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全国から舞い込む人工栄養の相談 人生会議なんて夢のまた夢
2019年06月15日(土)
毎日、毎日、地域だけでなく、全国から
人工栄養に関する相談が舞い込んでくる。
人生会議なんて夢のまた夢に想えてくる。
人工栄養に関する相談が舞い込んでくる。
人生会議なんて夢のまた夢に想えてくる。
たとえば、こんなハナシ。
1)発熱したので救急車を呼んだら、入院させられた。
2)「誤嚥性肺炎でです」と診断され、点滴を受けた。
3)「また誤嚥したらいけないので食べたらダメ」と言われた。
4)そこで人工栄養をしないと死ぬ、と言われた。
5)胃ろうを勧められたが、私たち家族は胃ろうを拒否した。
6)仕方がないので、「鼻から栄養」を希望した。
7)すると老人病院の医師は、「当院では高カロリー点綴しかやりません」と。
8)90台の親に医者から言われるまま、CV]ポートを造った。
9)「家に連れて帰りたい」と病院主治医に言ったら、「家では管理できません」と。
10)そこで在宅の先生に相談に行ったら、「胃ろうなら受けます」と。
11)再び病院の先生に相談したら、「当院では胃ろうは無理」と。
12)訪問看護師に相談したら、「鼻から管の栄養なら受けます」と。
13)介護施設に相談したら、「今、胃ろう枠が一杯なので」と。
14)本人は「家に帰りたい!」と叫び、孫の差し入れを全量摂取している。
たとえばこんな相談が舞い込んでくる。
あれこれ話すと、1時間近くはかかる。
さて、問題です。
1)~14)の問答のうち、どれがおかしいおかしいのか?
3)、4)、5)、6)、7)、8)、9)、11)、12)が、間違っている。
一方、一番にあげたい正解は・・・・ 14)である。
人工栄養の相談が難しい理由は、このように誤解の上の誤解があるからだ。
医療者や家族が言っていることのほとんどに、正解はない。
むしろ、本人が言っていることが一番正しい。
だから家族への説明に時間がかかってしまう。
「ところで、人生会議はどうなっているの?」と聞いてみた。
「なんですか、それ。聞いたことない」
「いや、病院ではやっているはずだよ、なにせ国策だからね」
「ああ、鼻からにするか高カロリー点滴にするのか聞かれたけど、あれかな」
「そうじゃなくて、そもそも人工栄養をするかしないか。
肺炎を起こそうが起こさまいが、口から食べることに拘るのか。
まあ、誤嚥性肺炎は夜間睡眠中に起こるので、食物誤嚥と関係ないけどね」
「はじめて聞きました」
「そんな基本命題を本人を中心にしてみんなで話し合うのが人生会議なんだ」
「そういえば、どこで死ぬかは、何度も聞かれたけど・・・」
「それだけ?」
「そう、この病院か次の病院か、どちらにする?ってね。本人にね。
若い先生が偉そうに二者択一を迫ってきたよ。気分悪かったなあ」
「お気の毒に。人生一路でも歌ってくれたほうが嬉しいのにね・・・」
まさに、国策となった人生会議は、夢のまた夢。
いったい誰のための人生会議???
医者の自己満足?
病院の利益?
訴訟回避?
流行り?
以上は、拙書「胃ろうという選択、しない選択」(セブン&ア出版)
に書いているので、悩んでいる人は是非読んでから相談して欲しい。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
今日は、午前は尊厳死協会の理事会、
午後は、人生会議の勉強会だった。
間違いだらけの講義を聴きながら、気分が悪くなった。
国は、現場に即していない人生会議を、ヘンな規則を作って、拡散している。
そこには「本人の意思」はない。なにせ「患者は黙って医師に従え」が内閣府の見解だ。
「本人の意思を尊重」という奇麗ごとを言いながら、医者がガイドラインで選択を迫る。
まさに奇麗ごと?美談??偽善?偽善?あるいは、詐欺?
大切なのは、本人の希望を引き出すコミュニケーションスキル。
家族を巻き込みながらチームで何度も繰り返すこと、それだけ。
そんな能力を身に着ける努力をしない、いや、
それさえも考えさせない医学教育の貧困さ。
表と裏で言っていることが180度違うことを知ったうえで、人生会議を
啓発している医療関係者がこの国に一体何人いるのか、誰か教えて欲しい。
残りの人生、そんな本質を診ることができる医療関係者と一緒に、闘いたい。
そんな想いを強くした1日だった。
ps)
在宅患者さんの元に少しでも早く駆け付けたいと
帰路は飛行機を選択したが、間違った選択だった。
「悪天候のため引き返すかも」という条件付きの
搭乗との知らせに、驚き慌てて新幹線に変更した。
まさに、急がば回れ。
私には、人生会議なんて不要。
必要なのは、本人・家族との真摯な対話だけ。
正解は、
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この記事へのコメント
人生会議より前に高齢者本人の(死の)覚悟が必要だと思います。
私は68歳ですが「口から食べられなくなったら死ぬ時だ」と思っています。家族には食事介助拒否を宣言しています。救急車に乗るのも拒否し、一切の医療行為を拒否しています。それで寿命が短くなっても構いません。これを実践するために妻と別居して一人暮らしをしていますが、医療費や介護費の心配もないので心穏やかに暮らせます。
50歳過ぎて病気(喘息)を自覚した時から死ぬことを覚悟し、(歯医者にはかかりますが)一切の医療行為から遠のき暮らしています。喘息で死ぬつもりでしたが発作が起きてもなかなか死なず、「長生きも困る、適当なところで死にたい」と思っています。
Posted by 古希まえ男性 at 2019年06月16日 09:54 | 返信
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