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透析中止報道 「福生病院は悪くない」
2019年03月10日(日)
結論から言えばコミュニケーションに問題があったかもしれないが
福生病院は充分ではなかったにせよ大きくは逸脱していないと思う。
まずは、2つの記事を読んで欲しい、
透析中止、他にも20人の情報 全員死亡か:イザ! →こちら
東京都福生(ふっさ)市の「公立福生病院」で昨年8月、担当医が腎臓病患者の女性=当時(44)=に人工透析治療中止の選択肢を示し、中止を選んだ女性が約1週間後に死亡した問題で、平成25年以降、同病院で他にも約20人の患者が透析治療を選択しなかった可能性があることが8日、関係者への取材で分かった。これらの患者は全員死亡したとの情報もある。
<< 下に続く >>
一般的に透析が必要とされる腎臓病患者が、透析や腎移植を受けないで生きていくことは難しいとされる。同病院を監督する都は病院側が必要な情報提供を行った上で、患者らの意向を十分に確認していたのかなどについて調査を進める。また、日本透析医学会が設置した調査委員会が来週にも、同病院に調査に入る方針を固めた。
関係者によると、25年4月~30年3月、透析治療のため同病院を訪れた腎臓病患者149人のうち、20人前後が担当医と相談した上で透析治療を行わなかったという。女性のケースと同様、死亡リスクを伝えた上で担当医が透析治療をしない選択肢を示した可能性がある。
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透析中止で死亡「密室で独断専行してない」 病院が反論
腎臓病患者の40代女性が人工透析治療を中止し、死亡していた公立福生(ふっさ)病院(東京都福生市)で、医師が終末期ではない患者に透析治療をしない選択肢を提示していたことがわかった。透析をしない選択をした約20人のうち複数が死亡したとみられる。このほか、透析中止後に死亡した患者が女性以外に3人以上いることも判明。日本透析医学会の提言から逸脱している可能性もあり、学会は来週後半にも病院に立ち入り調査に入る方針だ。
福生病院は8日、透析治療をめぐる手続きについて「多職種で対応し、家族を含めた話し合いが行われ、その記録も残されている。密室的環境で独断専行した事実はございません」とのコメントを公表し、病院の対応に問題はないとの考えを示した。
都などによると、福生病院では2013年以降、腎臓病患者149人が受診。透析を始めるかどうかの相談の際に、医師が透析をしない選択肢も示していた。学会の提言では、透析を中止もしくは始めないことを検討できる状況について、全身の状態が極めて悪い場合などに限定。しかし福生病院では、終末期のように極めて悪い状態でなくても透析をしないことを検討し、実際に約20人が透析を選ばなかった。病院側はいずれのケースでも、患者の同意書をとっていると説明しているという。
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ここからが私の意見。
1 中止したら死ぬのはあたりまえ。
新聞の「透析中止 患者死亡」とか「他にも20人中止 全員死亡」とある。
透析治療は延命治療なので、中止すれば100%死ぬのが当たり前。
もし死ななかったら、「不要な透析だった」ことになり、こちらのほうが問題。
だから「飛行機が墜落、全員死亡」のような見出しを付けるメデイアはおかしい。
「止めたら死ぬのが透析」という当たり前のことを知らない記者が見出しをつけている。
明らかに悪意がある見出し。
煽って部数を増やしたいのか。
2 「透析医が透析を中止する」という意味を、マスコミは分かっているのか。
透析医療機関は透析で飯を食っている。
だから透析を中止すれば、お客さんがいなくなり経営には不利である。
ラーメン屋が、お客さんに「ラーメンもう食べないほうがいいですよ」と言うようなもの。
そんなことを言うラーメン屋や透析医は、世の中にあまりいないだろう。
「死期が近いのに可哀そう」と思いながらも続けているのが多くの透析医の本音。
もし嘘だと想うなら、透析関係者に聞いて欲しい。複雑な想いの患者さんがいる。
透析医が中止を相談した(提案ではなく相談だろう)のは、患者さんのことを想ってのこと。
それ以外に考えられない。
3 「透析非開始」と「透析中止」
福生病院では透析適応の149人のうち20人が非開始であったようだ。
それぞれがどんな背景で、どんな話し合いがあってのことなのか。
90代の慢性腎不全で透析導入を拒否して亡くなる人はいくらでもいる。
私自身もそんなリビングウイルを有する患者さんの意思を尊重してきた。
また90代の認知症で要介護5の本人・家族の意向を尊重し中止もしてきた。
透析学会のガイドラインにある「終末期にあること」を、話し合ったうえで。
非開始は時にあるし、中止も時にあるが、両者は同等であると私は考える。
そんな現実があるのに過激な見出しをつけている目的は?それとも、無知?
4 欧米では透析中止は日常。
日本でも非開始や中止はあるが、透析学会の意向かあまり表に出てない。
しかし欧米では高齢や認知症ならQOLの観点から非開始や中止例は多い。
むしろ日本のように「本人の意思を無視して金儲けのために死ぬ日まで続けている」
多くの現状のほうが特異で、世界的視点からみれば「とっても異常」な国である。
開始も、継続も、中止も、再開も、根底は同じことだ。
患者・家族と医療者が、何度も話し合いをして納得しているか。
透析学会のガイドラインに従うことは当然だが、いろんなケースがある。
5 問題は医師のコミュニケーションが下手だったかもしれないこと。
「人生会議」をどんな風にやったのかが、本来の論点では。
メデイアはなぜここで人生会議という文字を書かないのか。
これこそが国策である「人生会議」の限界を物語っている。
ACPの有効性(このケースは失敗例)として論じるべきだ。
人の気持ちは常に揺れ動く。
本人・家族の意向に常に寄り添い、丁寧な話し合いを重ねるべき。
家族が「後悔している」というならば、主治医のACPは失敗だ。
また医療経済の問題を患者さんにつき付けるのもご法度である。
人間の尊厳と経済は切り離して考えないといけない。
6 そもそも毎日新聞がこの報道をした理由とは?
・家族からの苦情?
・裁判を前提?
・新聞を売るため?
どれなのか知りたい。
新聞の第一面で煽る内容ではない、と思う。
事件でないなら、普通の紙面で報じるべき。
7 透析学会には福生病院を責めないでほしい
医師らは透析学会のガイドラインが厳しすぎると言っているので
事実関係を把握したうえで、病院関係者と医学会が話し合うべき。
今こそ、透析学会の立ち位置が問われているとも感じる。
曖昧にしてきた事案が世間に広く知られることになった。
福生病院が
・悪いのか
・悪くないのか
マスコミはすべて福生病院=悪、という構図だが、福生病院はそこまで悪いのか。
患者さんの意思を尊重してやっていても、時には行き違いがあるのではないのか。
「ガイドラインを満たしていいたのか」と聞かれたら、反省の余地がある。
「人生会議が適切に行われたのか」についても、改善の余地がある。
パンドラの箱を開けてくれた。
しかし犯罪ではない。
8 日本医師会も発信をすべき。
透析学会と同様、専門家集団として、国民やメデイアに正しい認識を示して欲しい。
今までタブーの課題なので、国民の関心も高いし透析患者さんを安心させて欲しい。
「終末期ガイドラインや人生会議は机上の空論」と言われないように
具体的にどう受け止めるべなのか、分かり易い言葉で説明して欲しい。
これは安楽死ではなく尊厳死である。
そのプロセスを振り返る必要はある。
しかし報道の目的がよく分からない。
このブログはあくまで個人的な日記で感想を羅列しただけ。
福生病院は患者さんの意思を尊重する病院であると信じたい。
こう書くとバッシングを受けるだろうが、勇気を応援したい。
そして、日本透析学会と日本医師会のコメントを待ちたい。
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以下、在宅のMLから中野先生と永井先生の意見を勝手にコピペさせて頂く。
私もまったく同感である。
おそらく多くの現場の医師は同じように考えていると思う。
こんにちは。中野一司@ナカノ在宅医療クリニック、です。
現在話題になっている透析中止の報道に対する、当会員の永井さんのコメントです。
永井さんのご意見に全面的に賛成ですが、在宅では、透析せずに看取るケースや、透析中止のケースも時々あります(勿論、腹膜透析の患者さんもおられます)。
https://www.m3.com/news/iryoishin/664550…
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問題は「透析中止」にあらず、マスコミ報道に違和感
核心は「十分な選択肢の提示と納得のいく対話」の有無
オピニオン 2019年3月10日 (日)配信永井康徳(医療法人ゆうの森理事長)
19件のコメントを読む ツイート
公立福生病院(東京都福生市)の人工透析治療を巡る問題でのマスコミ報道が止まらない。多くのマスコミの論調はこうだ。
「透析を中止すれば死に至るのが分かっているのに、透析の中止の選択肢を提示して患者は死亡した。そもそも医師は患者を死に至らしめる選択肢を提示していいのか」
医師が透析の中止を選択肢と提示することはいけないことなのか。そもそもこの出発点のボタンが掛け違っている。私が理事長を務める医療法人ゆうの森(愛媛県松山市)は、在宅医療を主体にする医療機関を運営しており、法人全体の看取りは年間約200人に上る。私自身、透析中止の選択肢を提示した経験が何度もある立場から、一言申し上げたい。
まずは、現在の日本の人工透析について再確認しておこう。人工透析患者の数は、年々増加し、2016年には全国で32万9609人に上る(日本透析医学会ホームページによる)。
透析に至る原因は、糖尿病性腎症が最も多く、約4割を占めているが、現在は高齢化に伴う腎機能悪化による透析患者も増加している。1カ月の透析治療の医療費は、患者一人につき外来血液透析では約40万円、腹膜透析(CAPD)では30万~50万円程度が必要と言われている。このように透析治療の医療費は高額だが、患者の経済的な負担が軽減されるように医療費の公的助成制度が確立している。
人工透析は、医療機関側から見ると最初の医療機器の初期投資は必要だが、一度人工透析を開始すると継続的安定的な患者確保が可能で、透析医療に取り組む医療機関の中には、一種の利権とも言える医療が展開され、人工透析の安易な導入もあるようだ。
一方、透析患者は基本的に週に3回、1回につき数時間の透析の時間が必要で透析には患者家族にも大きな時間と労力がかかり、公的医療機関では、患者の利便性を考え、人工透析に取り組まざるを得ない状況もある。
腎不全の患者が、腎機能が悪化した時、人工透析で人工的に腎臓の機能を代用する選択肢が日本にはある。人工透析には多額の医療費がかかるが、日本ではほとんどが公費負担で人工透析を受けられる体制が整っている。多くの海外の国では、医療費が高額のためこの人工透析を受けられない国も多い。
腎機能が悪化して人工透析が必要になった際、患者家族は、まずは人工透析を導入するか否かという選択が迫られる。医師は透析を導入した場合と導入しなかった場合、その後どうなるかを患者家族に丁寧に納得がいくまで説明する必要があるが、そもそも透析を実施する選択肢もあれば、実施しない選択肢もある。それは、呼吸状態が悪くなったときに人工呼吸器装着するかどうか、食べられなくなったときに胃瘻栄養などの人工栄養や点滴を選択するかどうかを選択することと同じである。医師は、治す医療の選択肢を提示すると同時に、何もせず自然に経過を看る選択肢まで全ての選択肢があることを患者家族に説明する義務があり、患者家族はそのどの選択肢を選択してもよいはずだ。
ある記事の中に、日本透析医学会監事の医師のコメントがあった。「患者に人工透析を中止する提案をすることは少なく、私自身は経験がない」と発言している。そもそも透析をしない選択や透析を中止する選択はあり、医師はその全てを提示した上で、その患者本人家族にとって最善の選択を選択できるように支援するべきであり、透析をしない選択や中止の選択を提示しないことの方が問題である。
私たちは、多くの高齢者を診てきたが、最近は、超高齢の患者も多く、腎機能が悪くなっても人工透析を選択せずに、自宅で自然に看取るケースも多い。高齢だからという理由だけで、人工透析をするかどうかを決定できるわけではなく、患者本人にとって最善の選択かどうかが選択の大きなポイントとなる。
一番問題なのは、人工透析の中止を選択肢として提示して死に至ったことではない。患者家族と十分な話し合いがもたれていたのかということだ。これは、まさにアドバンスケアプランニング(ACP)の問題である。意思決定支援で大切なこととして、本人の気持ちが分からないと家族の気持ちが優先されてしまいがちだが、あくまで本人の命であり、体なのだから、本人が何を望んでいるのかを最優先に考えることがまず大切である。
そして、自然に診る選択肢から、とことん治療する選択肢も含め、全ての選択肢を関係する全ての人と十分に議論することが大切である。さらに、本人に代わって道筋を選択する家族の重荷に配慮しながら、気持ちは揺れてもいいことをお伝えすることが大切だ。
本人にとっての最善は何か、正解はない中で、「当事者と支援する医療者で十分に悩んで出した結論が正解なのだ」と言ってあげられるようなプロセスを踏んでいくことが大切ではないだろうか。最終的に出た「結論」ではなく、悩んだ「過程」が大切だと思う。
意思決定支援で大切なこと
(1)家族だけではなく、本人の意思を最優先する
(2)とことん治療する選択肢から、何もしない自然の選択肢まで考え得る全ての選択肢を提示する
(3)その時点で関係する全ての人と十分に議論する
(4)決断に迷う当事者に寄り添い、決断は変わっても良いことを伝える
(5)後で「これで正解だったんだ」と言ってあげられるプロセスを踏む(結果ではなくプロセスを大切に)
現在の社会は超高齢社会となり、今後、団塊の世代の方が後期高齢者となり、死亡者がかつてないほど増加する多死社会を迎える。この多死社会で死亡者が多くなるのは、高齢化が進み、治せない病や老化で亡くなっていく人たちが増えるためだ。
高齢で亡くなっていく人たちが増えていく時代に、全ての人が最期まで治療を続けて亡くなっていく社会でよいのだろうか。病気だけではなく、人は人生のあらゆる場面で決断が迫られる。もちろん、一人一人にとって最善は違う。どのような決断をしようともその決断をする権利が患者家族にはあるはず。そして、人の命に関わる重要な決断をするときに、迷ったり、決断が変わったりするのも当然のことだと思う。
支援者にとって大事なのは、本人や家族が命に関わる重大な決断をするときに、「迷ってもいい」というスタンスを示し、十分な説明と対話を繰り返すこと。支援者も当事者と同じ立場に立って一緒に悩んで考えることが大切である。
そして、一人一人にとっての最善が違う以上、その人にとっての正解は何かは誰にも分からない。そして、一緒に全ての選択肢を十分に議論して出した結論は本人や家族にとっても納得のいくものとなるだろう。一緒に悩んで考える過程を経て、出た結論は「それが正解だった」と後押しをすることが支援者にとって大切である。「結果」ではなく、一緒に悩む「過程」を大切にする。
今回のこの「透析中止」の報道での核心は、この部分であると思う。十分な選択肢の提示と納得のいく対話が行われていたのか否かなのかが問題であって、透析の中止の選択をして死に至ったことが問題ではない。この点を報道するマスコミの方々にも十分に認識していただきたい。
ACPの3つのコア概念
(1)人によって最善は違う
(2)気持ちは変わってもよい
(3)結果よりも過程を大切にする
生まれたら人はいつか必ず亡くなる。亡くなるまで全ての人が治療を受け続けなければいけないわけではない。
医療者はむしろ治療を続ける方が楽であり、死に向き合って、治療を選択しない選択をする方がつらいものである。
「死」は医療の敗北ではない。それでもいつか亡くなる「死」に患者本人も家族も医療者も向き合って、いつか亡くなるときにどんな最期を迎えたいのかを考えることがこの多死社会では大切になってくるのではないだろうか。
人生とは「いつか亡くなるまでどうよりよく自分らしく生きるか」だと思う。長く生きることだけが善ではない。このような報道で透析の中止や死に向き合って治療をしない選択が全て非難されるようなことにならないことを私は祈る。
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この記事へのコメント
「福生病院は悪くない」と言うことは可能だと思います。
また「これは安楽死ではなく尊厳死である。」と言うことも可能だと思います。しかし「そのプロセスを振り返る必要はある。」と、強く思います。「福生病院は悪くない」と言い得るためには、そのプロセスを明確にする義務があると思います。
この件が釈然としない一番大きな理由は、患者の年齢が44歳と若く、9日のブログ本文にも書かれていますが「中止しなければ女性は約4年間生きられた可能性があったという。」
その上に、本人は(闘病生活が主たる原因と推測しますがウツ傾向はあったが)正常な事理弁識能力を備えていた。自分で飲食可能な状態でもあったと推測できます。
そのような状態の患者を「終末期」と断言できるのか、という疑問があります。
また、腎移植や腹膜透析という別手段について医師側がどのような説明をして、患者側がどのような意思表示をしたのか「不明」である、ことも、ダークな印象を与えます。
年齢で線引きするべきではないとは思いますが、意識がしっかりしていて若く、あと4年は生きられた、のであれば、医療者側の対応の仕方ひとつで「あと4年、生きます」という選択が可能だったのではないでしょうか。
それから、憎まれ口承知で書きますが、どのような理由であっても毎日新聞が報道したことは讃えられるべきではありませんか?
医師側が、マスコミに報道されることを忌み嫌うようでは、いつまでたっても医療改革などできません。たとえ誤解があってもセンセーショナルであろうとも、マスコミはもっと医療事件を報道するべきです。この件、YomiDr,も朝日も取り上げています。
国民のために、テレビも週刊誌もどんどん報道してください。マスコミが報道して初めて、一般大衆が気付き始めるのです。
「医者の言うとおりに」ってオカシイよ、ね、と考えるようになる。
Posted by 匿名 at 2019年03月10日 07:59 | 返信
長尾先生が紹介されている新聞報道。
3.7毎日、3.8産経、3.8朝日を時系列に読み進めると、一番手の毎日が知りたい「事実」がくわしく、
後追いは、肝腎の知りたい「事実」から遠ざかっている。
ご本人は、診療所での透析5年で挿入血管が詰まり、中核病院を紹介された。
対応した外科医から新たな挿入場所が首なので、手術時時死亡の可能性があること、
その際、「透析中止」という選択肢もある旨、説明した。
外科医は、「同意」を得て透析を中止したが、中止後本人から「苦しいので透析を再開してほしい」との訴えを
数回聴いた。
外科医は、透析を続ければ4年は生存できるが、本人の「正常時の判断」を優先したと、記者にのべた。
このやりとりが、どこまで「事実」に近いのか分からないが、重要な問題を孕んでいるように思う。
小生も、昨年救急搬送され、意識だけはすこぶる明晰だったので、救急医から検査や処置の都度、説明を受け同意。
ろれつが回らず発語がよかったり悪かったりしたが、リュックの中に当院の診察券があること、3年の健診記録やモデルMRI記録もあることをなんとか伝えた。ただ、診察券や保険証の束の中に、「尊厳死協会会員証」があることは、なぜか伏せた。
4年前、透析22年の友人が亡くなった。その息子が父とのやりとりの中で、「父は、自らの意志で最後を決め、透析の道を断った」と、手記に書いている。なぜか?
黒田さんを追悼する長尾先生のブログのなかで、触れさせていただいたことがある。
Posted by 鍵山いさお at 2019年03月10日 09:30 | 返信
長尾先生の9日の記事へのコメントで樫の木さんが書いておられましたが、
「医師の人生観の押しつけの問題は、このケースにあったのかないのか」
「メディアを駆使するがん治療や緩和ケアの専門医から、自死を勧められているような気持ちがする時があります」etc.
との文言にありますように、一般日本人の意思決定は、かかわる医師のスタンス(仕事や物事に取り組む姿勢)がものすごく影響します。
その原因はやはり「お医者様は偉い」「お医者様は国家資格者であり専門家であるから常に正しい」「お医者様の言う通りにしないと大変なことになる」という医者信仰です。
現在の一般日本人には「医者に逆らってはいけない」という意識が骨の髄まで染み込んでいる。医者も、それを知っている。本当に患者の立場で「自分ごと」として医療に関わっている医者なんていないと思う。
2年前に90歳10ヶ月で亡くなった父は、82歳で食道がん、放射線治療を希望して入院した某有名大学病院の外科医は、父の入院時には放射線治療ができないことを告げずに入院させました。ちょうどその時に放射線治療装置を入れ替えていたので物理的に不可能だったのです。
しかし一連の検査を指示し「手術の可能性もあるので」と言って抗がん剤治療を始めた。私も父も、何となく不思議に思いつつ、質問することができない雰囲気でした。
某有名大学病院、しかも初心者の医師ではなく評判の良い医師が担当になってくれてラッキーだ、と、そう思いました。しかし父は、毎晩のように手術するように勧められたのです。
「決死の思い」で「手術しません、最初から放射線治療を希望しているのです。」と主張して別の病院に紹介状を書いてもらって転院して放射線治療。その病院の放射線治療担当医師は、細かく丁寧に説明してくれる誠実な人柄でした。おかげさまで再び食べることができるようになりました。
父は退院後、介護施設で生活し、外出や外食もできました。最期の死因は肺炎でしたので、高熱のため食欲も無くスプーンひと口くらいしか食べれませんでしたが、亡くなる一週間くらい前まで自分で飲食できました。
あの時、某有名大学病院の「執拗なお勧め」に根負けして手術していたならば、命永らえても1年か2年、しかも病院と縁切れずに入退院を繰り返し、苦しみながら死んでいったことでしょう。
医療はビジネスです。医者はビジネスマンです。だから「透析を継続させたいハズだ」という長尾先生の推論も成立しますが、逆に、混雑している透析ベッドを空けるために、少しでも良好な状態で手のかからない患者を得たい、という推論も成立します、よ、ね。
医療をとりまく情報は、もっともっとオープンになってほしい。医療にかかわる記事は、何でもかんでも報道されるべきです。それが、一般の日本人を啓蒙することに役立ちます。
患者が、一般人が、賢くなるしか、一般人の幸福はナイのです。自分は自分で守る、自分の人生は自分で決める。
Posted by 匿名 at 2019年03月11日 01:14 | 返信
マスコミ報道の一般的な傾向として、事実確認をせずに、医者を一方的、恣意的に悪者にしようと世間を誘導するような内容であるということです。理由はそのほうが売れるからです。
公平性を欠いた、医療叩きありきの報道が医療を滅ぼす第一歩になるという事を多くの人はわからない。
相変わらず医療側は強者だから感情論で叩いて世間を扇動させればいいという短絡的な思考回路。
自分の病気をどうしたいかは本来自分で決めるもので、利点と欠点を説明して選択支を示すべきでしょう。明らかに間違った方向(まだ進行期ではないのにがんの標準治療を拒否するとか)の場合は医療者がアドバイスして修正を試みるべきだとは思いますが。
透析医療に関しては、80~90歳でもやっていて、エンドレス。やめどきのガイドラインなどないと思いますが、これも相当な問題だと思いますが。患者の意思がどこまで反映されてるのか?
Posted by マッドネス at 2019年03月11日 12:15 | 返信
私は、糖尿病についても、人工透析についても、よく知らなかったなあとおもいます。
人工透析をしていても、治らない人が多いのですね。
であれば初めから、人工透析に頼らず食事療法と、運動療法で自分でセルフコントロールしなければだめだなあと思いました。
公立福生病院の、以前の病院で「人工透析は、成績が悪ければ、途中で止めます。苦しんで死ぬこともあります。」と説明する必要がありますね。
鍼灸治療をしていると、血糖値が下がり過ぎて「私のカバンから、飴ちゃんを出して、私の口に入れて下さい!!」と言われる事があります。
灸だけで良いから、毎日自分でコントロールした方が、人工透析に幻想を持つより、良いかも。
高脂血症も、高血糖症も、日本人が太古の昔から、お米と魚とマメ類で、低いカロリーで生活してきた歴史があるから、遺伝的に現代の豊富な食事に、慣れないのだろうと思います。
Posted by にゃんにゃん at 2019年03月11日 03:20 | 返信
今日は 3.11 大災害に見舞われた日。News で流れる映像を見ながら
「日本人は凄いな」と思うし、強いと思います。
医師会と国の思惑があって、何かが投げかけられているのだと思いますが、もっと
国民を信頼して、事実を知らせてくれた方が、事の運びが穏やかに進むのではないかと
思うことが、ままあります。
透析という言葉は聞いたことがあっても、その実は当事者であっても、果たしてどこまで
承知の上で、透析を開始するのか、また開始された行く末には、どのような事が待ち受けて
いるのかを、どれ程の当事者本人が理解しているのか、理解無きまま漠然と透析のレールに
乗っている場合も多くあるのではないでしょうか。
糖尿病を甘く見て、治療のために薬を服役したり、インスリン注射を打っているにも拘わらず、
飲酒生活を辞められない患者もいるでしょうし、その時その先に「透析」=「人工腎臓」という
ケースが待っていることがあるとか、透析を開始したなら、それは「一生涯」であるとか、
様々な「害」・リスクについてを承知していないままの患者群が多い日本国内ではないか? と
思ったりします。
「病気」は生活・人生と直結しているし、そして、それは「国民皆保険」という保障の上に
乗っ取った安心と、一方では甘えもある、日本の世の中です。
このような事を考えたり、ブログ参加する事自体が、結構マニアックなことだと自覚していますが
現状、日本の世の中は、かなり切実な、切迫した事態に陥っているのではないか?と危惧するのです。
Posted by もも at 2019年03月11日 07:50 | 返信
ももさんの「このような事を考えたり、ブログ参加する事自体が、結構マニアックなことだと自覚していますが」に深く同感。
現実社会の御婦人方はTVで(堺)マチャアキちゃんが太り過ぎもダメだけど痩せすぎもダメだと言ってたとか、もっぱらお茶の間TVが情報源。国民皆保険は既得権、腰が痛い膝が痛いと医者に行っては薬とビタミン剤をもらうのがまるで仕事みたい。ずっと元気でいるために医者に行く団塊世代は同時にいつもいつも病気におびえているように見えます。「病気になったら早く死にたい」とのたまう。彼女たちは尊厳死も安楽死もどちらでも良いらしく、むしろそのほうがノーテンキで深く考えることなく丈夫で長生きなさるのかも。共通認識は「あとは子供がやるから。」つまり受け身。自分で決め(られ)ないのです。
Posted by 匿名 at 2019年03月11日 11:46 | 返信
報道を見ていますが、福生病院の医師を責める方がおかしいと感じます。
透析治療を医療者側が患者に強制するのが正しいというマスコミの考えに驚きを隠せません。
透析以外の人口呼吸器などの延命治療を望まない選択肢は患者側にあるのに、透析だけ行わないという選択肢を示すことがいけないような考えは時代に逆行していると思います。
福生病院の方が患者側の気持ちにたって考えている病院だと私は思います。
Posted by ささ at 2019年03月12日 08:43 | 返信
人の死を、コミュニケーションの問題があったかもしれないが...と発言すること自体、医者のおごりと感じるのは私だけでしょうか。
透析中止の提示をすることには問題は無いでしょう。しかしながら、今回の問題については、患者が透析再開の意思を示したにもかかわらず、意識朦朧状態の言葉だと断定し、治療を再開しなかったことにつきるのでは..人の心はふらふら変わるものです。亡くなってしまえばどうにもなりません。
一旦治療を再開し、患者さんの気持ちが落ち着いた時点で、もう一度透析中止の意思があるのかを問うべきだったのでは。当然、治療を再開しても助かったかは分かりませんが..
Posted by 匿名 at 2019年03月12日 10:31 | 返信
「人工透析」て必要ですか?
おかしなことを言っていると思われるのは分かっています。
人工透析という治療にどうしても不信感が拭えないのです。
4年後ほど前に父親をある公立病院に連れて行きました。
年は87歳で高齢であることは否定できませんし自力で立っていられないので入院しなければならないと思ってのことです。
多少苦しそうでしたが会話はできましたので意識はしっかりしていました。
診察後入院を勧められました。そして病室の契約も行いました。
その時担当医から人工透析の治療を勧められました。
人工透析について詳しい知識はありませんし素人判断ですが最初に書いたことが頭をよぎりました。
そこで担当医に「人工透析を行わないとどうなりますか?」と尋ねました。
担当医からは「死にます」と明確に言われました。
もう私の方からは人工透析治療の同意書にサインするしか他に方法はありませんでした。
即、人工透析を行うとのことで父親は治療室へと移動しました。
この時が父親との最後の別れとなりました。
時間的考えても人工透析の治療がはじまるとまもなく亡くなっています。
一分でも一秒でも長生きして欲しいからそれが人工透析では?
今となっては叶わぬ願いですが福生病院へ連れて行ってあげたかった。
人工透析報道を見ると何故か思ってしまいます。
Posted by 匿名 at 2019年03月12日 10:48 | 返信
厚労省のガイドライン「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」と言う物が有り透析に限らないすべての医療が対象になる物です。
ACPの概念や在宅医療等を受けたガイドラインであくまで本人意思が優先で医療従属者の倫理委員会などは基本関係ないです。ただし医療・ケアチームと本人と家族等が後の医療計画に同意が得られない場合等に医療・ケアチームに助言者をいれ検討助言できるとされ、倫理委員会とはまるで別機能のものです。透析学会のガイドラインの解説記事が日本薬事新報社に「終末期の透析中止で学会が提言発表 - 患者家族の推定意思も尊重 [日本透析医学会]」と言う物に記者の作ったフロチャートでも倫理委員会が必要になるのは医療・本人・家族等の関係者の同意が得られない場合に倫理委員会等での検討となっています。福生の件はどちらのガイドラインからも不十分かつ逸脱してそうですが、最初から倫理委員会を開かなかった事を非難する根拠が見当たらない。「倫理委員会」を振り回す透析医やマスコミは事態を正確にとらえる気が有るのか?他に何か思惑でもあるのか?
先々透析の可能性が有る身としては個人の死生観を優先してほしいかぎりです。
Posted by 吉松 at 2019年03月12日 11:08 | 返信
福生病院殿は、腎臓内科を受診するかたに、透析中止を案内する病院であることを、ホームページ等で知らせる義務があるとおもいます。
Posted by 透析患者 at 2019年03月12日 02:31 | 返信
40歳代半ばであと4年生きられる可能性、という部分に想像力を働かせてみると、決して楽に生きられる状況ではないように思えます。40歳代の人ってそんなに簡単に死ぬものではないでしょう。すると普通の仕事ができる状況では少なくともないでしょう。
「可能性」ですから4年のところは2年かもしれませんし1年かもしれません。そして最後の1年は入退院を繰り返し・・・かもしれません。透析中止を考えた時点でさえかなり生活に問題がありそうにも思えます。
ご自身がそういう状況に置かれたことを想像すると、できるだけ長く生きたい、と言える人ってそう多くはないような気もします。とても生きる希望が持てそうもありません。自分だったら透析をやめて、しんどくなったら鎮静でいいです。
Posted by anonymous at 2019年03月12日 05:33 | 返信
私も数年後に透析になる可能性があると言われました。私は透析は受けないと答えました。糖尿病でインシュリンを打ってますが、自分の中で薬でサポートして行きていくのは受け入れますが死んだ臓器を機械処理して生きていくのは自分の生き方に反すると思うからです。ただ、末期になり苦しくなったらなりふり構わず、透析でもなんでもいいから治療してくれと懇願するかもしれません。今、自分が恐れているのは死そのものではなくその死までに至る苦痛に耐えられるかどうかです。ネットで検索してもそいういう患者を受け入れるホスピスのような施設の情報がありません。
Posted by 鈴木正彦 at 2019年03月13日 09:15 | 返信
今回の記事を拝見になって、公立福生病院のとった行動に敬意をもうしあげたいと思います。
透析患者は、状態が様々です。
その状態によっては、大変に苦しんでおり、透析前後〜その後までは様々であり、大概は心不全を併発して死に至ります。
若くて心臓にパワーが有り、状態も良いならば透析で延命治療も良いでしょう。
しかし、高齢で心臓にパワーも無くなってきており、動脈硬化や色々な疾患を併発していて苦しんで透析をしている患者さんもそれなりにおられます。
透析最中に、ぽっくり病のように大声を突然出し、透析を止めてくれー。苦しいー。と怒鳴る患者さんもおられます。
その人は、透析、糖尿病による足の切断、脳梗塞などを合併されており、当然車椅子生活で自力では通院が不可能です。
そういうこ80歳過ぎの高齢者をICUを行ったり来たりしてまで、透析をしているのです。
当然、透析というものは心臓にものすごい負担がかかるので、心機能が拒否反応し、苦しみます。
冷や汗も出ますし、足もつりますし、血圧も100以下に下がり、その逆で200以上にもなります。
そうすると、透析を継続すると大変危険な状態になるので、一旦は透析を中止し、透析が再開できるまで、タイマーをセットして様子をみます。
足の側を上に上昇させたり、頭の側を上昇させたり、生理食塩水を点滴して、血圧が上がるまで透析は中止するのです。
透析患者は年数を重ねるごとに、徐々に悪化していき、その終末期は患者本人が選択した治療ができれば、望ましいのです。
ICUに長期入院してまでも、スパゲティー治療をするか、しないか。
できれば、安楽死または、尊厳死の選択する病院との契約書が必要な時代になっているのではないでしょうか。
なので、透析はあくまでも延命処置にすぎません。完治はしないのです。
海外では、終末期はどのようにして死ぬか、状態の良い時にに契約した通りにする国もあるのです。
カリウム製剤を致死量注射すれば、安楽死できるので、問題は法律の整備でしょうけれど。
Posted by ルンペン at 2019年03月13日 09:33 | 返信
医療は、患者さんの為にあるのだから、患者さんの意見が聞きたいと思います。
糖尿病患者さんの為の医療だったのか。
断食道場とか、エアロビクス体操などが、気軽に楽しめたり、オリンピックのためだけではなく、国民的にスポーツが楽しめるような環境が欲しいです。
合理化合理化で、死ぬまで働かされたり、人手不足と言うと、直ぐ外国人の導入を考えたりではなく、GDPは低くても、一人一人が生活を楽しめるような国であってほしいと思います。
Posted by にゃんにゃん at 2019年03月13日 02:29 | 返信
まだ生きたかったのではないか、と推測される人が、医師の判断で死に至らしめられた事が今回の問題では?
「患者さんの意思を尊重してやっていても、時には行き違いがあるのではないのか。」
「ガイドラインを満たしていいたのか」と聞かれたら、反省の余地がある。
「人生会議が適切に行われたのか」についても、改善の余地がある。
というが、そんな軽い問題ではないのではないですか?
その、一事例として捉えるひどく客観的な言葉は、
命を預かる医師の言葉として、決して発信してはいけないものなのではないでしょうか。
一人でも意に反した治療方針による死を迎えるべきではないと思います。たったひとりであっても。
Posted by あんどうゆういちろう at 2019年03月14日 09:59 | 返信
問題は、「透析患者が途中で透析を中止すると本人が苦しんで辛い思いをする」という点を患者や家族が十分納得して透析を開始していない点だ。
結局、透析患者は死ぬまでダラダラと透析を受けながら弱って死んでいくことになる可能性が高い。透析を開始するということは、そんな生き方を選ぶということだ。昔は透析などなかったから透析の問題は存在しなかった。医療が進み過ぎた弊害だ。
Posted by 古希まえろうじん at 2019年03月15日 09:03 | 返信
「何時に来るの?」。死亡前日のメール。
「とうたすかかか」。死亡当日朝のメール。
亡くなられた女性の、「生きた声」「死せる声」だ。
主人公の透析患者を放置、遺棄して、「フェイク」を膨らまして興奮に浸っている方もいらっしゃるようだ。
新年早々首領さまが「ウソ」を語り、NHKが垂れ流す。訂正も撤回もせず、責任の所在も明らかにしない。
こんな日本人社会だから、ことの本質に迫ることから遠ざかり、「敵」を見つけて共感、同調したくなる。
渦中の福生病院医療者は頭隠してなんとやらなので、素人には論評する材料がないが、
綺羅星のコメントのなかで、「透析=延命治療」という決めつけには承服できない。
「延命治療」とは、「一般に回復の見込みがない死期が迫っている終末期の患者への生命維持のための医療行為」
とされている。
ある「透析1年生」によれば、「透析患者は終末期患者ではないし、透析は延命治療ではない。」(竹井善昭)。
「透析22年」で先立った友人は、直前まで障がい者解放運動の先達だった。
脳梗塞で救急搬送されたぼくも、tPA療法や酸素吸入が延命治療だとは思わなかった。
もちろん、「透析」を開始しなければ、「tPA療法」を開始しなければ、いずれ死期を迎えよう。
また、中止すれば、死期を速められるだろう。
「延命」は「延命」だが、「延命治療」「延命医療」となれば、ありとあらゆる治療、医療は「延命」のため
ということになろう。
透析患者・竹井善昭によれば、
「まともな透析クリニックであれば、シャントが潰れないようにシャント管理もきちんとやる。」
「シャントというのは静脈と動脈をつなぐバイパスのことで、
通常は利き手の逆の手首、親指の付け根あたりに作る。しかし何らかの理由で
このシャントが詰まってしまい、使えなくなることがある。
その場合は、利き手の手首に作る。それもダメになった場合は、左右の大腿部に作る。
それでもダメな場合には、前胸部に作る。」
昨今のマスメディアの劣化は、激しい。
スカの「記者締め出し」に、官邸記者クラブが追随。
アキヒト家の私的行事の国事化を、垂れ流すだけのマスメディア。
廃止すべき元号に、あれこれ興じるマスメディア。
戦前、戦中、戦後を総括することなく、ノッペラボーにひきついだマスメディア。
それにしても、医療者による「生死観」「死生観」の押し付けは、まっぴらだ。
生死観、死生観は、「ひとりひとり ちがって いい」(金子みすゞ)のだよ、ね。
Posted by 鍵山いさお at 2019年03月15日 04:20 | 返信
妙な風潮が出来上がってしまうと、それもおかしな事であり、困ることなので
少し補足します。福生病院の事案:裁判になりそうな今回の件 とは少し論点がズレるかも
知れませんが、透析患者さんの多くが窮地に立たされてしまっては、それも忍びないので
書きたいと思います。
いつでしたか夕方のNEWS番組で、夜透析を報道していました。家族を持つ御主人が仕事を
優先するために、夜の睡眠時間帯に透析を行ってくれる病院があり、それを利用していて
透析と仕事との両立、すなわち生活を維持しているというNEWSでした。
映像的には昼間の御主人は、一般人と変わらない様子でいらして、普通の生活を維持して
いらっしゃいました。(けれど体力的には厳しい側面があるかも知れません。)
生き方・生活スタイルは人様々です。一刀両断で裁けるものではないと思います。
福生病院の件を契機にして、これから制度が変わっていく端境期になるのかも知れません。
透析に限った話ではありませんが、高齢になってからの治療等=寿命を長らえるためのことは
通院できるということが原則になれば、「何のために」という目的意識が明確になると
思いますし、その治療のためには自らも努力する、という姿勢を表せると思います。
現に、透析施設は軒並み増えていっているそうです。関係者に言わしめれば、昔は透析に踏み切る
には医師も慎重であったけれど、最近は割と簡単に「透析」を勧められると聞きました。
入所して、又は入院して、のそれは全くの運動不足であり、透析のために生きていると見えんばかり
の生活になってしまうのではないでしょうか。入所・入院 に自由はありません。やはり管理されます。
動きを制限されることは必然的に運動不足になります。転倒防止のために車椅子に乗ることを余儀なく
されるでしょう。そして歩けなくなります。
やはり自宅が拠点である、ということが大事なことではないでしょうか。
Posted by もも at 2019年03月15日 07:46 | 返信
医療者の価値観の押し付けなどというア◯なことを言ってる患者、家族が居るからこの国の医療は成熟しない。
自分がその選択をしたからその結果に繋がるわけで、結果が気に入らないから騒ぎ立てる未熟な患者や家族が多いから、医療の現場は混乱し無駄な労力を費やすことになる。
リビングウィルの重要性を何よりも理解せずに医療を受けてしまう患者家族の未熟さが非常に嘆かわしい…
Posted by 匿名 at 2019年03月15日 11:59 | 返信
03月10日 07:59のこの記事最初のコメントを投稿した者です。今でも最初とほぼ同じ感想です。44歳という患者さんの若さ、終末期と言えるのか否か、そして鍵山さんが二度目の投稿に書いておられますように、「腎臓透析すなわち延命」であると定義づけるならば、ほとんどの医療行為が延命であることになります。
透析をすれば4年は生きることができた、と当事者の医師自らが予測しています、そしてなおその方を終末期であったと述べている・・・4年生きることができるが終末期である???もしその患者さんを「終末期」と定義づけるのならば、「人工透析すれば終末期が4年間継続することもある」ということでしょうか???
意思表示さえできない寝たきり老人を胃ろうなど人工栄養に繋げば、この世に2年くらいは存在できるそうですね。この場合は「人工栄養で終末期が2年間継続する」ことになりますね? この場合は「肉体を無理やり存在させている」印象が強く「人間としての存在」が否定されていると私は感じます。
しかし、意思表示もできて意思疎通能力もあり(記事にはありませんが)自分で飲食可能な「一人の人間として存在している」44歳の女性が、「終末期だった」???
人工透析が必要な病状は深刻困難でありましょうが、医師自らが「透析すれば4年は生きること可能」と言いつつ「終末期である(ので透析中止して死を選ぶのも本人次第)」というのは、単に言語の使い方の問題ではなくこの医師の思考能力が混乱していると感じます。
意思表示もできて意思疎通能力もあり自分で飲食可能な「一人の人間として存在」していても、癌の場合は終末期でありえますよね。しかし癌の場合はその終末期が4年も継続しませんよね。せいぜい数ヶ月。
「終末期」の定義は??? 長尾先生、ご教示ください。
Posted by 匿名 at 2019年03月16日 03:18 | 返信
いつも見識に感心
匿名から鍵山いさおへの返信 at 2019年03月18日 09:34 | 返信
感心
匿名から鍵山いさおへの返信 at 2019年03月18日 09:36 | 返信
透析が、短い期間の治療でも長い期間の治療でも、一週間も透析をしなければ、死に至るのですから、長いから、短いからと言っても延命処置であることは間違いありません。
自宅に透析装置があれば、ポータブル透析装置などが開発されれば、旅行もできるようになれば、人工心臓と同じようになれば、延命処置とは言わなくなる時代も来るかもしれません。
今の所は、長期延命処置という言い方のほうが正しいかもしれません。
透析人口を減らすようにするには、移植という世論と法改正と医療倫理の問題を曖昧にしないで、医師会の議論のテーブルにのせ、もっと上の国際会議にまで発展させる事です。
そして、先進国のジュネーブ宣言のテーブルで移植と透析治療の問題を議論することです。
Posted by ルンペン at 2019年03月21日 03:23 | 返信
引用になりますが、
ttps://blog.goo.ne.jp/toride727/e/060ecdf41f9fef18a393e013f1891115
3月28日、担当医と院長が臨んだ共同記者会見で、「透析中止は患者の意思です。病院から透析中止の選択肢を示していない」と明かされ、毎日新聞が鬼の首を取ったように報道した『病院から透析中止の選択肢を提示した』点が否定されました。
29日朝日新聞は、患者が透析中止を希望した経緯につき、
”外科医は首周辺に管を通す透析治療を提案したが、女性は『シャントがだめだったら透析をやめようと思っていた』と話し拒否した」という。あくまで患者本人から拒否の言葉が出たというのだ。続けて「外科医は透析をやめると2週間ぐらいで死に至ると説明、女性は『よくわかっている』と答えたという”
さらに、患者とその夫を交えての話し合いの後、「透析からの離脱証明書に女性に署名してもらった」と報道したそうです。
また産経新聞の記事で、会見時の外科医の言として
”外科医は、『透析が可能な状況でこちらから中止を提示することはない』と説明。女性は中止の意志が固く『衝撃を受けた』と振り返った”
とあり、この点は朝日新聞でも
”外科医は「拒否したために透析ができなくなった特異なケース」と話している”
としています。
それまでの報道と矛盾する理由については朝日新聞のみが伝え、
(”東京都は当初、外科医が透析をやめる選択肢を示した、と説明している”)
東京都への取材で誤った情報が流れ、医師に確認がなされないまま報道されたようです。
Posted by 会見で明かされた透析中止の経緯 at 2019年10月21日 06:17 | 返信
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