NHKの安楽死特番が「不適切、改ざんも」とBPO申し立てが行われた。→
こちら
このブログでも、「なぜこの番組が不適切なのか」を何度か書いたが、
多くの人に今一度、尊厳死と安楽死の違い、とその間を知って欲しい。
NHK安楽死特番は「不適切、改ざんも」と障害者団体、BPO申し立て
10/2(水) 11:03配信
NHKが放送したNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」について、障害者や難病患者らでつくる日本自立生活センター(京都市南区)が2日までに、「報道内容は、自殺を賛美しないとのNHKや放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送基準に反し、刑法の自殺幇(ほう)助罪が適用される案件であり、公共放送として不適切」なとして、BPOに審議を申し立てた。
「彼女は安楽死を選んだ」(6月2日放送)は、NHKホームページによると、重い神経難病の日本人女性がスイスで安楽死を行い、スイスでの安楽死を希望する日本人が出ている、との内容。「NHK月刊みなさまの声」によると、放送後にスイスの民間安楽死団体についての問い合わせが59件あったという。
日本自立生活センターはBPOへの申し立て書で、▽報道された死はスイスで正式には幇助自殺▽自殺幇助団体や死に方が紹介されていた▽障害ある生を否定し、人工呼吸器使用者の生の尊厳がないがしろにされている▽生きるための支援の提供先が示されていないーなどと指摘。『自殺を問題解決法の一つであるかのように扱わない』とのWHO(世界保健機関)メディア向け自殺予防手引や、NHKなどの放送指針に抵触する、と指摘している。
自殺の放送基準と「安楽死」
また同センターはBPOへの申し立て書で、さらに「証言の改ざんと思われる点が2か所ある」とし、社会的支援の観点が番組の中にまったくない、としている。
NHK報道局社会番組部は同センターの質問状に対し、「スイスではSuicideという表現が使われたり、使われなかったりしている。番組では医師が致死薬を処方、または投与する行為をあわせて、患者の死期を積極的に早める積極的安楽死として紹介した。この(積極的)安楽死は実現に厳格な要件があることや医師が介在することなど、世間一般にいう『自殺』とは大きく異なる部分もあるため、自殺に関する各種の放送基準が必ずしもそのまま妥当するものとは考えていない」とし、「同様の状況の下で生きる選択をした女性とその家族の姿も描き、生きることの尊厳も伝えている。番組には安楽死を推奨する意図はない。安楽死の是非を問うことが趣旨ではない」などと回答した。
BPOの放送基準は「心中・自殺は、古典または芸術作品であっても取り扱いを慎重にする」とし、NHKの放送基準第9項は「人命を軽視したり、自殺を賛美したりしない」としている。
京都新聞
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命絶つ行為、美化するな 障害団体代表・藤井克徳氏 「大型識者談話」元パラ選手のベルギー人女性安楽死
共同通信社
著名なアスリートであるマリーケ・フェルフールトさんの安楽死は、本人だけの問題にとどまらず、社会的な影響が大きい。とても悲しい出来事だ。
これほどの人の「自殺」が許されるとなれば、世界中で差別や偏見によって生きづらさを感じている障害者は「私も生きていても仕方がない存在なのかな」と感じるのではないか。それは無言の「死の勧め」になってしまう。経済的な生産性ばかりが重視される世相も踏まえると、懸念は一層強い。
安楽死や尊厳死は中立的な用語とは思えない。自殺も含め途中で命を絶つ行為で「断命」と言った方がいい。正当化し、美化してはいけない。
命には何ものにも代えがたい絶対的な価値がある。だが障害者の歴史を振り返ると、軽んじられたことがあった。ナチス・ドイツは「価値のない人間の抹殺」を掲げ、多くの障害者を虐殺した。日本では旧優生保護法によって障害者に不妊手術が強制された。もう命の価値観を1ミリも後退させてはいけない。
安楽死は「自己決定だ」とする議論がある。だが自己決定は、本人の置かれた環境や家庭状況で変わる。貧困や不自由な状態では正しい判断ができない。危うい論理だ。
フェルフールトさんの痛みの程度は私には分からない。障害の質や種類は違うが、私も目が見えなくなり絶望したが生きる道を選んだ。「生きづらさがあるから命を消す」が安楽死を是認する論調の基本だ。そうではなく「生きづらさがあっても、どう生きるか」を追求すべきだ。
× ×
ふじい・かつのり 1949年福井市生まれ。弱視から40代半ばで全盲になった。日本障害者協議会代表や「きょうされん」専務理事を務める。
スイスの安楽死事情を紹介するのは、まさに報道の自由である。
しかし安楽死が許されていない国の国民が他国で安楽死することを
美談として報じることは、自由の前に倫理に引っかかると考える。
事実、NHKの報道以降、安楽死を望む人が増えている。
しかし安楽死とは、自殺である。
先週の渋谷でも話したように、自殺は良くない。
自殺の前に、日本にはいろんな手立てが用意されている。
それがこの国であるのに、そこは飛び越えて、いきなり安楽死賛歌。
NKHが「死の勧め」を広報するのはどう考えても良くない。
日本人の外国での安楽死を美化する前に、やるべきことが山ほどある。
だから、BPOに申し立てを行っている団体や藤井さんを私は支持する。
PS)
話が少し変わるが・・・
海外での安楽死報道をご紹介。(これは自由)
マリーケ・フェルフールトさんが安楽死。パラリンピック元ベルギー代表、車いす100mで金メダル | ハフポスト
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5db00cf3e4b0f34e3a7ed55c
なんともコメントしづらい。悩ましい。
こうしたモヤモヤ感だが、「小説」という形で皆さまに問うてみたい。
実は、「小説 安楽死特区」がほぼ完成した。
来月に発売されるので、それを読んでからまた議論したい。
この記事へのコメント
わたしは…
安楽死は認めたくないです
「綺麗な姿で死にたい」
「誰にも迷惑かけたくない」
人それぞれ、想いや考えはあります
だけど この意思決定支援は ないです
やっぱり 最後まで もがこうじゃありませんか…
もとい!生き抜こうよ
Posted by 宮ちゃん at 2019年10月28日 11:31 | 返信
「綺麗な姿で死にたい」なんて思っていない。
「誰にも迷惑かけたくない」ってどういうこと?
迷惑って? 「介護義務」がある家族が迷惑するだけで、老いた、病気になった、怪我をして動けない、ことは、誰にも迷惑かけてないですよね。医療機関を受診することが迷惑ですか? 介護申請することが迷惑ですか? 医療介護の職業人に「お仕事」を依頼することが迷惑ですか? だったら、医療介護産業従事者の「お仕事」って、一体、何?
迷惑かかるのは「家族」です。家族がいる人は、家族に迷惑がかかる。誰かの「生き死に」に、家族責任を問うのが、日本という社会。
特に、医療介護産業従事者は、「家族責任」を利用して「お仕事」をなさっている。ことあるごとに「なんでこんなになるまで放っておいたの?」「医者に診せないなんて医療放棄ですよ!!虐待です\\\٩(๑`^´๑)۶////」
かくして医療介護産業従事者は「自分たちのやりたい放題できる従順な患者」を手に入れる。
私は、医療介護産業従事者の支配下で生きるなんて真っ平ごめんだ。
Posted by 匿名 at 2019年10月29日 02:47 | 返信
どのような理屈を並べようが「安楽死」=「自殺」に他ならない。
「安楽死」に携わる医者はすべて「自殺・殺人幇助」で断罪されるべきで、もはや医者とは言えない。
当事者の「安楽死(自殺)」の自由はあると思うが、医療倫理的に決して肯定されるべきではない。
いかなる理由があれど、倫理的に医者は「自殺」に加担してはならない。
「自殺」を肯定するような番組がNHKで放映されれば、非難されるのは当然だと思います。
Posted by マッドネス at 2019年10月29日 09:59 | 返信
難病や、鬱など経験したことがない人、元気で健康な人は病気の気持ちがわからない
仕方ないけど助力はありがたいです。
Posted by あうん at 2019年10月29日 07:25 | 返信
個人としては:極端な「痛がり」なので、「終末期」に耐えがたい痛みがあれば、安楽死も選択肢の一つ。
制度:日本人の「下り坂現象」に巻き込まれやすい性癖からすると、拡大解釈に陥る危険が多分にあるので、現時点では反対。
NHKスペシャル:安楽死を選ばれた児島さんに力点が置かれていたが、選ばれていない鈴木さんも取り上げていた。判断・感想は視聴者が・・。
番組の中で感じたこと:ライフサークルで看取りをされたナースが呟いた(不正確です)「日本に、こうした機関があれば、もう少し生きられるのに…」。
BPOは、どんな判断を?
Posted by 小澤 和夫 at 2019年10月31日 09:57 | 返信
わたしの母はまだ若いですが多系統萎縮症です。
沢山のお薬で体も心も抑えられ過ぎて身動けとれなかったのが、減薬を始めて一年みるみる体が良くなりました。障害一級、今は要介護5から4になりました。
施設や今の病院は母への対応をよく考えてもらうことができているのと家族へのおもいがあるので母は頑張っていけている感じです。
これがないなら…
NHKの動画は途中から具合が悪くなり見ることが出来ず、私の方が数日体調崩す事になりました。
Posted by みー at 2019年11月02日 09:56 | 返信
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