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医師はなぜ医師法20条を理解できないのか

2018年01月25日(木)

今度は医師から石が飛んでくるかもしれないが憎まれっ子に徹しよう。
日本医事新報の連載は「医師はなぜ医師法20条を理解できないのか」→こちら
で書いたが、今日もさっそく朝一番からこの問題で時間を取られている。
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日本医事新報1月号   なぜ医師は医師法20条を理解できないのか  長尾和宏
 
今も誤解が続く医師法20条
 
 多死社会が進むなか在宅や施設での看取りが謳われている。これまで看取りの法律について講義する機会がたくさんあった。看護職や介護職や一般市民は比較的容易に理解してもらえる。しかし病院の医師にはなかなか理解してもらえず、何日も要したことがある。なぜ医師はなぜ医師法20条を理解できないのか。その理由について考えてみたい。

 我が国において看取りは昭和24年に施行された医師法20条に基づいて行われている。これは「医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない」という内容だ。死ぬ時に医者が居なくてもいい。死後でも診れば死亡診断書を書けますよとは、まさに在宅看取りを想定した法律に思える。医師法20条には次のような「但し書き」が付いている。「但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内. に死亡した場合に交付する死亡診断書についてはこの限りではない」。これは条件を満たせば例外的に死後に診察をしなくても死亡診断書を発行できる、という意味である。「診察せずに死亡診断書を書くこと」を禁じる一方、「最後の診察後24時間以内の死亡には診察をしなくてもよい」という例外規定を設けている。もちろん都市部においてはこの「但し書き」を適応することは無いだろう。いずれにせよ「死亡診断をしなくて書いてもいい」という趣旨を初めて聞く医師は、到底信じられないようだ。

 一方、医師法21条は異状死体を見たら24時間以内に警察に届けなさい、という法律である。医師法20条に出る24時間と21条に出る24時間はまったく違う意味であるが、24時間という数字が共通するために医師法20条と21条が誤って混同されてきた。つまり「診察後24時間以上経過したら死亡診断書を書けない。だから警察に届けなければいけない」という誤った解釈が今でも都市伝説のように信じている医師がいる。医師法20条は、その「但し書き」があるために施行直後から現代に至るまで医療現場に多くの混乱をもたらしてきた。主治医の不在時に患者が自宅や介護施設で亡くなり、死亡確認ができないと判断され「異状死体」として誤って扱われ、警察が無用に介入するケースがあちこちで散見される。

 
霊安室往診という慣例

 看取りの法律を知らない家族や介護者が在宅看取りに際してパニックになり救急車を呼ぶことがある。その結果、在宅看取りのはずが期せずして警察沙汰になったというケースは稀ではない。死亡到着を診た救急医も「自分は24時時間以内に診ていないから」と警察に連絡することがあるからだ。あるいは一部の地域ではかかりつけ医に連絡して霊安室への往診を依頼している。依頼された開業医も内心「僕も24時間以内にその患者さんを診ていないけどなあ」と呟きながら病院からの依頼に逆えないまま霊安室に往診している。最近、そうした慣例に関する質問を頂いた。医学に関しては詳しいその開業医もいざ法律の話になると自信が無いという。

 在宅看取りや施設看取りを阻害する因子の一つに、こうした法律の誤解とその連鎖がある。そこで平成24年の参議院の決算委員会においてテレビの生中継が入るなか医師法20条の上記の解釈が正しいことの確認作業が行われた。この国会討議を受ける形で厚労省や日本医師会から「医師法20条の但し書きの適切な運用」に関する周知文章が出された。しかしいまだに霊安室往診というおかしな慣例が存続している現実があるので、充分に周知されているとは言えない。
 
 
職業倫理からくる思いこみ
 
 なぜ医師が理解できないのか。ひとことで言うなら職業倫理からくる思いこみであろうか。先輩医師からの誤った刷りがいつした都市伝説になったのか。あるいは種々のモニターで死亡を確認する病院での看取りが一般的であるからか。現在、死亡の場の約8割は病院である。常に建物内に医師がいる環境においては医師がすぐに駆けつけないとか、診ないで死亡診断書を書くなんてことは到底考えられない。だから理解しにくい。

 病院の医師に医師法20条の解釈を説明する機会がある。2時間の講演後、質問タイムに移ると「なぜそんな法律があるのか」とか「そんなことは無いはずだ。絶対おかしい」という意見が飛びだす。私は「だから今説明したとおりです。これは国が定めた法律で個人的見解ではない」と説明する。結局、同じ説明を繰り返すだけのどうどう巡りになりがちだ。なかには「心情的に理解できない」と怒り出す医師もいる。この法律の理解がいかに難しいかを肌で感じる。

 職業倫理が強い職種といえば官僚や警察官や自衛官が思い浮かぶが、医師もそうであろう。「必ず毎日診察せよ」という先輩からの教えの中に混じり、誤った解釈も刷りこまれたのか。40年間続く「病院の時代」において、家族が呼吸停止で死を判定するという在宅看取りは前近代的で病院勤務医は心情的に受け入れなれないと聞く。だから「思い込み」や「刷りこみ」からの脱却は意外に難しい。蛇足だが「医師法20条」を「抗認知症薬の増量規定」に置き換えてみてはどうか。というのも、増量規定の撤廃をまだ知らない医師がたくさんいる。認知症患者全員に抗認知症薬を最高量飲ませて暴れ出したら抗精神病薬も重ねて処方している光景は今でも見かける。製薬会社や御用学者による刷りこみを正す作業は決して容易ではない。

 
消防・警察・市民に医師が啓発
 
 有史以来の世界の人口動態を1000年単位で眺めてみよう。現在、世界に人間は70億人いるが、現代はすさまじい人口バブルにあることは明白である。また日本におけるこの200年間の人口動態を眺めてみよう。世界と同様に人口バブルの絶頂期にある。かつてのバブル崩壊と同じ様に人口バブルも今後、急速に崩壊し、未曽有の超超高齢者社会はさらに加速する。おまけに少子化が重なる。これまでの医学・医療は、すべて右肩上がりを前提としてきたがここで発想の逆転が必要がある。右肩下がりを「想定外」ではなく「想定内」と捉えることで遣り甲斐は広がる。そんな時代において医師法20条は期せずして偉大な守護神にも思える。法律は科学では無い。交通規則と同様にその時代の単なる規則に過ぎないが、国民は粛々とそれに従うしかない。

 ただ施行から70年以上が経過した医師法20条は現実的な吟味が必要な時期にある。さらに明治7年に制定された医師法21条は140年以上経過しており、同様である。特にテレビ電話を用いた遠隔看取りが今年度中に実施されようという現代において、看取りに関する法律の啓発は急務だ。まずは現行法を正しく知らなければ、到底次の議論に移ることはできない。理解の遅れは死を真正面から扱わないできた医学教育のツケでもあろう。あるいは死をタブー視してきた日本社会の負債でもある。

 今回、在宅看取りや施設看取りを謳う一方、死亡診断書を書く多くの医師が看取りの法律を誤解している現状を指摘した。無用な救急搬送や警察介入や家族に対する無用な警察捜査や家族のトラウマを減らすことがその目的である。平穏死のはずが検視や事件扱いになった、という悲鳴を聞くたびにその想いが強くなる。地域包括ケア時代において病院と在宅で看取りの規則や文化が異なる現状に介入すべきだ。医師法20条の正しい解釈は多職種だけでなく消防・警察や一般市民とも共有したい。こうした作業は医師会や医学会が主導すべきと考える。

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この記事へのコメント

日本は法治国家なので、
医師法も法律なので、
白黒はっきりしているはずだと思うのですが。
白黒はっきりしない「法律」もありますね。
たとえばどのような行為を「セクハラ」というのか。
パワハラも同じ。
今、ようやく、セクハラ、パワハラに該当する言動を周知する活動が目立つようになりましたが、
医師法については、そういった「解釈の相違」が生じる余地はないと思います。

まあ、法律文章はわかりにくにので、理系の医師は日本語理解能力が不足しているのでしょうね。・・・日本語能力不足ゆえに会話が苦手でインフォームドコンセントさえできないわけで。

Posted by 匿名 at 2018年01月25日 01:31 | 返信

私の家族は昭和49年に宝塚に引っ越してきたので43~4年になります。
漢方薬を出してくれるお医者さんと言うことで、30年以上A医師が我が家の家庭医になっています。
調剤薬局の薬剤師さんも母の後輩にあたる人ですし、ですから病院に入院しない限り、在宅医はA医師におまかせしています。母も要介護2だったのですが、コレステロール値は300になっていました。
メバロチンもエパデールも服用していました。若い頃はコレステロール値は低い方でしたが、いつの間にか、誘因無く上がっていました。一昨年(2016年)の1月27日に亡くなりました。買い物から帰って来たら、ベッドの端に座っているので「どうしたの?」と聞きましたが、すでに返事はもらえませんでした。「しまった!」と思いました。頸動脈を見ましたが触れませんでした。「トイレに連れて行っていれば死なすことは無かった」と思いました。「ごめんなさい」と母に謝りました。学会に行っている在宅医に電話して「帰れないので、悪いけど消防署に電話して救急救命士に来て貰って救急病院、多分T病院になると思うけど、病院のお医者さんに診てもらって」と言われてそういうことになりました。
死亡診断書は「大動脈解離に依る心タンポナーデ」でした。
救急車を呼んだ事については、私はこう考えています。「生れる時の状況も千さマン別、生き方もいろいろ、死に方もいろいろ」です。ですからステージⅣの癌の末期で家族も本人もいつ死んでもおかしくない状況であると認識したいれば、救急車を呼び事はまずないと思います。
でも私の母は、要介護4で突然死ぬとは思っていませんでした。
市内のある脳神経外科は「アルツハイマーではなくて正常圧水頭症かどうかは、私は言いたくない。でも心電図は室上性頻拍だから、いつ死んでもおかしくない。大事にしてあげなさい」と言われtいましたけれど、それがいつであるかは分かりませんでした。
ですから主治医のA先生も私も病院へ行って何の原因で死んだのか調べて欲しい。生き返るものなら、治療して欲しい」と思いました。癌の末期でステージⅣの状態ではなかったからです。
先日の兵庫県医師会の「終末期医療に対する救急医療体制のついて」のフォーラムでも本人や家族の要望で救急医療を頼んでもよいのではないかとの意見もありました。
「税金の無駄使い」と言われるけれど、母は戦争中も、学徒動員で「毒ガス」を作らされたり、アメリカ空軍のB29の爆撃を受けながら、神戸の市街地の死んだ人々の収容をしていました。
突然倒れた時、救急車を呼ぶことが、「税金の無駄使い」でしょうか?
救急車を呼んだことは、間違ったことだとは思っていません。
鍼灸師(自称鍼灸医師)の組織を除名された私が言うのもヘンですけど、兵庫県医師会の仰っている事の方が、私には理解できます。

Posted by 大谷佳子 at 2018年01月26日 09:45 | 返信

死亡診断書に関しては、死者について、今まで何らかの疾病を定期的に診察していた医師が書ける。今まで定期的に診察していなかった医師が書くのは死体検案書。
警察沙汰にならなけらばどっちでもいいと私は思う。
けど、特に医師の診察を受けたいような症状が無いので医療関係の受診歴無く死亡した場合、死体に「異状」が無くても「不審な死」として解剖を要求する医師が大半なのだろうな、と思います。

たとえば、医者にかからず要介護申請もせずに90歳を越えて、自分で歩いてスーパーへ行って買い物をして、何とか味噌雑炊みたいなものを自分で作って食べて生活していた、風呂も自分で湯を張って入っていた、しかし、とうとうある日、風呂から出たら眩暈がして倒れてそのまま死亡。
立派な生き方・死にざまだと思うけど、一度も医者を受診していなければ「不審死」で「司法解剖」・・・?

Posted by 匿名 at 2018年01月29日 07:20 | 返信

「医師法20条」なんて、知らず、
かかりつけ医と警察署から、計2枚の「診断書」をもらったのは、はるかむかし。
長尾先生の解は、簡明かつ明快。
なぜ、「死」にかかわる専門職のおおくが、反対解釈に陥ってしまうのか。

「憲法9条」もまた、しかり。
かの東京地裁砂川判決。
「在留米軍」は、9条が禁ずる「戦力」であり、違憲と断じた。

「反日」朝日新聞阪神支局襲撃30周年の憲法記念日に、
神戸で、「自衛隊を9条に明記したい」と言う、首相がいた。
わざわざ、「赤報隊の義挙」に、あやかったのだろうか。

今年は、神社や街頭で、壊憲署名運動が、いやに目立つという。
駅前では、「防衛予算を10兆円増やして、15兆円にしよう」と、
「戦争を知らない」自民中堅議員が、ブッていた。

ならば巨大与党は、「9条全項削除」を提案すべきだ。
「自衛隊違憲論の余地をのこさない」というのが目的なら、
「みっともない憲法」全面廃止の第一歩として、「第二章」削除以外にない。
名実ともに「日本共和国国防軍」をめざしたいなら、「第一章」も削除すべきだ。
第一章は、「沖縄70年貸与」を代償として、
ヒロヒトが手に入れたものである。

簡にして要を得た「解」を国民に提示すべきだ。
「医師法20条」のごとく。

Posted by 鍵山いさお at 2018年01月29日 08:32 | 返信

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