1944年岐阜県生まれ。67年早稲田大学第一商学部卒。79年帝京大学医学部卒。同大学病院第一外科、救命救急センターを経て、90年東京都国立市に新田クリニックを開業。92年医療法人社団つくし会設立、理事長に就任。以来在宅医療に従事し、1000人以上を看取る。全国在宅療養支援診療所連絡会会長。2012年日本臨床倫理学会設立、理事長に就任。著書に『安心して自宅で死ぬための5つの準備』(主婦の友社)。

今回の診療報酬改定で終末期医療への評価が拡充され、多くの医師にその実施が求められている。だが安易な治療中止は、患者の生きる権利を奪い訴追されるリスクもある。その際どういうプロセスを踏めばよいのか。日本臨床倫理学会を設立し、在宅で1000人以上を看取ってきた新田氏に聞いた。


 

──「単なる延命はやめよう」「平穏死」という考えに共感する医療者が増えてきたと思うのですが、本人の意思を確認できない場合、家族・医療者本位の治療中止になるのを危惧します。

 終末期の医療において何より尊重すべきは、患者本人の選択です。認知症などで本人が意思決定できないと思われる場合には、家族の意向などを基に判断することが多いのですが、本人の意思決定能力を評価・支援せず、安易に家族の意向に従うことは倫理に反します。

 延命治療を差し控え・中止して、倫理的に適切な看取りに入るためには、「これ以上の積極的治療を望まない」という本人意思があることが大前提です。患者の意思は変化するし、本人に意思決定能力がある場合は常に自己決定する権利が保障されなければなりません。これはautonomy(自律尊重)という倫理原則、インフォームドコンセントの法理として確立しています。

 本人の医療行為への同意は法的には違法性阻却事由となります。つまり、手術などの侵襲的医療行為は本来、傷害罪に当たりますが、本人の同意があって初めて違法ではなくなります。

 さらに医療行為が行われるためには、選択(チョイス)が必要となります。すなわち、インフォームドコンセント・アンド・チョイスが成立して初めて医療行為は成り立つのです。

 現在、家族の意思として胃瘻を抜去することがありますが、これは倫理から外れます。患者本人に意思決定能力がなく意思表明できない場合は、家族の都合で判断することはできません。適切な家族(代理判断者)が本人の価値観や願望に配慮しながら、適切な代理判断の手順を踏んで判断を行う必要があります。

──家族などの意向が本人の意思かどうか判断するのは難しそうですね。

 ですので、具体的には(1)家族の意見は家族の願望なのか、それとも本人の意思・願望をきちんと反映しているか、(2)誰が代理判断者として今後の方針を決めるのに適切か、(3)家族の意見は本人の最善の利益を反映しているか、(4)家族内で意見の不一致はないか、(5)本人と家族には利益相反がないのか──などの家族による代理判断の倫理的論点があります。

 それらの論点を医療・ケアチームの中で検討し、家族と十分に話し合うべきです。厚生労働省の「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」でも、患者の意思の確認ができない場合は医療・ケアチームの中で慎重な判断を行う必要があるとしています。代理判断者は本人、家族と意思確認ができている状況にあることが望ましいのですが、適切な家族の判断を誰がするのかといった課題があるのも事実です。