救急隊員が出動現場で心肺停止状態となった傷病者の蘇生処置をしようとした際、家族らから「本人は望んでいない」と告げられる「蘇生拒否」への対応に関し、総務省消防庁の部会は3日の会合で、現段階での統一方針の策定は困難との報告書を決定した。意向を受け入れるべきかどうか難しい判断を迫られる各地の消防本部が策定を求めていたが、実態把握が不十分と判断した。
報告書は将来の再検討を求める内容となっているが、消防庁は一定の結論が得られたとして当面、議論は再開しない方針。全国統一ルールの検討は事実上棚上げになる。
人工呼吸や心臓マッサージといった蘇生処置の拒否は、自宅で最期を迎えたいとして、延命は望まないと周囲に伝えていた終末期の患者や高齢者が心肺停止となり、動転した家族や本人の意思を知らなかった関係者が119番してしまって直面するのが代表例。消防庁調査では全国728の消防本部のうち、半数超の403が2017年に拒否を経験した。
ただ報告書は、事例や件数など詳しい集計をしている消防本部が一部にとどまり、実態が十分に明らかになったとは言えないと指摘。今後、多くの事例を収集し、国民の意見や終末期医療の動向を踏まえつつ、将来的に対応の手順を検討することが望ましいと結論付けた。今年2月の報告書素案を踏襲した。
昨年7月1日時点の消防庁調査によると、国の統一ルールがないため、全体の54%に当たる396消防本部は蘇生拒否時の対応が定まっていない。独自に策定した本部は332で、内容は「医師の指示など一定条件で蘇生を中止」「拒否されても蘇生しながら搬送」に分かれている。
統一方針の見送りに、愛媛県の伊予消防等事務組合消防本部は「手探りの対応をせざるを得ない」と不満を示し、福岡市消防局は「生死に関わる対応が地域によって違うのはおかしい」と指摘した。
方針見送り、注文相次ぐ 蘇生拒否で各地の消防
救急隊員が心肺停止状態となった傷病者の蘇生処置を家族らから拒まれる「蘇生拒否」に関し、総務省消防庁の部会が統一的な対応ルールの策定を見送った3日、処置を施すべきかどうか模索を続ける各地の消防本部からは「早急に策定してほしい」などの注文が相次いだ。
蘇生中止を求められた事例が昨年以降2件あったという愛媛県の伊予消防等事務組合消防本部は「法的根拠が不明確な中、手探りの対応をせざるを得ない。処置を続けるのも、本人の意思を尊重して中止するのも不安が伴う」と訴える。
富山県の立山町消防本部は、拒否の意向があっても、蘇生を試みながら医療機関に搬送している。蘇生中止は消防法に反する恐れがあるとの判断だが、家族の理解を得られず隊員が苦慮するケースがあるとして「統一ルールを示してほしい」と苦言を呈した。
独自の対応方針を決めている地域からも、国への要望が聞かれた。蘇生中止を認めていない福岡市消防局は「生死に関わる対応が地域によって違うのはおかしい」として、ルール統一の重要性を指摘した。
条件付きで中止を容認する仙台市消防局は「地域や消防だけで決めてよいのかという思いはある。医療機関を所管する厚生労働省なども含めた議論が必要なのではないか」とし、関係省庁の連携を求めた。
救急隊の蘇生中止、かかりつけ医が判断可能 国報告書案
2019年7月4日 (木)配信朝日新聞
報告書案では、蘇生中止を認める具体的な基準は示していないが、隊員が現場でかかりつけ医に連絡して指示を得られれば蘇生をやめても問題ないと整理した。これを受け、こうした対応をとる消防本部が増える可能性がある。
高齢化が進む中、自宅や高齢者施設で最期を迎える人が増えている。家族やかかりつけ医と話し合い、心肺停止になったら蘇生を望まないと事前に確認する場合も多いが、いざという時に家族が動転したり、夜間でかかりつけ医と連絡が取れなかったりして、119番通報することがある。
こうした事案に対し、一部の消防本部では医師の指示などを条件に蘇生を中止する対応をとってきた。ただ、法的に問題がないか不明確で、法律や倫理の専門家を交えた検討部会が昨年5月から議論していた。
報告書案では、蘇生中止を認めている広島市などの取り組みを紹介。患者の病歴や生活、意思をよく知っているかかりつけ医は、蘇生中止を判断できるとの考えを示した。ただ、蘇生中止を認めることを標準的な対応とするかは、判断を避けた。今後実態を調べて知見を集めることが必要だとし、将来的に検討することを求めた。(阿部彰芳)
この記事へのコメント
もう こうなったら…
自己責任で家族に 自分の想いを伝え続けないといけないですよね
それでも
119番されてしまったら 伝えきれなかった自分の責任と思うしかないです
まだまだ おうちで亡くなると警察が来ると思っている人が多いのが現状です
きちんと準備をすれば
穏やかにおうちで最期を迎えることもできることを伝え続けたいです
Posted by 宮ちゃん at 2019年07月05日 09:49 | 返信
まず、「自宅療養中の高齢患者が急変しても、家族は救急車を呼ばない」という文化が根付くかどうかだ。救急車に乗るということは心配蘇生をされてあばら骨が折れるかもしれないし、助かっても寝たきりや半身不随となる可能性があるし、管につながれた状態での延命が続くかもしれない。
日本人は寿命を受け入れて、ある程度の高齢になったら救急車に乗らないと決めたがいい。救急車と自然死(平穏死)は対極にある。
Posted by 古希まえ男性 at 2019年07月06日 08:59 | 返信
昔は「学校で虐められないだろうか」「高校入試に合格するだろうか」「会社に勤められるだろうか」「結婚できるだろうか」と心配しましたが、今は「無事に平穏死できるだろうか?」と心配する年代です(笑)。
Posted by にゃんにゃん at 2019年07月11日 07:39 | 返信
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