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すぐ隣にある「孤独死」
2018年02月06日(火)
月刊公論2月号 すぐ隣にある「孤独死」
7割は男性、アルコール、60代
年々増加する「孤独死」
同窓会に行くと、同じ年齢の友が集まっているはずなのに、昔とあまり変わらない人もいれば、すっかり老け込んでいる人もいてびっくりすることがある。総じて、女性の方が年相応かそれよりも少し若く見え、男性の方が一足早く老化しているようにも感じるのは私だけだろうか。さて、最近「孤独死」に関するニュースがやたらと増えてきた。実は、孤独死の7割は男性である。
そもそも、男性は女性よりも平均寿命が7歳も短い。50代でおじいちゃんに見える人がいるように、男性の場合、男性ホルモンが減少し社会性を失ってくる50代から(いわゆる男性更年期)、孤独死のリスクは始まっていると言っていいだろう。そして60代が最大のリスクだ。一方、女性は同時期に女性ホルモンが減り、相対的に男性ホルモンが優位になることから、社会性が高まってくるのである。観光地や劇場が年配の女性ばかりなのは、こうした背景もある。私の講演会でも、参加者の7~8割は女性である。
私は今、約500人の在宅患者さんを診ているが、そのうちの7割が女性である。男性の要介護者は一体、どうしているんだろう?といつも不思議に思う。男性の場合、「在宅医療なんて要らない」と拒否する人が多いのかもしれない。今、自宅で亡くなる人(在宅死)の割合は、全国平均で13%である。在宅死というと、家族に囲まれ、在宅医に看取られる穏やかな死というイメージがあるかもしれないが、在宅医療にかかわらずに家で亡くなった場合の多くは、警察が介入して「孤立死(孤独死)」と呼ばれる。そして、その多くが解剖台に乗ることになるのだ。
警察沙汰にならないために
特に東京や大阪といった都市部では、在宅死の半数に警察が介入しているのが現実だ。とはいえ、犯罪絡みの死亡がそれほど多いわけではない。警察が取り扱う死体のうち、「犯罪死体(殺人など犯罪による死亡が明確なもの)」は0.3%。「犯罪の疑いがある死体」が12%で、残りは「犯罪の疑いはないけれど、警察が呼ばれた」というケースである。
つまり、在宅死の半数に警察が介入しているとはいえ、そのほとんどは犯罪とは関係のない死だ。在宅医療を受けていれば、警察沙汰にならずに済んだはずの死なのである。ちなみに、孤独死に関する全国統計はない。今のところ、明確な定義がないからだ。ただ、いくつかの組織が部分的な統計を出している。たとえば東京都監察医務院は、変死の疑いのある「不自然死」のうち、自宅で亡くなった「一人暮らしの人の死」を孤独死とし、毎年23区内の統計を発表していて、
2016年の23区内の孤独死は4604人と発表している。さらに、ニッセイ基礎研究所では、孤独死は「年間3万人」と推計している。3万人といえば、少し前まで我が国の自殺者の数が、年間3万人と報じられていた。最近は3万人を切っているが(厚労省によれば2016年の自殺者は2万1764人)自殺と孤独死は重なっている部分も多くあると感じている。孤独死として扱われている中に少なからず、「緩やかな自殺」といえるケースもあるのではないだろうか。生きる気力を失ってきちんと食べなかったり、外部との連絡を億劫がり、また病気になっても治療を受けず自分を放置しておく、酒浸りになって周囲とのコミュニケーションを断ってしまう……こうした行動を取るのは圧倒的に男性が多い。
これには、熟年離婚数が増えていることも影響しているのかもしれない。2008年より、離婚後の年金分割に夫の合意が不要となったこともあり、妻からある日突然、離婚届を突き付けられた熟年男性が、生きる気力を失ってセルフネグレクト状態になってゆく。だから、一人暮らしの男性こそ、これからの時代、まずは「かかりつけ医」を持ってほしい。そしてご近所と接点を持っておくることが、最大の孤独死回避術となるのは間違いない。
そのあたりのことを書いた本を、昨年12月に出版した。『男の孤独死』というタイトルが衝撃的だったらしく、「他人事ではありません」と多くの男性読者から反響が寄せられる。今まで拙著の感想をくださるのは9割が女性だったので、嬉しいやら戸惑うやら、複雑な気持ちである。
「かかりつけ医」を探しておく
では、人生の最期を託せる、頼りになる「かかりつけ医」をどのように探せばよいか。大事なポイントは以下の通りだ。・家から近いこと。・いざというときは往診をしてくれること。・痛みを取る治療(在宅緩和ケア)に精通していること。・さまざまな病気や、心の悩みも総合的に診てくれること。
たまに、通院に何時間もかかる大病院の医師を「かかりつけ医」だと言う人がおられるが、果たして、自分が通院できなくなったときに、その先生に往診をお願いできるのか?200床以上の大病院の先生では、おそらく無理であろう。人知れず家で家で亡くなるのであっても、最期はやはり医師に託すしかない。「この医師なら…」という視点で元気なうちに選んでおいてほしい。
しかし私は何も一人で死ぬことが「不幸」であると言っているわけではない。どんなに夫婦仲が良くても、家族に囲まれていても、死ぬときは一人。必要以上に死を恐れることはない。ただ、死後何日も見つからなかった結果、警察の検視が入った、解剖された……ということは、避けられるならば避けたほうがいいだろう。私は入棺体験はなんとも思わないが、解剖台に乗るのはなぜか分からないが嫌なのである。
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英国では「孤独担当相」新設し現代社会の「悲しい現実」に対処している。→こちら
しかし日本においては、在宅死の半分を占める孤独死にはほぼ無策である。
みんな、大丈夫か??
真剣に考えようよ。
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この記事へのコメント
訪問診療には契約がありますよね。
介護施設入居中だった亡父の在宅訪問診療に来ていただく最初の日に、在宅訪問診療契約なるものに署名押印しました。
同様な「かかりつけ医契約」制度を創設していただけませんか?
どこも悪くないけど隔週に医者へ行って「お元気ですか」「はい」で、帰ってくるだけ。
現時点では特に医療を受ける必要が無いが、高齢であれば表面化していない病気があっても不思議はありません。けれども人間ドックへ入って「病気を探す」必要は無いしそれだけの費用を払える人も多くはないし、早期発見することが必ずしも幸運ではない。
ゆえに、ある時、急に倒れて死亡、も、あり得る。そういう時、死亡診断書あるいは死体検案書を書いてくれる医師が居れば、警察沙汰にはならないのです。
しかしながら、ほとんどの医師は、何らかの診察や検査や投薬をしないと気が済まない。というより、保険算定ができないのでしょう。
ですから、「かかりつけ医契約」を締結して、隔週に「お元気ですか」「はい、ではまた」で、保険算定できる制度を作っていただきたいです。そして急死の際には「死亡診断書」を書いてくれる制度です。
Posted by 匿名 at 2018年02月06日 02:25 | 返信
かかりつけ医が、見つかるなら、それが一番ですが、近所に何軒かある診療所は夕方6時7時になったら診療所を閉め、お医者さんも看護師さんも自宅へとお帰りになります。自宅は、公開されません。当たり前ですね。お医者さんも人間ですから、医師が相対的に少ない場所において、自分の健康と私生活を守らなければ、仕事を続ける事もままならないでしょう。都会というか、街中では、職住不接近が現実です。代々の医院、地縁の繋がりがある所ならいざしらず、医院と名がつくところでも、往診は受けていない所が多い。というのが、実際で、かかりつけ医を見つけている人は、幸運かつ、その方の努力の賜物なのでしょう。死亡診断書を書いて貰う為の努力。何だか悲しくなりますが、死亡診断書を書いて貰う為に救急に行くしかない?何というか、迷宮に迷い込む様な話になってきました。果たして、「往診、やがては看取り、死亡診断書を書く。」といった仕事についてくれる若いお医者さん(若くなくてもいいのですが)は、どれだけ、現れてくれるでしょう。お医者さんが疲弊しきってしまっては、患者は「助けて」を言えず、医師も助けたいという心を持っていても、立ち上がれない。
Posted by 樫の木 at 2018年02月06日 06:26 | 返信
私が、どのような死に方をするのか、分かりませんけど、「孤独死」ってそんなに大変なことなのかなと思います。私は、むかし「木枯し紋次郎」のテレビを見て「死して、屍拾うものなし」とワンフレーズで言っていたので、カッコイイ男の人は、孤独に死ぬのかなあと思っていました。
死んで何日も経って、腐敗していたなんてのは、近所迷惑かもしれませんけど、「何日も連絡が無ければ警察に電話してね」と頼んでおける友達がいれば安心ですけどね。
長尾先生なんか、一日連絡が無ければ、誰かが心配して捜索してくれるんじゃないですか?
お嬢さんもりっぱに成長して、いらっしゃるし、思い残すことは無いように思いますけど。
長尾先生が亡くなられたら、客寄せパンダが居なくなった長尾クリニックも大変でしょうけどね(笑)。
Posted by にゃんにゃん at 2018年02月06日 06:40 | 返信
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