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「自分は誰?」ただ知りたい
2018年04月23日(月)
「自分は誰?ただ知りたい」と順天堂医院を提訴。
この報道をどう受けたらいいのか?
「自分は誰」ただ知りたい
51年前の新生児取り違え 当事者男性訴え
「自分は誰で、親はどんな人なのか。ただ、それを知りたい」。順天堂大順天堂医院(東京)で51年前に赤ちゃんの取り違えが起きたとされる問題で、当事者の男性=東京都=が20日までに共同通信の取材に応じた。医院は取り違えた相手方の情報提供を拒否しており、男性は「今となっては取り戻せない人生を歩んできた。せめて実の親に会いたい」と訴えている。
子どもの頃、近所の人や友人から「親に似ていない」と言われては傷つき、どこか似ているところがないかを必死で探したという。家族の中で男性だけ血液型が違い、母の浮気を疑った父は家を出て行き、結局離婚することに。その後、母は再婚したが、家計の苦しさから継父に「高校の費用は出せない」と言われて進学を諦めた。
取り違えの可能性を知ったのは2015年11月。母に「血がつながってないかもしれない」と言われ、驚きよりも「やっぱり」と強く感じた。疑問を感じていた母が何度も医院に問い合わせたが、門前払いにされた結果「自分の子として育てよう」と決意したことも初めて告げられた。
すぐにDNA型鑑定を受け、翌月には親子関係の確率は「0%」との結果が出た。「さすがにがくぜんとして、言葉がなくなりました」
翌16年には医院に出向き、事実関係の確認と実の親の情報を求めた。医院側は取り違えた可能性があることを認めたが、相手先の家族については、現在の平穏な生活を考慮し伝えないことにしたとして、情報を出さなかった。
「相手の家族の幸せを壊したいわけじゃない。ただ、写真だけでも見たい。亡くなっているならお墓参りだけでもしたいのに...」。双方の主張は平行線をたどり、結局解決金での示談に応じた。
一部週刊誌の報道をきっかけに医院は6日に事態をホームページで発表、新聞やテレビでも報じられた。男性は「本当の家族が名乗り出てくれるかもしれない」と期待する一方、医院には心からの謝罪と、再発防止体制の整備を求めている。
「本当の親はどんな人なんだろう」。こんな思いとともに、76歳になった母への感謝の念も強く感じている。「他人と分かっていたのに育ててくれた。母が元気なうちに実の子どもと会わせて、親孝行してあげたい」
※順天堂の新生児取り違え
学校法人順天堂が6日、運営する順天堂大順天堂医院(東京)で約50年前に新生児の取り違えが起きた可能性が極めて高いと発表。本人と母親のDNAで親子関係がないことが判明、謝罪したとしている。取り違えた相手方は保存していた当時のカルテでほぼ特定できたが、現在の平穏な生活を考えて伝えないとしている。当時は出産後、助産師が沐浴(もくよく)室に連れて行き、新生児の足裏に母親の名前を記す方法を取っており、この際に取り違えた可能性がある。
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もし自分がこの男性だったら・・・
やっぱり、私は誰?
本当の親に会いたい、と思うだろう。
間違えたことはもはや取り返しがつかないが、真実を知ることはできる。
あともう一人間違えられた人がいるわけだが、その人はどう生きている?
昔はよく「養子」に出されたので、そう思い直すしかないのだろうか。
我が子だと想いながら育てた親にも、きっと大きな苦労があったはず。
こんな時、仏陀の教えに従うしかないのか。
彼は親を捨てて、真理を探る旅に出た。
今週の「100分で名著」では「法華経」をやっているが、まさにその世界だ。
困った時こそ、原始仏教の教えに戻ろう、と私はいつも考えるようにしている。
母が亡くなって2年。
毎日、寝る前に想う。
似ているので、本当の母だろう。
父も間違いないな、なんて思う。
NHKの人気番組「ファミリーヒストリー」を毎回往診途上で観る。
今夜は坂本龍一さんだったが、なんの関係も無い自分も泣いていた。
この番組も親が誰なのか分からない人にはなんと残酷な番組なのか。
普通の人はそんなことを考えないだろうが私はそんなことも考える。
昔、「ルーツ」という人気映画があったことを思い出している。
人間は結局、「どこから来てどこに行くのか」分からないまま生きている。
本当のルーツは原始人であり、そのルーツはお猿さんで、魚さんである。
「大河の一滴」という書籍や歌があるが、人はみな「一滴」にすぎない。
「利己的な遺伝子」の本のとおり、遺伝子に寄生されているだけか。
人はみな80年という期間限定の哀しい「物体」にすぎないのかも。
生まれる時も死ぬ時も、ひとり。
独りであることがに人間の基本。
いろんな妄想がかけめ駆け巡る。
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この記事へのコメント
最近になって2親等だの3親等だのについてネットで調べた。
私の6親等内にはまたその血縁への養子縁組が多い。
ただしもうみな高齢者です。
すでに亡くなった養子たちは、みな、死ぬまで、養子であることに恨みつらみを吐いていた。
今、生きている養子たちも、事あるごとに「養子だから」と、周囲からの特別な視線を感じて生きてきた、と話している。
私の両親は、たぶん実の親だと思う。
けど父は、事あるごとに「オマエはオレの子なのか?」と言った。
私は「さあ? はっきりしていることは法律上、私はあなたの子供です。だからあなたは親として、私は子としての役割を果たすのです、よ!!?」と答えた。
養子は、法定血族です。養子縁組することによって子としての親族法上の義務と権利を得ます。
父親というのは、自分の子供なのか?な? という不安は、だれでも常に心の片隅にあるのではないでしょうか?
母親は自分の身体から出てきたのでまぎれもなく自分の子だとわかるけど。 病院出産で「取り違えかも?」と思いつつそれでも自分の子として育てる決心をしたお母さんはすごい。
やっぱりお母さんです。
Posted by 匿名 at 2018年04月24日 03:07 | 返信
「自分は誰?」と幼い頃や思春期の頃に、
考えあぐねていた気がします。
生きるための永遠のテーマかも知れません。
また、それは煩悩なのかも知れません。
赤ちゃん取り違え事件が、51年前という近代にも
あったのですね。ドラマや小説の題材にあった
記憶もあります。近年では福山雅治さん主演映画
「そして父になる」がありました。
51年が経過して知る事実は、とても重く切ない
ですが、浮気を疑われて離婚された母上のご苦労が
偲ばれます。
血縁と愛の形は、言葉では語れない「心」がテーマ
です。
Posted by もも at 2018年04月24日 10:44 | 返信
何年も前に、父も母も夫も亡くなって、一人で子どもを育ててきましたが、いったいなんのために親になったのかと、最近よく考えます。子どもたちが巣立って、お一人様になって、長尾先生の勉強会にガンガン参加して、めいっぱい仕事がしたいです。
Posted by ふーちゃん at 2018年04月24日 11:21 | 返信
鍼灸学校の故田中昭三先生は、阪大薬学部の前身の薬学専門学校卒の人でしたけど、『ただのお産なのに、大学病院に行ってお産をしたら、大変ですよ。お産が済んでもなんか変やと言うから見たら、後産の胎盤も未だ出て無いのに「お産は無事終わりました」って、退院してきてる人が居ました。』と仰っていました。
そして「私の娘は産後に、乳腺炎になったのに、治してくれる女性マッサージ師が昔は大勢いたのに、最近は一人もいないんだ」と仰っていました。米山先生のお母さん先生は、視力障害がお有りでいらっしゃったので、鍼灸とマッサージの資格を持っていらっしゃったので、乳腺炎で熱の出たママさんが、女の赤ちゃんが、母乳が出ないと言って乳首を噛んで痛いと泣いていたのを10分程置鍼した後、外側から内側へ、辛抱強くマッサージをして、膿か乳の塊を出して十分に消毒して、いっぺんに治していらっしゃったのを近くで見学させてもらいました。ママさんは大変感謝していましたけど、お母さん先生は、なんだか照れ臭そうにしてらっしゃいました。息子の先生も置鍼だけで別の患者さんの乳腺炎を治そうとしていましたけど、置鍼だけでは乳腺炎は治らなかったと記憶しています。
昔ながらの産婆さんとかマッサージも、見直されても良い点が、大いにあると思います。
Posted by にゃんにゃん at 2018年04月25日 02:58 | 返信
誤解の無い様に申し添えさせて頂きます。
故米山先生の、今は亡きお母様は、視力障碍センターの前身である旧大阪盲学校をご卒業なさったので、マッサージの資格は、お持ちでしたけれど、妊婦の乳腺炎以外には、マッサージは、なさっていらっしゃいません。私が3年間弟子入りさせて頂いた間に、一人の乳腺炎患者さんに、必要な治療なさっただけです。
米山鍼灸院では、マッサージは、なさっていらっしゃいません。
私も鍼灸の免許は保持して居りますけれど、マッサージの免許は持って居りません。
弟子入りさせて頂いた鍼灸院でマッサージ治療をしていた様な誤解を持たれるコメントを投稿致し、お詫び申し上げます。
Posted by 大谷佳子 at 2018年04月27日 06:40 | 返信
私の弟子入りしました故米山義先生のお父様は米山博久先生です。
米山博久先生はご著書の中で常日頃から「鍼灸を保険でしてはいけない。鍼灸を保険制度の中に入れてはいけない」と何度も仰っていました。
米山義先生は、始め大阪鍼灸専門学校の理事になって、1~2年してから校長職も兼務しました。
どうしてそういう事になったのかは、私は既に開業していましたので、不明です。
米山義先生は、国の政策と、「鍼灸を保険でしてはならない」と言う、ご父君の教えとの板挟みになって、突然死しました。上手に仕組まれた殺人ではないかと、囁かれましたけれど、証拠はありません。「土方殺すにゃ刃物は、要らぬ。雨の三日も降れば良い」と言いますが、上手に殺すなあと思います。
Posted by 大谷佳子 at 2018年04月27日 07:40 | 返信
代田文彦先生は、本の中で「東大の大学院の物療科にいた時、ひどい胃の痛みが連日して、どうしても治らなかった。それを聞いた信州の母(元小学校の先生で結婚後は鍼灸師の代田文誌先生の助手をなさっていらっしゃいました)が、東京にやって来て、早速、私の足をマッサージしてくれた。すると私の胃の痛みは、立ちどころに治った。母が信州に帰ったので、私も直ぐ、信州に帰ってしまった」と書いていらっしゃいました。「だから、君たち鍼灸師も、治らないとか、ぐずぐず言わずにマッサージや指圧を勉強した方がいいよ」と仰っていました。
米山先生が突然亡くなって、日本鍼灸臨床懇話会は混乱状態でした。副会長の木下鍼灸師が「循環器の疾患」について講演した時「循環器の病気は、全て心電図に出ます」と言ったので、つい私は「労作性の狭心症は、階段を上り下りするとか、負荷をかけないと異常は出にくい時があります」と言ったことで、大ゲンカになって「出て行け!」と言われました。副会長は懇話会の規則を改正して私を追い出そうとしたので、ご病気で療養中の代田文彦先生にお手紙を書いて、「助けて下さい」とお願いしました。すると「私は、もう死にかけているのですよ。静かにして下さい」とお返事を頂きました。代田文彦先生が亡くなってから、懇話会の総会に、亡き文彦先生の奥様の瑛子先生がご参加頂きまして「自分の利益や、自分の偏見ではなくて、あくまで患者さんの為に、どう治療するかを研究してください」と、仰って下さって、有り難いと思いました。
感情的になった私の方も悪い所があったなあと思いました。
代田文彦先生は亡くなっても、お蔭様で日本鍼灸臨床懇話会は、若い鍼灸師が熱心に研究しています。
Posted by にゃんにゃん at 2018年04月29日 03:44 | 返信
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