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まぐまぐのQ&Aコーナーってこんな感じ

2019年05月20日(月)

まぐまぐの有料メルマガ(→こちら)は、ブログに書きにくいことを書いている。
決して過激ではないと思うが、日記と言っても書けることと書けないことがある。
年々、購読者が増えてきている。  メルマガの中のQ&Aから、少し紹介したい。

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1 心肺蘇生不実施……高齢者でない場合はどうなるの?  (5月17日号より)
 
Q)

長尾先生こんにちは。
はじめまして。メルマガを拝読させて頂いております50代女性です。
ウェブニュースで東京都が心肺蘇生不実施の導入を検討しているとの記事を読みました。
これは画期的だと思いましたがよく考えると高齢者でない場合、年齢問わずの不慮の事故などの場合はどうなるのかな? と疑問が湧きました。

個人的には延命治療は望みませんし、15年以上前ですが末期ガンの母の終末期には早く楽になって欲しい思いで延命は希望しませんでしたが主治医の先生から引き止められる事なく本当に穏やかに病院で亡くなりました。

話が逸れてしまいました。私のように若くもなく超高齢でもなく、年に一度しか行かないクリニックを、かかりつけ医と言えるのか、よって在宅医療にかかっているわけでもなく当然不測の事態には延命治療を希望しない事は家族しか知りません。

このような人間が救急搬送される事態となり残念ながら命は助かったものの機械に生かされる状況になってしまうのは運命と家族に諦めてもらうしかないのか
(本人は意識がないのが幸いかと)考えてもよくわかりません。

勉強不足ゆえリビングウイルがどのような時に効力を発揮してくれるのか、いまひとつピンときていなくて申し訳ありません。
長尾先生はこのような場合、リビングウイルを作成しておくと有用とお考えでしょうか。
是非教えて下されば幸いです。
 
 
A)

東京都の試みは画期的なものです。日本臨床救急医会の会議で「終末期にある患者さん
で本人・家族の意思が明確であれば119番しなくてもいい」と決まったのです。119番の医療である救急医療の歴史の中で医学会が「119番しなくてもいい」はそれだけ衝撃的な発信でした。呼吸器学会が「終末期の肺炎は治療しないという選択肢もある」と言ったのとどこか似ています。
 
 しかしそれらはあくまで終末期の患者さんに限っています。また家や施設で看取ってくれる主治医がいることが前提です。もちろん主治医と24時間連絡がつかないと在宅医とは言えません。そして「やるか、やらないか」ではなく、「家族や文書の確認をしながらとりあえずはやるけども、確認が取れ次第、それを中止してもいい」という意味です。二者択一、あるいは機械的な扱いではないことはご理解ください。
 
さて、もし元気な貴方が、どこかで急に意識を失ったら、です。誰かが必ず119番してください。AEDも心臓マッサージもしてください。これは救急救命医療であり当たり前のことです。心筋梗塞や脳梗塞の医療の進歩はすさまじいものがあります。病態にもよりますが、後遺症無く社会復帰できる場合がいくらでもあります。ポイントは救急車で救急医につなぐまでの時間です。早ければ早いほど、救命率も社会復帰率も高くなります。いくらあなたがリビングウイルカードを首からぶら下げていても急病はその対象にはなりません。不治かつ末期という大きな前提条件の元でのお話だとご理解ください。年齢は関係ありません。今日、20台の有名な美人プロゴルファーががん闘病のため旅立たれましたが、死は年齢を問わず全員に訪れます。
 
以前、夜間診療所に出務していて私と同じ年の人が私の目の前で心肺停止になりました。119番をして救命センターに着くまでの30分間、気管内挿管をはじめ救急処置をしました。救命センターに着いて多くの救急医にバトンタッチしてもなかなか心拍再開しませんでした。しかし到着して約1時間後にわずかに心電図に波形が現れました。結局、その人は心臓の壁の下側の心筋梗塞に伴い致死性不整脈が出て心室細動になっていたようでした。90分間の心肺停止時間がありながら、まったく後遺症もなく社会復帰できた例として実はこの人が最長であることを、ずっとあとに知りました。つまり未公認ギネス世界記録です。決して自慢したいわけではありません。そんなこともある、そのための119番だとご理解ください。もし市民も医師も119番しないなど最善を尽くさなければ、法律にも倫理にも問われることになります。
 
ではリビングウイルはなんのためにあるのか?これはがんにせよ、認知症にせよ、COPDや心不全や腎不全にせよ、あくまで終末期が迫っている場合の話しです。最期の最期は、自然な形で眠るように旅立たせてください、という本人の意思表示です。突然の脳卒中や交通事故でも頭部外傷で意識不明に陥った場合であれば、最善の治療を施しても半年以上経過しても全く改善がなく、死期が近いと複数の医師が判断した時から効力を発揮しはじめます。実際には関係者が集まって人生会議で決めますが、その時にリビングウイルがあると「ああ、この人はこのような考えの方だからそうしてあげましょう。そのような私たちの判断は決して間違っていないね」と辛いけども納得が得られます。毎年、亡くなられた人の家族にアンケート調査をしていますが、90%以上のご家族が「リビングウイルが役にたった」と回答しています。だから法律は無くても有用です。一定の役に立っていることは間違いないと思います。いずれにせよ、元気なうちからこんな話を聞いてくれてイザという時に往診をしてくれる「かかりつけ医」をご近所作っておくことです。在宅医療の対象者なら在宅医です。医師は患者を選べませんが、「患者は医師を選び放題」です。その実感はありますか?皆保険制度もフリーアクセスも世界中で日本だけにある宝物です。大切に上手に使い、子供達に残してあげましょう。
 

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2)「人生会議」とは、延命治療を終わらせることですか? (5月10日号より)
 
Q)

東京都内で病院勤務の傍ら訪問医をしています。
ACPが「人生会議」に代わって半年になり、半年が経とうとしています。
いくつか、講習や勉強会にも参加しましたが、実質は何も変わっていません。
「人生会議」と名のつくものの、かえって医療者側のマニュアル化が
著しくなっていると思います。先日も、ある患者さんの家族からこう聞かれました。
 
 「人生会議って、つまりは、延命治療をどう終わらせるかってことでしょう?」
 
と。そんなことないですよと言いましたが、実質は、その通りかも、と思っています。
近い将来、ACPに診療報酬がついたらよけいそうなるかもしれませんね。
さっさと延命治療を終わらせるための「人生会議」。
そんなイメージが市民に定着していくのではないでしょうか。
 
もし長尾先生が、上記のような質問を患者さんご家族からされたとき
どのように回答されるのか。模範解答として、教えてください。


 
Q)

「あああ、早くも、政府の本音を書いちゃたですね」
 
質問を読みながら、心のなかでそう呟いてしまいました。人生会議=延命治療中止、人生会議=診療報酬、はまさに本末転倒だと思います。国が考えることはいつの世も「お金」です。だからどうしてもそうなりがちなのは仕方がないことだと思います。しかし私はそもそも、「人生会議なんてものは不要では」と直感した人間です。正確に言うと「人生会議なんて言葉は不要」です。なぜなら、国にそんなこと言われなくても、これまで35年間、医師の務めとして真摯に「対話」を重ねてきたからです。トラブルはゼロです。
 
そもそも「人生会議」なんて大袈裟で、言っていて恥ずかしくなる言葉です。(少し慣れてきましたが。これに慣れそうになる自分が怖いですが)。そんな大袈裟な言葉を使わないと会話ができない医師のコミュニケーション能力の低下のほうがずっと心配です。昔の医師は、普通に当たり前のことのように「人生会議のようなもの」をやっていました。ザイタクなんて言葉も無い「往診」が当たり前の時代には、その人の生活も診ていたので、家族と一緒に終末期を考えることなんか当たり前のことでした。正直申し上げると、「人生会議」という行政用語に違和感を持たない医師は医師をやめたほうがいいとさえ思います。(すみません。このブログは転送禁ですよ)
 
しかし私たちは国家の一員ですから民主主義で選ばれた国民の代表や国を想い働く官僚さまが決めたことには従う義務もあります。そんな苦々しい想いで人生会議を語っていることはここだけの話ですが知ってください。正直、とっても情けない言葉ですし、それを曲解する人も出てくることは重ねて残念です。また、人生会議のロゴまで募集中というので、果てしなく疑問が広がります。「そんなことに大切な税金を使わないで!」と思いますが、所詮、町医者の呟きなどどどこにも届きませんし、諦めています。
 
人生会議的な話し合いの報酬は診察料に充分包含されていると考えます。1000円か2000円で誘導しよう、とはいつの時もお役人さまの発想なのでこれは仕方がありません。しかし本当にそんな規則ができそうならば体を張って反対します。お金のためにやるものではないからです。やっても請求しません。医師のプライドです。今、思い出しました。10年ほど前、民主党政権下でたしか「終末期相談支援料」なるものができた時、国会内で「即刻廃止すべきだ」という強烈な講演をした記憶があります。結局、3ケ月後くらいに実際、廃止されました。私の意見が届いのかどうかは不明ですが、私の知り合いも全員反対でした。そんな悪夢をつい想起しますが、今回はまずそんなことは無いでしょう。人間の生き死にについて相談することは医療の土台です。なかでも本人の意思(リビングウイル)を尊重するのは当たり前のことです。しかし当たり前のことが当たり前でないのが、哀しいかな日本の現実です。世界で最も遅れている国、ガラパゴス的な国における人生会議であることを自覚して上手に取り組みましょう。私は昔から丁寧にそれらしきものをやっているので全く不要ですが。
 
政府の考え方は、驚くほど時代錯誤です。「患者は黙っておれ。リビングウイルなど書くと医者の訴訟リスクが高まる。終末期医療は医者とガイドラインで決める」と言っていました。信じられないかもしれませんが本当のことです。この考え方は、今年2月に東京地裁における行政訴訟で明確に否決されました。しかし2週間後に国は控訴し、現在東京高裁の判断待ちです。当たり前のことが当たり前でないのが、哀しいかな、日本の現実です。本人意思の尊重という医療の大原則が否定されている、世界で唯一かつ最も遅れている国、ニッポンです。本人の意思は無視して関係者だけが会議で決めるという人生会議の負の側面も知っておいてから取り組みましょう。大病院ではすでに先輩医師が新米医師に「おい、ACP取ったか?」と指導しています。もちろんACPは「取る」ものではありません。対話を重ねることです。すでに大誤解されています。しかしそんなトンデモ医師が私たち町医者にACPを教えるという施策が実施されていますから、まさに言葉がありません。私たち現場の医師が病院の医師に正しいACPについて教えるのが本来の姿でしょうが、医療における従来からのヒエラルギーがこんなところにも残っているのは残念です。病院での下手なACPは、百害あって一利なし。お願いだからやめて!が、多くの在宅医の本音です。
 
以上をまとめますと、模範解答は「ACPは延命治療の中止のためのものではありません。本人の意思を忖度するためにみんなで対話を重ねる、当たり前のプロセスのことです」となります。
 

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3) 孤独死予備軍の中年ひきこもりは、罪なのでしょうか? (4月19日号より)
 
 はじめまして。以前介護士をしていたことから長尾先生と丸尾さんの本から先生のことを知り、それから何冊か読んでいます。『男の孤独死』も読みました。
 わたしは、はっきり言って中年男の「ひきこもり」です。45歳になります。1年半前に介護施設をやめてから、大阪のアパートを引き払って滋賀県の親の実家で暮らしています。妹が7年前に結婚して出て行ったので、両親は私が戻ってきたことは嬉しそうで、「働け」とは言いません。
 持ち家で、父親が結構いい会社にいたこともあって、老いた両親もわたしも生活には困っていません。つつましく暮らせば、なんとかなりそうです。
 
 介護士の仕事を20年続けたのですが、限界が訪れました。心が壊れました。
 もう、あのブラックな介護業界に戻る気はありません。かといって、ほかに何も資格がないため、これからまともな給料で働くのはむずかしそうですし、やめてからというものまったく労働意欲がわかないのです。
 今は昼頃起きて、テレビを見ながらごはんを食べ、あとは部屋にこもって本を読んだり、映画を見て過ごしてています。ごはんは母親が作ってくれます。
 トイレ掃除と風呂掃除とかは毎日やっています。
 週に2、3回はTSUTAYAまで行かないといけないので外に出ます。
 太るのは嫌なので、ついでに2時間くらい歩きます。
 
 『男の孤独死』は面白かったです。きっと両親が死んだら、僕もこの家で孤独死をするんだろうと思います。でも僕は、「すぐに見つけてもらいたい」とも思いません。誰にも見つからなくても別にいいです。
死んだらわかんないわけだし。清掃業の人は大変かもしんないけれど。
 自分は昔から、生きる気力が薄い人間でした。やる気がないといつも言われていました。
 もし今すぐ「がん」と言われても、「ああ、これで死ねるんだ」と安堵するかもしれません。自殺願望は今のところないですが(読みたい本がまだまだあるので)、なんで皆さん、そんなに「生きたい」のか不思議でなりません。
 積極的に生きたくない人間がいたって、いいじゃないですか。
 
だけど世間は、そんなんじゃダメだとか、中年ひきこもりを最近は犯罪者みたいに扱います。僕は大学中退してから20年以上働いてきました。幸いお金も困っていません。   それに、生活保護になる前に、死ぬくらいの考えはあります。
 それでも。生きる気力の薄い、中年ひきこもりの僕を、長尾先生も叱るのですかね。教えてください。


 
A)


ご質問ありがとうございます。叱るなんてとんでもない。「これが貴方のリビングウイルなんだ」と思いながら読ませて頂きました。私の想像ですが、同じような考え、同じような状況の方が日本にはたくさんおられるのではないでしょうか。私自身も今まで懸命に働いてきましたが、なにかの拍子にプツンと糸が切れたら貴方と同じように考えるかもしれないです。「生き辛い」と呟く人がたくさんいますが、たしかにそうかもしれません。しかし誰に迷惑をかけるわけでもなく生きておられるのだから、別にいいのではないでしょうか。
 
私が人生において大切だと思うものは「自由」です。貴方はそれを持っています。そして親孝行もしながら生きている。ただそれだけ。宇宙時間からすれば人間の一生なんて、ほんの一瞬。わずかな時間を一生懸命に生きることにどれだけの意味があるのか、分かりませんが、なんとなく生きているのが動物だと思います。誰もが特別な意味を探しますが、生きることに特に意味などないのでは。
 
平穏死も孤独死も、ホントは嫌な言葉です。「死」に「平穏」とか「孤独」とか勝手な形容詞がついていることが気になります。誰がそう感じるのでしょうか。誰がそれを決めるのでしょうか。ほっといてくれ。死は死でしかない。なんとなくそんな違和感を覚えながらとりあえず使っている言語です。余計なお世話だ、という気持ちも当然あります。確かに万一孤独死して何ケ月も発見されなかったら清掃会社は大変でしょう。しかしそれが生業の人にとってはさして気にならないかもしれません。
 
私に質問をする元気はあるのですね。ならば貴方の意思を誰か(誰かは自分で勝手に決めてください)に託してください。せっかくの貴方のリビングウイルという自由意志を託す相手をみつけるエネルギーはあるとお見受けしました。人生の旅で出会う誰かと仲良くなることは決して悪くはないと思いますよ。
 
特にアドバイスはありません。正直、うらやましい限りです。いや、きっと私も貴方のような境地にいつかなるのでしょう。いや、絶対なりたい。とてもお答えになっていませんが、すみません。本当に特にアドバイスはありません。
 
 

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4) 「私はこんな患者を見た」は「科学」ではない!?  (4月5日号より)
 
 Q)

 
初めまして。長尾先生に憧れている内科医の者です。


さまざまなニュースに埋もれてしまい、あまり取り上げられていない
ので、あえてお伺いしたいことがあります。
HPVワクチン訴訟のニュースは、長尾先生もご存じだと思います。
 
以下、先週の[m3.com]より引用します。
 
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
HPVワクチン報道の名誉毀損裁判、村中氏が敗訴
村中氏ら「判決とワクチンの安全性は一切関係ない」と強調
レポート 2019年3月26日 (火)配信橋本佳子(m3.com編集長)
 
 元信州大学医学部長(元第三内科教授)の池田修一氏が、
医師・ジャーナリストの村中璃子氏、村中氏の記事を掲載した
『Wedge』誌の元編集長の大江紀洋氏、出版社ウエッジを名誉毀損で訴えた
裁判の判決が3月26日、東京地裁で言い渡され、男澤聡子裁判長は、
村中氏らに330万円の損害賠償の支払いと、謝罪広告の掲載、『Wedge Infinity』の掲載記事の一部削除を命じた。村中氏の代理人弁護士の藤本英二氏によると、控訴するか否かは判決を精査し検討するという。
 
判決後、都内で会見した池田氏は、
「私が従来から言い、公判で述べたことを的確に裁判長が捉え、それが判決に反映されている」とコメント。
池田氏の代理人弁護士の清水勉氏は、
「今回の判決の特徴は、金銭を支払うだけでなく、謝罪広告の掲載を求め、誤った記事の削除命令を出したこと。これらはこの事件の深刻さを表わしている」と評価した。
一方、村中氏は、「『捏造ではなく、他の研究者の実験結果の引用』などとする
原告の言い訳を受け入れ、公共性と科学を無視した判決が下されたことを残念に思う」
「今回の判決は、ワクチンの安全性とは一切関係がない。
池田氏の研究者としての質を保証するものでも、他の論文の信頼性を保証するものでもない」
とのコメントを公表。
「池田氏の発表を見て、HPVワクチン接種を控えた人たちは、
ワクチンで守れたはずの命や健康を守るチャンスを失った」などと、
HPVワクチンの積極的接種勧奨の差し控えが続いている現状も問題視している。
 
>>>>>>>>>ここまで>>>>>>>>>>>>>>>>>
 
 このニュースをめぐり、SNSでは賛否両論が飛び交っています。
多くの医師が、HPVワクチンによる副作用を見た、
 村中氏は池田氏に謝罪をするべきだといったような意見もあるのですが、
 そんななかで、以前より、村中氏を応援しているネットメディアの
記者さんがこんな発言をされました。
 
 「私は見ていない」「私はこんな患者を見た」で、
一個人が物事を判断するのは、科学ではありません。
 
  医療者ではなく、記者が現場の「ナラティブ」を無視し、
  「エビデンス」だけで村中理論を積み上げていっているのだと感じ、
  恐ろしくなりました。
 
  これってつまり、長尾先生が、現場で「平穏死を見た」と言い続けても、
  「平穏死のエビデンスはないから医学的ではない」と言っている
  人たちの態度とそっくりだと思い、メールをしました。
  「私はこんな患者を見た」は、「科学」でなければ、何なのでしょうか?
   なんでこの記者は、こんなに偉そうに言えるのでしょうか?

 
A)

すべての臨床医学研究は、たった一人の患者さんの詳細な観察・検討からスタートします。アルツハイマー型認知症しかり、水俣病しかり、ピロリー胃炎しかり、ポンぺ病や垂井病などの糖原病しかりで、病気の発見はすべてある一人の患者さんに疑問を持つことから始まります。医学の基本中の基本です。
 
HPV接種後に脳炎症状を呈する若い女性を何人か診た医師なら当然。両者の因果関係を疑い、基礎的実験で裏づけようと試みます。 なにごとも因果関係を100%証明する作業は困難で刑事事件の捜査のようにジワジワと証拠集めをして仮説の確実性を高めることしかできません。たった一人の患者さんの精査こそがすべてで、医学・医療はその積み重ねです。
 
症例報告はエビデンスレベルのピラミッドの最底辺である、と言いたいのでしょうが、症例報告からより上位のエビデンス研究がデザインされていくのです。始まりは症例報告しなないのです。
 
エビデンスという言葉の意味を1%も知らない記者がエビデンスという言葉を金科玉条のごとく振り回している姿は滑稽であるだけでなく、有害そのものです。レベルの低い医師も同様です。抗認知症薬のエビデンスの製作過程もそうでした。
 
ノーベル賞を受賞された本庶教授は「ネイチャーやサイエンスに載っている論文の9割は嘘だ」「すべてのエビデンスを疑え」が口癖だそうです。私もまったく同じ考えです。クリニックの医師たちに「紹介状に書いてある診断名は信じるな」とか「画像診断の所見はすべて疑え。自分の目で判断せよ」と毎日、口を酸っぱくして言っています。どんなにエビデンスレベルが高い知見であっても、到底、真理ではありません。ほど遠い。
エビデンスとは極論すれば「その時代の方便」にすぎず、長い目で見ると「エビデンスという宗教、原理主義」なのです。この意味が分かる医師が5%でもいれば、医療は少し変わるのかもしれませんね。
 
今回の判決はきわめて妥当であり、村中医師は判決結果を素直に受け止めるべきです。しかしまったく反対のことを述べています。まさにつける薬が無い。また「たった1例で物事を判断してはいけない」というなにがなんでもワクチン接種派を推進したい記者さんのコメントも間違っています。医の倫理に抵触する言動で、偏向報道という犯罪ではないかとさえ思います。毎日新聞の透析中止報道や各メデイアの平穏死・尊厳死に関する偏向報道も同様に犯罪レベルです。いろはのいから学びなおして欲しい。
 
それにしても村中医師の「今回の判決は、ワクチンの安全性とは一切関係がない」という言葉は同じ医師として理解不能です。安全性の研究結果の誤りを問う裁判で誤りではない、という判決からどのようにして「安全性に問題ない」という結論が導き出されるのか、理解不能、のひとことです。裏でなにか大きな力が働いているとしか思えません。やはり製薬マネーでしょうか。もしそうなら、とても怖いことです。
 
ということで今回の判決を素直に受け止めたうえで前に進むべきです。それが本当の意味で子宮頸がんワクチン医療の進歩につながるのだと確信します。私は子宮頸がんワクチン被害者の女性を何人か診ていますが、子宮頸がんワクチン研究は時間をかけて慎重に進めるべきです。利益と不利益の分析がまだまだ足りません。池田先生の論文はまだとっかかりに過ぎません。そしてWedge社や毎日新聞社は真摯に反省をすべきです。もしもそれをしない(できない?)のであれば、まさにメデイアの自殺だと思います。まあ消えたほうが日本のためにはいいのかもしれませんが。


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5) うつ病の人に死の選択肢を与えてはいけない? なんで?  (3月22日号より)

Q)
 
50代、透析歴4年の女性です。
40代のときに双極性障害と診断を受けております。
母親に虐待されていた時期があり、10代より精神バランスを
壊していることは自覚しております。
長尾先生が先週、福生病院の透析中止報道を書かれていたのを知り、
メルマガにさっそく登録しました。
私が一連の報道でいちばん頭にくるのは、患者が鬱状態であるのを知っていたのに、死の選択肢を与えたと批判をされていることです。バカにしているんでしょうか。うつ状態の人に死の選択肢を与えるな、というのはむしろ当事者にとっては、精神疾患の人に対して差別以外のなにものでもございません。長尾先生が同じお考えでないことを祈ります。
 
A)
私はうつ状態とうつ病は区別しています。イヤなことがあったら元気が無くなり、時にうつ状態に陥ることがあります。高校時代からかれこれ40年以上、うつ状態にあると自己診断しています。しかしうつ病には至っていないので幸いにもなんとか医者になってからずっと仕事を続けることができています。私自身はうつ病が怖いです。父親がうつ病から自殺したので今もPTSDのまま、怯えて生きています。自分がうつ病になった時、どんな判断をするのか想像もつきません。しかし60歳まで生きられて、少し長生きへの欲が出てきたのできっと自殺はしないのかなあ、なんて思っています。しかし本気で死にたいと思う時が年に1回くらいはあるので自信はありません。うつ病よりも多少元気が残っているうつ状態が長く続くことのほうが危ないなあとも思います。
 
さて、透析患者さんと接していると暗い雰囲気の方がおられます。海外の研究では透析患者さんは総じてメンタル面も含めてQOLは相当に低下するようです。そりゃそうですよね。週3回半日拘束される生活が長く続くと気分が落ち込むのが普通でしょう。だからこの44歳の女性も透析中止を表明した時はうつ状態にあったのでしょう。過去に3回自殺未遂をされているそうですから、長くうつ状態にあったと想像されます。ではうつ状態の人が表明した「本人意思」は有効でしょうか?無効でしょうか?
 
答えはYESでもNOでもないと思います。よく意思表示する時の精神状態が正常かどうか問われますが、中止の意思を表明するという行為自体がかなり「うつ的な行動」です。だから意思表示「できない」とか「してはいけない」という話にはならないと思います。すなわち家族と医師がしっかり「対話」を重ねることがなにより大切です。思う存分意思表示して頂き、しっかり傾聴したうえで丁寧な対話を繰り返す。まさに人生会議(ACP)そのものですが、44歳の女性の場合はあまりうまくいかなかったのでしょうか。5人中止と報道されていますが、他の4人の人生会議はどうだったのか、気になるところです。
 
つまり、議論の核心は「対話」のやり方にあるのだと思います。その患者さんが終末期にあり「もうやめたい」と言われているのならば、「中止という選択肢もある」ことを提示することは仕方がない場合があります。しかし私なら家族と何度もよく相談してからにします。しかしまだ月単位~年単位で生きられると思うならばなんとしても透析継続を説得します。少なくとも患者さんの口から「中止」という言葉が出ていないのに私の方から中止という選択肢を持ち出す出すことはうつ病であろうと無かろうと、ありません。つまりはインフォームドコンセントというか話し合いのやり方と言うべきでしょう。医師のコミュニケーション能力が最も問われる局面です。
 
患者さんが中止書面にサインをしたことで医師は油断したのかもしれません。患者さんもそれで気持ちが吹っ切れたのかも。しかし1週間後に迫りくる死の予兆に双方とも対応できなかったように見受けました。全体を通して「話し合い不足」としか言えません。本物のうつ病であったなら、そしてまだ終末期ではないと判断されたならば、うつ病の専門医療を受けるという選択肢もあったことでしょう。しかし主治医は決して精神疾患への差別意識は無かったと信じています。そうではなく、全身状態を鑑みて本人の希望を叶えることが最善の医療であると「堅く」信じていたのでしょう。しかしこの「堅い信念」こそが患者さんとの繰り返しの「対話」が充分にできなかったヒントなのかもしれません。
 
貴方はまだ若く双極性障害なので精神科のお薬を飲まれているはずです。もし透析を中止したいと思ったなら必ず精神科主治医か透析主治医に正直に申し出て相談してください。繰り返しになりますが、まだお元気なのに医者のほうから中止という選択肢を提示することは、私の常識では100%あり得ないと思います。


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この記事へのコメント

メルマガの一部公開、ありがとうございました。
患者からすると、「延命治療をやめる話し合いってことですよね。」というのは、「その通りですよね。」と同意したくなります。治らない病気にかかっていると、一部の医師から、メディアを通じて、「何時、死にますか。美しく、残されるものの為に
死んで下さいよ。」と言われ続けているような気になることがあります。
長尾先生がリビングウイルについて語り続けるのは、患者自身の自己選択、自己実現を医師として手伝おうというお気持ちからだと思いますので、先生の文を読んでも、そうした気にはなりません。
患者は既に、「ICとった?」そして、次に来る「ACPとった?」のある種の内実(法的な担保にする)を理解していると思います。実際、紙にサインをしていかなければ、治療も何も始まりません。短時間にサインを書き続けていくのです。
医師も、怖いのでしょう。
お若いのかなと思えるお医者さんが、ACP 「人生会議」について悩まれていることに、患者としては救いを感じます。

Posted by 樫の木 at 2019年05月20日 06:57 | 返信

「私はこんな患者を見た」は「科学」ではない!?  (4月5日号より)の先生のコメントで気になったことがありました。 池田医師の動物実験の結果は1例のみで、その結果だけでは科学的判断は難しく、何も結論をだすことは出来ないのではないでしょうか?再現性を確認することは重要で、動物実験ではそれが可能なのに、実施しない(結果を論文として発表しない)ということは池田医師の研究者としての能力・合理的な判断能力に疑問を感じました。しかもその結果に基づいて、ワクチンの危険性?を主張したことに対して何かしらの意図があるのではないかと、かんぐってしまいます。ワクチンに限りませんが、思想を主張するのではなく、正確な結果に基づいて、議論して欲しいと考えています。

Posted by 匿名 at 2019年05月21日 11:15 | 返信

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