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在宅が親孝行とは限らない
2018年05月09日(水)
そんな記事が飛び込んできた。
誰かと思いきや、ワシやった。
在宅医が教える“介護の場所”「在宅が親孝行とは限らない」
(NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース →こちら
有名人の間に挟まれて少々恥ずかしいが、
女性セブンに載った記事がネットにアップ。
最近は、新聞や週刊誌の記事がそのままネットにもアップされるので
「誰の記事やろ?」と思って読んでいくと、「俺やんけ」という時も。
いろんなコメントが書き込まれて、ヤホーニュースは楽しい。
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多くの人が望む自宅での療養と最期を支える在宅医として、数多くの看取りを行ってきた長尾クリニック院長の長尾和宏さん。家族が悩む“介護の場所”について、力強いアドバイスをくれた。
* * *
在宅か施設か、病院かの択一ととらえない方がいい。今は療養形態も多様化していて、高齢の親の状態や介護する家族の生活や介護力に合わせて、自宅・施設・病院を行ったり来たり、自在にアレンジすることができるのです。
私の在宅医療の患者さんでも、月のうちほとんどを施設のショートステイで過ごし、自宅に帰るのは数日という人、呼吸器が必要で要介護5の親を在宅介護しながらフルタイムで働いている人もいます。
また天涯孤独のおひとり様で認知症や末期がんの人も診ています。つまり家族がいなくても大丈夫。介護の形にこだわって取り越し苦労をしなくてもいいのです。核家族で育った今の40~50代は人が老いて死ぬことを現実に見ていないから、戸惑い、介護のパッケージを求めてしまう。必ずしも在宅が親孝行とは限らないし、施設で気楽にと考える高齢者もいます。
大切なのは“あなたの親”に心を寄せること。たとえ施設や病院に入っても会いに行って話す、聞く。電話やメールでもいい。コミュニケーションこそが何よりの親孝行です。
これからは多死社会。死をタブー視するのではなく、人生の大切な最期の瞬間ととらえましょう。子世代はその時を心穏やかに迎えられるように環境を準備すべく、元気なうちから親子で話し合いを。親の人生の最終段階に、ぜひいい親子関係を築いてください。
※女性セブン2018年5月10・17日号
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この記事へのコメント
ヤホーニュースのコメントで
「一般には、年をとるほど、環境の変化がコタエます。ですから、記事中にあるように、
柔軟に介護の場を使い分けて介護するのは、介護される側にとってみれば、あちこち移動で混乱してしまうというマイナス面も考慮するほうがいいと思います。」
に同感。
同様に、田舎で一人暮らしの老親を同居のために息子や娘が住んでいる違った土地に呼び寄せるのも問題だと思う。
「あちこち移動で混乱」と同様に「職員がコロコロ入れ替わって混乱」もある。
同じ施設や病院であっても派遣職員だったり週1日だけのパートだったり、そういう職員を使わざるを得ない現実がある。
一番いいのは、自宅で自分で自分の身の回りのことができる状態で誰もがまだ死ぬと思ってないのにある日、死んでから発見されること。それをポックリ死というのかしら?
Posted by 匿名 at 2018年05月09日 01:08 | 返信
私は在宅介護を推進する為ブログを書かせて頂いてます。
先生も含め、多くの方が勘違いされてます。
介護の基本中の基本は「自己決定権の尊重」なのです。
60歳の方にアンケートすれば、80%の方が将来は自宅で暮らしたいと答えられます。
ですから、親が「自宅で暮らしたい」と思っているのなら、それを叶えるのが親孝行であるのです。
在宅介護自体が親孝行ではないのです。
もちろん、いろいろな事情がありそれを叶えるのは難しいこともあります。
私は何が何でも特攻隊精神で在宅介護すべきとは言っておりません、例えば働き盛りの方が介護離職すれば、家族は路頭に迷うことになります。
そういう場合は、施設入所も選択肢に入れるべきだと思っています。
最後に私はあらゆる介護施設で働きましたが、利用者の8割は「在宅介護が出来ない」から入所しておられなく、「在宅介護は出来るけど、在宅介護はしたくない」理由で入所されています。
このことに心を痛めて、高齢者の自己決定が尊重される社会にしなければと思いました。
高齢者の自己決定が尊重される社会になれば、最高だと私は思っております。
Posted by 和賀英良 at 2018年05月09日 08:19 | 返信
和賀英良さんのコメントに賛成です。
「私は、こう言う風に親の介護をしました。その介護で、こういう問題点を持ちました。こう言う風に工夫したらよいのではないでしょうか?我が国もこう言う点で助けがあればいいなあとおもました。」と話し合えば良いと思います。親もいろいろ、経済状態もいろいろ、介護家族もいろいろ、多様性を認めて欲しいです。私は、父があれこれ、母の介護をできるように、ある程度考えてくれていました。相続した株をリーマンショックの前に売り逃げて、年金保険の支払いに当てましたので、生活費は、母と私で半々に出しました。相続税も、払いました。
でもご両親が「家で暮らしたい」と仰ってやむなく介護離職している方も大勢います。ドイツでは介護施設が99%充実しているので、ごく少数の介護家族には、介護手当が出ています。
日本は家族介護する家族には全く介護手当が出ていません。
ヘルパー2級の資格を取って他人様の親の介護をすると、国からお給金が出ますが、自分の親の介護をしてもお金はもらえません。
ですから、親の年金で、親子が、ほそぼそと暮らすのです。親がお亡くなりになれば、子供は自殺するしかありません。親の年金で食べて悪い事はありません。
話はかわりますけど、猫の問題でもドイツはワシントン条約を守るために国家行政が猫を捕まえて避妊手術をして、エサをやっています。日本は動物愛護団体や、社会党市会議員が運動して市民が猫の避妊手術をして餌をやっています。
介護保険もドイツを見本にして施行しているというけれど、中身は全く違います。
子供が親の介護をして年金で暮らして、何が悪いのですか?
多様な介護があって良いと思います。
Posted by にゃんにゃん at 2018年05月09日 12:23 | 返信
和賀さんへ 「高齢者の自己決定が尊重される社会になれば、最高」この点、私も100%同感です。同時にそれは「高齢者の自己決定(高齢者の希望)を実現するために、その家族が自分の人生を犠牲にする」ことを意味しませんよ、ね。
しかしながら多くの場合、「高齢者の***だったらいいな」は、「家族が自分の思い通りに動いてくれたらいいな」と同義なのです。
基本的に、100%うまくいっている家族(介護にからむのは直系尊属)なんて、いないと、私は思います。直系尊属だからうまくいかない関係の方が、むしろ多いです。
長年の家族(直系尊属)関係が、親の介護を左右します。
(・・・今でもなお、嫁に義父義母の介護をさせようとする笑止千万な風潮が残っているようですが、あくまでも法的な身上配慮義務は直系尊属が負担します。ご存じのはずですが、身上配慮義務はありますが誰に対しても直接介護義務はありません。)
和賀さんの表現からは、「経済的に働かなければならない」理由以外で、在宅で生活したい親を在宅介護しない子供を否定しているように読めます。在宅介護を強要すると、精神を病む子供世代がどんどん増えますよ。
匿名から和賀英良への返信 at 2018年05月09日 05:48 | 返信
和賀さんへ その2 現在の在宅介護制度の一番のネックは「在宅介護=要介護者以外の誰かが責任者となる」点にあります。
具体的には、訪問介護事業所と契約するにも、在宅訪問診療契約も、要介護者ではない「健常人」が契約者となります。長尾クリニックは要介護者本人が契約者でも受け入れるようですが、ほとんどの場合、要介護者の配偶者や子や親戚が「在宅医療・在宅介護契約の責任者」となります。
そして責任者となった配偶者や子や親戚に求められている内容は、旧来同様の「親密な家族介護」であります。
物理的にやるべきことをやればよいというレベルではない。在宅の責任者が直系尊属すなわち「子」であればなおさら、微に入り細に入り「要介護者の要求に沿った行動」を要求されます。要介護者のわがままや自分勝手や専横や価値観の押し付けや悪口の言いふらしや罵詈雑言、「家族」ゆえの暴力にも、耐えねばならない。一日に何回か15分か30分だけ訪問してくる介護職員にはとても「好い子」な老人も、配偶者や子に対しては「鬼畜」と化す。
このような現実をご存じない医療介護業界人はとても多いです。むしろ、配偶者や子ゆえの困難を知らないから、過剰な要求をするのだと思います。
他人が責任者となる場合には「成年後見人」が出てくるわけですが、この成年後見制度の問題については長尾ブログを検索して読んでください。実に様々な問題があります。
このように「高齢者の自己決定を尊重する」といっても、「それを実現するために高齢者本人以外の第三者が責任を取らなければならない」現実をめぐって様々な問題があります。
現時点での結論としては、家族や親戚が存命中の場合にはやはり、家族や親戚が身元引受人となって、要介護者を適切な施設に入居・入所させて衣食住医のお世話をしていただくことが、一番、家族や親戚の負担が少ない、これが現実ではないでしょうか。
匿名から和賀英良への返信 at 2018年05月09日 06:36 | 返信
和賀さんへ その3 一番良いのは、要介護高齢者本人が、家族・血縁者や後見人に頼ることなく自分の人生の幕引きに自分自身が責任を持って対峙することです。
独居要介護者が、最期まで自宅で一人で生活して、自宅で一人で死ぬことが当たり前になれば、一番良いと思います。在宅訪問介護・医療の倫理性と質が向上すれば可能であると推測します。
しかしそこへ至るには、孤独死と大騒ぎする日本的な人生観や死生観が変わっていくことが必要です。自宅で一人で亡くなって発見された場合に警察を呼んで死因追及のために司法解剖、という最悪ルートがはびこっている現時点では、まだまだ先のハナシです。
現時点ではやはり、介護施設に頼らざるを得ない部分が大きい。介護施設の質を改善することが急務であると考えます。
匿名から和賀英良への返信 at 2018年05月09日 06:45 | 返信
匿名様、コメントありがとうございます。
大変参考になるコメントで何度も頷きながら拝読させて頂きました。
これからも、在宅介護をされてる方々の応援のブログを書かせて頂きたいと思います。
他の方々の介護に関する考えも大いに参考にさせて頂きたいと思います。
和賀英良から匿名への返信 at 2018年05月11日 06:46 | 返信
コメントありがとうございます。
にゃんにゃん様の提案に賛成いたします。
「介護施設の質を改善することが急務である」、これは痛切に私自身感じております。
ただ、私は在宅への行政への支援が今以上になっても在宅介護はそんなに増えないのではとも思います。
極端な話、「100万円あげるから在宅介護をしましょう」と言っても、されないのです。
何故ならば、在宅介護をしたくないというのは、その方の人生観だからです。
じゃあ、どうすればいいのか。
そのあたりをまた、ブログで書かせて頂きますので、また読んで下さい(笑)。
和賀英良からにゃんにゃんへの返信 at 2018年05月11日 06:58 | 返信
私は、最低のまずい母の在宅介護をしました。デイサービスに行くとか、施設でショートステイをするなどという事は、残念ながら私も母も希望しませんでした。
それは、母が「無農薬の野菜の共同購入」をしたくてキリスト教の教会に行って、そこで知り合った高齢婦人が、介護保険を利用して無念な最後を遂げたからです。その高齢女性は、最近胃がんの、ご主人の看病をして見送ったばかりでした。私も母もクリスチャンでは無かったので、詳しい事は知らなかったのですが、彼女はご主人が亡くなってから、徐々に弱っていたようです。後に平成15年3月22日に、市役所の主催した市フォーラムに、大阪府成年後見支援センター所長の「老人虐待防止委員会」の大国美智子阪大大学院教授に「尿漏れがある。足元がふらつく。物忘れはそんなにひどくない。の3兆候から正常圧水頭症ではないかと思われますが、実際に診ていないのでわかりません」とアドバイス頂いて、そうだったかもしれないと思いました。でも平成14年当時は、そのようなことは誰も思いつきませんでした。教会関係者は皆彼女の事を心配して「いつ転倒して大事故になって寝たきりになるかもしれない」と思って、ヘルパーさんの派遣をして貰ったり、「老人福祉法」を利用してお医者さんの費用を、安くしてあげたりしました。そんな中で、特養に一泊だけショートステイに行ってみました。一泊だったので彼女も元気に帰って来ました。でも正月を挟んで10日間、その特養に入居している利用者さんが、息子や娘の家に帰ってお正月を迎えるので、空き室が出るので、その代りに彼女が10日間ショートステイに行くことになりました。残っている利用者さんは重度の認知症の方が多く、夜中に大声に怒鳴ったり、暴力をふるったり、ご飯も、おかずも手でコネて食べたり、彼女は「私も、こうなるんだ」と思うと、血圧が上がってクタクタになって、正月明けの4日に自分のマンションに帰って来ましらた。その後彼女は心不全を起こして、倒れました。あくる日ヘルパーさんが来て、カンヌ三は開かないし、大騒ぎになって、教会関係者の医師夫人の考えで救急車とレスキュー隊が来て窓ガラスを割って、ベッドのそばで倒れている彼女を見つけて、救急病院に収容しました。その救急病院で、彼女は転倒して、股関節骨折をしました。死んだ主人の姪たちが来て笑いながら「おばさんの面倒は私が見て上げる」と言って全財産を盗って行きました。実は彼女の実家の弟が、「姉の面倒は、一切死んだ主人の姪に任せるので、口出ししません」と一筆書いて送っていたのですが、そんなことは、教会関係者も、私も一切しりませんでした。死んだ主人の姪は、京都も西陣病院で彼女の股関節の手術を受けさせて、その理由で、マンションも売ってしまいました。彼女を京都の老人ホームに入れる計画でしたが、京都は施設は作らないで、在宅介護をさせる方針だったので、またしても、教会に頼むことになって、元のマンションのある町の特養に戻って来ました。私もそれを聞いて、できるだけ面会に行きました。でも私の街も自治会で防災防犯委員を2年間もやらされて、忙しくしている間に彼女も死にましたし、母も大動脈解離で死にました。
そう言う状況が、母の一番の友達である彼女に降りかかったので
私も母もデイサービスも、施設でのショートステイも信用しませんでした。デイサービスに行くとショートステイを勧められ、ショートステイに行くと、老人ホームへの入居を勧められる恐怖がありました。このような感情を持つ私がケアマネジャーの資格を持っているのは、おかしいのかも知れません。私は、近所の人や、知り合いには、できるだけ在宅介護を進めていますが、家族が働いていた李、病気になれば、施設に入居するのもやむを得ないと思います。
母の友達が、デイサービスや、施設に、入居して幸せになったのを確認していたら、母も私もデイサービスや施設を利用させて頂いてと思います。
Posted by にゃんにゃん at 2018年05月13日 01:56 | 返信
前に約束させて頂きました、「どのようにして在宅介護の社会にするのか」の私の見解を読んで頂ければ嬉しく思います。
良かれと思ってされたことが、悪くなってしまうことは多々あります、私も父の在宅介護は後悔の連続です。
失敗したことをいつまでも悔やむのではなく、それをどう活かすかが大切ではないのでしょうか。
今、にゃんにゃんさんは過去のことにきちんと向き合っておられます。
貴女は立派なケアマネだと私は思います。
和賀英良からにゃんにゃんへの返信 at 2018年05月18日 08:23 | 返信
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