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「90歳を過ぎたら"死の規制緩和"を」山折哲雄氏

2019年09月11日(水)

90歳以上でも、極めて元気な人が結構おられる。
要支援であっても、まったくボケていない人も。
30年前には全く考えられなかった事態、である。
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90歳以上の人への医療は、”自由””であるべきだ。

とことん医療を受けるのも自由だし、受けないのも自由。

男女とも平均寿命を全うしているのだから、”なんでもあり”。

ガチガチに構える必要は全くない。

しかし懸命に薬を飲んだり、好んで入院する人もおらえれる。
そんなひとを見るたびに、以下の言葉が浮かぶのは私だけか。

「人は自分が死なないと思うから生きられる」

終活に精を出す人と、まったく考えない人がいるが、
死んでから振り返ると、どれだけの差があるのか。

多くの死を見ていて思うことは、
死んだら終わり、生きていることは奇跡。


医療はともかく、介護はそうはいかないかもしれない。
寝たきりになっても、介護保険をも拒否する人がいる。


先日、「家で亡くなっている」と家族から呼ばれて慌てて駆けつけた。
時々、外来に来る位で、医療保険も介護保険もほぼ使っていないよう。


死んでいた。

家族曰く、2日ほど食べず、2時間前には唸っていたと。

まだ温かいので、息絶えてからまだ時間が経っていない。
外傷はないし、虐待や殺人ではなく、自然死であると確信。

しかし「念のため、警察に電話しておこうかな」と思った。

家族に聞いた。

「どうして119番せずに、クリニックに電話してきたの?」

するとこう返ってきた。

「覚書があったので」

隣の部屋に分厚い遺書のようなものがあった。
リビングウイルや献体などが、書かれていた。

「もし私が死んだら、長尾クリニックに電話すること」
と丁寧な字で書かれていたので、驚くとともに感激した。

思わず、「大往生」と書いてあげたい気がしたが、
死因は、「心不全」と書いて、家族としばらく雑談。

故人の意思は「葬式など無しで、すぐに献体に電話を」。
ある大学病院の解剖学教室の電話番号が書かれていた。

この人に、葬儀屋さんはコミットしない。
なぜなら、火葬しない、からだ。

半年先に医学生の解剖実習でバラバラにされるまで
ホルマリンに漬けられるだけなので火葬場は無関係。

というわけで
「90歳を過ぎたら"死の規制緩和"を」山折哲雄氏
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190901-00010002-wedge-soci

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この記事へのコメント

凄いですね。駆けつけたら、亡くなっていた高齢男性の方の話。
じわじわと感動しました。大袈裟な事を書いているわけでなく、
「長尾クリニックに電話すること。」と明快な覚書き。
本当に「大往生」な姿勢でいらしたと..完結なさったと、
潔さに心を打たれました。
その方の年代では、公的な支援を他人事と捉えている方もありますね。
「人様の世話になるようではおしまい」と腹をくくっていらっしゃる方が。
もう少なくなってきましたけど。
いつの頃からなのか、「使わにゃ損々!」そんな時勢になってしまったのか。

Posted by もも at 2019年09月12日 11:04 | 返信

ももさんのコメントへのコメント

「人様の世話になるようではおしまい」
私もそう思っています。

亡き祖母も父も母も、同様でした、が、家族としての私の立場を思いやって、「人様の世話になって」最期まで生きてくれました。自裁やら自殺やら(安楽死も含む?)を為すと、日本の世間様は本人の残された家族を責めるからです。

もちろん、祖母も父母も人工栄養などの管なし最期でしたが、それでも「人様の世話にならない」希望は叶えられなかった。

私は、立場を思いやるべき私の家族はいないので、人様の世話になる前に、死にます。
自分で着替えることができなくなり
自分で立ち上がることができなくなり
自分で寝返り打てなくなり
自分で箸やスプーンを持てなくなり
自分で排泄できなくなり
生存するためのすべての行為をなすために、常に人様の世話になる、
それでもなおかつ生きていたい、と、心底願っている人は、ほんとうはとても少ないと思いますが、いかがでしょうか?

Posted by 匿名 at 2019年09月15日 02:20 | 返信

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