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公論10月号「英国の難病乳児の延命中止報道」
2017年09月28日(木)
公論10月号 英国の難病乳児の延命中止報道
尊厳死・安楽死の誤報と終末期議論の混迷
世界が注目した英国の安楽死
今年7月、英国の乳児の安楽死が大きく報道された。深刻な難病で生命維持装置をつけていたチャーリー君(生後11カ月)の治療中止をめぐって世界的な議論になった。「ミトコンドリアDNA枯渇症候群」と診断されたチャーリー君は、内臓や筋肉や脳に深刻な損傷を負っていた。病院は「やるべき治療は全てやった」とし、両親に生命維持装置を外して安楽死を受け入れることを提案した。病院は裁判所に安楽死の許可を申請し、欧州人権裁判所は今年6月、「治療継続はさらなる苦しみを与える」として安楽死を認める決定を下し、チャーリー君を国外に渡航させることを禁じた。安楽死を認めていない英国においては異例の判断と言えよう。
一方、両親は「命が尽きるまであきらめない」と安楽死を拒否。米国の医師に相談したところ欠如している物質の経口投与を約束されたという。治療費や渡航費を募るため、両親はネットサイトを設置し130万ポンド(1億9000万円)以上の寄付を集めた。トランプ米大統領やバチカンも支援を表明したことでさらに世界の関心が高まった。トランプ氏は「もし私たちが助けることができるなら喜んでそうしよう」とツイート。ホワイトハウスが両親と連絡を取った。
さらにフランシスコ・ローマ法王は最期まで子どもに寄り添い治療にあたるべきと主張し、バチカンが運営するローマの小児病院が受け入れを表明した。しかし英外相は裁判所の渡航禁止命令を理由に小児病院への転院を禁じた。最終的に米国の医師が脳のMRI画像を診て「時すでに遅し」と診断。「これ以上の治療継続は苦痛を長引かせるだけで尊厳を損なう」と判断された。両親はこの見解を受容し訴えを取り下げ、ホスピスに移った。チャーリー君は1歳の誕生日を目前に、呼吸器を外され亡くなった。
誤用が続く尊厳死、安楽死
日本の各メデイアもこの出来事を伝えた。しかし「安楽死」と報じたメデイアと「尊厳死」と報じたメデイアが見事に混在していた。ある大手新聞は本紙では「安楽死」と、Web版では「尊厳死」と報じていた。同一新聞内でさえ用語が統一されていなかった。
そもそも安楽死と尊厳死は異なるものである。安楽死は余命がまだ半年以上ある人に医師が直接注射をしたり自殺薬を処方して人為的に寿命を短縮する行為で、日本においては殺人罪である。一方、尊厳死とは自然死・平穏死とほぼ同義で、終末期と判断された人の延命治療を差し控えて充分な緩和ケアを受けながら自然な経過に任せた最期である。法的にはグレーゾーンである。両者は明らかに異質であるのに、世間では混同され続けメデイアでは誤報続きである。
3年前、米国オレゴン州の脳腫瘍の29歳女性が安楽死した時も多くのマスコミは「尊厳死」と誤報し訂正は無かった。記者たちに誤報の理由を聞いてみると何人かは「自分が何を書いているかよく分からないまま書いた」と正直に打ち明けてくれた。また「独居でも自宅で尊厳死できる」で売っている論客が、ある言論誌では「尊厳死に断固反対する」と主張しているが見事に自己矛盾している。多くの有識者たちのコメントも拝読したが、尊厳死と安楽死の意味や違いを理解している人はごく少数であった。
リビングウイル啓発を目的とする日本尊厳死協会は安楽死に反対していることは、ほとんど知られていない。国民皆保険制度が整備されている我が国では尊厳死が認められれば安楽死は不要という認識である。しかし安楽死団体と間違えて取材に来られるメデイアがあとをたたない。先日、「安楽死法の制定を」と主張する論客と対談をする機会があった。その主張をよく聞いてみると彼の望みは安楽死ではなく尊厳死のことであった。このように両者の混同が著しい。そしてそれが終末期議論が混迷する一因となっている。
有力な言論誌でもよく「安楽死や尊厳死は・・・」という表記を見かけるが、意味が異なる言葉をひとくくりにすることに違和感を覚える。その一方、人の死に言葉なんてどうでもいいという想いもある。「死」に勝手な形容詞をつける行為自体が上から目線だ、とも感じる。しかし生命倫理を言語という道具を用いて論じる限り、言葉はできるだけ正確に使わないと議論が混乱するばかりだ。
小児の終末期医療
以上の前提で英国の事例を振り返ってみたい。あれは安楽死なのか、それとも尊厳死なのか。両者の区別は死期が近いかどうかがポイントとなる。尊厳死はリビングイルと「不治かつ末期」が前提条件となる。しかしこの赤ちゃんの病は不治かもしれないが、当初は「末期」とは言えなかった。だから両親が米国医師の見解を受け入れるまでは「安楽死」と表記されるべきであった。しかしもはや死期が近いと判断された時点から「尊厳死」の範疇になり得た。つまり当初は「安楽死」が正しく、「尊厳死」は間違いであった。しかし「死期が近い」と判断された時点からは「限りなく尊厳死に近い安楽死」となった。
英国のようなケースは英語では「Death with dignity」と表記されているはずだ。直訳すると「尊厳ある死」となるのだろうが、日本語の「尊厳死」ではなく「安楽死相当」であることを知っておきたい。そしてここに大混乱の源がある。英語での尊厳ある死=日本語での安楽死であり、英語での安楽死=日本語では「殺人」であることを啓発したい。
さて小児の在宅医療も国の重要課題である。私自身も常に何人かの小児も担当していている。しかしどんどん元気になっていく場合と亡くなっていく場合とがある。そして英国と同様なケースもある。日本の場合、多くは最期の最期まで闘っている。しかしいずれ日本でも英国と同様の議論が起こるだろう。だから今回のケースを高校や大学などで広く議論すべきだろう。それが1歳の誕生日を目前に旅立ったチャーリー君への供養になろう。
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PS)
明日、明後日と新潟で3つの講演だ。
新潟のみなさま、お世話になります。
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この記事へのコメント
記事をじっくり読みましたが、私にはまだ安楽死と尊厳死の区別がよくわかりませんでした。難しいですね。専門家の方はわかるのだと思いますが。「生命維持装置」というものをどのように捉えるかも関係してきますね。リビングウィルではガンなどの強い痛みに関してはモルヒネを使って構いません。それで死期が早まっても構いません。という事は言ってますよね。私もリビングウィルに入っていますが、とにかく苦しいのはできるだけ少なくしてほしいとは思っています。
Posted by CASIO at 2017年09月28日 12:23 | 返信
チャーリーちゃんが尊厳死であったことは分かりますが、何故「渡航禁止」命令が出ているのでしょうか?
ダメと分かっていても、アメリカに渡航するのは自由だと思いますけど。
Posted by にゃんにゃん at 2017年09月29日 03:51 | 返信
子どもの医療に関わることの難しさを感じます
地域包括ケアを植木鉢に例え、一番したのレースの部分に「本人の選択と本人と家族の心構え」とあります
子どもちゃんが 選択することって かなり 難しく、保護者である親という方が選択することになります
わたしには、海外の医療保険制度がわかりかねますが 親の意向を無視?して病院が裁判所に許可をいただくことがあることに驚きがあります
わが子を思う親の気持ちを考えると
1分1秒でも長く 生きて欲しいと願うと思います
老年期とは違い 治らないから 「はい!安楽死…」と言われても それは 無理だと思います
残されたご家族は どんな亡くなり方をしても 赤ちゃんの場合 後悔が残るものです
残されたご家族に幸せが訪れますように…
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2017年09月30日 10:38 | 返信
「安楽死」と「尊厳死」の言葉の違いを理解するのは、新聞を書くような学のある方々にも無理がある、ということなのだと思います。
提案なのですが、「安楽殺人死」というふうに、安楽死には「殺人」を入れてみてはいかがでしょうか。
安楽死は日本では、必ず医師が介入した殺人なんですよね?
Posted by 匿名ですみません at 2017年10月01日 11:01 | 返信
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