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自宅という「最高の特別室」での平穏死
2017年08月25日(金)
きらめきプラス8月号 小林麻央さんが遺した言葉 長尾和宏
小林麻央さんが旅立たれた。34歳。あまりにも若い死でした。翌6月23日、私は横浜で開催されていた日本緩和医療学会で在宅看取りの講演を聞いている最中に携帯が鳴り訃報を知りました。この日、日本中が泣きました。私も泣きました。しかし夫の海老蔵さんは翌日も舞台を休みませんでした。2人の子供に「役者とはこういうものだ」と背中で教えたのかもしれません。
それにしても死の3日前まで、自身の病状や感情を、ここまで素直に詳らかにブログで綴った有名人がこれまでいたでしょうか? 私は今まで、芸能人のブログなんて、しょせん何を食べたか、買ったか、どこに行ったか、誰と会ったか自慢と、出演作品の宣伝に埋め尽くされた、取るに足りないものだと思っていました。しかし、麻央さんのブログはそうしたものとはまったく別ものでした。夫の海老蔵さんが、麻央さんがかなり深刻な乳がんである、と記者会見したのは、ちょうど一年前の2016年6月でした。そして、彼女がブログを始めたのは、2016年9月でした。
「がんの陰に隠れている そんな自分とお別れしようと決めました」と綴られました。たった1カ月で、ブログの読者数は200万人を超えたそうです。麻央さんのブログ更新は、そのひとつひとつが、社会現象となっていきました。同じようにがんと闘っている人やその家族が、麻央さんのブログを軸として励まされ、考えさせられ、つながっていきました。どんな医者が患者さんを励ますよりも、力を持ちました。そう、麻央さんは、SNSという手段を使い自分自身の魂を鼓舞すると同時に、多くのがん患者さんの心のケアをする素晴らしい医療者になったのです。
若くて美しい人ほど、がんになった自分の姿を、隠したがるものでしょう。抗がん剤治療で髪が抜ける様子や、肌艶を失って痩せ細っていく姿、鼻にチューブが入っている姿を、誰が好き好んで、200万人に晒したいものだろうか。和服を着て、初々しい梨園の妻となって夫と見つめ合う、最高に元気で美しかった数年前と、パジャマでの闘病を、同時にネットでアップされる残酷さ……しかし麻央さんは堂々と写真をアップしました。
そして、彼女は最後の最後まで、惚れ惚れするほど本当に美しかった! 心の透明感がどんどんお顔に滲み出てきていました。これほど、若い乳がん患者さんの励みになることがあるでしょうか。
5月29日、麻央さんは、在宅医療に切り替えたことをブログで伝えました。その日のブログを抜粋させていただきます。
>>>>>>>麻央さんの5月29日のブログより>>>>>>>>>>>
「退院」
一ヶ月ぶりの 我が家の香り。人参ジュースでお祝いです。れからは在宅医療に切り替え、自宅で点滴など続けながら、在宅医療の先生、看護師さんそして何より 家族に支えてもらいながら生活していきます。退院前は、これから家族へかけてしまう負担が怖く、退院が近づくたび不安でしたが、やはり我が家は 最高の場所です。母が私のための介護ベッドスペースを作ってくれていました。点滴の処置も練習して覚えてくれました。感謝です。今日から、自宅でお世話になります!!子供達はもうすぐ公園から帰ってくるようです。早く 会いたい。
>>>>>>>麻央さんの5月29日のブログ ここまで>>>>>>>>>>>
こんなシンプルな文章なのに、在宅医療を始めるにあたっての心構えが、すべて書かれていることに、在宅医として私は驚嘆しました。すごい。夫の海老蔵さんの、この1カ月のブログとあわせて、ご夫婦のブログを読むだけで、そのへんの医学書よりもよほど役に立ちます。今からでも多くの人に読んで欲しい。
そして、この1カ月のブログは……表立って言葉にはしていませんでしたが、「死の受容」を綴った1カ月でもあったと、在宅医の私には見てとれました。私の知人の、長年乳がんと闘っている女性は、麻央さんのブログを見てこう呟きました。
「前向きすぎて気持ち悪い。ちっとも死ぬことを考えていない」と。
しかし、それは違うと私は思います。麻央さんのブログは、闘病中の人もたくさん読んでいました。子どもも、家族も読んでいました。そこで、「死ぬための心の準備を始めています」なんて書いたら、どれだけの人が傷つくか。麻央さんは、心の準備をしていたけれども、それを言葉にはしなかった。海老蔵さんとてそれは同じ。芸能界で生きるということは自分の周囲360度、全方位にいつも気を遣わなければならないとも感じました。まだ30代だというのに、海老蔵さん、麻央さんは、がん闘病をきっかけにして、どこまでも、気遣いと優しさに溢れた、「日本一すごい夫婦」になりました。ブログなのに、これほど、行間を読ませるものがあったでしょうか。麻央さん、その後のブログの中からも、私の心に残っているいくつかの言葉を抜粋させてください。23年間在宅医をやっている私が、麻央さんの在宅医療の風景に涙が止まらないのです。そして麻央さんが遺したブログを今日から在宅医療の教科書にさせてください。
●●●6月3日の麻央さんのブログより●●●
基本は、細かく刻む、柔らかく、小さくのお料理で、食欲はとても回復傾向です!!本当にこの短期間での食べられるバリエーション、量が増えたことは、家に戻れたことによる、喜び、安心感、気合い、そして何よりも、こうやってサポートしてくれる家族、いつも応援して下さる皆様のおかげです。
●長尾の感想→そうなんです。家に帰ると、食欲が戻ります。食べたいものを食べたいときに食べたい量だけ。それが在宅のいいところ。それにしても、麻央さんのブログに「おかげさま」という言葉が多いこと。
●●●6月4日の麻央さんのブログより●●●
今日は、39.4度の熱から始まり、一日中、痛みとおさまりどころのない苦しさでした。今は、少し落ちついています。汗の量がすごいので、起きてから、6回の着替え。フェイスタオル、ベッドに敷くバスタオルパジャマが何枚あっても足りないくらいです。在宅医療の大変さについても考えさせられました。家族は皆、「大丈夫だよ」と笑顔でいてくれますが、これからどうなっていくのか不安はつのります。どうなったって生きるしかないので、本当に、ごめんね、ありがとう、です。
●長尾の感想→ 一日中、痛みとおさまりどころのない苦しさ。冒頭でも書いたように、この「痛み」というのは、心、魂の痛みもないまぜになっていると思います。これは、病院であっても在宅であっても、がんの末期に誰もが一度は通る壁と言ってもいいかもしれません。
●●●6月11日の麻央さんのブログより●●●
昨日は、更新したかったのですが、一日、痛みで七転八倒していました。ですが、夕方最終的に、在宅医療の先生に相談し、忘れていた座薬を試したら、ようやく落ちつくことができました。
もう少し早く甘えてお電話をすればよかったです。眠る前も、予防で、座薬を使い、今朝は、ほんの少しの痛みで起き上がることができました!!
●長尾の感想→ 在宅医療は病院より痛くて辛いのではないかと思い込んでいる人がまだまだいます。でもそんなことはありません。むしろ、家族の顔を見てリラックスして過ごせるし、痛みのタイミングに合わせて医療用麻薬を使うことができるので痛みは少なく過ごせることが多いのです。突然痛みが強くなったときは、「レスキュー」といって、速効性の高い薬を追加投与します。30分前後で痛みが消えます。痛みがあったときは、がまんせずにレスキューを使いましょう。我慢する必要は、まったくありません。
●●●6月17日の麻央さんのブログより●●●
今朝も在宅医療の先生がいらして、症状に合わせ、お薬や点滴の量を調整して下さいました。心強いです。連動した熱、痛み、息苦しさが取れているときの穏やかな時間は、つい、口がぽわ~んと開いてしまいます。今日は、看護師さんに、入浴補佐をして頂ける日なので、湯船まで浸かれるか!?楽しみです。
●長尾の感想→ 在宅医療に当初は不安のあった麻央さんが、徐々に信頼している様子が見てとれますね。そして、在宅医療の要は、医者ではなくて実は訪問看護師さん。訪問看護師が、穏やかな時間をどれだけ作れるかが大切なのです。
●●●6月20日の麻央さんのブログより●●●
おはようございます。ここ数日、絞ったオレンジジュースを毎朝飲んでいます。今、口内炎の痛さより、オレンジの甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ!朝から 笑顔になれます。皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように。
●長尾の感想→ これが、最後の麻央さんのメッセージになりました。この日にアップされた麻央さんの笑顔の神々しさ。亡くなる3日前の、この笑顔。この一ヵ月、麻央さんは、在宅医療の良さを理解し、笑顔で愛する旦那さんと家族に見守られながら自宅で旅立たれました。まさに、自宅という「最高の特別室」での平穏死でした。
海老蔵さんは、記者会見で、こんなことを言いました。
「自宅で送ってあげられたことは良かったと思う。お母様もお父様も、私もお姉さん
の麻耶さんも、子どもたちも、ずっとそばにいられた。すごくよかった。父(市川団十郎)を病院で亡くしている。病院の時とは違う、家族の中で、家族とともに一緒にいられた時間というのは、本当にかけがえのない時間を過ごせた」
在宅医療とは、家族とのかけがえのない時間をどうプロデュースできるか? です。海老蔵さんの言葉に、私も常に一流のプロデューサーでありたいと襟を正しました。麻央さん、海老蔵さん。あなたがたご夫婦に在宅医として、御礼を言いたいのです。 お二人がくれたメッセージが、日本の在宅医療を変えていくはずです。そして麻央さん、ゆっくりおやすみください。
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