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安楽死反対のフランスで始まる「ソフトな安楽死」

2019年05月23日(木)

安楽死に反対するフランスでは、「ソフトな安楽死」が始まっている。
終末期の鎮静は、昨年、東大で私も演者になり真摯な議論が始まった。
その一方で、スイスのデイグニタスに渡って安楽死した日本人が出た。

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安楽死反対のフランスで始まる「ソフトな安楽死」  

「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長持ちする」。(『新約聖書』マタイ9-17)
 オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイスという自由な小国の狭間で、ヨーロッパの大国、フランスとドイツが新酒を古い革袋に入れようと悩んでいる。

ベルギーで販売される、一般医が患者の自宅で安楽死を行うための「安楽死キット」

■ 「安楽死ツーリズム」

 昨年末、フランスに関するこんな報道があった。医療のグローバル化により、患者が海外へ渡航して医療処置を受けることがトレンドとなったように、海外からベルギーへ安楽死を求めて訪れる「安楽死ツーリズム」が増加傾向にあるのだという(2018年12月24日付け『The Telegraph』)。ちなみに、安楽死が認められているオランダは、その対象を自国民に限定している。そのため、安楽死を希望する外国人は、ベルギーに向かうのだ。

 2016年と17年には、23人の外国人がベルギーに安楽死をしに来たそうだ。2017年の10月には、運動神経元性疾患を患っていたフランスの高名な作家がベルギーで安楽死した。安楽死を希望してベルギーにやってくる人々の中で、特にフランスからの希望者は年々増えているとのこと、また患者を連れてフランス人の医師がベルギーへ来て安楽死を行っていること、このままではベルギーはフランスのドレイン(排出口)になりかねないので、フランス人は1年に12人に制限することなどが報ぜられていた。 一方、ドイツでは、安楽死の権利を求めてこの4月16日に憲法裁判所が開催されたというニュースがあった。現在のドイツの「業としての介助自殺の可罰性に関する法律」が患者の安楽死の権利を侵害していると訴えられている(ZDF)。

 このように「安楽死」に対する議論が活発なヨーロッパで、また新しい動きがあった。日本の終末期医療の問題にもかかわる、また「ソフトな安楽死」としての「持続的な深い鎮静」の問題にも関わるニュースである。フランスで起きた「バンサン・ランベール事件」である。

■ フランスを騒然とさせたバンサン・ランベール事件

 10年以上、ほぼ植物状態にあるバンサン・ランベール氏(42歳)の生命維持装置が近く取り外されるとの連絡が家族に通知された、との報道がこの5月13日にあった。生命維持装置の取り外しを、ランベール氏の両親は望んでいない中での通知だ。

 AFPなどの一連の報道をまとめると以下のようである。

 2008年に、ランベール氏はオートバイの交通事故で脳に重度の障害を負い、ほぼ植物状態(遷延性意識障害)となった。彼の意識は最低限の意識状態で固定されていて、適切に飲み込むことができず、人工的に栄養を静脈内に注入している。

 2014年に、ランベール氏の担当医と妻や兄弟たちが、2005年成立のレオネッティ法(いわゆる「尊厳死法」)に基づき、水分補給や栄養の静脈投与の中止を決めた。

 しかし、カトリック教徒である両親やほかの兄弟たちは、ランベール氏には回復の可能性もあると主張し、一貫してこの決定に反対した。

 争いは法廷闘争となり、一審では生命維持停止を認めない判断が下されたが、フランスの最高行政裁判所である国務院は2014年6月、回復の見込みが全くない患者の治療を中止することは合法との判断を下した。ランベール氏の両親はこれを受け、欧州人権裁判所に訴えを起こした。

 欧州人権裁判所は2015年6月5日、植物状態にある男性の生命維持中止を認めたフランス裁判所の判決を支持する判断を下した。世間の関心は、いつ中止されるかに向けられたが、ランベール氏の両親の側の激しい抗議が続いた。ランベール氏を検察の手にひき渡し安全な場所で保護するために病院から誘拐するという考えまで飛びだし、世間を騒がせたりし、こう着状態がずっと続いた。

 2019年1月ついに、医師が水と栄養の静脈内投与の中止を決め、フランスの裁判所がこの決定を認め、国務院もこの決定を支持する判断を下した。そしてランベール氏の担当医が、「5月20日の週にランベール氏の生命維持装置を外す」と家族に告げたという。

 これに対して国連の「障害者の権利に関する委員会」が障害者の権利条約25条を盾に、栄養と水分補給が障害者であるランベール氏から取り除かれてはならないと、介入するなど反発も相次いだ。

 こうした中、ランベール氏の担当医らは、夫人や親族の意向を踏まえて、5月20日、ついに延命治療装置の停止に踏み切った。

 ところがその数時間後、パリの控訴院は、ランベール氏の生命を維持するため、「あらゆる措置を取るよう」命じたという。こうしてランベール氏への延命措置は再開されることになった。

 各機関の判断の違いにより、ランベール氏に対する措置が二転三転しているのだ。果たして植物状態となっているランベール氏の運命はどうなってしまうのか。事態は混迷を深めている。
この事件は「フランスのシャイボ事件」と言われる。シャイボ事件とは、すでに10年以上も前にアメリカ、カトリックの強いフロリダ州で起こった事件である。それは政治家、大統領、果てはローマ教皇も巻き込んで国を二分する議論を巻き起こし、ABCを始めアメリカのテレビ局ばかりか、外国でもそのニュースが連日報じられるような大事件だった。

 「テリー・シャイボ事件」を手短に説明しよう。

 フロリダ州に住む女性、テリー・シャイボさんは、1990年摂食障害から心臓発作を起こし、重い脳障害のためほぼ植物状態(遷延性意識障害)となった。それは通常の植物状態とは異なり、時々は目を見開いている、「あー」などの声を立てる、目の前で風船を動かすと後を追う、など意識があるような症状も示していた。 だが、1998年シャイボさんの夫は、「テリーは無意味な延命よりも尊厳死を望んでいた」として、生命維持装置の取り外しを決意し、テリーさんの後見人として、フロリダ州の裁判所に申し立てを行った。それに対して、娘の回復を信じるテリーさんの両親はこれに反対。「テリーは植物状態ではなく、回復の見込みがあり、本人は治療停止を望んではいなかった」として、真っ向から対立した。

 2000年に始まった審理では夫が勝訴。州の二審、最高裁でも一審が支持され、2003年9月に生命維持装置の取り外し命令が出て、10月に取り外しが行われた。

 ところが、ブッシュ州知事(ブッシュ大統領の弟)もこの尊厳死の阻止に動きだし、州知事の発令により、装置が再挿入。

 そこで今度は夫が州知事を訴え、それに対して州知事が連邦裁判所に上訴するという事態に発展。そして2005年、連邦裁判所は知事の上訴を受理せず、再びテリーの生命維持装置の取り外し命令が下された。この結果を受け、その年の3月18日、テリーさんは栄養と水分の補給が断たれる。13日後の31日、テリーさんはフロリダ州のホスピスで息を引き取った。

 4月15日には、テリーさんの治療に当たっていた専門家チームが記者会見し、「植物状態を否定する証拠はなかった」と述べた――(以上ABCなどのニュースに基づいて)。

 
 二つの事件の共通点は、(1)ほぼ植物状態で、(2)本人の「事前指示書」がなく、(3)後見人(代理人)の意見が分かれたという点である。

 このシャイボ事件と同じように、フランスで起きたランベール事件も、10年以上の長期にわたり国を二分する議論を呼んだ。しかしいたずらに10年が過ぎたのではない。この事件を通して、「事前指示書」、「代理人」などの制度が議論されてきたのだ。今回はこの事件の最中にフランスで成立した新法について注目したい。

■ 持続的な深い鎮静法

 2016年2月、フランスで新法が成立した。それが『クレイス・レオネッティ法』で、終末期の患者に「ソフトな安楽死」、つまり眠らせたまま死に着地させるということを世界で初めて許容した法律である。

 栄養や水分の静脈内注入をしているランベール氏からそれらを外し安らかに死に尽かせるためには、ランベール氏に「持続的で深い鎮静(セデーション)」をかけて、深く眠らせる、ということなのである。

 

この法律の意義は大きい。実はオランダでも現在、「持続的で深い鎮静」の問題がとりあげられようとしている。というのも、これまで、「持続的で深い鎮静」は、緩和医療などの一環であり、それで患者が死に至ったとしても、オランダでは特別に調査の対象とはされていなかった。手続きの正否が問われていたのは、致死薬の注射で意図的に死に至らせる安楽死だけだった。というよりも、オランダではそもそも緩和医療はそれほど積極的に取り組まれてはいなかった。

 ところが、2002年にオランダで安楽死法が成立して、それまで暗黙のうちに行われていた安楽死が法的に認められるようになるのと同時に、安楽死を実施した医師には、詳細な「記録」を残す義務が課せられるようになった。その手順があまりにも煩雑なために、最初の年である2002年は安楽死の数が激減した(3500件から1800件へ)。

 そして安楽死の代わりに増えたのが、緩和医療、特に持続的な深い「鎮静」だったのだ。終末期の耐えがたい苦痛を緩和することを目的とし、鎮静剤を投与して意識水準を下げる鎮静は、オランダでは通常の医療の範囲内にある。そして鎮静の際には、栄養チューブなども抜かれることが多いため、「ソフトな安楽死」とも呼ばれる。だがこの場合は、特別に報告する必要も、罪を問われることもないのだ。

 そのため現在、オランダの調査委員会はこの持続的な深い鎮静に注目し始めている。なぜなら、この件数が増大しているからである(2001年7800件から、2015年2万6900件へ)。

■ 死に至るまでの「深く持続的な鎮静」の新たな権利

 一方フランスは、これまで国をあげて安楽死に反対し、患者の意思を尊重しながら、緩和ケアを施し、自然死を迎えさせるという方向で進んできた。1999年、患者に検査や治療を拒否する権利を認めた「緩和ケア権利法」、2002年には,苦痛軽減のために緩和ケアを受ける患者の権利を認める「患者の権利法(クシュネル法)」、2005年の過度の延命を拒否する権利を導入した「レオネッティ法」、つまり、事前指示書、代理人の意見、医師チームによる合議に基づいて、治療の中止を認め、モルヒネなどの鎮痛剤を用いての緩和ケアを施し、自然死を迎えさせる法律、いわゆる「尊厳死法」というように、安楽死へと向かわない方向で法を整備してきた。

 しかし、2016年2月あらたな法律により、新しい権利を作り出し、方向を転換することになった。新法の「クレイス・レオネッティ法」は、終末期の患者のために、「死に至るまでの深く持続的な鎮静の新たな権利」を是認する法律である。

 その目的は患者の苦痛と過度の延命治療を避けることである。そして鎮静の措置が可能なのは、患者の求めがあり、重篤で治療不可能な患者で、「その余命が短期と定められていて、治療を受け付けられないほどの苦痛がある場合」と、「治療しても短期の余命を余儀なくされ、耐えがたい苦痛を与える治療の停止を患者が求める場合」である。

 さらに、自らの意思を表すことができない状態の患者について、新法は「持続的な深い鎮静」を行うことを合議の上で医師に認めた。というのは、医師は過度の延命治療の拒否の名において生命維持治療の中断を決めているので、そこから生じる患者の苦痛を避けるためである。

 この法が、5月20日朝に、ランベール氏に適応されたのである。「持続的な深い鎮静」の実施とともに、生命維持装置が取り外されたのである。ランベール氏を過度の延命治療から解放し、苦痛なく死につかせるためには、ソフトな安楽死としての「鎮静」を患者の権利として認め、しかも「偽装された安楽死」と非難されないためには、医師に(死を意図した)鎮静を行うことを許容する法律の制定が必要だったのである。 参考:世界の終末期医療の最新データー2019.04.12
https://www.maruzen-publishing.co.jp/info/n19241.html

盛永 審一郎


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一方、日本では・・・

2018年に日本尊厳死協会が主催する日本リビングウイル研究会で
「終末期鎮静」について議論したばかり。

その一方・・・

ついにスイスのデイグニタスに渡り、安楽死を遂げた神経難病の日本人がいる。
その一部始終が、6月2日のNHKスペシャルで放映される。→こちら

安楽死が容認され海外からも希望者を受け入れている唯一の国スイスで、私たちは初めて日本人の安楽死をテレビカメラで記録した。3年前に、全身の機能が失われる神経難病と診断されたAさん。歩行や会話が困難となり、医師からは「やがて胃瘻と人工呼吸器が必要になる」と宣告される。その後、「人生の終わりは、意思を伝えられるうちに、自らの意思で決めたい」と、スイスの自殺幇助団体に登録した。
安楽死に至るまでの日々、葛藤し続けたのが家族だ。自殺未遂を繰り返す本人から、「安楽死が唯一の希望の光」だと聞かされた家族は、「このままでは最も不幸な最期になる」と考え、自問自答しながら選択に寄り添わざるを得なくなった。そして、生と死を巡る対話を続け、スイスでの最期の瞬間に立ち会った。
延命治療の技術が進歩し、納得のいく最期をどう迎えるかが本人と家族に突きつけられる時代。海外での日本人の安楽死は何を問いかけるのかを見つめる。

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この問題については、8月31日(土)15時から
桜井隆先生と公開で徹底討論する予定になっている。

会場は神戸三ノ宮駅3分のシアターエートー →こちら
フライヤーはまだですができ次第、掲載します。
 


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この記事へのコメント

自殺未遂を繰り返している場合、なぜスイスまで行って安楽死を選ぶのでしょうか。
食事もとらず水分もとらず、を選ぶ方がはるかに自然です。
安楽死を施行する側がどんな気持ちになるかと考えると、いたたまれません。

Posted by anonymous at 2019年05月24日 08:51 | 返信

 私は条件付きで安楽死賛成です。条件とは、難病の人に限って安楽死を認めるというものです。
 長生きを目指して生きてきて、「こんなに辛い長生きなら死にたい」と言うならば、自殺すればいいのだが、自殺せずとも「医療に助けを求めない」生き方をすればいい。ある程度年を取ったら「何かあっても病院にかからない」という覚悟で生きるのである。勿論、救急車に乗るなどもってのほかで、死に時を逸してしまう。救急搬送されると半身不随などの辛い状態になり、安楽死を望むことにつながる。
 人生50年の時代は医療が発達しておらず、医療に助けを求めないで人々は死んでいたから、安楽死を考える必要がなかったのだと思う。人間は、死ぬべき時には死ぬのがいい。

Posted by 古希まえ男性 at 2019年05月25日 09:53 | 返信

NHKのドキュメント見ました。
何とも言えない悲しい映像でした。
他統系萎縮症とかいう聞いたことのない病気でした。
痛みと麻痺をともなう不治の病でした。
お姉さま二人に介護されて、ご自分から望んでスイスでの安楽死を望んで、お姉さま達も妹さんも色々悩んで、本人の意志でスイスに行って契約書を取り交わして眠るように亡くなられました。
現代医学ではどうにも治らない病であったとのことでした。
息を引き取るときは、お姉さま達も泣いていらっしゃいました。私も悔しいなあと思いました。
せっかく物凄い才能の在る方だったのに、頑張り過ぎたのかなあとも思えました。
いろいろな難病が、なんとかよくなるようになれば良いのにと思いました。

Posted by にゃんにゃん at 2019年06月03日 12:27 | 返信

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