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Late Care Planing(LCT)ーACPの可能性と限界ー
2017年10月30日(月)
国は人生の最終段階の医療をアドバンスケアプラニング(ACP)に賭けた。
実際、「第1回人生の最終段階の医療の検討会」は、ACP一色であった。
先週の在宅医療推進の会でも、ACPが解説される一方、限界も露呈した。
実際、「第1回人生の最終段階の医療の検討会」は、ACP一色であった。
先週の在宅医療推進の会でも、ACPが解説される一方、限界も露呈した。
今後、国→都道府県→市町村とACPの伝達講習が行われる。
猫も杓子もACP、という感じで日本中がACP一色になる。
しかしバッドニュースを聞きたくないという人も少なからずいる。
「イヤなことは聞きたくない」、というのは人間の本能であろう。
ACPは万能ではないし、合わない人も当然いることが分かっている。
ACPの可能性と限界を知った上で
病院から在宅に移行する時に若い医者は、こう聞くかも。
「本当に家で死にますか?」
「心肺蘇生を希望しますか?」
バッドニュースに弱い患者さんにそんな質問をしたらどうなるのか?
「インフォームドコンセント((IC)を取る」と同様に「ACPを取る」とならないか。
マニュアル化したされたACPには、危険性を感じる。
そこで退院時には、形式ばったACPなどしないで
在宅スタッフに任せたほうがいい場合もあるだろう。
Late care planig(LCP)のほうがいい場合もあるのでは。
そんな意見が飛び出したが私を含めて賛同の声が多かった。
退院して生活の場に戻して在宅医がこれをしたほうが結果はいいだろう。
病院で下手なACPやるくらいなら、退院後に在宅医がLCPをやったほうがいい。
私は、
アドバンス(=前もって)は、いいとして
ケアもプラニングも、どこか上から目線に感じる。
こんなちょっとした違和感こそが、ACPの限界なのかも。
マニュアル化という観点ではユマニチュードと同じかも。
なぜ、プランしなければいけなのか。
なぜ、ダイアログ(対話)ではいけないのか。
そんな気にもなった。
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この記事へのコメント
AD(Advance directives)と言う法的威力を持つ“かたち”にする以前に、“万が一の場合、自分はどうしたいか”を家族や大切な人と話しておく“会話”がACP.マニュアルにしないと普及しないのか、或いは理解度が違う為に混乱を招く事を懸念しているのか。そもそも、ADがまだ法的に認められていないんですよね?アメリカでもADが普及するには時間が掛かりましたし、ACPも誰がイニシアティヴを取るのかなど、まだまだ試行錯誤の段階です。
Posted by ラプレツィオーサ伸子 at 2017年10月30日 12:40 | 返信
「検討会」の構成員を拝見すると、医療関係者ばかり。
「終末処理期」あらため「人生最終段階」の、当事者たちは、お呼びでない。
「エンド・オブ・ライフ」でない、「臨終期」「涅槃期」「往生期」「断末期」
「枯れき」群をまんなかに、「けんとう」してほしいもの。
「人生、一度きり」。「有終の・」のことばかり、四六時中、
考えてばかりもいかない。
なにごとも、「丸投げ」「お任せ」したほうが・・・。
1年後、「投票率11%、賛成6%」の国民投票で、「壊憲」が可能。あのブラック企業が、始動開始?
「戦争するのは自衛隊員。ボクは納税者」と言う18歳。
Posted by 鍵山いさお at 2017年10月30日 06:49 | 返信
きっと、ACPを取るになるのでしょう。
国はどこかで、法律上起こり得る問題(訴訟)を気にしているでしょうから。
そのうち、患者・家族と医師・病人の話し合いではなく、患者・家族対医師・病院の代理人(または、その逆)、
代理人対代理人でICなりACPを取るという事態が出現するのでは、ないでしょうか。
それを、いい機会と捉える病人・医師以外の人もいるやもしれません。
私は患者ですが、医療過誤は起こると思っていますし、小さなものに目くじらを立てる事も無いと思っています。
(もちろん、事実確認と注意は必要ですが。)
将来の事を考えたら、医療過誤は、刑事法の対象から外されるべきだと思います。医療過誤を恐れる医師が
増える事は、決して患者や国民の為にならない。病気と対決しようとする医師の気概を削いではならない。
そう思います。医師の気概と勇気をこそ守るべきだと思うのです。
Posted by 樫の木 at 2017年10月30日 07:50 | 返信
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