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キプロス紀行(その3)世界も悩んでいる
2017年04月04日(火)
ユネスコ生命倫理世界会議に出席して一番感じたのは「世界も悩んでいる」ということ。
安楽死が認められている国、認められていない国があるがそれぞれの立場で悩んでいた。
しかし日本と一番違うのは、死をタブー視せずに正面から向き合っていることであった。
安楽死が認められている国、認められていない国があるがそれぞれの立場で悩んでいた。
しかし日本と一番違うのは、死をタブー視せずに正面から向き合っていることであった。
安楽死を認めている国でも、やはり安楽死には抵抗がある。
それは5年前のスイスでも感じたことだが、今も同jじである。
自律性、尊厳、自己決定のなかで彼らも悩んでいる。
緩和的鎮静があれば安楽死は無くてもいいのではないか、
という米国オレゴン州からの発表が印象に残った。
今回「医学養育」という観点からもとても興味深い話を聞けた。
若い医師に医療倫理をしっかり教えることも我々の世代の責務。
以下、キプロスの写真を思い出すままに。
キプロスの歴史は1万年ある。
4500年前の青森の三内丸山遺跡とよく似ていた。
空港近くのソルトレイクの中ほどにある公園では、沢山のネコが生活していた。
噂には聞いていたが、本当にどこに行ってもネコの島だった。
どのネコも人なつっこいというかとてもなれなれしい。
相手が愛嬌がいいと、こちらも自然に愛想が良くなる。
おじさんが、嫌がるネコに塩をふりかけていた。
「消毒」だと。
立派な城壁もトルコ軍に破壊された。
兵どもが夢のあと。
お土産物屋さんで。
人が閉じ込められてれいた跡。
ひめゆりの塔のキプロス版。
なんかよく分からないけど、キプロス的な写真。
とっても古くて美しくて多様でシブくて石が多い島だった。そうそう、観光のために来たのではない。
生命倫理の世界会議のためキプロスに来た。
日本からの3人組。(左が黒須教授、右が平山教授)
台湾代表の台北大学の教授と意気投合した。
帰国して10日間が経過したが、まさに怒涛の日々だった。
昨日も一昨日も夜中の3時や4時に呼び出されて働いていた。
2日連続、夜明けに遭遇した。
嬉しいような悲しいような、なんともいえない気分。
24時間闘うのは大変なこと、だと思う。
こんなことをやっていてよく死なないな、と感心する。
毎日がヘロヘロの中、来客対応や研修に来た医師や新人を教えている。
伝えることも大きな使命である。
実はこの3ケ月間で30余名の在宅看取りがあった。
そりゃ大変なことをやっていると、あらためて思う。
キプロスの話はいったんこれくらいにしておく。
来年のこの大会は、アテネで開催されるそうだ。
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この記事へのコメント
キプロス紀行(その3) 世界も悩んでいる
・・・・・・・ を読んで
“在宅死” が主流であった昭和30年・40年代の
日本では、 “死” の話題はタブーではなく、“病院死”
が主流となって、“死” の話題がタブーとなって行っ
たということなのでしょうか???
ここ7~8年、“尊厳死” “自然死” “安楽死” などを
取り上げている書籍や週刊誌が出版されるようになり、
そのテーマの講演会も開かれるようになり、“死” の
話題をタブー視する風潮が薄らぎつつあるように思い
ます。
これも、長尾先生・中村仁一先生等などの先駆者の
方々の活動の賜物と思います。
“自然死” “尊厳死” を実現するためには、“緩和的
鎮静” が大きな意味を持つと思いますが、それと
併行して、“終末期の過度の医療の介入是正” も重要
なポイントではないか? と私は思っています。
更に、「若い医師に医療倫理をしっかりと教える
ことも我々世代の責務!」 と記述されて居られ
ますが、それ以上に利権とお金にまみれて医療
倫理をないがしろに思われている医療界の一部
の重鎮の方々にも啓発して戴ければ ・・・・・・・ と
願っています。
身体に気をつけられて、頑張ってください!!
Posted by 小林 文夫 at 2017年04月04日 09:49 | 返信
ほんとに…お疲れさまです
先駆者は
どの時代もたいへんなんだなと思います
○だったものが あっという間に✖️になることって よくあることで…
タバコも 数十年前は
病院の待合室にも灰皿があり
オフィスでは 当たり前のように タバコを片手に持って 仕事をする姿があった
でも
今は 逆になり 分煙から禁煙が 当たり前になってきている
きっと
平穏死 自然死が 当たり前の時が やってくるんでしょうね…
それにしても
理解してくれる医療関係者が少ないですよね…
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2017年04月04日 11:28 | 返信
安楽死とは?と、考える時に、究極の苦痛を知らないのかも知れない自分では、
その本質を語るには未熟であって、芯に到達しないのかも知れませんが、それでも、
人生は色々であって、時の流れに身を任せて生きるのが Best な選択と思う時が
まま、あります。どう抗いても、大した変化には至らないのが世の恒なようです。
与えられた命は、苦痛を伴う時間であると数百倍もの長さに感じてしまうのかも
知れないですが、それでも、誰かしら、愛してくれる人が居る。気に掛けて下さる
人が居る筈です。心を穏やかにして、生を全うする気持ちを抱けば、何かしらの
道が開けるような気がします。ほんの一瞬でも心が安らぐひと時があるのでは..と。
ほんの少しの希望でも、抱く事ができる自分があれば、それが "ささやかな幸せ"
ではないかと、ふと思いました。
Posted by もも at 2017年04月05日 08:55 | 返信
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