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戦争体験の傾聴  尼崎の空襲体験を聴く

2017年08月26日(土)

8月6日(日)、尼崎の特別養護老人ホーム西長洲荘において粟野氏が
企画した「戦争体験と傾聴~尼崎の空襲体験を聴く」が開催された。 
6人の方が語り手になったが、全国各地でこんな企画を繰り返したい。
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●淀川トシ子さん(大正15年1月18日生まれ。91歳。現在認知症の夫を介護中)
沖縄から親が大阪市西淀川区に。そこで生まれ、沖縄本島に戻り幼少期を過ごす。その後尼崎に引越す。小田高等小学校6年次に編入し、尼崎市の現在の長洲中通で暮らす。杭瀬のダイドウ製鋼で働いていた20歳の時、空襲にあう。昭和20年6月15日、焼夷弾の空襲が杭瀬や長洲中通周辺を襲う。とても危険で、工場で避難して待機することになった。空襲と火災が終わり、安全になってから、歩いて家にもどると、自分の家をふくめ焼け野原に。燃えなかった近所のいとこの家ですごすことに。いとこの家にも焼夷弾が屋根を突き破って落ちてきたが、不発弾だった。床板も突き破っていて、その小さな穴に気づかず、足がすっぽりはまり込み、大けがを負う。その後、別の日の空襲の時は、こわくてこわくて、もうだめだと思った。焼夷弾が1~2メートルほど目の前におちたりした。友達と北にむかって逃げに逃げた。やっと安全なところについて、友達と抱き合って泣いた。野宿だと蚊が多くて、蚊帳をかついで逃げた。尼崎駅前の広場には、うずくまっている人たちがたくさんいた。
 
 
 
8月6日(日)14~15時半
「戦争体験と傾聴~尼崎の空襲体験を聴く」  特別養護老人ホーム西長洲荘
6人の方が語り手に! 

●児玉よしゑさん
(76歳。尼崎生まれ。4歳の時、潮江で被災。認知症の記憶障害が重く、さっき食べたことも忘れるのに、72年前のことはすぐ思い出す。おばさんが「よっちゃん、あぶない! 真後ろに焼夷弾が。防空壕に入って」という風景を思い出す。8人兄弟で家が貧しく、戦後苦労の連続。張り紙を見て14歳で杭瀬のパチンコ屋に18歳と言って住み込む。朝7時から夜12時頃まで仕事。でも職場でご飯が食べられたから頑張れた。給与は全部親にいってしまい、自分のお金はなかった)
 
 
●舟越道夫さん
(90歳。尼崎生まれ。認知症なし。猛烈な空爆、炎の中を、兄と逃げまどう。末期ガンの今も忘れられない。大庄小学校出身。「ざあ、ざあ、ざあ」と焼夷弾の音。爆弾は違う音。防空壕できいていると怖くて体も心もどんどん小さくなった。海辺にあった石油タンクが1週間燃えていた。自分も予科練にいって飛行機にのりたい、応募用紙を家のお爺さんに見せたら破り捨てられて殴られた。予科練にいった同級生はみんな死んだ。食べ物がなくて、尼いもばかり食べた。武庫川の土手から、撃墜されたアメリカの飛行士を見た)
 
 
●Aさん(家族より匿名希望、写真掲載辞退)
(86歳。尼崎生まれ。尼崎の難波で空襲を体験。“それは、それは、こわかったよ~! 戦争はあかんよ!”と車いすで大声で語る。認知症が重く、毎日ケアマネの顔を忘れるが、戦争の話を向けると、毎回思い出だす。娘さん曰く、「認知症の母が皆さんに体験を話せる場が持て、役に立つことができて、うれしいです。でもその時うまく話せるかしら。認知症で、全然違うことをいうかも」)
 
 
●奥嶋なつ子さん
(87歳。尼崎生まれ。認知症なし。七松で被災。空の彼方から近づいてくる爆撃機の音や景色が忘れられない。近くに住友金属のプロペラ工場があって、そこに爆弾が落ち、ズーンと地鳴りがした。いま市役所のあるあたりは池で、そこに1トン爆弾が落ちた。高射砲陣地があったが、ポンポンポンと頼りない音で、はるか上空を飛んでいる爆撃機に役に立たない。近所のお爺さんが役立たずと怒っていた。今は高射砲の台座跡にライオンの像が立っている。学徒動員で毎日工場でやすり作業をしていた。当時両親やおじいさんも病死し、兄は出征、お祖母さんと二人の弟と暮らす。心細かった。出征した兄が無事帰ったきた時、お祖母さんはワンワン泣いた)
 
 
●関山庄司
(47歳。尼崎生まれ。特別養護老人ホーム西長洲荘ケアマネジャー。西長洲町の自宅の庭に落ちた焼夷弾の破片がずっと家に保存されている。それを聞いていたので、父にいって出してもらった。持ってみると、すごく重くてびっくり。お爺さんは、沢山亡くなった地域の人のために、公園に平和塔を建てた。今も家には、戦争で焼け焦げた赤レンガの塀がある。阪神大震災の揺れで一部壊れたが、今も残っている。その煉瓦の塀は、二つの大きな試練をのりこえた)
 
 
(趣旨説明)
 
●粟野真造(57歳。大阪市十三生まれ。戦争体験への傾聴について講義予定。西長洲荘ケアマネジャー。大正11年生まれの父が満州出征、シベリア抑留3年を体験。父は81歳で病死。父の戦争体験に関心を示せず、傾聴できなかったことを今になり悔やむ。介護の仕事で出会う高齢者の方々が、戦後70年以上がすぎても、心の奥深くに、戦争の記憶を秘めていることを知り、できるだけ耳をかけむけるようにしている。戦争体験は今まで子どもにも話したことがない、はじめて人に語るという方が多く、話を通じて、戦争の悲惨さ、尼崎の地元にもある戦争の被害の大きさを知る。今回、杭瀬、金楽寺で被災した90歳代の方の出演も予定していたが、病気で入院したり、元気がないとのことで無理になった。年年歳歳、戦争体験を語れる人が少なくなっていくのを介護の仕事の中で痛感する。戦争体験を大切に傾聴できるボランティアや介護関係者が増えてほしい。認知症の人は、なんでもすぐ忘れる人と決めつけず、重い記憶障害の認知症の人も、安心できる関係や場で、関心があり、聴きたいですと伝えれば、語ってくださる時もある。語りたくても、辛くて言葉が出てこない方、記憶を抑圧したり思い出そうとしないようにしている人もいる。沈黙も大切にしたい。でも、傾聴してくれる人がいなくて語れない場合もある。社会にむけて、若い人にむけて、認知症の方、そうでない高齢者の方が、その思いを安心して発信できる場をつくりたい。要介護になり、家族や社会の役に立たない、お荷物になっていると思っている高齢者の方から、そうではないと伝え、体験から学び、いっしょに何かをしていきたい。自分の体験や声に、意味があり、誰かが受けとめてくれると感じられることは、生きていく力になる。自信をなくし、不安感や無力感にとらわれがちといわれる認知症などの方にとっても、社会の中で、語り手などの役割をもち、それに傾聴・共感する人々との関係があれば、それは、生きる力、生きる糧になる)。

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