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施設系在宅における医療と介護の連携
2018年11月21日(水)
医事新報11月号 施設系在宅における医療と介護の連携
施設系在宅からの電話ばかり
この10数年間、在宅医療制度が強力に推進されてきた。その結果、在宅医療に関わる開業医が全国各地で徐々に増えてきた。そして住み慣れた自宅だけでなくサ高住や老人ホームやグループホームなどの「施設系在宅」も増えている。そこに住民票があるので「自宅」ではあるが、「長年住み慣れた我が家」とは言えないので、私は勝手に「施設系在宅」と呼んでいる。以前はこれらの施設系在宅を依頼される機会は少なかった。しかし数年前に集合住宅への訪問診療料が4分の1に減額されて以降、依頼が舞い込むようになった。
しかし住み慣れた自宅への在宅医療とかなり勝手が違うので、戸惑うことが多い。たとえば看取りが近くなった時、家族とのコミュニケーションが希薄なぶん、自宅の在宅よりも説明や話し合いに多くの労力を要する。また夜間にかかってくる電話の大半は「施設系在宅」の介護職員からである。たとえば軽微な発熱や嘔吐や下痢や転倒でパニックになった介護職員が深夜にどんどん電話をかけてくる。施設によっては些細なことでも逐一「医師への電話報告」を全職員に義務づけているところもある。「39度以上の発熱=自動的に救急搬送」を入居時の契約書に書いているところもある。過剰な医療要請は経営者からみると介護訴訟やトラブル回避のためであろう。あるいは介護スタッフの視点からは医療に関する基礎知識が不十分なことも多い。深夜もバイタルサインを測り続けて電話報告が連携であると思っている介護職員もいる。医師に報告することで責任転嫁し免責される、と考える人もいる。そうした電話を深夜に受けるのが嫌で施設在宅を断る開業医も少なくない。いずれにせよ夜間帯の電話連絡が多いことが、施設系在宅の特徴である。
訪問看護師が入りにくい
在宅医療の主役である訪問看護が施設系在宅には入りにくい。昼間は施設の看護師が居ても医療処置は受けてもらえない。休日や夜間は居ないので24時間対応できない。施設系在宅において外からの訪問看護が入りにくいことが在宅医にとっての最大の悩みである。医師が24時間365日対応ならば看護師も同様でないと質の高い在宅医療を提供できない。特に胃ろうや人工呼吸器や痰の吸引などが必要な医療依存度の高い患者さんの管理は難しい。思い返せば訪問看護が2000年に介護保険下に入り、ケアマネの裁量下に置かれた時から訪問看護制度は複雑化する一方だ。施設系在宅における訪問看護制度を見直さないと「何かあれば救急車」は減らない。
以上の課題には介護職員への教育問題も関わっている。たとえば発熱や嘔吐への対応に関する生涯教育制度は無い。また認知症の周辺症状が生じる理由も対処法を教わる機会もない。看取り研修に行きたくても過重労働で行けない、行く暇がない。いきなり一人夜勤を任され、不安から過呼吸症候群になる新人職員もいる。医療との連携に関する不安を口にする介護職員が多い。「介護離職ゼロ」の前に「介護職離職ゼロ」を目指さないと介護現場はますます崩壊する。だから50万人都市に1ケ所くらいは公的な「介護職員の再教育センター」が必要ではないのか。そんな想いから以下に述べるように、地域の介護職員やケアマネさんに医療の基礎知識を教える活動を続けている。
「国立(こくりゅう)認知症大学」とは
医療依存度の高い患者さんが急性期病院から地域にどんどん紹介されてくる。様々な処置を訪問看護師さんにお願いしたくても必要な訪問看護が入れないことがよくある。様々な合併症を抱えた患者さんを施設で看ることは介護職員には難易度が高い。しかし最低限の医療・介護教育も受けないまま入職しても疲弊して辞めていく。私の携帯電話が深夜帯に鳴るのはたいていそんな新人介護職員からである。不要な携帯電話が続くと在宅医の負担も大きく医療側も悪循環に陥る。
そこで数年前より地域の多職種を対象とした講習会を毎月続けている。「介護職員の再教育センター」は本来、国や自治体が担うべき事業だろうが、もはやそれを待てない。そこで自分のクリニックの会議室で地域の施設介護職員を対象にした夜間学校、つまり私塾を開講した。「国立(こくりゅう)介護学院」という名称は、「国に代わって私が立つ」という心意気でつけた。今春からは「国立認知症大学」に改名し、約50名の生徒さんの卒業式もやっている。受講料は無料。授業後には懇親会も開き情報交換している。
在宅療養支援診療所には一般の診療所より高い診療報酬がついている。それは研修医や新人看護師のみならず地域の介護職員への教育機能への期待値だと勝手に考えている。増え続ける患者さんを地域で支えるためには、施設で働く介護職員の教育・レベルアップが必須である。施設での看取りが謳われているがその実態は様々である。「看取りは怖いので全員救急搬送」としている介護施設は現在でも少なくない。こうした介護施設で頑張っているけども看取り経験ゼロという介護職員を立派な“看取りびと”に育てることも、地域の診療所や在宅療養支援診療所に課せられた仕事であろう。
介護が医療を主導する
発熱したと聞いて往診をしたら既にケアマネの指示で救急搬送された後だった。あるいは看取りだと思って往診したら施設長が勝手に「看取り搬送」を命じていた。そして搬送された病院の若い医師から「病院の霊安室への死体検案」を要請された。いずれも実際の出来事であるが、施設系在宅における意思決定や看取りが医師ではなく介護側が主導しているケースが散見される。
病院から一歩外に出ればそこは医療保険と介護保険の2本立ての世界。指揮者が主治医とケアマネと2人になり両者の協働が謳われている。しかし経済的なパワーバランスから眺めると両者は対等でないと感じる時がある。寝たきりで全介助の高齢者の在宅療養では、1ケ月の医療費は数万円程度だが、介護費は36万円で数倍の差がある。そこに混合介護が加わるので患者さん一人あたりの費用では数倍の差が生じる。医療保険制度はどこまでも非営利を貫き混合診療は厳しく取り調べられる。一方、40歳年下の介護保険制度は別世界である。営利が悪いというつもりは無いが、営利企業ウエルカム、混合介護ウエルカムという介護の世界は医療とはかなり異質に映る。倫理的な視点からも、両者の思考回路はかなり異なる。
医療保険と介護保険は縦割りが進むばかりで、両制度の整合性をとろうという動きは鈍い。医療と介護の距離は国の期待とは裏腹に年々離れていく気がするのは私だけだろうか。今春、西宮市で開催された「かいご楽快(がっかい)」に参加した時、多くの認知症の人の介護家族が介護保険制度の限界や矛盾を口にした。「17年前に介護がビジネスになった」というのが多くの市民の声であった。施設系在宅に関する情報は当事者や家族になるまでに生の情報はなかなか外に出にくい。ならば介護家族に介護保険事業者の監視役をお願いしてみてはどうだろうか。あるいは地方自治体が地域の良質なNPO法人などのボランテイア団体等に介護保険事業の実態評価を依頼してはどうか。ホテルの予約サイトを覗くと利用者の本音が書き込まれているので選ぶ際に役に立つ。評価の低いホテルは頑張らないと自然淘汰される。営利企業にも開放された介護保険事業者にはそうした市民目線からの評価が必要ではないか。そうした工夫をしないでただただ混合介護の拡大政策だけでは、介護が医療を主導する傾向が強まるだけだ。多死社会のピークである2040年を展望した時、施設系在宅が悪循環に落ちらないために現場で感じていることを述べた。
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この記事へのコメント
私宅の場合は、両親とも要介護スタートが約9年前でした。その4年半後に母が、父は昨年亡くなりました。
そのおよそ9年間に進歩したと感じることは、
河野メソッドが市民権を得てきたこと、「認知症診断は誤診が多い」と発言すると「そうらしいね・・」という反応が普通になったこと、「飲まないほうがいい薬もあるんだよね」という会話が成立するようになったこと。
いずれも長尾先生をはじめとする良心ある医療者のご尽力の賜物です。
同時にこの9年間のはっきりわかる「悪化」は、介護業界の決定的な人手不足が顕著になったことです。
特養という箱が完成しても開所できない。あるいは3階建てなのに1階だけ開所。理由は「職員がいない」。
すでに開業してしまっているサ高住や有料老人ホームは、規則違反スレスレの極少人員で「運営」している。
ケアマネが2つの施設を掛け持ちしても規則違反ではないそうです。
しわ寄せはすべて入居者に向かうわけですが、
この介護業界の人手不足は、今後もっとひどくなると予測します。
理由は、サービス業全体が人手不足だからです。
ファミレスもマクドナルドもスーパーマーケットも慢性的に働き手がいない。
そこへ「外国人労働者」???
都心部のコンビニや外食店にはアジア系のスタッフがたくさん働いています。おそらく留学目的で来日しているのでしょうが・・・ものすごくいろんな問題があるのですよね。
私はすでに両親とも見送って、自分だけです。そして、両親のただ一人の介護家族として医療介護業界とかかわった9年間の経験から、これからの医療介護業界は、ますます悪化していくと感じています。
長尾先生は、もう、施設とは関わらない方が賢明ではありませんか?
長尾先生の「命」が尽きたら、それこそ真っ暗闇です。
Posted by 匿名 at 2018年11月21日 02:33 | 返信
老人施設6人死亡 施設側はいずれも死因は老衰や病死とし「(職員の退職と)死亡との因果関係はない」
https://mainichi.jp/articles/20181122/k00/00m/040/149000c
「(全国的な)人手不足で介護現場は給料の良い職場に(スタッフが)移って深刻な状況になっている。根本的な待遇改善が必要だ。」
「施設は他の特養老人ホームが受け入れない末期がん患者など終末期の高齢者も受け入れていた。」
各地域の「病院」が、一定数の「看取り病床」を持つことを義務付ける制度改正が必要ではないでしょうか。
Posted by 匿名 at 2018年11月22日 02:12 | 返信
スウェーデンの認知症ケアは「オムソーリのケア」と言われています。このケアは介護を受ける人達のニーズに臨機応変、柔軟に対応する働きで、オムソーリ(under nurseと訳されている)という、日本の看護助手というより一定期間訓練を受けた介護者による自立支援のケアです。我が国の認知症ケアは管理的で治療前提の医療主体で語られることが多いのが実情です。しかし、認知症の根本治療はいまだ難しく、投薬中心では認知症患者が増加する将来が心配です。スウェーデンでは認知症ケアの国費内訳は医療は5%で、福祉ケアが85%と大胆に医療中心から福祉中心にシフトしています。フランスも最近認知症の薬剤の大半を保険診療から削除したと聞きます。我国も認知症に対して投薬よりも効果の上がる介護の充実(エマニチュードなど)中心政策に改め、介護職の社会的地位を高め待遇改善し、魅力ある職場創りにし、国民全体でも温かく見守るような社会になって欲しいと念願します。
Posted by 藤川晃成 at 2018年11月23日 07:59 | 返信
コメント途中で誤送信してしまい訂正投稿です。
地方では、特養も老健も入所者探しに苦労している現状にあります。介護度3~5の方々を奪い合っています。老健に入所すると生活リハビリしているため介護度がどんどん下がり、いざ在宅へ、となるはずですが、実際は家族の問題とやらで在宅復帰とはならず、金銭面で他の施設にも行けず、いつのまにやら介護度1~2の方々でいっぱいになります。これでは、経営できないのでなんとか在宅お願いしているものの行く場所がありません。老健は医療費こみなので安上がりですが、サ高住は金額が高くなります。一方介護度の高い方は寿命が尽きる寸前での入所も多く、お看取り状況の方も多く、常に介護度の高い方々を探し求めている状況になっています。なんと言っても一番のネックはポリファーマシーで高額の薬代です。いっきに止めるわけにもいかず大変苦労します。薬代で入所制限され、ますます入る方々は絞られ、その結果お看取り状態に近い方々が多くなるとも言えます。特養は、薬代の心配はないものの、介護度が高くないと、加算が取れず運営が大変になるため、介護度4~5の方々の入所となり、またまたお看取り状態に近い方が多くなり常に入所者を探してばかりいます。それでも私の予想を三倍は越えて長生きされてます。きっと病院と違ってストレスフリーな部分が多いからなのだと思います。しかしながら、こんな、矛盾に満ちた状況の中で介護業界もあっぷあっぷです。本当にどうにかしてほしいと心から思います。介護度1~2の方々は増える一方ですが、サービス提供側には利益がなく、介護度3~5の方々を求めていますが、そんなにはいないという現状なのだと思います。
。
Posted by 遠い声 at 2018年11月26日 07:30 | 返信
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