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ニッポン臨終図鑑 第18~35回
2017年12月31日(日)
「夕刊フジ、読んでるよ!」と、どこかのオッサンに声をかけられると嬉しい。
この有名な新聞は、普通の女性は読まないだろうから、ここで読んでください。
「DR和のニッポン臨終図鑑」という。
第17回までは、このブログで丁寧に紹介してきた。
第18~35回は途中を簡略化して紹介させて頂く。
第18回 平尾昌晃さん 「不死身の音楽人生」 →こちら
第19回 吉本晴彦さん 「どケチに学ぶ長寿の秘訣」→こちら
第20回 千代の富士さん 「余命覚悟 貫いた美学」→こちら
第21回 羽田孜さん 「働き者に学ぶ老衰の定義」→こちら
第22回 黒木奈々さん 「麻央さんが重ねた最期」→こちら
第23回 阿藤快さん 「孤独死は恐くない!?」→こちら
ええい、いちいち面倒だ。
第24~34回は、このサイトで見てください。→こちら
そして、
第35回 野村沙知代さん 「「手を握って」に別れの予感」→こちら
今年はここまで。
これが半年分だ。
来年も頑張って書きます。
自動的にネットにもアップされるようだ。
こんな連載や、
あんなメルマガ(まぐまぐのこと)、はこの世に無い(ハズ)。
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この記事へのコメント
人は、死んだ時に分かる、理解される、というような
意味のことを聞いたことがあります。
そうかもなァと漠然と思います。
生きている時に分かり合えれば良いのだけれど
人には煩悩があるから、張り合う気持ちもあれば
拭いきれない嫌悪感を抱いてしまう。そんな負の関係性が
生きている時には付き物だけれど、死んでしまうと
ふと穏やかに、冷静に相手を思うことができる。
皆、人それぞれに懸命に生きてきた、その足跡には
感慨を持ちます。
死んだら仏様として生きている、とは
そういった意味合いでしょうか。
Posted by もも at 2017年12月31日 01:42 | 返信
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