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認知症のおひとり様の看取り

2019年05月14日(火)

今年に入り、お看取りが50数人もあった。
2日に1人くらいあるので、息を抜けない。
今日も、お2人の看取りがあったが穏やか。
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認知症のおひとり様はいくらでもいる。

その看取りは、私たちには「日常」だ。

もちろん末期がんのおひとり様も同様だ。

みなさん穏やかな最期を迎えられている。

しかし一般の方や病院スタッフはそんなことは知らない。
一人暮らしの方が何かで入院して、暴れたならもう最後。

ザイタクは絶対無理!
精神病院かかカンタキへ、と言われる。

遠くの家族は「そうかな」と思い、それに従う。
すると、私とはもう会うことはない。

しかし中には、「絶対、家がいいわ」と主張する人がいる。
本人と家族がそれを望んでも、病院の地域連携が許さない。



今朝、午前6時半に電話が鳴った。
ある民生委員さんからだった。

気になるので自主的におひとり様の見守りをしてくれている。
そんなお節介を焼いてくれる民生委員さんも、世の中にいる。

「今、家に入ったら息をしていないみたいです」

「ええ?呼びかけてみてkください」

「呼んでも返事しません」

「息は?」

「分かりません」

「耳を口に近づけてください。胸は動いていますか?」

「動いていません」

「じゃあ、亡くなっているね。仕方がないね
 9時までに行くから大丈夫。死亡時刻は今」

「私は先生が来るまでどうすればいいのですか?」

「家に帰っていいですよ。ただしケアマネさんには連絡しないで」

「もし救急車を呼ばれたら、貴方が警察署で取り調べを受けるよ」

「そういえば、このあいだ、そんなことがあって参りました」・・・


朝一に別の往診があったので2時間半後に伺うと民生委員さんがいた。
遠くにいる家族に電話で経緯を説明すると、到着は夕方になるという。

すると早々、葬儀屋さんが来た。

そういえば先週の夜の看取りの時も、私の到着を葬儀屋さんが待っていた。
でもそれでも落ち着いている介護スタッフが頼もしく見えた。

寝ている間に死ねのだから、これ以上の「穏やか」はないだろう。
そうおひとり様はみなさん「平穏死」であるが信じてもらえない。

そして看取るのは民生委員さんであったり、隣のおじさんおばさん。
要は多少もコミュニテイさえあれば、特にたいした問題はない。

5月1日のワイドスクランブルでも杉村太蔵氏のおひとり様質問に対し
「日本の終末期問題は、ほとんどは家族の問題ですから」と発言したし。


午後の看取りも、穏やかだった。
直前まで食べて、話しての最期。

でもやはり関係性が出来ていなければ、難しいかもしれない。
あとそれを良しと考えない家族がいたら、残念ながら入院へ。


東京にいた2日間は看取りがなく、帰った途端2~3人続く。
これっていったいなんななんなのか。いつもそうなる。

深夜に動くのは看取りだけではない。
状態不安定のコールにも素早く動く。

亡くなった人はゆっくりでもいだろうが、
生きている人の往診は、結構必死で行く。

24時間365日とは、まさに空海さんの世界。
そんな朦朧状態で生きている。


昨夜は、結局、3時間くらいしか寝られなかった。
私はロングスリーパーなので、結構しんどかった。



PS)
貴景勝が2勝目。
嬉しいな。

明日(今夜)は、国立認知症大学の講義だ。→こちら
今回は、なんと70名もの参加者があると。

さすがに急遽第二会場も造った。
入りきれない人は、第二会場で。

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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

毎日 毎日…ほんとにお忙しく
どなたが先生のことを気遣ってくださっているのでしょうかと心配しています
(わたしごときが心配しても どうにもならないんですけど…)

訪問看護をやっています 施設への訪問もあります
施設がいいなと思って 過ごしていらっしゃる方は いいんです
でも 大半の方は とても寂しそうに感じます
結局 このガランとしたお部屋で 一人で過ごしているんですよね
確かに 呼べば すぐに職員がきてくれます
時間になったら ご飯が食べれて お風呂に入れます
これって
おうちでも充分 サービスが整うと思うんです
もしかしたら
施設に支払う分と同じ金額をおうちで過ごすために使ったら おうちの方が充実しているかもしれません
パッと見て 施設が安心…って誰が安心と感じるんでしょうか?
それは 二人称の人たちですね

最期まで 自分らしく輝いていたいです

Posted by 宮ちゃん at 2019年05月14日 07:37 | 返信

高齢者が入院して暴れるのは、多くの場合せん妄になりやすい薬をたくさん飲まされてるからでしょうね。中にはアルコール依存症の離脱の人もいるでしょうが。
高齢者にとってムダな薬をいっぱい飲まされて、本来必要のないムダな入院させられたあげく、夜中に大暴れして、管理目的という名目で鎮静薬(精神科の薬)が投与される。
そういう医療というのは本当に愚かとしか言いようがない。とても医療とは言えない。
薬を極力飲まずに、緊急手術など特殊な事情以外は極力入院しない(人間にとって不快な環境に置かない)それが高齢者にとってはベストだと思います。

Posted by マッドネス at 2019年05月14日 10:41 | 返信

いつもブログを拝見しています。
母がレビー小体型認知症で24時間、原因不明の吐き気が続くため、精神的に不安定な日々が続いています。
真夜中に病院に連れて行けと泣いて叫んで懇願されたり、連れて行こうとすると、今度は、怖い行きたくないと家を飛び出し、警察のお世話になったりしました。
私としては、吐き気さえなければ、精神も安定し、まだまだ自宅で過ごしてもらいたいと思うのですが、毎日、夜中に起こされたり、不安で泣きつかれたりすると、自分の精神がどうにかなりそうです。
病院の先生も精神安定系の薬は、錯乱する可能性があるため、入院して試すかなど言われています。
日中は、家族が仕事で家におらず、自宅での火の不始末など不安も多くあって、今後、施設に入ってもらったほうがいいのか、自宅でデイやショートを利用しながら、うまく過ごしていくほうがいいのか、毎日、私が混乱しています。
自分では、認知症について勉強したつもりで予測がついていたはずなのに、現実は、心と体がついて行かないものなんですね。
私も50代独身なので、自分の身の置き方も考えさせられます。

Posted by ようこ at 2019年05月15日 06:45 | 返信

私は妻と別居して一人暮らしをしています。孤独死をするためです。妻と同居していたら、私が倒れた時に救急車を呼ばれて死に損なうかもしれません。念のため、妻には何かあっても救急車には乗せるなと言っております。ただし、最期の時まで楽しく暮らしたいと思っています。
 人生50年の時代は救急車もなく、高齢になり倒れたら医療の力を借りずに様子を見るだけで、人々は「何かあったら死ぬだけ」と覚悟を決めていたのではないか。
 今は、医療に頼ってどこまでも生きたいと願う人が多いようだが、医療に助けられた結果、寝たきりや半身不随の要介護の身になるかもしれない。そうなると自分も苦しいし家族も苦しむ。家族や他人を苦しめてまでも長生きをしたいのだろうか?
 私は、一人暮らしをして孤独死をするのが望みです。

Posted by 匿名 at 2019年05月15日 08:36 | 返信

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