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医療とアート ああ、人生が二度あれば
2018年11月24日(土)
生まれて初めて上野の東京藝大のキャンパスに入った。
公益財団法人・芳泉文化財団のお招きで展覧会を鑑賞。
秋が深まる上野の杜で、医療とアートについて考えた。
公益財団法人・芳泉文化財団のお招きで展覧会を鑑賞。
秋が深まる上野の杜で、医療とアートについて考えた。
東京藝大には、古美術の「復元」を研究する学科がある。
どんな優れた作品でも必ず経年劣化するので復元が必要。
その復元方法を研究する学生たちの応援をしているのが
芳泉財団が行う公益事業である。→こちら
今回の展覧会は「美しさの新機軸」→こちら
復元した作品を前にその偉業を成し遂げた学生さんたちと
会話していると、どんどん芸術の世界に引き込まれていく。
ご縁あり、ここに招待して頂いたのだが、
レセプションで思わぬ達人と話ができた。
1 副学長の宮廻正明先生。→こちら
著名な日本画家であるが、現在、「ノイズの研究」にも没頭していると。
映画も音楽も「ノイズ」がブームで、医療への応用を研究していると。
うつ病や不眠症の治療に使っているというので、思わず私も
「むずむず足症候群の治療はノイズです」と言った。
ああ、もっと知りたいな。生徒になりたいな。
2 ポップアートの第一人者である日比野克彦氏 →こちら
あまりにも有名であるが。藝大の偉い先生でもあったのだ。
私と同じ同じ年。
「尼崎から来た」というと「僕は明日から大阪です」と。
そうだ、彼の展覧会にまた行こう。
3 映画監督の根岸吉太郎氏 →こちら
映画「遠雷」は忘れられない青春映画。
「狂った果実」の森下愛子さんとは大学祭でご一緒したな。
根岸監督が藝大の先生をしていることが驚きだったが、
東北芸術工科大学(→こちら)の学長も兼任していると聞かされ、もっと驚いた。
「山形市にいつでも遊びに来てよ」と言われ、思わす「ハイ!」と即答した。
映画監督というイメージより、ロマンスグレーの紳士であった。
私はしょ小学校、中学校と、美術や工作や音楽の成績は1や2であった。
芸術にはずっとコンプレックスがある。
しかし還暦になりはじめて芸術への憧れが芽生えてきた。
芸術の純粋性や感動性に強く惹かれるようになってきた。
岡本副学長は副学長はスピーチで「アートととは新しいものではなく、
古いものに上書きする(復元)することなのよ」と述べ、うーん納得。
一見地味な「復元方法の研究」に青春を捧げる若きアーチストたちを応援したい。
なんと素敵な学生さんたちだろう。
韓国や中国には、復元を研究する大学が無い。
だからここの学生たちは日本の誇りである。
「東京藝大に入りたい」と思ったが、超難関と聞いた。
でも、なんとかしてまたここに来たいなあ、と思った。
ああ、人生が二度あれば。
犬も歩けば、・・・芸術に当たる。
医療とアートについてもっと知りたい。
いや、医療はアート、であった。(by 日野原先生)
これを復元すると美しさが蘇る。
この復元に1年かかった、と若い学生さんは言った。
ふんだんに必要な金箔を助成するのが財団の仕事だと。
芸術にはお金がかかる。しかし儲からない。
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この記事へのコメント
長尾先生は上野の杜で日本のアートに浸っておられるのですね。
私は東京都隣県在住ですが出身が大阪ですので
父母の納骨や法要などで大阪へ行く機会が増え、帰りは京都を歩くようになりました。
今の若い人たちのようにあちこち旅行できなかったので、京都を知りませんでしたが、
まずは金閣寺、龍安寺、仁和寺、そして東寺。
東寺の講堂の中、立体曼荼羅には圧倒されました。
東寺は、国宝を惜しげも無く無防備に拝観させてくれます。
門の入り口に、(詳細な文言を記憶していませんが)
「この寺を訪れる人はみな、仏縁に惹かれてきた人たちだから、境内では節度を守り敬意と礼儀をもって行動してくれると信じています」という内容の文書が掲示されていました。
東寺の五重塔の初層拝観と夜間ライトアップが12月9日までで、行きたい行きたいと思いつつ、まだ・・・
貧乏性なので「命日だから」、とか何らかの理由がないとなかなか新幹線代を使う気になれないのですが
今回は行くつもりです。
Posted by 匿名 at 2018年11月24日 07:15 | 返信
色あせた古い屏風絵や掛け軸を、制作当初のラインや色を想定して復元する、果たしてそれがが必要なのか、私は疑問を感じています。
復元にはふた通りあります。
ひとつは、制作当時の材料や手法を用いて最初から作り直す。=複製する。現物はそのまま手を加えない。
もうひとつは、現物を加工修正して「復元する」→ これは、復元するといっても現物を加工変更するので、制作当時の何百年も前の人の感性ではなく現代人の感性が入魂されることになるので、もはや別物。
私は、ボロボロになっていつか崩れ落ちてしまっても、現物はそのまま朽ちてしまった方がよいのではないか、と思う気持ちが強いです。現物には手を入れないで、最適な温度湿度で保存するだけ、それとは別に当時の手法を用いて複製を作る方がbetterだと思います。
建築物は朽ちると危険なので、現物に手を入れることになるでしょうが、たとえば、西本願寺さんの本堂の床板には、よく見ると、ひょうたん型や山型の「埋木」があります。その説明書きがありました。昔の職人さんが、欠けたり割れたりした床板を修理した時の「遊び心」である、とのこと。
色あせてもできるだけ現物を残してほしいです。
Posted by 匿名 at 2018年11月25日 01:45 | 返信
長尾先生、お久しぶりです♪ 私はもともと学生時代は「美学」でアートが専攻だったので、思わず反応しちゃいました^^。癒しはアート、そして、おそらく日野原先生がおっしゃるように医療もアートだと思います。五感への刺激、わくわくする、美しいと感じるこころは、健康の源だと思います~。ところで、ノイズの医療への応用に驚いています。私は青春時代はパンクロック三昧だったのですが(古寺仏閣・仏像からパンクロックまで何でも^^)、俗にうるさいといわれるノイズ・ミュージックも、なんとも気持ちがよくのめりこんだのを思い出しました。映画のBGMでもそうですね。何か、周波数と関係するのでしょうか?興味がつきません。先生も、ますますアートな日々をお送りください♪
Posted by なかがわれいこ at 2018年11月27日 09:51 | 返信
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