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1.17 追悼
2019年01月17日(木)
24年前の今日を忘れてはいけない。
6000数百人もの命が奪われた日。
私を目覚めさせてくれた日。追悼!
6000数百人もの命が奪われた日。
私を目覚めさせてくれた日。追悼!
24年前の今日、たくさんの死体を見た。
ベッドの上ではなく、その辺に横たわる遺体。
小さな子供の遺体を見たのは生まれてはじめてだった。
芦屋市の人口の5%が死んだ日。
完全に陸の孤島と化した市立芦屋病院に、外部から救急車が
入ってきたのはちょうど24時間後の1月18日の午前5時。
大阪市立総合医療センターの救急医が神様に見えた瞬間。
あの瞬間から、「芦屋・大阪ルール」が出来て多くの命が救われた。
あの時、まだ「トリアージ」という言葉も無かった。
言葉は無いが、不眠不休でしっかりトリアージしていた。
その時の想いを本に書いたのが、本を書くことになったきっかけ。
その後、調子に乗ってたくさん本を書くことに。
「町医者冥利」→こちら
今じゃプレミアもん、と言いたいところだが1円だ。
36歳の時のほうがまだ文章は上手かった。
若かったから、文章も若くてなにより素直。
あの朝、JR六甲道をくぐろうとしたらホームが落ちていた。
向こう側に回ったら、そこも落ちていて、腰を抜かした。
昨夜、そのドラマが放映されると聞いた。→こちら
まさに奇跡的、驚異的、な復旧だった。
歩いて市立芦屋病院まで行った。
その日から家に帰れなくなった。
その2ケ月後、辞表を出して、町医者になった。
最初にやったのが、仮設住宅への往診、だった。
誰にも相談しないで生きてきた。
自分で勝手に決めたこの道。
それから16年後、今度は東北で地震が起きた。
36歳だった男は、52歳になっていた。
阪神大震災の苦い経験を東北震災に活かしたい!
そんな想いで、たった4ケ月後に提言集を出した。
「共震ドクター 阪神そして東北」(ロハスメデイア)→こちら
映画も撮り、世界で上映された。
「無常素描」(大宮監督)→こちら
ガムシャラに突っ走ってきた24年間。
目覚めさせてくれたのが、24年前の今朝の大地の揺れだった。
というわけで、24年前の犠牲者達に追悼の祈りを捧げる日だ。
生涯、僕は、この日を忘れることはない。
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この記事へのコメント
1.17.05.46.鎮魂の鐘をついていた小学生が、向けられたマイクにかたる。
「カネをつきながら、つぎの世代につないでいきたい」!
「小学生時代」の体験は、大事。
私事で恐縮ですが、二度「イエ概念」を手放した。
一度目は、他家へ養子に。二度目は、台風でトタン家が空に舞い隣り村へ。
近年は、「墓」仕舞いという断捨離。
最近は毎週、われらが火山列島のどこかで、震度4の地震が襲う。
自衛隊は解体してヤポネシアに拠点を置く国際災害救援隊に改編すべきだ。
と思うが、ロートル(老頭児)の戯言として、捨て置かれるだけか。
猫も杓子も「平成最後のなんとか」と、風に吹かれて枯れ落ちる。
Posted by 鍵山いさお at 2019年01月17日 07:09 | 返信
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