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12年前の4月25日と25年前の4月25日
2017年04月27日(木)
あれから12年。
でも、あの日のことははっきり覚えている。
尼崎市医師会内科医会会長として船出の日でもあった。
しかし1日中、クリニックの上をヘリコプターが飛んでいた。
夜を徹して、生存者の救出が行われた。
あのグシャグシャになった車内で生きたまま閉じ込めらた人が何人かいた。
翌朝8時すぎに結果的に「最後の生存者」が救出された。
偶然とはいえ、その若者は幼馴染の息子さんで、その1週間後病院で会った。
あの日を境に日本は変わった。
尼崎から、「安全」が変わったのだ。
あまがさきは、言霊では「天(あま)が先(さき)」で
天下国家で起こることはすべて尼崎から起きるという。
そして、もうひとつの4月25日。
25年前の4月25日に尾崎豊が亡くなった日でもある。→こちら
あの時、私は市立芦屋病院の副医長として超多忙な毎日だった。
しかし、さすがに尾崎の訃報を聞いて、後輩を連れて外に出た。
朝まで、カラオケボックスに後輩を引き連れて朝まで
尾崎の歌を泣きながら歌い続けていた、という。
若かったのだ。
その3年後(1995年)の1月17日に阪神大震災が起きて
自分の生活が一変した。 病院を飛び出し尼崎の町で開業した。
いずれにせよ、約12年ごとに4月25日は、たいへんなことが起きる。
そして・・・
実は昨夕(4月26日)、日本尊厳死協会副理事長であった青木仁子さんが旅立たれた。
今朝一番にお看取りがあり、夕に大切な先輩があの世に逝かれたという知らせが届いた。
つい最近まで新聞で活躍していたが、
望みどおり尊厳死された、のだろう。
自殺と
災害と
尊厳死
なんともいえない4月の終わりだ。
GWはのんびり行こう。
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この記事へのコメント
福知山線の尼崎事故の時、確か経営陣は例によって、東京大学経済学部卒とかキャリア組で、実際に運転する運転手や車掌の意見は、全く取りれられない日勤教育とかいう、懲罰教育がなされていたのが、元凶だと思いました。勿論多くの乗客が被害者ですけど、運転手も被害者の一人のように感じられました。
アメリカの航空会社では必ずパイロット出身の重役が入ることになっていると聞きました。
アメリカのホームドラマ「パパ大好き」に出てくるお父さん役のフレッド.マクマレーは、確かパイロット出身の重役と言う設定だったと思います。
今は亡きマイクル.クライトンの作品のER救急救命室で、女医さんのアビーがアルコール中毒になって事件を起こし、病院内会議で、院長のアンスポーと普段一緒に働いている黒人看護助手が対等の立場で、アビーに「アルコール中毒専門の病院」に入院することを提案する場面がありました。あれくらい現場の意見が重要な意見として取り入れられたら、いいなあと思いました。
Posted by 匿名 at 2017年04月27日 08:10 | 返信
タイミング的に不謹慎かも知れないけれど、
文中にあります、これまでの御経歴
尼崎市医師会内科医会会長 とか 市立芦屋病院の副医長 とか
病院を飛び出し尼崎の町で開業 とかの文言 があって、そのあとに
25年前の4月25日に尾崎豊が亡くなった日、
カラオケボックスに後輩を引き連れて、朝まで、尾崎の歌を
泣きながら歌い続けていた。という
そのギャップ感が、いいな と思ってしまいます。
人は時に、身内以外の人の死であっても、また、直接には面識ない方の
死であっても、茫然自失な心境に陥ってしまうことがあるものです。
そういった経験は稀有なものですし、ましてや死に慣れてしまいがちな
医師という御職業にあっても、その感性を失わない Dr.Nagao が
稀有な存在であり、偉大だと思うのです。
Posted by もも at 2017年04月28日 08:10 | 返信
今話題のおヒトの今村復興大臣も、東京大学法学部卒で旧国鉄に入省していたキャリア組だそうです。
やっぱり、現場が分からないヒトなんだ。
Posted by 匿名 at 2017年04月30日 09:14 | 返信
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