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勝谷誠彦さん、ありがとう
2018年11月29日(木)
勝谷誠彦さんとは10数年前からいろんなご縁があった。
お父様は、尼崎市医師会を代表する立派な開業医であった。
私は内科医会の会長を4年務めたが、ずっと以前は勝谷先生。
お父様は3年前の早朝、散歩中に道で倒れて心肺停止状態で
発見され、救急搬送で一命をとりとめたが2年間植物状態だった。
約1年前、お父様の葬儀があった同じ会場で、長男である誠彦氏
の葬儀が、今日営まれることになったのがなんだか不思議である。
勝谷誠彦さんには、以前、本の帯を書いてもらったことがある。
講演会や懇親会で、お父さんと一緒にお話しすることもあった。
弟さんがお父さんの後の内科医院を継がれて、医師会でも大活躍。
昨夜もお通夜の直前にお話しした後、誠彦氏と1対1で対面した。
元、尼崎の代議士であった田中康夫さんと一緒に談笑したこともあった。
勝谷さんと田中さんは、とってもウマが合っていたが私はその間にいた。
勝谷さんの有料メルマガを10年間、拝読していた。
毎朝9時に勝谷さんが必死で書いたメルマガが届く。
私も朝日新聞電子版に、2000日連続で、一日も休まず書いた。
2000日とは、計算したら分かるだろうが、6年間に及ぶ年月。
私は1000字程度であるが、勝谷さんは5000字の長文である。
しんどくてくじけそうになった時は、勝谷さんの文章に励まされた。
私は、同時に産経新聞をはじめ、10以上の連載を持っていた。
50歳代は書きまくった10年間であったが、勝谷さんはプロ。
お互い、たくさん書く=たくさん座る、ことなので体に良くない。
たぶん、多くの人とはまったく異なる生活パターンの2人である。
3つ年下の同志(私が勝手にそう思っているだけ)の死に顔を見て複雑だった。
弟さんに「穏やかな顔でしょう」と言われ、「そうですね」と返すので精一杯。
昨日から、彼の死を伝えるニュースでいっぱいである。
人はその死をもって評価されるんだ、と改めて思った。
昨日、勝谷医院の前に住む在宅患者さんから往診依頼があり、往診した。
「息が苦しい」という高齢女性は、テレビの訃報を見てパニック発作に。
昨日、訪問診療する先々で彼の訃報に関する話題が出て
高齢者にも多大な影響を与えていたんだなあ、と思った。
やはり、尼崎の宝であったようだ。
彼自身が知ったら、喜んだだろう。
勝谷誠彦氏とは、とてもここには書けないような思い出がたくさんある。
とても意外というか呆れる話ばかりなので、一生心の中にしまっておく。
今、言えることは、勝谷さん、お疲れ様でした。
そして「ありがとうございました」。
ご冥福をお祈りする。
PS)
一昨日は、日本尊厳死協会関西支部の理事会、そして忘年会。
そして今日の午後は東京本部での理事会なので上京中である。
日帰りであるが、明日も日帰り。
午前と午後、大阪で2つの講演をしたあと、東大関係のお祝いの会。
明後日は奈良講演で、日曜日は長野県松本市での日帰り講演と続く。
松本市は市民も参加OKなので、長野の方とお会いするのが楽しみだ。
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この記事へのコメント
わたしも勝谷さんの訃報をテレビで知って びっくりしました
周りで同年代の方がお亡くなりになると人ごとではありません
いつかは生命が尽きると誰もがわかっているけれど 寂しくなってしまいますね…
明日の松本での講演
頑張ってくださいね…
Posted by 宮ちゃん at 2018年12月01日 12:52 | 返信
マスメディアを通じてしか存じませんが、この方は本当に立派な言論人だったと思います。
忖度しない本物と呼べる、わが国では数少ない偉大なジャーナリストでした。
近年のTVなど忖度まみれのメディア的には大変面倒くさい方だったようですが、
わが心の師匠でもあります。ご冥福をお祈りします。
Posted by マッドネス at 2018年12月01日 02:14 | 返信
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