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在宅医の働き方改革

2018年12月18日(火)

来年4月施行の「働き方改革」は医師にも適応されるのか?
そして、24時間365日働く在宅医にも適応されるのか?
そんな疑問を、日本医事新報12月号に書いた。→こちら
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在宅医の働き方改革  長尾和宏
 
365日24時間対応に必要な医師数
 
 国を挙げて在宅医療が推進されてきた。2006年に創設された在宅療養支援診療所制度の柱のひとつは「365日24時間対応」である。在宅患者さんにとってはたいへん心強いフレーズだろう。さらに外来診療においてもかかりつけ医機能の要件のひとつに時間外の電話対応が謳われている。しかし昨今の働き方改革という視点から見ると矛盾だらけに感じる。もし一人の患者さんに本気で365日24時間対応しようとするとどれくらいの医師数が必要なのだろうか。計算すればすぐに分かることだが、労働法規を遵守するならば最低4名の医師が必要である。もしも労働基準法に従って雇用するなら4名の常勤医を確保しなければいけない。

 では常勤医3名で届け出ができる機能強化型・在宅療養支援診療所はどうだろうか。実は常勤医3名でもっても、あるいは3つの医療機関の連携をもってしても厳密に言えば労働基準法を満たすことができない。大半の在宅療養養支援診療所は一人医師(一馬力)なので365日24時間対応は無理だ、と自重するほうが自然な姿なのかもしれない。事業主には労働基準法が適応されないので、院長自身が自己犠牲を払うなどしてなんとかやりくりしているのが「24時間365日」の実情であろう。筆者も「365日24時間対応」を20年以上たった一人でやっている。訪問看護師の疲弊を防ぐため深夜帯のファーストコールも私に転送するようにしている。深夜帯は私の携帯電話1本になるので、いつも枕元に置いて寝ている。講演や学会で出張する時は、とりあえず私が電話を受けて他の医師に「セカンドコール」をお願いしている。このように多くの在宅医の最大の悩みとは技術でも、コミュニケーションでもない。深夜の電話や往診対応ではないだろうか。
 
 
在宅医療が浸透しない本当の理由
 
 2040年をピークとする多死社会が年々進むなか、在宅看取り数を増やすことが国是として掲げられてきた。在宅看取り率は現在、10数パーセントである。かつて国は25%を目標に掲げていたが、診療報酬などでいくら在宅誘導を図っても思うほどに数字は伸びていない。そもそも東京や大阪の大都市圏では在宅看取りの半数は、実は在宅医が看取っていない。警察や警察医が死体検案という形で看ているのだ。つまり警察が介入した、いわゆる孤独死と呼ばれる最期である。孤独死であっても死亡の場所は自宅なので死体検案書の自宅の欄に丸がされ在宅死としてカウントされている。だから大都市の在宅看取り率はこうした数字を差し引かないと実態を反映していない。以上の数字の算出根拠については拙書「男の孤独死」(ブックマン社)の巻末に詳記した。在宅医療は国が思うほどには、いまだ浸透していないと感じる。

 有識者は「開業医はなぜ在宅に取り組まないのか。けしからん」と言う。先日、医療経営コンサルタントの先生方が対象の講演会で在宅医療の話をした。講演後の質問は「お医者さんも時には酒を飲みたいでしょうから代理体制を考えたほうがいいのでは」であった。私は思わず「時にはではなく、皆様と同じように毎晩でも飲みたいです」と答えてしまった。一般市民ならともかく、医療経営コンサルタントという内部事情をよく知っている立場の有識者からもいまだにそのように認識されているのか、と驚いた。

 医業は聖職だから医師、特に在宅医は24時間365日働いても当たり前なのだろうか。いや2019年4月からは医師にも労働基準法や働き方改革がしっかり適応されるのだろうか。そもそも当直やオンコール待機は労働時間に含まれるのだろうか。働き方改革法の施行前ということもあり、勤務医の労働条件が盛んに議論されている。しかし私は在宅医の働き方が気になって仕方ない。かつて「パンドラの箱を開けよう」(梅村聡医師との共著 エピック)という本を世に出し、医師の働き方改革を世に問うた。医師の過重労働を前提にしてこの国の医療は成り立っていることを広く啓発し、パンドラの箱を開けようと呼びかけた。あれから10年近く経ったがパンドラの箱はまだ十分には開いていない。しかしどこまで開けるべきなのか。医師の労働問題は新たなステージに移ってきた。
 
 
 
在宅医の高齢化

 先日、ある地方都市から講演に呼んで頂いた。人口数万人のその都市においても在宅需要はかなりあり、看取りも行われていた。しかし在宅医の年齢を聞いて驚いた。全員80歳以上でなかには90歳台の医師が真夜中も自分で車を運転して看取り往診をしていると聞き驚いた。果たしてこのような現状を美談として傍観していていいのだろうか。地方において深夜帯に往診しているのは主に高齢の開業医である。つまり在宅医の高齢化が進んでいる。還暦を超えた私は真夜中も往診しているが体力的に不安を感じる。このような高齢化の波は訪問看護師にも押し寄せている。看護師のわずか2.8%しか従事していない訪問看護の世界にも働き方改革という時代の波が押し寄せている。

若い医師の多くは夜間対応を嫌う。だから看取りが半ば義務となる在宅医療に積極的に取り組む医師は思うように増えない。そもそも、いまどきの研修医は9時5時である。大病院から1週間の在宅研修に来ていたある研修医は午後5時が近づくとソワソワしだした。「5時から何かあるの」と聞いてみると、ゴルフの練習やデートなど個人的なスケジュールで一杯だと返ってきた。もはや夜診終了後の往診までついて来るような研修医など皆無である。筆者の研修医時代には労働基準法という法律があることを知らなかった。病院に住み込んで昼夜の区別なく馬車馬のように働いた。そんな過酷な時代を生き抜いた奴隷世代が今、この国の在宅医療の土台になっている。
 

病院の当直医が夜間の往診を

 4年前、台湾で講演する機会を頂いた。台中にある嘉儀キリスト教病院で「在宅医療と平穏死」という題で話した。2000年にリビングウイルの法的担保を終えた国で、リビングウイルの議論さえも封殺さえている国の町医者が講演する矛盾を感じながら話した。台湾にも開業医が行う在宅医療はあった。しかし日本と違い開業医は9時5時のみで夜間対応は地域の基幹病院の医師や看護師が請け負っていた。夜間帯は病院の勤務医や看護師らが患者さん宅に赴いていた。ただし在宅医療の対象患者は末期がんに限定されていた。台湾厚労省に申請をして許可された患者さんだけへの提供であった。日本とかなり異なる地域医療連携システムを学ばせて頂いた。地域の病院が夜間対応を担うという台湾システムに、日本も見習う点が多いのではないだろうか。

 実は台湾のような在宅医療が日本にもあった。2年前、長崎県の上五島病院が提供する在宅医療を知る機会があった。人口1万8千人の上五島には一軒の眼科医院以外に上五島病院しか医療機関がなかった。上五島病院の医師たちは昼間に高度医療を提供しながら夜は交代で在宅医療にも従事し、看取りも当然のこととして行っていた。このように病院の当直医が夜間の往診もするという方向に在宅医の働き方改革を進めるべきだろう。

 長崎ドクターネットのような在宅医同志の連携システムが理想形だろうが広がりはまだ十分とは言えない。一方、地域によっては既に在宅療養支援病院が在宅医療の中核を担っている。将来的には4月に新設された介護医療院の当直医が担う地域が増えるだろう。つまり在宅医療は病院が担うという時代に変わりつつある。働き方改革という法律がそれを後押しすることだろう。パンドラの箱は開くのだろうがまだ相当のタイムラグがある。だから今こそ在宅医の働き方改革も真剣に議論すべきだと思う。

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この記事へのコメント

たった二つの施設だけで、診る対象者は要介護の高齢者150人くらいなのに、看取り段階に入ったり出たりは絶え間なく続き、季節の変わり目には体調不良者、冬は感冒者、と医師の仕事内容の大変さというより、休みがないという実態の中で働いています。仮にこのような休み関係なしの看取りまで含めてやってくれる医者が、果たしているのだろうかと考えると、今時の医者はやらないんじゃないかと正直思います。しっかり休めて外来診療だけでも医者は高給とれます。趣味や楽しみがあって家族がいたら、しっかり休日とりたいのは当然です。しかし、外科系の医者は昼夜問わず休みなしで働くのに慣れてしまって、いつのまにか休むという概念がなくなり、私みたいになります。でも、もうそんな時代は無くなってしまい、長尾先生や私は、もはやガラパゴス化しています。私共の施設では、週休二日で年間104日、プラス大晦日と元旦とお盆二日分含めて、108日の休日にしていますので、毎月9日の休日です。年間、平均一人6日の有給取っている実態から隔月10日の休日となっています。20日働いて10日休むことは、つまり2日働き1日休む、4日働き2日休むいうことです。どこも同じような実態だと思います。大企業は年間120日休日というところだってあります。来年4月からは、有給5日を取らせないと事業主には禁固6か月以内、30万円以下の罰金が命じられます。働き過ぎの日本といいますが、こんなに休みだらけで働き過ぎなんでしょうか。働くことが、まるでは悪いことみたいです。少子化高齢化、人手不足のこんな緊急事態の日本なのに、働いてはいけない、どんどん休め、休ませろ、と厳しくしている理由が全くわかりません。日本人が働けない事態になる一方、外国人労働者には法の網をくぐって過酷な労働をさせて逃げ出す人も大勢いるといいます。日本人がやりたくない労働を外国人に押し付けて、日本人の皆さんはゆっくり休んでくださいって、おかしいんじゃないでしょうか。日本人の中には長尾先生までとはいかなくても、もっと働けるし、もっと働きたい、という人がきっとたくさんいるはずです。20年位前まで土曜日は半ドンで日曜日だけ休みで、祝日もこんなにたくさんありませんでしたが、若い私は日曜日も出勤して全然平気でした。今の労働基準法は定年後の働き方でした。今や自由に働けるのは医者だけになってしまったんですね。しかし、一般人とはかなりの差が生じています。医者だけが、かわいそうですね。

Posted by 遠い声 at 2018年12月19日 12:00 | 返信

情報社会が顕著な時代になって、知り得たことが沢山あります。
聖域というものが、崩壊したかのような印象もあります。
また「医療」が「産業」の如く日本経済の「柱」となって
久しいですが、健康長寿番組が目白押しなTV界でもあります。
そして医師というステイタスも、変化著しい時代になりました。
女性差別(蔑視)な不正入試もあった訳ですし、インターン時代の
医師は無給な待遇なこともあったとか、色々公になってきました。
ある意味、特権意識の裏返し=閉鎖的 が為す弊害とも思えます。
医療界の中こそ、「序列社会」の最たるものでしょう。
そう思えば、弱い物いじめ なんてザラにあるんじゃないですか?

Posted by もも at 2018年12月19日 07:51 | 返信

亡父は老健含めて介護施設を3箇所移動しました。(それなりの理由がありました。)最後となった特定施設生活介護付きサ高住に来ていた在宅訪問診療所は、亡父が入居した数ヶ月前に開業した、とのことで、最初はとても好印象で丁寧に本人と話してくれました。私はようやくやっと、信頼できる医師に巡り合った、と「ヌカ喜び」しました。24時間365日、担当の「かかりつけ医師」と連絡が取れる、はず、でした。といっても、夜間、深夜の電話や往診以来はできるだけ避ける、これは私のような素人からみても、「常識」です。
「ヌカ喜び」から1年もたたないうちに、電話で指示を仰いでも、電話口に出るのはまずは取次の事務員、その事務員が「その日の担当医師」に問い合わせて、その事務員が「その日の担当医師の回答を患者側に伝える」ようになりました。
つまりは、担当の「かかりつけ医師」は、決められた出勤日、出勤時間以外には、一切、対応しないように変わりました。
「24時間365日、医師と連絡が取れる」ことは同じですが、その「医師」とは、1ヶ月に2回、訪問診療に来る医師ではなく、見たことも話したことも声を聞いたこともない、どこの誰かわからない「アルバイト医師」です。
今、「24時間365日対応」を謳っている在宅訪問診療所の夜間・深夜・休日は、多くがこのような「アルバイト医師」が、「担当」しています。
在宅訪問診療所は、猫の目のように変わる「日替わり時間がわり医者」の格好のアルバイトになっています。

Posted by 匿名 at 2018年12月20日 01:06 | 返信

追伸。万が一若い医師が、休みなし~と聞いてびびるといけないので、書きたします。休みなしは半分本当で半分嘘。365日連絡取れて待機ということで精神的に拘束されているようなものなので、、休みなしと書きましたが、実際にはちゃんと休めてもいます。産婦人科医と僧侶のように、人の行き死にはある程度予想ができても、正確な日時はわからないので、365日連絡取れて待機していなければならないという職種なんていくらでもあります。それと同じです。さらに言えば、神がかりといわれるかもしれませんが、本当に不思議なんですが、産婦人科医師だった父もそうだったんですが、こちらの事情がわかっているかのように絶妙なタイミングばかりで救われます。例えば私の場合、些細なことの一部としては、夕食を食べ終えた直後や寝ようとした瞬間のフライトコール、さらに絶対に観たいライブには行けたり。きっと、そういうふうに出来ているのだと思います。私は成り行きで医師になり、こんなふうになってしまいましたが、心ある医師は、びびらず我が道を進めば、目に見えないおおいなる力が働き、大丈夫になるということをお知らせしたいと思いました。以上、報告終了いたします。

Posted by 遠い声 at 2018年12月23日 04:46 | 返信

遠い声様、神ががり的な経験は本当に多くあります。決して私どもが困らない日時を選んで逝かれます。
信頼関係が築けていたのやね、と自分やスタッフを褒めています。最期まで癒される経験をさせてもらえるこの仕事
(私は在宅看護ですが)が大好きです。

Posted by ルナース at 2018年12月25日 06:45 | 返信

ルナース様、コメントをありがとうございます。以前にも、同じ経験されている方からのコメントありました。きっと、人の生き死にをま近で見て、たくさん経験して、初めて気が付くことなんだろうと思います。すべてが偶然におこるって、ありえないことです。 旅立ちの時が近いことがわかっても、その時には幅があり、ずっとご家族が付き添えないことが多いにも関わらず、旅立ちにはご家族がたいてい立ち会えて看取っていただけています。立ち会えなかった時でも、前日にたくさんのご家族がいらしていたり、ご家族がいらした瞬間だったり、家族のいない方の場合はたまたま私やスタッフが部屋に行った時だったりと、すべてはそうなるように仕組まれているかのようです。いわゆる、職種を越えて私たちは、天国の扉の前に立つ天使みたいな役割~そう考えると私もルナースさんみたいな優しい天使でいなくては、と思う次第です。~私が天使なんておこがましいですね、エヘヘ。長尾先生は、大天使ってところ、ふふふ。では、皆様、良いお年を。

Posted by 遠い声 at 2018年12月27日 09:52 | 返信

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