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身体拘束 理想と現実
2017年12月11日(月)
身体拘束は良くない。
しかし現実には、一流病院でもバンバンやっている。
市民は身体拘束の理想と現実をよく知っておきたい。
しかし現実には、一流病院でもバンバンやっている。
市民は身体拘束の理想と現実をよく知っておきたい。
朝日新聞が、身体拘束の理想と現実を連載している。
11月26日 朝日新聞
24時間の拘束体験した介護福祉士「みんな敵に見える」
拘束を受けたNPO共同代表ら「患者が納得するまで説明を」→こちら
12月3日 朝日新聞
身体拘束なくすには、治療やケアの在り方見直せ
「当たり前」と思考停止しないよう →こちら
ゆっくり読んで欲しい。
さらに拘束や虐待にこんな情報もある。
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以下、大熊由紀子さんのメールから。
身体拘束10日めの夜、心肺停止で発見された弟の死、日本の医療改革に生かしてほしい
29日の大学院の公開講義のゲスト、パトリック・サベジさんの講義のタイトルです。
★「穏やか話している様子が看護記録に残っているのに身体拘束されたのはなぜ?」
http://www.yuki-enishi.com/psychiatry/psychiatry-50.pdf
は、寄せられたレポートの抜粹です。
看護記録からは、ケリー青年が10日間も縛られたり
ゴールデンウィークで医師がいない、という理由で面会謝絶となった理由が
まったくわからないのです。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
日本障害者虐待防止学会発足
障害者虐待防止法の制定から5年が過ぎました。
各地で防止に向けた様々な研修や実践が進められながらも、
一方で、重篤な虐待事例が起こっている現実があります。
そこで、現在の到達点を実践的に、研究的にまとめながら、
今後、どのような取り組みや学術的研究が必要かについて検討を進めたい、と
【日本障害者虐待防止学会第一回《設立》大会を行います】
17日(日)10:00~16:30(受付開始9:30)
新宿NSビル3階(96人で締め切らせていただきます)
プログラムと会場は以下を。
http://shimanecsw.sakura.ne.jp/wordpress/wp-content/uploads/2017/09/oshirase_H29_09_19_1.pdf
問い合わせ先:堀江まゆみさん 白梅学園大学 子ども学部発達臨床学科
mayumi@shiraume.ac.jp tel: 042-346-5624 fax: 042-349-7373
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「そこまで言って委員会」はあくまでテレビなので放送コードがあるため
私のように不都合な真実をいくら言っても、結局、編集されてしまう。
身体拘束の是非については、テレビではなく、
学会や研究会でガチンコでやればいいと思う。
「身体拘束ゼロ」という貼り紙の下で抑制されている人を見たので聞いてみた。
「なぜそんなことをするのですか?」と。
すると
「これは身体拘束ではありません。(バリバリに縛っているのに・・・)
家族にちゃんと承諾を取っているので、必要な”処置”です」と返ってきた。
たとえば、
そんな話から始めてもいいのでは。
日本の医療は身体拘束に慣れ過ぎ。
拘束は在宅医療のなかにも、ある。
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この記事へのコメント
これは拷問です
うちの利用者さんが退院する時に おっしゃった言葉です
「おうちに帰って 僕がおかしなことをやっても 縛るのはやめてくれ!
僕は覚えている… ちゃんと わかっているんだ!」と強くおっしゃったことを思い出します
Posted by 訪問看護師 宮ちゃん at 2017年12月11日 11:01 | 返信
認知症診断がついているか否かにかかわらず、
入院する事前説明として、
「身体拘束同意書」なるものに同意し、同意を証拠立てる署名をしなければ、
入院させないという病院が多いようです。
最近90歳で他界した私の父の場合も、
本人が入院したくない・家族が入院させたくない最大の理由は、
「治療のためには身体拘束もやむを得ない」と考えることができなかったからです。
私の父の場合は、
理解力の衰えや勘違いや物忘れは多々ありましたが、他人への暴力暴言はありませんでした。本人を納得させることができれば、治療や介護に抵抗しませんでした。
この、「本人を納得させる」行為は、特に高齢者の場合、簡単ではありません。
医者と本人の間に信頼関係が築かれていて、なお、相当程度、
その医療行為について時間をかけて話し合って、はじめて納得するに至ります。
まず、医者と患者の間に(真の)信頼関係がある、と言えるケースは、稀です。次に、医者と患者が「時間をかけて話し合う」ケースは、ほとんど、無い。
医者は、一人の患者にじっくり時間を費やして接することができない。
なぜ時間を費やすことができないかというと、たくさんの患者を短時間に処理することによってその医療機関の売上が上がる制度になっている。ゆえに、できるだけ効率よく短時間に多くの患者を処理するために多くの検査機器を導入し機械的にデータを取り
そのデータだけ見て患者を診ない・観察しない・話さない。
まるで、医師にとって患者は人間ではなく「病気を持った生物」だから話す必要は無いみたいだ。
そして、医者がデータに基づいて治療方針を決め、その治療方針のために必要があれば身体拘束する。たとえば24時間点滴中に患者が動いて点滴針が抜けるとメンドクサイから動かないように固定する=拘束する、のは治療のため、という論理。
私は父の拘束同意書に署名しませんでした。そのことについて延々2時間ほど医者や看護師と話すことになりました。
2時間も医者と看護師が、患者家族と話すヒマがあるのか、という疑問を持つ人もいるでしょうが、病院側としてはすでに入院させて、しかもかなり重症なのに、拘束同意書に署名しないからといって追い出すことはできないから、なんとか同意書に署名させようとしたのでしょう。
結果、私は拘束同意書に署名せず、代わりに、「もし、転倒してそれが原因で骨折や死亡に至ることがあってもやむを得ない」などなど、「やるべきことをやらないゆえにイノチを縮めても構いません」といった内容の文書に署名しました。
入院に至る経過で、漠然と「死ぬだろう」と感じていたので、父が入院後数日で亡くなりましたが、病院の対応に不満はありません。また、、拘束同意書に署名しなかったことに後悔はありません。
(やるかたなき不満が今でもくすぶっているのは、入院以前2ヶ月間ほどの、在宅訪問診療医師の対応に関してです。)
身体拘束を伴う「治療」によって、肉体的に回復する場合は確かにあるでしょう。
しかし、肉体的に「病気が快復」しても、身体拘束によって心に傷が残ります。
特に高齢者は、心の傷を癒す以前に、寿命が尽きる。
心の傷は、人格を変容させます。
どちらを選ぶかは、本人に選択権があるはずです。
Posted by 匿名 at 2017年12月14日 02:33 | 返信
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