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鎮痛と鎮静、尊厳死と安楽死、の「あいだ」
2019年10月16日(水)
月刊公論10月号 鎮痛と鎮静、尊厳死と安楽死の違い
それぞれの「あいだ」を議論しよう 長尾和宏
鎮痛と鎮静の区別
鎮痛剤という言葉がある。理屈はともかく誰だって「痛い」のは嫌だ。とりあえず痛み止めを使って痛みを止めたい。特にがんに伴う痛みは激烈な場合もあり、やせ我慢は禁物だ。いわゆる痛み止めにはロキソニンのように薬局で買えるものもある。しかし胃潰瘍などの副作用もあるので薬剤師さんの説明をよく聞いたうえで使うべきだ。セレコックスのように胃腸障害が出にくい痛み止めもあるが医療機関の受診が必要だ。さらに頑固な神経痛の場合はリリカという薬を併用する場合がある。がん性疼痛に対しては医療用麻薬も処方されるが、外来や在宅でも病院やホスピスと同様に使えることを知っておきたい。さらにがんでなくても3ケ月以上痛みが続く場合は「慢性疼痛」と診断されて医療用麻薬の処方が許されていることも知っておきたい。いまや緩和ケアはがんも非がんも問わない。しかし緩和ケアの医学教育や卒後教育がいまだに遅れているという致命的な課題も残されている。
さて、鎮静とは麻酔薬のような薬剤を用いて強制的に眠らせることだ。ただし、浅い鎮静から深い鎮静まで相当な幅がある。安定剤や睡眠薬で痛みを紛らわす場合があるが、これは浅い鎮静である。一方、完全に眠らせる薬剤もある。眠って行う胃カメラや大腸カメラにはドルミカムという鎮静剤が広く使われている。末期がんの人も夜にしっかり眠ってもらうために、皮下注射や点滴で一時的にそんな鎮静剤が使われることがある。死ぬまで続けられる場合、終末期における深い持続的鎮静と呼ばれる。これまで問題にされてきたのは終末期の深い持続的鎮静のことである。このように鎮痛と鎮静は一応分けて考えたほうがいい。ただし鎮痛剤で眠気が来る場合がある。あるいは鎮静剤が痛みにも多少の効果がある場合がある。つまり厳格な区分ができないケースもある。
尊厳死と安楽死の違い
尊厳死とは平穏死、自然死のことだ。終末期以降に延命治療を控えて緩和ケアは充分に受けた最期のことを言う。ただし医療の発達とともにどこからが終末期なのかがハッキリしなくなってきていることを知っておく必要がある。終末期とは漠然と死期が迫った状態であるが明確に定義できない。がんの在宅看取りはたいてい尊厳死である。私は1200例以上の尊厳死を看取ってきて一度も逮捕されていないという事実から、日本において尊厳死は法律が存在しないが、社会的にほぼ容認されていると考えてもいいだろう。
一方、安楽死とは医師が薬剤を用いて患者さんの命を縮めるという行為である。安楽死も2つある。医者が薬を患者に渡して先に飲んでもらう方法と、医者が直接注射を打って患者さんを殺す方法だ。先日NHKで神経難病のためスイスのライフサークルという安楽死組織に渡り安楽死を遂げた女性は文字どおり安楽死であった。彼女はまだ相当な余命があったと推測される。もし今にも 亡くなりそうであったら尊厳死と呼ばれたかもしれない。言葉を変えれば寿命を縮めたなら安楽死で縮めていなければ尊厳死という呼び名になる。また川崎協同病院事件を振り返って分かるように、国内で安楽死が行われた場合、殺人罪に問われる可能性が高い。安楽死とは「医者」がまだ余命が数ケ月以上ある患者さんに対して「本人の意思」を尊重して「薬剤」を用いて人為的に命を縮める行為である。
それぞれの「あいだ」の議論を!
以上、基本的なことをわざわざ述べた理由は、鎮痛と鎮静や尊厳死と安楽死を混同している場合が多いからだ。一般市民はもちろんだが、有識者と称される方も、あるいは有名なお医者さんですら両者を混同して使っている場面を散見する。数年前、29歳の脳腫瘍のアメリカ人女性が自分の予告どおり誕生日に自殺薬を飲んで安楽死したが、NHKはじめほとんどのメデイアは「尊厳死」と誤報した。そして誤報しても訂正記事すら出ないのがこうした領域の報道でよく見られる。直近では終末期における透析中止、つまり尊厳死をあたかも「殺人」のように煽った新聞記事を思い浮かべて欲しい。記者や編集者やプロデユーサーが、そして時には監修している医師さえも正しい知識が無いことがある。そんな状況のなか、「安楽死に賛成か反対か」とか「鎮静に賛成か反対か」というテーマについてアンケート調査が行なわれる。有識者と呼ばれる方も大半が誤解して理解して意見を述べるものだから議論はますます混乱する。私たちは法治国家に生きている。それは言語によって規定される社会である。しかし言葉の定義も曖昧なまま勝手なイメージだけで議論しても不毛である。終末期医療を扱った映画やテレビでも制作側全員が誤解している場合もある。
しかしこうした言葉はある程度幅を持っていることも知っておきたい。安楽死に消極的と積極的があるように、鎮静にも浅い深いがあるように、こちらかあちらではなく、両者の間には相当なのり代があることも知っていないといけない。両者の「あいだ」があるという前提にたち、どこまでがOKで、どこからがグレーゾーンで、どこからが罪に問われる可能性があることを議論しないと意味がない。そんな想いで8月31日に神戸市で「尊厳死と安楽死のあいだ」というイベントを開催したところ大盛況だった。なかでも熱心に交わされた終末期の鎮静を巡る議論は書籍になる予定である。このような答えが無い生命倫理に関する議論が中高生や医学生や看護学生の教材となって欲しい。
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