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介護医療院が在宅医療に与えるインパクト

2018年05月17日(木)

日本医事新報5月号は「介護医療院が在宅医療に与えるインパクト」
という題で、勝手な想像を書かせていただ頂いた。→こちら
在宅医療の質の向上が喫急の課題だと思う。
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日本医事新報5月号  介護医療院が在宅医療に与えるインパクト
 
病院化する施設在宅

  在宅医療への強い誘導政策が10年以上続いている。今春の診療報酬改訂では「かかりつけ医機能」の条件のひとつに加わった。一方、一人の患者さんを複数の医療機関が連携して訪問診療することも正式に認められた。医療の専門分化や高度化に伴う患者側からの多様な医療ニーズに対応した結果である。しかしその結果、一部の介護施設では1人の入所者に対して内科、精神科、泌尿器科、皮膚科など数ケ所の医療機関が訪問診療するケースが増えている。認知症の人を閉じ込めた結果、周辺症状が強くなると施設管理者は家族に精神科専門医や認知症専門医への受診を勧める傾向がある。外来診療のみならず在宅においても多重受診は必然的に多剤投与を招く。高齢者への多剤投与は転倒だけでなく認知症リスクを高めるので好ましくない。しかしそうした手厚い(?)医療体制を一種のステイタスとして自慢する介護施設も出てきている。無条件に医療を崇拝する介護スタッフは少なくない。特に終末期や看取りになると当然、医療への期待が高まる。

  在宅酸素療法の保険適応が末期がんにも拡大された。そのため多くの施設看取りは酸素吸入下で行われている。あるいは最期まで高カロリー輸液をする施設在宅もある。つまり最期まで延命治療=絶対的善、というかつての病院医療の価値観が介護施設においても踏襲されている。そもそもがん細胞はブドウ糖と酸素を好むので終末期患者さんにはある時点からそうした介入は不利益に転じる。つまり多くの医療には「やめどき」があり、適当な時期にギアチェンジをして緩和ケアを柱として自然な経過に任すことが「穏やかな最期」の条件である。しかし施設や在宅においても臓器別縦割りの医療が提供できる体制になった結果、皮肉にも「施設や在宅でも平穏死できない」という声も聞こえてくる。また病院から在宅に紹介される終末期患者さんの「管」が増えている。医療依存度が高いからという理由で「最期は急性期病院送り」となるケースは稀ではない。しかしもはや一般病床は終末期患者さんの受け皿にはなり得ない。
 
 
遠くなる総合診療

  本来、在宅医療は総合診療である。プライマリケアや家庭医療や全人的医療とも言えよう。しかし年々医療連携が複雑化するので本来の在り方とは掛け離れた姿に変容している。総合診療には常にアゲンストの風が吹き、年々強くなる。一方、地域包括ケアにおける多職種連携という言葉、は美しい。しかし現場は書類や事務作業が増える一方で、過重労働が懸念される。制度の複雑化についていけないと、在宅医療を諦める医師も出ている。まもなく還暦を迎える私自身も診療そのものは楽しいが制度の複雑さと深夜の往診に振り回されている。訪問看護師も志が高いほど疲弊し易い傾向は変わらない。残念ながら在宅医療はいまだ「働き方改革」の枠外に置かれている。在宅医療の本質とは真反対の方向に政策誘導されているからである。統合や一元化とは矛盾する政策に振り回されている。その結果が「在宅医療の病院化」である。1人の要介護者に病気別に何人もの「○○専門医」がつくのであれば急性期病院と同じであり、総合診療という概念はまさに絵餅となる。

  一方、地域の中小病院が在宅療養支援病院として在宅医療に積極的に参入している。在宅患者を後方支援する地域包括ケア病棟も順調に増えている。しかし病院に併設された訪問看護ステーションの中には絶対に在宅看取りはしない、すべて自分の病院に運んで看取るという所もある。元のかかりつけ医に在宅主治医を依頼する場合も病院の訪問看護ステーションと連携しないと帰さない、という所もある。その病院の医師が忙しくて往診できないか往診を嫌がるからだという。もっとも台湾における在宅医療は開業医は昼間だけで、夜間対応は地域の中小病院の医師や看護師が往診している。台湾は病院と診療所の役割が明確に線引きされているが、日本においては両者がカオス状態にある。しかし将来、多くの地域ではマンパワーが豊富な中小病院が在宅医療の主役を担うのだろう。
 

「介護医療院」という考え方

 18年4月より「介護医療院」が新設された。これは介護保険下の、医療を内包した施設である。「長期療養のための医療」と「日常生活上の世話」を一体的に提供する機能を有する。つまり生活の場であると同時に医療法上の医療提供施設であり、在宅と行き来もできる。また看取りの場、終の棲家でもある。もちろんACPや緩和ケアも励行される。なによりも夜間も看護師や医師が居ることが最大の特徴である。その開設主体は地方公共団体や医療法人や社会福祉法人等の非営利法人である。廃止が決まっている介護療養病床や老健からの転換が予想されている。既に介護医療院協会が設立され転換支援策が設けられているので、2021年3月末までに相当数が介護医療院に転換すると予想されている。そして来年には「日本介護医療院学会」の設立が予定されている。医療経済的には「病院化する施設在宅」よりも「介護医療院」のほうが合理的であろう。

  さらに日本慢性期医療協会の武久洋三会長は認知症専門の介護医療院として「認知医療院」を提案している。認知症が高度の人のために精神病院の空きベッドを「認知医療院」として活用することを提案している。認知症の人が急増するなか、在宅医療のバックベッドとして求めるべきは一般病床ではなく良質な慢性期病院や介護医療院であろう。本人が「延命治療は望まない」と言っても家族が許さないのが医療・介護現場に共通する悩みである。特に認知症の人の医療の意思決定支援は今後の大きな課題である。もし生活の場が一元化できるのであれば減薬やACPもやり易い。在宅でも施設でも無理、という認知症の人を誰がどこで看るのか。新設されたばかりの介護医療院、ないし将来的には認知医療院が大きな鍵を握っている。


 
在宅VS施設VS認知医療院
 以下、3年後の日本の療養の場を勝手に想像してみた。要介護度が高い人のための特養は残っているだろう。一方、アミニテイーに恵まれたサ高住や有料老人ホームも介護度が低い富裕層を対象に残るだろう。小規模多機能は看護付きのものに移行するとして、医療面や夜間対応を重視する家族は介護医療院を選ぶかもしれない。お泊りデイは、小回りがきく地域密着型として一定のニーズがある。そして昼間独居者や完全独居者で本人の意思が不明な人には周囲から介護医療院を勧められるのではないか。

 そのように考えると介護医療院は大きな可能性を秘めていると感じる。同時に自宅の在宅医療や他の介護保険下施設と競合する可能性がある。自宅での在宅医療は残るが在宅療養支援病院が主役となる地域もあるだろう。施設においては医療を重視する人と、個別的介護を重視する人に分かれるだろう。現在推進されている「かかりつけ医型の在宅医療」はどうなるのか。末期がんを多く診て看取りの実績が多い診療所は引き続きニーズがあるだろう。かかりつけ医として在宅で診ている人がもし肺炎や骨折を起こせば家族が気軽に介護医療院を希望することが増えるかもしれない。これらの療養の場の選択には当然自己負担額に大きく左右される。いずれにせよ高齢者の療養の場は、在宅か施設か介護医療院(もしくは認知医療院)の3択になるのではないか。介護医療院が増えれば、昔ながらの自宅での在宅医療はどこかで頭打ちになるのではないか。開業医が提供する「かかりつけ医型の在宅医療」は介護医療院の動向に左右されるだろう。そのインパクトは決して小さくないと思う。地域包括ケアのカタチは新たなステージに移ろうとしている。
 
 

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