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日本人の死生観 「ホスピスに馴染めない」日本人が望む死のかたち

2018年11月13日(火)

「臨床腫瘍プラクテイス」というがん専門医学誌から原稿依頼が来たので書いた。→こちら
日本人の死生観「ホスピスに馴染めない」日本人が望む死のかたち という小文。
皆様は「ホスピス」と聞いて、どんなイメージを持っているのだろうか。


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エンドオブライフケアと在宅緩和医療
  • 日本人の死生観  「ホスピスに馴染めない」日本人が望む死のかたち  長尾和宏
 
「畳の上で死にたい」は可能なのか
 
 かつて多くの日本人が望む死の形は「畳の上で死にたい」であった。「畳」とは住み慣れた我が家の象徴であり、あるいは家族に囲まれた最期を意味していた。多くの日本人の死生観とは管理された空間ではなく日常生活の中での旅立ちであったのだろう。では現在、どれくらいの日本人が自宅で最期を迎えたいと願っているのだろうか。病態や年齢や調査方法にもよるだろうが、概ね「6割の日本人が自宅で最期を迎えたい」と考えていると報告されている。しかし現実には、自宅で最期を迎えているのは「1割」に過ぎない。介護の負担を懸念し「家族に迷惑をかけるから」と不本意ながら病院に入る人が多い。末期がんの場合は、ホスピス入所を希望される人もいる。結局、約8割の人が病院で最期を迎えている。こうした「病院の時代」が40年間続いている。このように希望と現実の間には大きなギャップが存在する。その理由は、家族の強い意向や本人の心変わりや不安などで説明されている。

 筆者は尼崎市の下町で開業して24年目になる町医者である。外来診療の合間に在宅医療を行ういわゆる「ミックス型診療所」である。これまで自宅で看取った患者さんが1000人を超えたが、その約半数ががん患者さんであった。私はかつて病院でも多くの看取りを経験してきた。多くの臨床経験から最期の10日間の医療内容により最期のカタチが大きく変わることに気がつき、「平穏死」と題する著作を何冊か書き世に問うてきた。端的にいえば平穏死とは「枯れる最期」であり、その方が痰や咳で苦しまないどころか長く生きられる。平穏死はがん・非がんを問わない概念である。また早期からの充分な緩和ケアが土台である。平穏死は石飛幸三先生の造語であるが、自然死・尊厳死とほぼ同義である。現在、多くの国民が望む平穏死が叶う人は1割である。8割の日本人は最期まで多くの点滴をするので溺れてもがきながら死んでいるのが現実だ。世界中で多くの国民がベッドの上で溺れて死ぬのは日本人だけである。

 
 
「完全独居の末期がん」の看取り率は100%
 
 日本人の独居率は年々増加している。独居の定義にもよるが、概ね3~4割程度と認識している。いくら仲がいい夫婦でも一人が死ねば、その時から単身世帯になる。近い将来、 日本人の半数以上が独居になると予想されている。病院の退院支援や退院前カンファレンスに顔を出すと、必ず「この人は独居だから在宅はちょっと・・・」という声が必ず聞こえてくる。いまだに独居が特殊なものだと認識されているようだが一般的な姿だ。本人が強く在宅復帰を望んでも地域連携室のスタッフが頭ごなしに「あなたは在宅は無理」という烙印を押されることが少なくない。果たして独居高齢者の在宅療養や在宅看取りは可能なのだろうか。

 実は私は2017年春から「独居高齢者の在宅看取りができる街づくりプロジェクト(勇美財団)」のリーダーを拝命している。全国の在宅仲間と独居の看取りに関する講演会やシンポジウム、そして大がかりな演劇やDVD製作などで独居高齢者の在宅看取りに関する啓発活動を続けている。もしかしたらそんな冊子や演劇映像をすでにご覧になった先生がおられるかもしれない。

 私自身の日々の診療を紹介するなら、独居の認知症や末期がんの在宅療養だらけである。そして看取りも普通に行っている。もちろん本人がそれを強く希望して家族の同意が得られることが前提となる。認知症の場合は介護保険サービスに加えて、24時間定期巡回型訪問介護や民生委員さんの協力を仰ぐことになる。なかでも身寄りがまったく無い人の看取りは極めて容易である。そんな経験が無い先生がそう聞くと驚かれるかもしれない。しかし「反対する家族がいないから」と言えば腑に落ちるであろう。在宅でも病院でもエンドオブライフケアに対する希望は多くの場合、本人の希望と家族のそれは真反対になる。たとえば本人が強く在宅療養を望んでも家族が入院医療を希望して、家族の意志のほうが優先されるのが日本の医療の特徴である。蛇足ながらそんな国は先進国では日本だけであり、完全にガラパゴス化しているが多くの日本人は気がついていない。そんな状況であるからこそ、「完全独居の末期がんの在宅看取り率は100%」という意味が御理解できると思う。ちなみに末期がんで在宅医療を開始して看取りまで行う確率は、当院の場合、8~9割である。在宅緩和ケアのデイバイスが発達して病院と同様に在宅でも使用できる恵まれた皆保険制度の中、家族の反対が無ければ技術的にはほぼ100%に近づくだろう。そうした中での100%である。

 
 
「緩和」や「ホスピス」という言葉への偏見
 
 「早期からの緩和ケア」、「がんと診断された時からの緩和ケア」という言葉がよく聞かれる。そもそもそんなキャッチフレーズはいつから始まったのか。答えは1990年当初からであり、既に四半世紀を超えている。しかし現在においてもなお早期からの緩和ケアの履行率は残念ながら低い。いや、分子標的薬や免疫チャックポイント阻害薬が発達すればするほど、治療に夢中になるあまり緩和ケアが後回しになる傾向にある。これは医学の宿命かもしれない。しかし患者さんの立場や平穏死を啓発する立場から言えば、緩和ケアは第4のがん治療であり、生存期間やQOLを延長させる事実は論を待たない。

 末期がんの人を平均どれくらいの期間、在宅で診るのか。がん種や年齢や合併症にもよるだろうが、全国の在宅医にアンケートを取ると平均1ケ月半となる。介護認定まで概ね1ケ月かかるが介護認定結果が出る前に亡くなる方は少なくない。しかも最期の10日間まで比較的元気でQOLが保たれているのが末期がんの特徴である。

 しかし一般市民には「緩和」や「ホスピス」という言葉への偏見が根強い。「緩和」や「ホスピス」という言葉を口にしただけで息子さんに胸ぐらをつかまれ抗議されたり、大泣きされたた経験がある。そんな反射的行動は「緩和」や「ホスピス」という言葉が直接的に「死」をイメージさせるからであろうか。この世に生まれた瞬間から絶対に避けられない「死」を意図的にタブー視してきた日本社会の負の側面だろうか。「緩和」や「ホスピス」という言葉は医療者と市民では時に受け取り方が全く違うことを知っておかねばならない。同時に、決して死の宣告ではなく命を延ばし輝かせるものであることを強く啓発すべきと考える。

 
「在宅ホスピス」という選択肢
 
 「ホスピス」と聞くと緩和ケア病棟をイメージする人が多いだろう。一般市民は、緩和ケアよりも「死に場所」「天国のような所」をイメージするかもしれない。ちなみに私自身は「比較的自由な病棟」をイメージする。動物を連れ込んで酒を飲んでもいい病棟、といった感じだ。以上はあくまで「施設ホスピス」の話である。

 では「在宅ホスピス」と聞くとどんなイメージだろうか。在宅で診ている患者さんの中には真顔で「先生、在宅ホスピスを紹介してください」と懇願する人がいる。「ここですよ。この部屋が貴方のホスピスですよ」と言ってもキョトンとしている。もしかしたら病院のがん診療スタッフにも「在宅ホスピス」という言葉は馴染みが薄いかもしれない。看護学校では1年生からアーリーエクスポージャーで在宅ホスピスが実習に組み込まれているところがある。しかし多くの医学生や研修医は臨床実習や地域研修のなかでチラッと見るか見ないかとう程度であろう。在宅ホスピス医は施設ホスピスを知っているが、逆の関係性にはかなりのバラつきがある。同じ役割を担っている医療者同志、密接に情報交換・連携する必要がある。

 この項を読まれている多くのがん診療スタッフの皆さまには是非とも「在宅ホスピス」という選択肢もあることを知って頂きたい。その詳細は週刊朝日ムック「さいごまで自宅でみてくれるいいお医者さん」をご覧頂きたい。全国約2000人の実績のある「在宅ホスピス医」が、厚労省に届けている毎年の診療実績とともに紹介されている。私が監修させて頂いたが、病院スタッフが各地域にある「在宅ホスピス」というものを知る近道であると思う。

 
 
在宅医とホスピスへの2通の紹介状
 
 大病院から退院する時に、患者さんに2通の紹介状が渡されることがある。1通は在宅医宛てで、1通は施設ホスピス宛ての紹介状である。その気持ちは分かるが、在宅医の立場から申せば正直嬉しくない。「最期はホスピスに行けという指示」だと受け取る患者さんがいるからだ。もちろんそんな意図は無くても、在宅は一時的でホスピスの方が格上だ、というイメージが植え付けられ最期まで迷い続ける人がいる。

 在宅医側にも課題がある。「在宅療養支援診療所」という看板を掲げていても在宅緩和ケアに自信が無いため末期がんには対応していない所が少なからずある。あるいは、タレントの大橋巨泉氏の担当医のようにコミュニケーションや緩和ケアのスキルに課題があると非難される在宅医もいる。そのために前述したムック本を監修したのであるが、「在宅は玉石混合」と非難されても残念ながら反論できない。顔も見たことが無い開業医にずっと診てきた末期がん患者さんを紹介するのは不安なので「保険をかけておこう」という主治医の気持ちは理解できる。しかし初回訪問時に2通の紹介状を見せられると正直、とてもやりにくい。開業医がA病院に紹介する時に、A病院とB病院の2通の紹介状を持たせて受診させるシーンを想像して頂きたい。在宅医療を開始してもし不具合があれば、在宅主治医のほうから施設ホスピスを紹介すればいいのではと思う。ただ末期がん患者さんのホスピスカバー率が低い日本においては、施設ホスピスは狭き門となっている地域が多い。そのために早めの「予約」を勧めるのであろうか。このように2通の紹介状だけでも十分議論の余地がある。

 
 
日本人の死生観と「施設ホスピス」

 内心は最期まで家に居たいと願っていても「家族にシモの世話をさせたくない」と考える人が多い。3年前に「家族という病」という書積がベストセラーになったが、「家族との関係性」が最期の療養の場の選択に極めて大きな影響を及ぼしている。結局、家族円満か天涯孤独の人が在宅看取りの対象になっている。その中間に分布する多くの人は計らずも末期がんになった時、在宅か施設ホスピスかで激しく揺れ動く。また家族への配慮や家族の意向といった本人意思以外の因子が最期に近づくほど大きくなる。仏教か神道かキリスト教かといった宗教的な理由はあまり聞かない。つまり最期の場は、死生観よりも不安の軽減や合理性によって決定されているような気がする。

 最後に終末期の深い持続的鎮静について少しだけ触れておきたい。最近、ある大きなシンポジウムで「終末期鎮静」が取り上げられた。施設ホスピスでの鎮静率は高いところでは50%を超えると聞く。一方、在宅ホスピスにおける鎮静率はそれより一ケタ低いところが圧倒的に多い。この差異の解釈は今後の議論を待ちたいが、「終末期に確実に眠らせて欲しい」という理由で施設ホスピスを希望される人がいる。日本人の死生観も徐々に安楽死が認められている欧米の国におけるそれに近づいていると感じる。つまり「自分が自分で無くなればこの世に別れを告げたい」と。そうなると「自己とは何か?」という哲学的命題にまで踏み込まねばならない。いずれにせよ、多様な選択肢の中、本人の意志を家族と多職種が上手に忖度するプロセスがますます大切になる。つまりアドバンスケアプラニング(ACP)と良質な緩和ケアが提供できれば療養の場を問わず患者さんと家族は納得・満足されるのではないだろうか。
 

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この記事へのコメント

ホスピスについてネット検索したのはもう8年ほど昔になりましたが、「医療施設ではあるが積極的治療はせずに死に至る精神・肉体両面の苦痛を和らげる緩和ケアを行う施設」としての「ホスピス」は、東京近郊では極めて狭き門、数が少ないので待機している間に死んでしまう。加えてかなりの高額費用がかかります。といってもホスピスで1年生きるはずもなくせいぜい数ヶ月のことです、が、ひと月50万として3ヶ月で150万、この金額を払えない庶民も多い。
そういった庶民は、自宅あるいはアパートの自室で、痛みに体をよじりながら眠れぬ日々を過ごすか、引き受ける病院があったとしても「入院=治療継続」あちこち管を突っ込まれ苦痛が増悪する抗がん剤や栄養剤を注入されて自宅で死ぬより苦しい。
長尾先生のような在宅訪問診療医師がどこにでもいてくだされば良いのですが、そして徐々に増えつつあるとは感じていますが、同時に一般病院が「ホスピス病棟あるいは病室」を一定数、確保してくれれば、ホスピス難民が減ると思います。

Posted by 匿名 at 2018年11月15日 01:49 | 返信

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