と言っている。それ以外の日は、朝は大学に顔を出したりしていても、日中は他の病院で手術、あるいは手術指導をしたりしている。それはまさに「修行」であり、収入も得られ、腕を磨くことができる格好の機会。
家庭を持つスタッフは、家族と食事をしたり、息抜きの時間に充てることもできる。そうした時間も仕事のエネルギーになる。ゴールデンウイークや年末年始などは、スタッフがお互いにやりくりして、まとまった休暇を取ることも可能。プライベートの時間を自由に使ってもらうために、スタッフが研究マインドを高めながら収入も得られるようにするのが私の役割でもある。
ただし、大学にいる時の勤務は多忙であり、当直明けの手術もある。心臓血管外科の病床稼働率は、順天堂医院の中でもトップ。日数的には週3日分でも、スタッフは、一般的な医師の2倍は働いている。例えば、通常は4人入る手術も、うちは2人。最近は1.5人くらいに絞っている。(予定手術前の当直免除などの要件がある)「手術・処置の休日・時間外・深夜加算1」が診療報酬で設定されているが、当院では算定はできないし、別に必要はないと考えている。患者さんが多い病院では、あの点数は取れない。
――先生が20~30代の頃と、今の若手医師とは20~30代では、働き方はあまり変わっていない。
大学で勤務している時には変わってない。だからこそ、その代わり、自分の時間もちゃんと持たせている。
――医局員から、過労、長時間労働への不満はないのですか。
不満が出たら、その時に考える。けれども、スタッフは新しいことに責任を持って挑戦し、これまでの研さん実績で稼いでいるから、不満は今のところ出ていない。また私の教室では、演題を発表しない場合でも、海外の学会に行く機会などを与えるようにしている。私自身が、若い頃にもっと海外に出て、海外の医療に触れる機会があったら、少し違う医師になっていたと思うから。
――それはどのような意味でしょうか。
海外留学の経験はなく、学会活動もあまりしていない。そうした道は、自分で断ってしまったから。その代わりに、他のどんな教授よりも、心臓外科手術の経験は豊富。自分で自分を褒められるような実績は残した。
この記事へのコメント
医師はしっかり働き、社会に還元せよ:
天野篤・順天堂医院院長 ・・・・・・ を読んで
長尾先生は本ブログの中で、尊敬する天野篤
先生を紹介されながら、“仕事の内容はまった
く違うが、ライフスタイルはほとんど同じ”
と表現されています。
その意味は、「ワークライフバランスは、自分
中心ではなく患者中心で考える! それを実行
した上で、なお時間に余裕があればその時初め
てそれをプライベートな時間として使う!」 と
いう時間の使い方が類似していることを指されて
いるんだと思います。
更に、「そもそも医師が一人前になるには、多く
の経験を積むことが不可欠。人よりも努力して
より多くの症例経験を積んだ人、より多くの患者
さんの犠牲から実地に学んだ人が、よりよい医師
となる可能性が高まる。」というのは、一面の真実
と思います。
尼崎の町医者として大活躍されている現在の長尾
先生があるのも、多くの臨床経験と多くの犠牲者
さん? から多くのことを学んだ結果だと思うと ・・・・・、
60歳を2年後に控えて、“そろそろ自分の時間を
大切にして、のんびりと人生を愉しみたい” という
発言はどなのでしょうか ???
それらの多くの人のことを考えると、まだまだリタ
イア生活を考えるのは早いのでは?! と思います。
65歳まで? いや、70歳まで、“しっかりと働き、
社会に還元” すべきでは?! と思います。
頑張ってください。 よろしくお願いいたします。
Posted by 小林 文夫 at 2017年04月06日 11:18 | 返信
天野先生の記事をコピーさせて頂きました。
凄い人とは偉ぶらない、驕らない人であり、一見して普通の人であること、と
どこかで読みました。そう思います。
どこか鼻高々で、偉ぶって、気取っている人については、たとえ地位があったとしても
実際の人間性としては、大したことないな、と思ってしまいます。
以下、天野先生の記事より
.....
>私大協(日本私立大学協会)などのデータでは、医学生1人に公費と授業料等を合わせ、
>年間約1850万円かかるとされている。6年間にすると1億1000万円以上。
>それだけの費用をかけて養成してもらっている覚悟を持ってほしい。
.....
このように具体的に、現実的な数字を掲げて公言なさること自体に、強いメッセージ性を
感じました。先生の年代的にも、実績・地位から鑑みても、人・人材を育てなければならない
という御意思の現れではないでしょうか。
今後、先生らが現役を退かれたあと、医療界の行く末を案じていらっしゃるのが感じられました。
Posted by もも at 2017年04月07日 10:25 | 返信
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