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身体拘束は管理の必然

2019年10月23日(水)

身体拘束のビデオが、ずっと引っかかっている。
在宅では見ることが無いので、ショックだった。
考えてみれば「管理の必然」なのかもしれない。


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ずっと、と言ってもこの10年間であるが、
「病院」という言葉が引っかかっている。

「やまいの院」なんて、怖い言葉。
やまいを集めてどうするの?

患者のため?
いや、医者のために集めたのが「病院」。

そのためには、「管理」という道具が必要。


病院勤務から離れて、たまに病院に入ると正直怖い。
沢山の管に繋がれた人が恨めしそうにこちらを見る。

病院の傍を車で走ると、病院が刑務所に見えてしまう。
「どうしてみんなやまいの院に喜んで入るのだろう?」


昔は、そんなことを、考えたことも無かった。
病院を中心に医療が回っていると信じていた。

しかし、在宅医療を25年もやっていると、180度変わる。

・白衣は着ない
・往診カバンも持たない。
・聴診器1本だけ
・200ml以上の点滴はしない
・COPDと心不全以外、酸素吸入も無い
・もちろん身体拘束もない
・管が1本も無い平穏死が日常・・・・


そもそも、病院は、病を治す場所。
言い方を変えれば、治せないなら行く必要がない場所。


病院の肝は「管理」。そのためには時には「身体抑制」も。
病気を治すためには一時期だけ管理下に置くのは仕方ない。


しかし、用も無いのに管理下に置いておくと、ロクなことがない。
・寝たきりになり、認知症が進む
・不穏になるので、手足を縛られる

だから身体抑制廃止で一番大切なことは用が無ければ「やまいの院」に入らないこと。
それに尽きるのではないか。そのためには、昨日書いたように、上流の整備が必要だ。


一方、介護施設では、ユマニチュードと自然態を容認する教育に尽きる。
「やまいの院」ではないのだから、管理下に置こうという発想は不必要。

・自由
・徘徊
・放牧
・天然
・野生、などがキーワードになる。

これらは、「管理」と真反対の言葉。
ちなみに在宅医療では、自由は当たり前のこと。

問題は、在宅で転倒しても訴訟にならないのに
介護施設で転倒すれば訴訟になるかもしれないこと。


だから親の身体体拘束で悩む子供達へのアドバイスはいつもこれ。

「自由にさせてください。万一、転倒など何が起きても絶対に訴えません」
と紙に書いて、押印して施設長に渡すと、態度が180度変わるますよ、と。


それが嫌なら親を縛ってもらえばいいと子供を突き放している。
人間の尊厳とリスクは両立しないことを時間をかけて説明する。

一方、介護職員に意識改革をしてもらうには、研修が必要。
介護職員への教育確保には、施設長や政策の知恵が必要だ。

ただでさえ、介護現場に人がいない、介護崩壊。
もっと人を呼び、大切に育てるためには「ゆとり」も必要。


放し飼いの介護施設は、和気あいあいとして和む場だ。
一方、管理が厳しい超高級施設には、身体拘束もある。


拘束しない介護施設は、厚労省と国が動けば実現可能だと思う。
現実に、いくらでもあるので、施設間で教えあうのもいいかも。


それにして、身体拘束の根は想像以上に深い。
日本の衰退を象徴している気がしてならない。

しかし社会保障政策の本質が、しっかり詰まっている。
だから、NHKの放送を教材にいくらでも議論すべきだ。

司法界にも「自由行動下での転倒は免責」という認識を広め
「認知症基本法「」に、そのような文言を組み込んで欲しい。


身体拘束は、在宅には無いが、
病院や施設にはありふれている。

これは、大きな現実。

話は逸れるが終末期の深い持続的鎮静と似ている。
鎮静は、在宅ではほぼゼロだが、病院では普通だ。

在宅と病院の文化の差は、
処分や訴訟リスクの回避。

身体拘束は管理する場の必然かもしれないが、
介護施設とは無縁のはずなので、改善できる。


やるべきことがまだまだ沢山ある。




PS)

明日24日の伴明監督とのトークイベントの
司会者から、驚くような質問が届いたよ。


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この記事へのコメント

高齢者は入院しない覚悟をすべきだ。医療に助けを求めたら自然死(平穏死)は難しくなる。
「何かあったら死ぬだけだ」という覚悟で生きる。転倒して骨折しても医療に助けを求めない。そんな高齢者が増えることをを願っている。
自然界の動物は医療の助けを受けずに死んでいくが、人間もそれが出来ると思う。理想は介護ゼロの社会だ。

Posted by 古希まえ男性 at 2019年10月23日 06:19 | 返信

患者の患も嫌な字ズラかと・・・。心を串刺しにされた者。
漢和辞典には、我慢を強いられるという意味が載っています。患者である限り拘束は無くならないと思います。
私は在宅看護の対象者は利用者であると思っています。
父が脳梗塞で入院した時に、やはり勝手に経鼻栄養、酸素吸入、点滴。セットのように四肢抑制。もちろんすぐに
在宅療養に切り替えました。縛ってまでの治療を誰が望むのでしょう?

Posted by ルナース at 2019年10月23日 06:57 | 返信

入院しない覚悟を通せるほど意識が清明な人が骨折したら、痛いので医療に世話にならずにいられません。
逆に認知症などで、自分の意思を表明できないくらいの人はあまり痛がりませんので、保存療法も可能です。

Posted by 匿名 at 2019年10月24日 09:52 | 返信

自由にさせてすっころんで怪我しても仕方がない。嫌なら拘束するしかない。
自由に外出させて事故に遭って死んでも仕方がない。嫌なら閉じ込めるしかない。
自由及び尊厳を求めるならそれに応じたリスクもテイクするしかない。
自分の親として考えてみても、閉じ込めて拘束されてるよりは、自由にしてたけど、喉に食べ物詰まらせて死んだとか、勝手に出て行って車に轢かれて死んだ、とかの方が良いです。そこが寿命でしょう。
まあ、事故死は加害者に迷惑をかけるので、なるだけやめてほしいですが。

Posted by 匿名 at 2019年10月24日 05:05 | 返信

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