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「認知症鉄道事故裁判」をどう活かす

2018年06月13日(水)

日本医事新報6月号は「認知症鉄道事故裁判をどう活かす」で書いた。→こちら
先日、2日連続でやった認知症市民フォーラムの総括として、書いた。
少しずつでもいいので認知症に対する世間の理解が深まれば嬉しいな。



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日本医事新報6月号  

「認知症鉄道事故裁判」をどう活かす    長尾和宏
 
11年前の認知症鉄道事故裁判

 認知症の人が誤って線路内に入り列車にはねられ死亡した事故を覚えておられるだろうか。2007年12月7日の夕方、愛知県大府市で要介護4の認知症の男性(当時91歳)が当時85歳の妻が数分間目を離した隙に外出して列車にはねられて死亡した。大府市といえば認知症の研究機関である国立長寿医療研究センターがある所だ。実は10数年前、私が在宅で診ていた認知症の男性も今回の事故とまったく同様な事故で亡くなられた。しかしその時は事件にならなかった。一方、大府市の事故ではJR東海が家族に損害賠償請求をおこし一審、二審ともに家族の監督責任を求めた。一審では離れて暮らす長男の監督義務を、二審では同居の妻の監督義務を求めた。しかし2016年、最高裁は家族の監督は困難として賠償責任無しとし、JR東海は逆転敗訴した。

 もしも最高裁が一審、二審と同様に家族に賠償責任を求めたならば、どうなっていたか。認知症の人は早々に在宅療養を諦めて施設入所させよとなっていたかも。あるいは自宅や施設内での監視強化の方向に向かったはずだ。「閉じ込め型介護」が加速したはず。
一方、介護訴訟を恐れるあまり拘束だらけになっている施設もある。こうした牢屋型介護がどれだけ患者さんの尊厳を奪っているのか。だから最高裁判決は大きな意味があった。「閉じ込める」という行為は「認知症の人を地域で見守る」という地域包括ケアや新オレンジプランの考え方と矛盾している。
 

市民フォーラムで長男が講演

 去る5月11~12日に尼崎市で認知症フォーラムを開催した。今回は2日間連続の企画とし、「認知症事故」と「マニュアルのない認知症ケア」と「認知症当事者からの発信」を3本柱にすえた。全国各地で評判になっている映画「ケアニン」の上映も行った。冒頭に大府市での鉄道事故の検証を行った。亡くなられた男性の息子さんである高井隆一氏をお招きしてお話を聞いた。一連の経緯を詳しく述べた「認知症鉄道事故裁判」(ブックマン社)が出版されたばかりである。あらためて一審と二審の判決理由を聞き愕然とした。裁判官は「父親が認知症であるにも関わらず専門医にかかっていなかったこと」を過失として問うたという。つまり「認知症なのに町医者が診ていたこと」が判決理由であった。実際は長寿医療センターで認知症と診断され、病診連携システムで近くのかかりつけ医に逆紹介されていた。しかし裁判官は医療連携という言葉を知らなかった。認知症=難病=専門医、という図式しか頭の中に無かったようだ。認知症700万人時代に国が推進する「かかりつけ医制度」とは真反対の判断をしていた。

 今後、認知症に関わる事故が増えるだろう。最高裁判決を受けて大府市は「認知症に対する不安のないまちづくり推進条例」を制定。神戸市も「認知症の人にやさしいまちづくり条例」を制定した。認知症に関わる事故を行政や社会が担保する流れに転換しつつある。NHKは一介の町医者が企画したイベントの様子を3回も放映した。高井氏に続きあおいケアの加藤忠相氏は「マニュアルのない認知症ケア」という話をした。とても衝撃的な話と映像に満員の聴衆は深く感動した。対談の中で加藤氏は「高井さんで良かった」と言われた。普通の人なら諦めていただろう。一審での720万円の賠償命令が二審では360万円に減額されたところで手を打つはずだ。しかし高井氏だったからこそよくぞ闘い続けて逆転勝訴をつかんでくれた、という意味である。その執念こそが日本の認知症ケアの転落を防ぎ、加藤氏が啓発する認知症ケアがある。認知症ケアにおける尊厳とリスクは両立しない。これを司法界だけでなく一般市民にも啓発すべきである。
 

 
賠償保険の落とし穴

 高井氏の話のなかで愛媛県今治市でのサッカーボール事故裁判が出てきた。公園で小学生が蹴ったサッカーボールが道路に飛び出し、自転車に乗った高齢者がボールを避けようとして転倒した。その入院がきっかけになり最終的に亡くなられた。家族は子供の親の監督責任を問い約4000万円を請求した。しかし最高裁で無罪が確定。たまたまその判決の直後が彼の最高裁裁判だったので有利に働いたのではないか、と語られた。公園でサッカーをして遊ぶ子供も散歩中に道に迷う認知症の人も、当然悪気はない。しかし万一の事故が起きる可能性がある。事故で損害を受けた側の補償や賠償責任を、誰が負うべきなのか。社会や行政の担保だけでなく、認知症保険という発想も出ている。

 しかし「保険があるから事故が起きても大丈夫」となるならば本末転倒だ。「保険に入っているから暴走運転してもいい」と同じで、安全システムの構築が大きな課題となる。認知症保険などの民間保険への加入も一法であろう。しかし家族との関係が希薄だったり家族が監督責任を放棄するケースもあるだろう。今回の事例は「認知症と損害責任」だけでなく「賠償制度の落とし穴」を社会に突きつけた。

 
「徘徊」は差別用語?
 高井氏は「徘徊」という言葉について考察もした。徘徊とは「目的もなくウロウロする行為ではなくちゃんとした目的がある」と述べた。目的はあるけども判断を誤っているだけだと。駅のホームから降りて小便をしようとしていた所に電車が来ただけであると。考えたら駅のホームから簡単に線路内に降りられる構造も検証されなければいけない。お父様の死が「徘徊事故」と呼ばれたことに対して高井氏は「認知症は何も分からない人ではない」と強調した。「徘徊」という言葉を使わない提案をされた。仙台から駆け付けてくれた39歳で若年性認知症と診断された丹野智文氏も同様の発言をされた。もし侮蔑的な意図で「徘徊」という言葉を使っているのであればやめるべきだ。すでに福岡県大牟田市を筆頭に「徘徊」という言葉を使わない自治体が増加している。

 では何と言えばいいのか。「ひとり歩き」や「散歩中に道に迷う」と言うらしい。しかし長いし言いにくいと感じる。私はいつも講演の中で「人生は徘徊である」と言って笑わせてきたがそれもできなくなるのか。いや、差別用語だと怒られても敢えて「徘徊」という言葉を使おうかなと迷っている。「痴呆」が「認知症」という病気に昇格した結果、投薬・管理の対象になったことに対抗して敢えて「ボケ」という言葉を使い続けている。言葉狩りで解決する問題ではない。「目的も無く」とのことだが、私は時間があると「目的も無く」街をうろつくのが趣味だ。人生がすべて目的に向かって進むものではない。ダラダラと生きるのもアリで、私の人生はまさに「徘徊」そのもの。認知症の人こそどんどん外出すべきである。散歩して外食して旅行することで認知症の諸症状が改善することを広く知ってもらいたい。

 認知症の人の事故は今回のような鉄道事故だけではない。自動車や自転車の事故もあれば台所や風呂の火の不始末による火事もある。一方、老老認認介護やおひとりさまの認知症が標準、という時代がまもなく到来する。独居の認知症高齢者に対して近隣からの心配は、火の不始末への懸念である。そこで24時間定期巡回型訪問看護・介護の推進や火の出ない電磁調理器への移行などの対応が急がれる。
最後に皆さまに提案がある。全国各地でたくさん開催されている認知症フォーラムであるが、時には「徘徊」をテーマにしてはどうか。「徘徊」が差別用語かどうかを真剣に議論してみてはどうだろう。その議論の中で地域包括ケア(略して、地包ケア=痴呆ケア)の本質が見えてくる気がする。そしてそれが高井氏のお父様への最大の供養になるのではないかと思う。

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