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「遠隔看取りGL」の実効性と課題
2017年10月21日(土)
日本医事新報10月号は「遠隔看取りGLの実効性と課題」で書いた。→こちら
今日開催される「独居高齢者の看取りフォーラム」で詳しく解説する。
多死社会、人口減少社会に役に立つガイドラインになれるか考えよう。
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多死社会、人口減少社会に役に立つガイドラインになれるか考えよう。
日本医事新報10月号 「遠隔看取りGL」の実効性と課題
遠隔看取りの要件
9月12日、厚生労働省は医師が看護師との連携によりテレビ電話などの情報通信機器を活用して死亡診断を行うためのガイドライン(GL)を公表した。いわゆる「遠隔看取りGL」である。今回、このGLの実効性と課題について町医者の立場から考える。
医政局長の通達によると年度内に遠隔看取りが可能になるということだ。これは政府が2016年6月に決定した「規制改革実施計画」に基づき、在宅での穏やかな看取りが困難な状況に対応するためのものだ。診察後24時間以上経過していても、以下の要件を全て満たす場合に限定して「遠隔看取り」を容認するという内容になっている。
遠隔看取りGLは長文であるが、全ての医師が一読しておく必要がある。私なりにその要点をまとめるならば、1)死期が近いと予想される患者さんが対象で、2)死亡前14日以内に医師による対面診療が必要で、3)あらかじめ患者や家族の同意を文書で得て、4)医師と看護師の十分な連携が取れていて、5)医師が12時間以内に対面での死後診察が困難な状況があり、6)実務経験5年以上の看護師(訪問看護は3年以上)で一定の教育を受けたものが、死の三徴候などを確認し、7)テレビ電話などのICTを通じて医師も死亡を確認した時、看護師に命じて死亡診断書を代筆させてもよい、という内容である。特に死亡診断に関しては死の三徴候などを5分以上の間隔をあけて2回確認することになっている。
私が気がついたポイントを挙げておきたい。まずはこのGLは離島やへき地に限ってはいない点である。私はてっきり無医離島や無医村などのような場所に限った規則であると思っていた。しかし場所は問うておらず、たとえ大都市においても適応されると聞き、驚いている。
「24時間ルール」と「12時間類ルール」
医師法20条の但し書きには「診察後24時間以内の死亡はその限りではない」と書かれている。つまり、患者宅に行かなくて死亡診断書を書いてもよいというわけだ。いわゆる「24時間ルール」はこれを指している。しかし残念ながら多くの医師、特に多くの勤務医が正しく理解していないのが実情で無用な警察介入が全国で続いている。しかし医師法20条のこのような解釈は平成24年の参議院予算員会で確認され再度周知が図られてきた。つまり現行法では最終診察後24時間以内の死亡は、医師が見なくても無条件に書けることになっている。実際、診察後に旅行や出張に出かけた矢先に呼吸停止の連絡を受けることはある。死亡の知らせを受けて他の医師などが見に行かないことは、現実にはあまり無いことだろうが、法律は我々の想像以上に穏やかである。以前、看護師に死亡診断書を代筆させた事例が報道され叩かれていたが、もし24時間以内に医師が診察していれば法的には問題無しと解釈されるケースもあるのかもしれない。
以前からあった「医師法20条の但し書きにある24時間ルール」が、今回のGLでは看護師とICTの力を借りる格好で拡大解釈された。もし上記の「24時間ルール」が適応できない場合は、今回の遠隔看取りGLの「12時間ルール」を適応しても構わないのだ。つまり遠隔看取りGLは、医師法20条の拡大解釈なのであろう。昭和24年に施行された法律が約60年ぶりに現代版にアレンジされたと受け取っている。
国民への説明が急務
本GLは、慢性的な医師不足や偏在、そして人口減少や地方消滅に伴う無医離島や無医地区の増加が確実な日本社会においては自然の流れであろう。そうした社会構造の変化の中で迫り来る2040年を頂点とする多死社会を乗り越えるためには必要なGLであろう。繰り返しになるが遠隔看取りの適応要件のひとつは「12時間以内に患家に行けない場合」である。このような状況はどの町医者にも日常的にある。24時間365日電話に出られても、すぐにそこに行けるとは限らない。そこで事前に家族にしっかり説明して同意書を得て要件を満たす訪問看護師さえいれば、本GLにより代理医師をたてずに学会出張や旅行が堂々と可能になるかもしれない。そのための遠隔死亡診断である。
もしそれで済むのであれば、○○ドクターネットや3人以上の常勤医の連携による「機能強化型」という形態は必ずしも必要とされないかもしれない。特に一馬力の診療所にとっては遠隔看取りGLは使い方によっては朗報となる可能性がある。しかし12時間以内に「行けるのに行けない」とGLを悪用(?)して、横着する医師が出てくるという懸念もある。
また、保険金目当てで夫を毒殺した元妻の凶悪犯罪に象徴されるように隠れた犯罪を見逃す可能性を否定できない。日本法医学会はかねてより日本の検視率が国際的に低いことから、犯罪死の見逃しを懸念してきた。遠隔看取りGLはこれらのネガテイブな課題を克服していくために工夫の余地がある。異状死体かどうかの鑑別は看護師の肉眼とテレビ画像を通した医師による「体表異状の有無」の観察で行うが、毒殺のような体表異状が現れにくい犯罪は見逃される可能性がある。
なにより最大の懸念は「大切な人が亡くなったのに医者が来ない」とか「直接見もしないで死亡診断書を書いた」ことを果たして国民は納得するのかである。無用なトラブルや医療不信の増大を招かないか心配である。もし施行までに半年近くあるならば、その間に国民の充分な理解を得ておくことが必須である。早急な啓発が課題である。
医師や看護師への「死の教育」
在宅看取りばかりがもてはやされる昨今の風潮に違和感を覚えるのは私も同じだ。看取りは結果にすぎず決して目的ではない。満足した自宅での生活を多職種で支えた先にある結末に過ぎない。筆者は年間100人近い在宅看取りを続けてきた結果、在宅看取り数が1000人を超えた。様々な医師が研修に来て看取りの「コツ」を聞かれる。それを教授する講演にも奔走している。しかし在宅緩和ケアやアドバンスケアプラニング(ACP)という当たり前のプロセスを踏んでいるだけでなにも特別なことはしていない。医師として真摯に患者さんに向き合った結果が看取りであると思う。
しかし医学教育や卒後教育や生涯教育の中に「死の教育」がいったいどれくらいあるのだろうか。人は100%死ぬのに「ほとんど無かった」わけである。そのせいか、緩和ケアやACPの普及は一向に進んでいない。教える人材や専門家が少ないからである。多死社会の到来が迫っているのに医学や看護の教育は変容できていない。ようやく平成31年度から医学部のコアカリキュラムが2040年問題に向けて大胆に変わると耳にした。医学部一年生から在宅医療や終末期医療の授業があるという。当然、その地域で看取りの実績がある医者が教えるのが理にかなっている。そして当然、遠隔看取りに関してもしっかり教育して欲しい。
本GLは性善説であるが悪用が心配だ。だから倫理やモラルの教育も両輪として教えるべきだ。本GLは看護師に一定の研修を義務づけているが、医師にも同様にすべきと考える。そして当初の一定期間は、無医離島や無医地区に限定してヒアリングを重ねたほうが混乱が少ないのではないか。筆者は9月29日に人口350人の無医離島である新潟県粟島の島民と3回目の集会を開き意見交換をした。その中で、本GLの概要を島民に説明した。対岸の村上市の病院の協力を得て、「島で死にたい」という要介護者の希望が叶えられるはずである。本GLが医療者の勝手な都合ではなく国民のQOD向上に寄与するためには、医療者の教育と市民への啓発が大切だと思う。
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この記事へのコメント
この「24時間ルール」について。
「24時間経過後」であっても、そのかかりつけ医師が往診すれば死亡確認書を交付しうるのに、
警察の介入を呼び込む医師がいるので、死亡者も発見者も、困るのでしたね。
今晩、これぞジャーナリストというべき記者の、5日間面会取材を観ました。
「ナチスは、まちがっている。」
「トランプは、ただしい。」
「・・・・・・・・・・・『障害』と言われるのは、イヤ。」
(相模原テロ事件の被拘置者)
日本社会の深層が、透けてみえた。
Posted by 鍵山いさお at 2017年10月21日 08:48 | 返信
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