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西部邁さんが世に問う「自裁死」

2018年02月07日(水)

金曜日の夕刊フジに「Dr和のニッポン臨終図鑑」を連載している。→こちら
西部さんの「自裁死」の記事(→こちら)はYAHOOにもアップされている。
ああ、一度だけでも会って直接お話ししたかった天才が一人この世を去った。

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西部邁さん、「生の最期」世に問う自裁死 
自ら死に時を決め、冷静に人生に決着をつけるという潔さを感じる 

2/6(火) 16:56配信

夕刊フジ

 【ドクター和のニッポン臨終図巻】



「自殺」という言葉が嫌いです。高校生の時、私の父がこの死に方を選んだことも影響しているのかもしれません。父は、その数年前より鬱病を患っていました。

 「自殺」という言葉を目にするたび、あの日の感情に引き戻される自分がいます。警察署で遺体を確認したのは高校生の私でした。自らを殺す? では殺したのは誰なのか? 殺されたのは? 答えの出ない苦しみにもがいた青春時代でした。

 評論家の西部邁さんが亡くなりました。1月21日午前7時前、東京都大田区の多摩川に飛び込みました。その日の未明、自宅から姿が見えなくなったことを不審に思った長男が捜索願を出していました。駆け付けた警察官に救出されたときには意識がなく、搬送先の病院で死亡が確認されました。78歳でした。

 亡くなる10日前、西部さんは新聞社の取材を受けていました。「数週間後、私は生きていない」と記者に明言し、取材後は神経痛の腕をかばいながら午前4時までハシゴ酒をしていたと。ああ、一度でいいから一緒に呑みたかった。

 最後の著書となった『保守の神髄 老酔狂で語る文明の紊乱(びんらん)』(講談社現代新書)を思わず買いました。そこには、こんな言葉が綴られています。

 《おのれの生の最期を他人に命令されたり弄り回されたくない》《自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装》

 死の本ばかりを書いている私にとっても西部さんの言葉は衝撃でした。私は、自然に枯れて死んでいくことが平穏死であると説いていますが、改めて自然に逝くとは何だ? と考え直しました。人間が自然だと考えることの多くは他人が関与しており、確かに自然ではないのかもしれませんね。

 西部さんは、自殺ではなく「自裁」という言葉を使い、本書でも幾度となく死を予告していました。「自裁死」、何とも言えない響きです。

 「自殺」には、精神的に追い詰められて仕方なく死を選んだというニュアンスがあります。一方、「自裁」は自ら死に時を決め、冷静に人生に決着をつけるという潔さを感じるのです。本当は昨年秋に実行したかったが、総選挙があったので少しずらしたというのも、なんとも西部さんらしいエピソードです。

 座右の銘は「狂気に一抹の魅力があることを認めぬわけではないが、それを認めるためにもこちとらが正気でなければならぬ」。狂気と正気の狭間で、人間の心理と国家を論じ続けた老師が、川に身を投げる瞬間に見たものとは、この国の希望でしょうか、それとも絶望でしょうか。

 ■長尾和宏(ながお・かずひろ) 医学博士。東京医大卒業後、大阪大第二内科入局。1995年、兵庫県尼崎市で長尾クリニックを開業。外来診療から在宅医療まで「人を診る」総合診療を目指す。近著「薬のやめどき」「痛くない死に方」はいずれもベストセラー。関西国際大学客員教授。

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この記事へのコメント

私も、よくわからないまま、西部邁氏の隠れファーンでした。
私が小学校6年生の時に、60年安保闘争がありました。樺美智子さんが、私の父と母の高校の後輩だったこともあって、樺さんがかわいそうだと思いました。樺さんは、努力しなくても東京大学に入学して、デモには、死ぬ覚悟で参加していたと思っていました。最近出版された「人知れず微笑まん」では一年間予備校に通って、東大に入学して、60年安保の時は、大学院の入学を目指して、卒業論文の仕上げに努力していた真っ最中だったそうで、まさか死ぬとは思っていなかったそうです。デモの中に女性がいるという事は、取り締まる方の立場の機動隊にとって、やり難い存在だそうで、かなり狙われていたみたいです。私の女友達も何の考えも無く、70年安保のデモに参加して頭をこん棒か何かで殴られて、救急病院二入院。それからすっかりデモから遠ざかりました。彼女はすっかり普通の人として暮らしています。
私は、田中角栄総理が中国と国交を回復して日中平和条約を締結されたので、トロッキーイムズの支配された学生運動より良いと思ったのです。でも周恩来が死に、毛沢東が死に、江青.張春僑など4人組が逮捕されて、一党独裁の共産党内部に、多数の派閥があり、その中の軍部のクーデターが起きたのではないかと思われて、一挙に日中友好運動は、衰退していきました。でも日本の巨大独占資本は、今日に至るまで、交易を続けていますし、いわゆる日本共産党を支持していた人は、今も日中友好運動をしていらっしゃるようですが、よくわかりません。
学生運動はいつも挫折するのが習わしですけど、そういう私の心には、東大全学連から転向した西部邁氏の左翼への批判が、なるほどなあと思う所が多かったのでよく「朝まで生テレビ」等を見ていました。
自殺なさった事は残念ですけれど、もっと長生きして、叱咤激励して欲しかったと思います。

Posted by にゃんにゃん at 2018年02月07日 09:31 | 返信

私は左翼とか保守とか未だによくわかりませんが、東京MXTVの「西部邁ゼミナール」という番組を毎週欠かさず観ておりました。日本人には珍しく哲学的な話をするお方でした。深い批評ができる人物だったと思います。たしかに「自殺」とは全然違うと思いますね。ご自身の批評活動が世の中にとって何の役にも立っていない事を嘆いてはいましたが。真の意味での社会評論・批評ができる人が亡くなってしまったのは残念ですね。

Posted by マッドネス at 2018年02月08日 05:46 | 返信

よく知らないのに、こんな話をいたしますのも、気が引けますけど、現代人は宗教的にもイデオロギー的にも、一つの考え方に縛られないけれど転がりながら死んで行くのかなあと思います。
サルトルの友達のポールニザンと言う人もフランス共産党に入りながら、後に脱退して「非難されながら、戦争に駆り出されて戦死した」のでサルトルも、悲しみをもって弔辞「行きと帰り」を書いていた様に思います。
私は、高校時代に読もうとして、難しくて理解できなかったと思いでがあります。
中村仁一先生が、よく「行きと帰り」と仰いますけど、あの意味とは違うようです。
人間の一生が20代30代までが、生命力の盛んな時期で、それを過ぎると死に向かって衰えていく。
20代30代までが「行き」で死に向かって生きる晩年を「帰り」と言うというのが中村仁一先生の仰る「行きと帰り」だと思います。
中村仁一先生が「行きと帰り」と仰る度にポールニザンを思い出します。

Posted by にゃんにゃん at 2018年02月10日 08:47 | 返信

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