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消防隊の方へ

2017年08月15日(火)

昨日の書き込みに「補足」を頂いたので、それも加えてアップし直した。
施設での看取り問題の本質が見事に整理されている。
このブログが全国の消防隊に届くことを祈っている。

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しつこくて、どうもスミマセン。
でも、とっても大切な話なので。消防隊と医師に読んでもらいたいのです。



@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


>介護の現場からすれば、まず消防署による「現場も見ずに警察沙汰」を即刻辞めさせることです。

介護現場から見れば、これが本質。
全国の消防隊員には、以下の文章をゆっくり読んで欲しい。
周囲の消防隊員に、このページをプリントアウトして読んでもらって欲しい。



>医師が「看取りの法律」に沿った運用をしたところで、
>それ以前に「現場も見ずに警察沙汰」が現実だからです。

多くの医師が医師法20条をちゃんと知らないが
それ以前に横たわる問題が、施設にとっては大切だということ。
つまり医師法21条が、医師法20条の前に一人歩きしている現実が問題。
医師法20条と21条をちゃんと説明するだけで、2時間くらいかかるが。



>救急車を呼ぶな!は完全に間違っています、単純に
>「かかりつけ医は365日24時間対応できない」現実を無視しているからです。 

そうですね。
私は「救急車を呼ぶな」とは言っていません。
「救急車を呼ぶ呼ぶ意味を知っておこう」
「在宅看取りと決めたら、主治医に電話して待って」と言っています。
しかし24時間対応していない開業医が多いのも事実。
それはそれで当たり前だが、厚労省は美談に固執している。


>最新版の「死亡診断書記入マニュアル」の5ページに
>『医師が患者の死亡に立ち会わず死亡診断書を交付する場合の考え方』とあります。
>これが夜間帯に亡くなった場合に医師が来れないケースなどで、
>予めエンゼルケアを施しても問題ないという考え方になる、と某医師が指摘しています。
>これらを柔軟に運用することで、ある程度までは解決できるはずです。

私のことでしょうか。
私が看取っている施設ではいつもそんな感じ。
今日もそうでした。



>「終末期の問題は警察と消防の問題」と医師の側から指摘していただかないと。

そのとおりです。
そのつもりで「在宅・救急・警察懇話会」を立ち上げる、という話でした。
しかしエライ先生たちの御意向で、「救急隊」も「警察」も排除されて
在宅医と救急医だけの会に矮小化されてしまい、その結果はご覧頂いた通りでした。



>当方が住んでいる県では県警の本部長及び警務部長が人事的ペナルティを喰らい、
>結果として本来はあり得ない「外部出向者の県警本部長」という人事がなされた実例があります。

こうした話しをじっくりして、提言をするつもりで先日の第1回研究会に望みました。
しかし結果はまったく別物で、さらに本人の意思は無視していいという救急医の意見。


>「看取りのルール」を知らないと路頭に迷う羽目になりまねませんよ?くらい脅したら、
>すこしは対応が変わるのではないでしょうか。

それです。
私も地元の警察や消防のトップに同じことを言いましたが、無視でした。
だからこそ研究会を作って提言をしなければ、と思ったのですがこれも無理でした。


>かなり問題だと考えるのは、救急搬送をせざるを得ないケースを無視している
>(だから救急車を呼ぶな!につながるのでしょうが)うえに、
>救急搬送を依頼しても「現場を確認して異状を認めたときに警察に連絡」するように
>消防庁より通知(平成26年2月 消防救第36号)が出ているにもかかわらず、
>相当数の消防署員が理解できていないために「現場を見ずに警察沙汰」にする事例に
>対してきちんと指摘できる人(特に医師)がいない点だと考えます。

要は法律を知らない、もしくは理解しようとしない消防隊にも興味を持って欲しい。
私が知る限り、この問題を指摘している医師は私だけだと思います。
ちなみに先日の研究会でもそう主張しましたが、無反応に終わりました。
しかしこうして問題の本質を共有できる介護の人と出会えたことが収穫でした。


>更には今年4月に日本臨床救急医学会が「蘇生中止の指針」を出していますが、
>その精神を鑑みれば救急隊員が「現場を確認して異状を認めたときに警察に連絡」になるはずです。
>これらに対しての無知が、在宅現場における混乱の一端になっていると言わざるを得ません。

そう、「異状」なのです。
「異状死死」ではありません。そんな言葉はこの世に存在しません。
この世にあるのは「異状死体」という言葉で両者の混同が多くの無用な課題を生んでいる。

以上の意味が分かる医師が日本にどれだけいるのか、興味があります。
だから一生懸命に啓発講演や書籍を執筆してきましたがほぼ無力です。
しかしなかにはちゃんと読んでくれている人がいるので、頑張ります。


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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

再度引用していただいてありがとうございます。案内のパンフレットを拝見したときに警察も消防もいないという時点で、相当がっかりしたのだけは覚えています。絶対に呼ぶべきでした。あれは医師サイドの無理解・不勉強と指摘されてもしょうがないです。というのも、終末期の問題は医療の問題、と大多数の人間は認識しているために、現場レベルの警察や消防は「医師の怠慢に自分達が振り回されている」程度の認識だからです。365日24時間対応できないほうが悪い!と実際に言われたこともあります。しかし、医師はそれが当然なポジションなのでしょうか、当方はリスペクトが足りないと思います。
 
やむを得ず救急搬送をせざるを得ない事例として、以前「嘱託医は無床診療所、年末年始に看取る事態になったとき、主治医不在。かわりに2次医療県内で唯一病床がある中核病院が対応してくれたが、条件が『当院も年末年始で人手不足なので心肺停止後に搬送してくること』だった」と以前長尾先生のブログにてコメントしたことがあります。そのときは、家族(しかも元職員だったので理解はできました)が立ち会っていて、事情を説明したうえで「救急搬送すると警察沙汰になるが、どうする?」と投げかけると、当然ながら施設の車両での搬送に同意しました。この場合、家族が立ち会っていなければ、介護の現場でどのような対応をとるのか?ということです。
 
この実例を県庁にて医療政策の担当者と県警の幹部と当方で話し合った際「現場レベルでは医師の怠慢だ!としかいわないが、あなた達もそう思うのか?」と質問をすると絶句をしていました。そして「医師の怠慢とはさすがに・・・」といいました。ここまで説明してやっと「かかりつけ医は365日24時間対応ができない」ことが実感できるのです。そして、冷静に考えたら当たり前のことを医師サイドが説明しなさすぎる、と当方は体感しています。

Posted by ありがとうございます。 at 2017年08月15日 11:14 | 返信

私宅の老親は私立の介護施設で生活していますが、そこでの私宅の主治医は「365日24時間対応します」です。ゆえにその施設で看取ってもらうことが可能。ただしその事態になった時にまず最初に主治医に電話してくれれば。・・・これができるかどうかはワカラナイ。

特養の施設医師は、特に地方の過疎地では医者が一人のケースが多いだろうと推測します。問題は過疎地の医療体制をどうするか、とも関連しているわけですが、都市部であっても死亡診断書を書けるかかりつけ医師が一人だけでは「365日24時間対応」は無理です。
「365日24時間対応」可能なかかりつけ医師「グループ」を組織することが、現実的な解決方法ではありませんか? 
その上で、一般市民の意識が「人が死んだらまず警察」ではなく「人が死んだらまずかかりつけ医」という方向へ変わっていけば、世の中落ち着くと思いますけど。

結局は、地域的な医者の偏在、先端医療志向など分野による医者の偏在、需要と供給の食い違い、であります。心療内科が乱立する一方で、看取れる医者がいない現実。これを変えるのは医者の意識変革。

Posted by やっぱり匿名 at 2017年08月15日 05:08 | 返信

「医者の意識改革」という時点で認識を間違えています。それこそがシステム論の域でとどまっている証左です。当方の問題提起はもっと大きな「ルール」について問うています。
 
365日24時間対応できない現実を強引に乗り越えるために、グループを作ることで乗り越えるのだと考えます。しかし、患者サイドはどうでもいい話です。当方が住んでいる県の県庁所在地に、全国的にもそこそこの知名度がある在宅医グループがあります。その人達と話すと「自分達は連携が取れているから大丈夫!」と言い張ります。しかし、その地域の議員の方に「あの方達でエリアは完全に網羅できているのですか?」と質問すると、まったくできていません!と回答されます。これが現実です。
 
それにグループありきになると、在宅医は複数勤務にすることで365日24時間対応して当然、連携が取れない在宅医と契約した患者が悪い!となりかねません。それこそ介護施設は医療法人の一部門が大前提になってしまいます。極論ではありますが、当方は差別主義の匂いをどうしても感じてしまうのです。
 
それに、地域包括ケアの原点は「医師だけで対応できない社会になったから、みんなを巻き込む」だと当方は(我流で)解釈していますが、「医者の意識改革」で完結すると、そこからもずれてこないでしょうか?

Posted by えっと・・・ at 2017年08月15日 09:49 | 返信

えっと さんのおっしゃるとおり、医者の意識改革だけでは足りない思います。
お伝えしたい内容を分けて書いていきますのでお時間あればご一読くださればうれしいです。(私は素人です。素人の戯言、とスルーなさるのもご自由ですが、えっとさんの誠実な文面に対し誠実に私の感じていることを書きます。)

まず、私は「えっと」さんがおっしゃる「ルール」は、法令や条例や規則などの、異論をはさむ余地がない共通認識、と(現時点では)認識しています。
看取りに関して、そういった明確なルールを作り直して医療・介護だけでなく警察署や消防署も同じ共通認識を持つ必要がある、なぜなら医療・介護だけではできないから??
まずこの点に私は疑問を感じます(警察署や消防署が無関係だと思ってはいません)。

本来、事件性がない「人の死」は、警察は介入しません。
消防=救急車は、人が死ぬ前までは介入します。

にもかかわらず、いつのまにか「人が死にそうなら救急車」&「人が死んだら警察」に「連絡しなければならない」という「共通認識」が出来上がっている現実がある。
なぜそうなったか?

その理由について私は、地域の個人経営の医者が、患者の自宅で、あるいは、自分の医院や診療所で看取らなくなったからだと思います。
医者が、自分が診ている患者が死にそうになったら、慌てて救急車を呼んで病院へ運ぶ。自分は看取らない、というか、看取れない、看取り方を知らない、看取る意思がない、人の死に立ち会う能力がない、医者が増えている。
私は、この点が、看取り問題の原点だと思います。
・・・だから、医者の問題が一番大きいと思うのです。また後で書きます。すいません。

Posted by えっとさんに読んでほしい匿名 at 2017年08月16日 03:05 | 返信

「えっと」さんへの返信 つづき

『医者の意識改革が必要不可欠・喫緊の課題である理由』

「看取れる医者がいない現実がある」
看取らない・看取りたくない・看取る方法や法律を知らない・人の死に関わりたくない医者が巷にあふれていて、自分の患者が死にそうになったら、医者自らが救急車を呼んで救急搬送する現実が、現在の看取り問題の最大の原因である、と、先ほどの投稿で書きました。これは、都市近郊に住んでいる私宅が直面してきたことです。老親を連れて行った近所の医院で、露骨に「ここで死なないでよ」と医師から言われました。その時は何も知らない私でしたから「あ、そうなんだ」と思い、「・・・どこで死ぬかなんて決められないよね」と漠然と心の中で考えていました。もう9年も昔のことですが、今もその近所の医院は「看取りなんてとんでもない」と公言しています。その後、いくつかの病院と施設でも同じことを言われました。

「特養・老健はすべての施設が、他の介護施設も大半が、すでに医療法人の一部門となっている現実がある」≒「介護が医療に支配されている現実がある」
特養は原則、看取り施設ですが、いくつかの特養は医療法人が経営していて「関連病院で胃婁にすれば最期までお世話します」と、明快に回答した特養があります。他でも看取りについてはお茶を濁す特養が多いです。近隣にある療養型施設では胃婁が入居の「条件」です。医者が胃婁を提案したが入居者が拒否すればそこを出て行かなくてはならない。
申し上げたいことは、特養・老健はもとより、大半の介護施設がすでに医療法人の一部門となっている現実がある、ということです。
特養は、施設医師を頂点とするピラミッドであり、施設長でさえ、施設医師の意向には逆らえない現実を、私宅は経験してきております。
老健に至っては、どのようなクスリを飲まされているのかを質問するだけで、職員は露骨に嫌な顔をします。これも経験済みです。
特養も老健も、入所させてあげたのだからすべて任せない、注文付けるなら出て行って!!!という施設です。昔からの「行き場のない老人の措置入所のための施設」を、現在も引きずっています。

「在宅訪問診療医師を自由に選べる私立の介護施設が、少しですが、あります。」 また 「都市部では、365日24時間対応は可能です。徐々に増えている現実を経験しています。」
ご存知のように在宅訪問診療にはエリアが決まっています。老親が今、生活している私立の介護施設が、あまりにも中の職員体制のグジャグジャが継続しているので将来的に不安があり、必要に迫られれば移動できる施設を探し始めています。しかし、ようやく巡り合った365日24時間対応の現在の主治医である複数医師クリニックを代わりたくありません。
すでに同じクリニックが入っている介護施設が一つみつかり、入居申し込みしました(満室なので待機です)。
あと一つ、電話で問い合わせると、365日24時間対応であるなら、どのクリニックでも医院でもOK、という施設がありました。その担当者の言では、「ウチの施設に入居したければこの医者にかかってください、他の医者はダメです」というのは「違法な取引」であるとのこと。
でも、そういう施設が大半です。その理由は、医者が施設を抱き込みたいからです。医療ビジネスに、介護が利用されているのが現実です。

「まとめ」
「えっと」さんは地方の特養の管理者として、入所者の死亡時に医者が来れない場合にどうするか、で困っておられると推測します。「えっと」さんの大前提は、医師が365日24時間対応することは不可能、もしそれを可能にするなら、介護施設は医療法人の一部門と化してしまう、とおっしゃっている。
しかし、すでに述べましたように、老健はもとより特養も、医師を頂点としたピラミッドで成り立っている施設です。特養の「長」は、外見的には施設長でありますが、現実には施設医師が特養を支配しています。
現在、乱立している私立の介護施設も特養化しつつあり、これも前述しましたが、私立の介護施設と特定の医療機関が提携契約を結び、その施設に入居したければ提携医療機関の指示命令に従わざるを得ません。
すなわち、大半の介護施設が「医療」に支配されている現実があります。医者が飲ませたいクスリを拒否すればその施設を出て行かなければならない現実があります。
その一方で、まだ少しですが、医療支配から独立している介護施設もあります。また、患者と同等の立場で、インフォームドコンセントを充分に行ったうえで医療を提供しているクリニックもあります。そういったことに気付き、老親を有害無益なクスリを飲ませることなく平穏な死へと導くことは、家族の仕事であります。・・・たいへんムズカシイ仕事であります。

ごめんなさいね、「えっと」さんの困り事の解決にはならない投稿でした。
都市近郊在住の老親を抱える世代が何を悩んでいるのか、一つのケースとしてお心に留め置きくださればうれしいです。
私はやはり、「えっと」さんの困り事は「過疎地の医療問題」であり、その一部としての看取り問題であると感じます。

あと、すべての特養が、施設医制度から脱却できればステキだな、と思います。

以下は余談ですが、 
・・・「あのクスリを飲ませると〇○さんは具合悪くなる・・・」ことを知りつつ、医者の指示通りに飲ませて心を痛めている介護職員は、少なからずいます。医者は、看護師の言うことは少しは聞いても、介護職員をバカにしているのが現実です。ほんとは、入居者のことを一番理解しているのは介護職員なんですよ。一番身近で一番長く接しているのですから。
介護が医療支配から脱却してほしいです。
すいません。テーマが異なってしまいました。

「えっと」さんによんでもらいたい つづきからえっと・・・への返信 at 2017年08月16日 07:45 | 返信

混同されているな、と思うのは個人の問題と組織の問題についてです。医師と警察官は個人の問題ですから教育すればどうにかなりますが、消防署の場合は組織の問題です。しかも運用を間違えて解釈している、それだけのことです。ですから優先順位は個人よりも組織になる、と考えています。それを踏まえて「終末期の問題は警察と消防の問題」と主張しています、単純に医療機関外で亡くなるのは犯罪なのか?と問うているだけです。よく、現場を見ずに警察に通報する消防署員に対して「私達は犯罪者、というレトリックになるよね?」とよく指摘します。そこでやっと「かかりつけ医は365日24時間対応できない」ことや「自分達も看取りの問題に向き合わなければいけない」と理解するのです。
 
また、都市近郊が東京近郊を指すのであれば、消防署は「現場を確認してから警察に連絡」する地域が多いのです。例えば埼玉県はほとんどの消防本部がそうですし、本来は警察の介入率が跳ね上がる監察医制度を導入している横浜市でさえ40%台というデータがあります(東京都の場合だと70%近い)。これに関しては昨年7月にメディヴァ社が出した「死亡診断書データから見えてくる看取りの実態」を参考にされれば。推察するに首都圏近郊は相対的に医師数が少ないため、他業種と連携を取る必然性があるがゆえに、医療機関外での平常死に対しての警察の介入率は低いのだと考えます。コメントを拝見して感じたのは原風景の差だと考えます。しかしながら、どちらが全国的からすれば近いでしょうか・・・
 
あと、介護施設はそこまで医療に従属しているのでしょうか?実感がわきません。というのも、当方が住んでいる県ではなかなか社会福祉法人の特養は影響力を持っていまして、例えば「元県知事のファミリー企業」や「元閣僚のファミリー企業」がゴロゴロあります。医師が協力してくれないのなら、協力してもらえる医師に変更すればいいだけです、それこそ長尾先生のような。当方の実体験でも、提携医療機関がトラブルを起こしていたので是正するように申し入れたら、嘱託医契約を切るといわれました。そこで逆に「理事長に直接ねじ込むルートは確保しているから、そこで申し開きをする。結果、院長が更迭されても当方は責任を負わない!」と告げたところ、180度態度を変えて全面謝罪し、トラブルを起こした医師は退職しました。ちなみに病院長は当方の素性は承知していたので、そのようなことをいうはずがありません、間違いなく下の者の忖度だと考えます。また都市部では、医師の影響力は相対的に低い(東大卒のような医師以外の高学歴の方が多いため)と考えるので、そのような悩みがあるならば、それは単純に介護施設の努力不足・勉強不足だと考えます。
 
たしかに地域差はあるのでしょう。しかしながら、どちらが全国の標準に近いか?となると、当方の認識のほうが近いのでは?と考えますが、いかがでしょうか。

Posted by やはり誤解があるようです at 2017年08月18日 02:03 | 返信

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