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「認知症的生き方」
2018年05月03日(木)
昨日の記憶はあったほうがいいのか。
いや、敢えて無い方が、幸せなのか。
そして今と未来のみに専念できれば。
いや、敢えて無い方が、幸せなのか。
そして今と未来のみに専念できれば。
認知症の人は、ついさっきの記憶が無い。
楽しい会話をしても、丸ごと忘れている。
しかし、「今」、は誰よりもよく分かる。
右脳=直感脳は人一倍、敏感になってる。
まさに、「今」を生きる。
それが認知症になることである。
過去が無いので思い悩むことが少ない。
不安はまあ大きいが、「今の幸福感」のほうが上回る。
「今を生きる」ことができることは本当に素晴らしい。
さてそんな認知症の人に「未来」はどう映るのだろうか。
先日、丹野智文氏と話していた時に、ハタと気がついた。
彼は、1年前に私と会って食事したことは全く覚えていなかった。
しかし、来週私と会う約束になっていることは明確に覚えていた。
来週の予定は、詳細に頭に入っていたのだ。
これは私のはちょっとした「発見」だった。
過去は無く、今が全てであるが、
未来のことは、全部覚えている。
これって、素晴らしくない??
辛い過去の記憶、悔しい記憶は失われて
今と、楽しいだろう未来のみがある世界。
年を取れば近い過去のことは忘れがち。
でも明日の約束には胸躍らせる生き方。
それを「認知症的生き方」と勝手に命名した。
落ち込んでうつになるよりもずっと前向きだと思う。
私自身、そんな生き方を目指したなあ、と思う日々。
PS)
GWもずっと仕事だ。
でも、今を生きてる。
それでいじゃない。
TOKIOの皆さんも前を向いて欲しい。
そのほうが被害者の心の傷も癒える。
日本は、まもなく、大認知症時代に入る。
しかし、認知症的に生きることを認める社会ならば、世界一幸せな国かも。
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この記事へのコメント
一人暮らしの認知症の利用者さんがデイサービスに週3回通っていたのですが、病気で緊急入院してしまい、手術も受けました。病院で毎日必死にリハビリをしておられるので、退院後は、自宅に戻ってリハビリを続けながら、またデイサービスに戻れると思っていましたが、デイサービスからは、来ても運動もされなく、ボーっとしてるなら意味がないので、入浴だけのデイサービスとか、レクレーションのあるデイサービスに行ってくださいと。運動に熱心で優秀な利用者以外は受け入れたくないんでしょうか。「普通の生活に戻りたい。」その声が届かないんでしょうか。デイサービスやめて自宅でリハビリ続けようか、一緒に買い物に行って、家事ができるように頑張ろうか。デイサービスなんか行かなくていい。先生、わたし、泣きました。
Posted by ふーちゃん at 2018年05月04日 06:44 | 返信
認知症の問題は、記憶うんぬんという目に見えない症状よりも、現実的な日常生活の問題が重要ではないかと思います。
たとえば排泄コントロール。
今夜の出来事です。関東の私鉄沿線近くの午後11時頃のスーパー西友で、
レジ順番を待っている私の後ろの白髪の女性、
キチンと立って荷物もしっかり持ってます、でも、ふと目に入ったズボンの両股が裾まで濡れている。でも本人は気づいていない。なぜって、気づいていれば、レジに並ぶよりも急いでトイレに走るでしょう?
だれも、何も、言いません。もちろん私も見えてないふり。
レジ係の男子も、「奥さん、トイレは2階ですよ」なんて言わない。知らん顔してレジだけ通す。
これから、このような風景がフツーになるのでしょうか。
オシッコでズボンを濡らしながら買い物する老人がフツーになって、
誰も何も言わない見て見ぬふりする日本。
私だってスルーしますよ。
かかわりたくないから。
やっと自分の老人家族から解放されたのだもの。
見ず知らずの老人まで面倒看れません。
医療・介護の網に引っかからない認知症らしき老人が、どんどん増えると予測できます。
Posted by 匿名 at 2018年05月05日 01:44 | 返信
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