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隠ぺいされた"リビングウイル"
2018年04月03日(火)
医療タイムス4月号の連載は隠ぺいされた“リビングウイル”で書かせて頂いた。→こちら
ACPには賛成であるが、なぜその核をなす「本人の意思」を言わないのか。
本人の意思をひきだ引き出し、「忖度」するのが医療であると考えるのだが。
ACPには賛成であるが、なぜその核をなす「本人の意思」を言わないのか。
本人の意思をひきだ引き出し、「忖度」するのが医療であると考えるのだが。
医療タイムス4月号 隠ぺいされた“リビングウイル”
厚生労働省は、「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」を公表した。同ガイドラインは2007年に初版が作成・公表され、内容の大幅な改訂は11年ぶりになる。これまでは主に病院仕様であったが、今回は在宅や介護施設などでの活用も想定した内容となっている。今回の改訂では1)患者の考え方が変わり得ることを踏まえ患者との話し合いを繰り返す、2)患者が自らの意思を伝えられない状態になる可能性を踏まえ、「患者の意思を推定する者」を事前に話し合う、3)病院以外の介護施設や在宅の現場も想定し、話し合った内容はその都度、文書にまとめておく作業(ACP)も強調されている。また「本人の意思を推定する者」については、「自分が決められない時に備えて決めておくということで1人ではなく複数でもよい、とするなど認知症時代を想定している。
新聞や雑誌の見出しには「本人の意思尊重」や「話し合いを重視」などの活字が躍る。終末期医療に携わる町医者として政府見解が一歩前進したことを評価したい。しかし森友事件の改ざん文章ではないが、意図的に隠ぺいされている単語があることを見逃すわけにはいかない。本人意思を書面に書いたものを「リビングウイル」と呼ぶが、今回のガイドラインからこの単語が一切削除されているのだ。「アドバンスケアクラニング(ACP)」だけでなく、「本人意思が不明な時」の対処法まで詳しく述べられているが、肝心の本人の意思が明確な時への対処法については明言を避けた格好になっている。日本救急医学会の幹部の「リビングウイルは救急現場には悪で迷惑だ」と発言や内閣府が「リビングウイルがあると医師の訴訟リスクが高まる」との見解を東京地裁に提出していることなどに「忖度」したわけではなかろう。
多くの在宅看取りを経験した町医者にとっては、本人意思が「リビングウイル」として明示されている人の方が家族との話しあいがし易く看取りへケアに助かるのであるが、国の見解はまさに真逆である。京都市などで実施されているように、それが可能な人には本人の意思を文書で表明してもらい、それを土台にACPを行うべきだろう。しかしリビングウイル抜きのACだけで乗り切ろうとしているのである。そもそも人生の最終段階における医療・療養について「考えたことがある」との回答は、一般国民6割強、医師9割強、看護師8割強、介護職員約8割、「話し合ったことがある」(「詳しく話し合っている」と「一応話し合っている」の合計)は、一般国民が5割弱、医師7割弱、看護師約5割、介護職員約5割しかいない。耳障りのいい言葉ばかりが並んでいるが実質的には、医師主導のままになるのではないのか。急性期病院には「ICを取る」「DNARを取る」「ACPを取る」と言う言葉があると聞く。まさか昔ながらのパターナリズムのままで、2025年問題に突き進むつもりなのか。筆者はたとえ認知症でMMSEが0点の人でも最期の療養の場や延命治療に関して意思決定可能であることを主張してきた。
在宅看取りに関わる町医者の立場からは、訪問看護師やケアマネと協働して本人意思をできれば「リビングウイル」という形で引き出す力が求められていると確信する。しかし今回の政府見解を眺めながら、“隠ぺいされたリビングウイル”をどう“忖度”すべきか、溜息の日々である。
厚生労働省は、「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」を公表した。同ガイドラインは2007年に初版が作成・公表され、内容の大幅な改訂は11年ぶりになる。これまでは主に病院仕様であったが、今回は在宅や介護施設などでの活用も想定した内容となっている。今回の改訂では1)患者の考え方が変わり得ることを踏まえ患者との話し合いを繰り返す、2)患者が自らの意思を伝えられない状態になる可能性を踏まえ、「患者の意思を推定する者」を事前に話し合う、3)病院以外の介護施設や在宅の現場も想定し、話し合った内容はその都度、文書にまとめておく作業(ACP)も強調されている。また「本人の意思を推定する者」については、「自分が決められない時に備えて決めておくということで1人ではなく複数でもよい、とするなど認知症時代を想定している。
新聞や雑誌の見出しには「本人の意思尊重」や「話し合いを重視」などの活字が躍る。終末期医療に携わる町医者として政府見解が一歩前進したことを評価したい。しかし森友事件の改ざん文章ではないが、意図的に隠ぺいされている単語があることを見逃すわけにはいかない。本人意思を書面に書いたものを「リビングウイル」と呼ぶが、今回のガイドラインからこの単語が一切削除されているのだ。「アドバンスケアクラニング(ACP)」だけでなく、「本人意思が不明な時」の対処法まで詳しく述べられているが、肝心の本人の意思が明確な時への対処法については明言を避けた格好になっている。日本救急医学会の幹部の「リビングウイルは救急現場には悪で迷惑だ」と発言や内閣府が「リビングウイルがあると医師の訴訟リスクが高まる」との見解を東京地裁に提出していることなどに「忖度」したわけではなかろう。
多くの在宅看取りを経験した町医者にとっては、本人意思が「リビングウイル」として明示されている人の方が家族との話しあいがし易く看取りへケアに助かるのであるが、国の見解はまさに真逆である。京都市などで実施されているように、それが可能な人には本人の意思を文書で表明してもらい、それを土台にACPを行うべきだろう。しかしリビングウイル抜きのACだけで乗り切ろうとしているのである。そもそも人生の最終段階における医療・療養について「考えたことがある」との回答は、一般国民6割強、医師9割強、看護師8割強、介護職員約8割、「話し合ったことがある」(「詳しく話し合っている」と「一応話し合っている」の合計)は、一般国民が5割弱、医師7割弱、看護師約5割、介護職員約5割しかいない。耳障りのいい言葉ばかりが並んでいるが実質的には、医師主導のままになるのではないのか。急性期病院には「ICを取る」「DNARを取る」「ACPを取る」と言う言葉があると聞く。まさか昔ながらのパターナリズムのままで、2025年問題に突き進むつもりなのか。筆者はたとえ認知症でMMSEが0点の人でも最期の療養の場や延命治療に関して意思決定可能であることを主張してきた。
在宅看取りに関わる町医者の立場からは、訪問看護師やケアマネと協働して本人意思をできれば「リビングウイル」という形で引き出す力が求められていると確信する。しかし今回の政府見解を眺めながら、“隠ぺいされたリビングウイル”をどう“忖度”すべきか、溜息の日々である。
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この記事へのコメント
西部邁さんの自殺ほう助容疑、TV関係者ら逮捕
http://www.yomiuri.co.jp/national/20180405-OYT1T50110.html?from=ycont_navr_os
さきほどPCを開いて読売オンラインに出ていた記事です。
以前、長尾先生がエールを送っておられた自裁。
「逮捕」ではあるけど、まだ「容疑」ですが。
これが、自殺幇助罪として成立してしまうと
一般市民のLWも否定的な議論が強くなってしまうかも。
人の死に関わるというのは、ほんとにタイヘン。ムズカシイ。
Posted by 匿名 at 2018年04月06日 01:58 | 返信
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