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人間の尊厳とは

2017年04月18日(火)

「がん、認知症、死ぬまでハッピー!」なんていいかげんな話をしているが
そもそも人間の尊厳って何だろうね。
そんな想いを「きらめきプラス5月号」の連載に書かせて頂いた。→こちら
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きらめきプラス5月号 
長野県松本市在住、62歳の女性からの質問です。


【質問】
閉塞性動脈硬化症で筋力が低下し、歩行困難のため車イスで生活している母(87歳 要介護4)の介護をしています。父が3年前に亡くなり、母と実家での二人暮らしですが、近くにいる妹(結婚して子どもが二人います)がほぼ毎日のように手伝いにきてくれます。ケアマネさんやヘルパーさんもとてもよくしてくれるので、今のところ介護疲れで倒れることもなく何とかやっていますが、最近母の様子がおかしく、30分前のことも忘れてしまうような状況です。本人も言われると、そうだったねと思いだすようなのですが、老化現象の一つとして受け止めておけば良いのか、認知症の始まりなのか不安でたまりません。定期的に往診してもらっている病院の先生からは特に問題はないです、と言われていますが、仮に認知症であっても最後まで母を実家で看取るために、何かアドバイスをいただけましたら、ありがたいのですが。よろしくお願い申し上げます。


 
【回答】
ケアマネさんやヘルパーさんに恵まれたことは本当に良かったと思います。なかなかそうはいかないのが現実ですから。また妹さんとの関係性がいいことも良かったです。昨今は兄弟姉妹でも親の介護を巡って仲たがいしたり、なかには訴訟に至るような例もあるので心温まるお便りです。
 
さてお母さまが、「30分前のことも忘れてしまう」とのご様子、について。結論から申しますと認知症による症状の可能性があります。30分前のことを忘れるというのは、「忘れる」というより、「新しいことが覚えられない」ないし「記憶の保持ができない」状態。これは短期記憶の中枢である海馬の働きが低下したために起きる現象でアルツハイマー型認知症の中核症状が疑われます。しかし87歳という年齢はまさに日本女性の平均寿命であることから、病気というより「老化」や「老い」と表現したほうが適切かもしれません。その意味では定期的に往診してもらっている病院の先生の「特に問題はない」という表現は、ある意味正しいのかもしれません。但しそれが分かって言っておられるのか、分からずに言っておられるのかは判断できませんが。しかしもし分かった上でそのように声をかけてくれる先生であるのなら、まさに良医ないし名医だと思います。
 
年齢に応じて短期記憶が徐々に低下しても、日々の生活に支障が無ければ少なくとも認知「症」という病気とは言えません。その意味では貴方の認識も概ね正しいのかもしれません。ただそうした症状に気がついたのがごく「最近」であるのであれば、もしかしたら認知症以外の病気の可能性も充分あります。認知症の診断には最低、頭部CT,甲状腺ホルモンの測定、長谷川式やMMSEなどの簡易な認知機能検査の3つの検査が必要です。CTを撮ってみたら慢性硬膜下血腫があり血腫を除く手術を受けたら記憶障害がすぐに治ったとか、採血して調べたら甲状腺機能低下症(橋本病)だった、なんてことも時々あります。ただ87歳という年齢を考えるとそれ以上の詳しい検査はあまり意味が無いのではとも思います。しかし最低限の3つの検査だけは受けておかないと、大きな損をする可能性があります。主治医とよく相談して下さい。
 
 さて、もしアルツハイマー型認知症と診断したら自動的に抗認知症薬を処方する医師にはくれぐれも注意してください。アルツハイマー型認知症には現在、4種類の抗認知症薬が保険適応ですが、これらの薬には驚くべきことに「増量規定」なる奇妙な規則が我が国にのみ存在していました(過去形)。「増量規定」とはたとえば、ドネペジルという薬の場合、3mgで開始して2週間後には必ず5mgに増量しなければならないという規則のことです。同様に他の3剤にも3~4段階の増量規定が定められていました。もし興奮や易怒性や食欲低下などの副作用が出現した場合に3mgへ減量することは、たとえ医師がレセプト摘要欄にその理由を書いてもいくつかの都道府県においては認められていませんでした。実は他の3剤の抗認知症薬もたとえ途中で副作用が出ても減量せずに反対に必ず最高容量まで到達せよ、という決まりでした。

 そもそも脳に作用する抗認知症薬のような薬こそ本来は個別化医療が必要なはずです。また高度徐脈など命に関わる副作用が出た場合は増量ではなく減量ないし中止すべきです。これは素人でも分かる理屈です。しかし残念なことに患者さんの個別性を勘案した処方が認められていませんでした。それどころか高度徐脈などの重篤な副作用情報も広報されていません。高血圧や糖尿病治療薬は病態に応じて適宜増減できますが抗認知症薬だけは、医師の裁量もありませんでした。

 そこで現場の医療・介護職と家族・市民が集まり、おかしなルールに異議を唱えるべく「抗認知症薬の適量処方を実現する会」を2015年11月に設立しました。私が代表理事になり全国各地で様々な活動をしてきました。その結果、2016年6月1日、ついに厚労省から「抗認知症薬の少量投与を容認する」旨の連絡が出て増量規定は撤廃されました。まさに「適量処方が実現」したのです。しかし大手製薬企業がスポンサーについている大手メデイアはこの朗報(当たり前のことなのですが)をほとんど報じていません。だから抗認知症薬の副作用を知らない上に、「増量規定」に従うべきだと盲信している臨床医が残念ながらいまだに多いのです。その結果、抗認知症薬の副作用、敢えて命名するなら「薬害・認知症」に苦しめられている本人やご家族が後をたたないのが現状です。私の外来には抗認症薬に関する相談が全国から毎日舞い込みます。

 私は「認知症の人に占める薬剤の役割は5%以下である」とあちこちで繰り返し述べ、書いてきました。認知症の人に必要な支援とはその人ができないことだけを相手のプライドを傷つけないように上手に支え寄りそうことです。まだ自分でできることはやった方が認知症の進行が遅くなります。だからまだやれることまで手伝う過保護はいけません。介護保険制度を上手に利用して日々の生活をどう楽しむのかをケアマネさんと一緒に考えてください。

 そもそも人間の尊厳とは何でしょうか?私は「最期まで口から食べること」、「たとえ車椅子になっても外出できること」、そして「できるだけ自力でトイレに通うこと」と考えます。そうした尊厳や本人と家族の想いを大切にしてくれるケアマネさんや介護職に出会えるかどうかが、今後の在宅療養の大きな鍵になります。そのためには、私の書いた本を参考にしてください。「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!」とか「家族よ、ボケと闘うな!」(ブックマン社)などを是非とも読んで下さい。認知症ケアに関する生で具体的な情報を沢山ゲットしておいて下さい。

 そして最後のご質問「認知症であっても最期まで家で暮らせるか」に対するお答えは、「もちろん大丈夫!」です。しかしまことに残念ながら病院の地域連携室のスタッフや開業医の中には「認知症になったら在宅は無理なので施設か精神病院へ」と信じている人が沢山います。しかし現実は全く違います。私は300人もの在宅患者さんを診ていますが、大半が認知症がらみです。「がらみ」というのは、お母さんの閉塞性動脈硬化症と同様に糖尿病をはじめとする生活習慣病や慢性心不全などの臓器不全症やがんなどの合併症を持っているという意味です。そしてなかには「おひとりさま」も沢山おられます。いくら仲のいい老夫婦でも、もし一人が亡くなればその日から「おひとりさま」になります。そして90歳近くになれば大半の人は大なり小なり認知症になります。世の中に沢山おられる「おひとりさまの認知症」は、24時間定期巡回型訪問介護・看護という制度があるので最期まで自宅で楽しく暮らすことができます。地域の医療と介護が連携して見守り、自宅で看取っている(平穏死)のが実態です。つまり「おひとりさまの認知症」であっても自宅で最期まで普通に暮らしています。介護に疲れたらデイサービスやショートステイを最大限活用して下さい。もしご家族が、それも複数おられるのであれば、自宅での平穏死は全く可能です。但し、以上のことに理解のある医師が必要です。療養方針に賛同し看取って頂かないといけないからです。医師のお考えを識別するにはたとえば拙書やこの文章を読んでもらいその反応を観察することで可能かと考えます。

 本人が自宅での平穏死をいくら望んでいてもご家族の意向で施設や精神病院に入れられる人が多いのも現実です。日本という国は時に本人の意思よりも家族の意思の方が優先される極めて珍しい国です。そして子供が我が親の尊厳を奪っている場合が実に多いのです。だからこそ子供がこうした記事や書籍やネットなどで多くの認知症療養に関する情報を得ておくことが大切なのです。頑張って下さい。

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この記事へのコメント

人間の尊厳とは ・・・・・・ を読んで


高齢化社会、そして多死社会に突入している
現在の日本では、今回紹介戴いたような事例
はいたるところで起こっていて、とても参考
となる記事と思います。

長尾先生の回答を拝読して ・・・・・・・
「がん、認知症、死ぬまでハッピー!!」を
 実現するためには、

・コウノメソッド実践医・或いはその思いに賛同
 する、病だけではなく、その人を見て(診て)
 くれる温かい眼差しの医師に出会うこと。
・在宅医療・介護を支えてくれる、医療・介護関係
 者、そして温かく見守る地域の人びととの出会い。
・過度の医療〔延命医療〕を求める、家族や親族
 がいないこと。  そして、何よりも
・本人が確かな信念〔死生観〕を持つこと。

という、いくつもの高い々々ハードルをクリア
することが必要と思います。

それを実現出来る確率を考えると、ジャンボ宝くじ
の1等:当選確率1000万分の1とまでは行かなく
ても、4等:(賞金10万円)当選確率1万分の1
程度を引き当てる程度の運も必要と思います。

自助努力で出来る確率を上げる努力:

・馬の合う(地域の)かかりつけ医を探す努力
・地域で受け入れて貰えるよう、地域コミュニティ
 へに溶け込む努力 そして、
・自分らしい生き方と死に方を模索する、死生観
 の確立 
・“アドバンスケアプランニング(ACP)” や
 “尊厳死の宣言書(Living Will)” など
 とどう向き合って行くのか?

 などを真剣に考えてみようと思います。

 尊厳を保って、死ぬまでハッピー ・・・・・・、
 実現出来たら、素晴らしいことですね!

Posted by 小林 文夫 at 2017年04月18日 09:38 | 返信

人間の尊厳とは: それを活字にするには畏れ多いことであって、個々のプライドが
保持されることが大前提だと思います。
今年の始めに姑を看送りました。4人の親を亡くし終えたという心境です。
生前の個々の生き様が、人生の終焉に反映されるものであると、今更ながら思います。
人の尊厳を画一的に纏め、語ることは難しく、またナンセンスなことだと思っています。
そこに在る方が、その人(相手)を思う気持ちがあって、そして他方で、その受け手の方が
それをキャッチできるキャパシティーを持ち合わせているのかどうか..という..
分かり易く言えば、単に相性が大事なのだと思います。
目には見えない(形にはでき得ない)、キャッチボール(通い合い)が出来得る関係性が
大事なのだと思います。
それは、血縁で出来得ることができれば、恵まれた環境なのであって、必ずしも血縁との
関係が功を為す、というもとは限りません。
人生のどの部分で、大事が方と出会えるのか? それは、もしかしたら資格や肩書きではなく
「相性」が大事なのかも知れません。
相性がはまる方と過ごすことができれば、それは必然的に「尊厳」を大事にして下さる
ことでしょう。

Posted by もも at 2017年04月18日 09:18 | 返信

今日、薬局の前で先生を拝見できて
嬉しかったです。
がんばってくださいませ。

Posted by 尾崎 友宏 at 2017年04月19日 01:32 | 返信

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