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「身の丈」と「身の程」
2019年10月31日(木)
文科大臣の「身の丈」発言が問題になり、謝罪・撤回された。
教育格差=所得格差を容認する発言が、大きな批判を浴びた。
あれ以来、「身の丈」という言葉がずっとリフレインしてる。
教育格差=所得格差を容認する発言が、大きな批判を浴びた。
あれ以来、「身の丈」という言葉がずっとリフレインしてる。
44年前、高校を卒業する時に、周囲から言われた言葉を思い出した。
「和宏君、身の丈にあった就職をしなさいね」
元・自衛隊員だった父親が死に、学校に行かなくなり
酒を飲み、暴走族みたいな生活になった、17歳の冬。
当時の大人のアドバイスは、
・お母さんのために就職して働いて親孝行しなさい
・お父さんのいた自衛隊に入れば、親孝行になるよ
言われるままに自衛隊を受けて合格したが結局、入隊しなかった。
ダイハツの夜勤工として、季節労働者(東北からの出稼ぎ)と一緒に働き、
ビルの掃除やドカチンなど、今でいうフリーター生活だった44年間の自分。
ある日、新聞の一面に「特待生制度のある医学部」という一覧表を見つけた。
大阪大学の滑り止めにと、そのうち3校を、「身の丈」に反して受けてみた。
第一志望に落ちたが、滑り止めにはすべて受かった。
ある日、郵便受けを開けたら、一通の手紙があった。
開けると「合格。入学金全額免除」と書いてあった。
「おおタダで入れるのか。これなら身の丈にあっているな」と喜び、決断した。
しかし、授業料は払わなくてはいけない。
しかも全部自分で稼がなければいけない。
「身の程」知らす、と分かってはいたが、敢えて挑戦してみようと思った。
若かったのだ。
1万円札3枚とパンツ1枚、シャツ一枚だけを小さなカバンに入れ、入学式前夜に上京。
入学式に上着が無い」とのことで、埼玉県朝霞市のスーパーで買ってくれた人がいた。
死んだ親父の自衛隊時代の友人だという赤の他人が後見人になってくれた。
埼玉県新座市の家に下宿させて頂き、近所の家庭教師先まで探してくれた。
入学式に行って、ビックリ。
見たこともない派手な世界。
自力生活なのでバイト漬けを覚悟していたので無医地区研究会に入部。
ホントはラグビー部か硬式野球部に入りたけど、諦めるしかなかった。
「身の丈」にあわない所に来たから、ちょっとは「身の程」を考えないと。
本当にそう思い授業にはほとんど出ず、バイトと無医地区活動漬けの6年間。
よく金持ちの子供だったと思われているが、その真反対。
極貧の家に生まれて、15歳から自力で稼いできた人生だ。
授業にはほとんど出なかったけど、6年間、再試験も追試験もゼロ。
学校には居ない、目立たない生徒なので、先生は誰も私を知らない。
でも卒業して、医者になった。
卒業後も、華やかな病院で研修する同級生たちを尻目に
身の丈にあった関西に帰り、大阪大学第二内科に入局。
同期の入局者が40人もいて、中には上手に振舞う人もいた。
私は人事に盲目的に従い、新大阪の野戦病院で奴隷生活に。
2年間の奴隷生活を終えると、大学病院での
5年間の無給医局員生活(無給は4年)が待っていた。
「身の丈」にあった医局員を黙って11年間続けていたところに
あの阪神大震災が起きて、病院は機能を失い、事態が一変した。
振り返れば、震災が開業のきっかけになった。
本当は勤務していた芦屋で開業したかったけど、お金が全然ない。
家賃28万円の尼崎の小さなビル診を先輩から勧められ、決断した。
開業資金の1000万円が、どの銀行に行っても貸してもらえず
いろいろ相談した結果、身の丈にあった「国金」で借りることに。
しかし、保証人が見つからない。
苦労してある人にお願いしたが。
「身の丈」にあった「世界一狭い診療所」を開設したものの
肝腎の患者さんが全く来ず、ゼロ人の日もあり、落ち込んだ。
それでもめげずに「身の丈」にあった生活をして
気が付いたら25年間が経過し、61歳になっていた・・・・
振り返れば、我が人生で、「身の丈」にあわない選択をしたのは一度だけ。
東京の大学に行く決断をした時だけで、あとは人の何倍も地道な努力のみ。
だから、時には「身の丈」にあわないことをしてみるのもいい、と思う。
大切なことは、そうした大きな選択をした後の地道な努力ではないのか。
文科大臣の「身の丈」発言が問題にされるのは、
あの人が見るからにエリートで裕福家庭だから。
私のような極貧の出にしてみれば、「身の丈」や「身の程」を
自覚しながら努力するしかなく、言葉なんてどうでも構わない。
大臣が、「受から目線」であの言葉を使うから問題にされる。
私もイヤな感じがする。「お前には言われたくないぞ」、と。
でも。
みんな平等を謳うけど、歴史をみても、世界をみても、理想論でしょう。
百歩譲っても、「じゃあ、平等なら幸せなのかい?」と聞きたくもなる。
大臣を擁護するわけではないが、言葉狩りだけはに意味がない
それどころか逆効果で、逆差別を量産する可能性のほうが心配。
世の中。
見せかけだけの正義が多すぎない?
そう書いている自分自身も、みせかけ、だと思う。
というのも、今もあちこあちこちの被災地でボランテイアしている
名もなき市民こそが本物で、ネットや書籍で正義を謳うのは偽物か。
「身の丈を本当に知っている人は凄いなあ」、と思う。
スーパーボランテイアの尾畠さんの言葉こそが、「身の丈」」だ。
「身の丈」は自分の心の中にあるもので、他人から言われるものではない。
大臣もこんな話しをすれば、人間的で反発も少しは和らぐだろうに、
顔を真っ赤にして口先だけの言い訳をするもんだから、炎上するね。
「大臣は身の丈にあっていませんでした」と言って潔く辞任すれば
人気が出るのかもしれないが、「身の程」を知らないから無理かな。
政界を(医療界も同じか)見ていると、仏教の教えとは全て真反対の人が上に立っている。
長い目で見れば、天罰がくだり、なんらかの「因果」が巡ってくるのだろうなあ、と思う。
ところで、このブログは、「身の丈」にあっているのかなあ?
PS)
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この記事へのコメント
66歳、父母を見送り一人残った。親戚はいるけど超疎遠。関わりたくもない。
かつては祖母と父母と私と犬猫で賑やかだった庭付きの家は、私一人には広すぎて、庭木や雑草の処理とこの前の台風の雨漏りで四苦八苦、正直、ワンルームの狭いマンションにあこがれている、けど、66歳の私の「身の丈」で、即金(しか手段は無い)で買える安いマンションは、不安が多い。(隣室が爬虫類マニアだったりして。)ご存知の通り、アパートは66歳ではもう借りることができない。UR賃貸ならアリだけど、隣近所の煩わしさを考えると、このままこの広い家で雨漏りしないように手入れしていく方がマシ。もう45年ほど住んでいて、隣近所のメンツもずっと同じだから付き合い方がわかっている。
自分の持ち家だから、「死にたいように死ねる」と思っている。
自分が購入したマンションであっても、マンションは「管理人」という存在がいるので「死にたいようには死ねない」。アパートは、居室内で死なれると困るから「高齢者はお断り」。介護施設は居室で死なせてくれるところもあるけど「死にたいように」は死なせてくれない。なんだかんだと医者や看護師・介護師が介入してあちこちいじくりまわす。病院では身体拘束されて死ぬことになる。
一戸建ての家って、ほんとにタイヘンです。二階建てを一階だけにするリフォームはできない。全部壊して建て直すカネは無い。年々雨風は激化して台風もひどくなる。まあ、洪水の心配が無いだけラッキーかな。・・・そのうち洪水もあり?m(_ _)m
Posted by 匿名 at 2019年10月31日 02:01 | 返信
あってる! あってる!!
Posted by うめ at 2019年10月31日 09:53 | 返信
いやー、なかなかすごい話ばかりで、先生がこのブログを地道に続けている理由の一端がわかったような?
うちの医学生のバカ息子に読ませたい!本当に!人生をなめるなと。
失礼しました。
Posted by K-mira at 2019年10月31日 10:40 | 返信
思春期、進路を考える大事な時期に周囲に言われた「身の丈」という言葉に
ある種、傷付いた青年の姿が思い浮かびます。周囲というのは誰なのか、
親戚ならアリな事例かも知れないけれど、もしかしたら担任教師だったのかな、と
ふと想像しました。潜在的に傷付いた気持ち、傷跡の感覚が呼び起された今回の大臣発言
なのでしょう。人の心の傷は目には見えないだけあって、深く繊細なものだと思います。
その後、内心では発奮し、それが原動力にもなって邁進してこられた努力の賜物な物語に
心を打たれます。男性版シンデレラストーリーのようです。
それでも、医局経験等のキャリアを携えた時期に見舞われた阪神淡路大震災のタイミングで
あるとか、医療・社会が激しく変化するタイミングであったりとか、多死社会に向かっていく
時代を迎えているだとか、様々な要因が、今の長尾先生を迎えるべくして生じた偶然(必然)
の積み重ねを感じました。まさに、シンクロニシティの『力』が潜在する長尾先生ですね。
Posted by もも at 2019年11月01日 12:54 | 返信
沖縄県の守礼門が全焼により焼失してしまいましたね
守礼門は国定公園のため、都道府県が管理するようになっておりますが、玉城知事は国へ援助を求めているようです。
反基地で国と敵対するのに、こういう時は国に責任がないのに、国に資金援助を頼むなんて甚だ遺憾です。
国に援助してもらえないなら、大好きな中国にでも擦り寄るんではないでしょうか?
Posted by 沖縄 at 2019年11月01日 03:04 | 返信
生きるのに精一杯で身の丈なんてこと、考えたこともありませんでした。小さい時から目立ちもしないのに目立つことが嫌で(前世は隠れキリシタン?)目立たないようにとそんなことばかり考えていました。さらに世の中に興味もなく欲もなく世間知らずに育ったため、娘の行く末を案じた親が手に職をと考え、医学部ゆきの教育されてまんまとその罠にはまって医者になってしまいました。志高いわけでなく、卒業したから働くというお決まりのコースに流され、何が何だかわからないままにぼろ雑巾みたいな生活でしたが、特に楽しみもなかったから当直とか全然苦にならず、むしろ世間の人々が遊んでいたい時間に私は遊びたくないから皆さんどうぞ遊んできてねというスタンスで仕事してました。救急やって虚しくなり、プータローとなった時期もありました。そして今、看取り専門医みたいなことになっちゃっています。治すのではなく、ただ回復を手助けする、あるいは見守っていくこと、が中心です。入院治療が必要な時には入院段取るだけですが、治らないのに入院を希望するご家族がいらっしゃると、全ての病院にかけあい丸二日間位それだけのために費やすことになり、結局断られ入院できないので、自然のお看取り希望の方々を受け入れることとなり、年間60人位の方のお看取り・・・。どの方も、亡くなるまで生きようとするシステムが働いていてしっかりと生き抜かれて旅立たれるので、いつも凄いなあ~って思います。そして、眠りながらの穏やかな旅立ち~お見事です。しかしこちら側としては、出発ロビーの待ち合い室にはいつも数名の方々が常にいらっしゃるので、フライト時間は全くわからず、精神的拘束状況が続きしんどいです。でもたまに空白の一日があると、その日は絶対行きたかったライブの日だったりするから不思議です。看取り医は旅立った方々から見守られて優遇されているのかもしれません。先生との出会いには深く感謝していますが、ひょっとしたら旅立った方々からのプレゼントだったのかもしれませんね。
Posted by 遠い声 at 2019年11月02日 01:54 | 返信
追伸~身の丈なんて言葉好きじゃないです。世間の常識なんてのもあてにならず嫌いです。みんなもっと自由でいいんじゃないかな。長尾先生はスケジュールいっぱいですが、ご自分で決めてされていることだから、どんなに忙しくても、自由~な感じあり、いいなあって思います。でも年だから、自分自身にもお手柔らかくしてさしあげてくださいませませ~。
Posted by 遠い声 at 2019年11月02日 03:50 | 返信
犬・猫・犬・猫・祖母・猫・犬・母・父を見送って一人になった66歳の愚痴、つづき。
医者と、大工など家を作る人たちは似ていると思う。
似ている点その1:どちらもえばっている。理由は、誰にでもできる仕事ではないから。
昔は、家を建てる・家を修理する必要が出てきた時、一般人は菓子折りを持って大工の家を訪れ、平身低頭ただひたすらお願いしたそうだ。医者に対しても同様、菓子折り持っていかない代わりに、患者という名の奴隷となる。
似ている点その2:どちらも気まぐれ・気分屋・自分本位(昨今流行語になっている発達障害が多い)。
どちらも「オレ様がやってやる・オレ様がオマエの家(身体)を治してやる」と、上から目線そのもの。
似ている点その3:どちらも説明しない。というか、説明しなくてヨイと思っている。オレのやることに間違いはない。「ボクを信用してください」・・・ハァ〜あんた何教の教祖なの???
特に屋根なんて、素人は屋根の上に上がれないし見えないからね。最近はドローンで出来上がりを撮影する業者もいるけど写真を見せられてもわかったような??? 医者も同じ。内視鏡入れて食道や胃壁を引っ掛けて傷つけても知らん顔できる。自分が傷つけてしまったこと自体を自覚できないアホ医者もいる。患者の身体を練習台みたいに思っている「お医者様」ばかりだ。だからメチャクチャ薬を飲ませる。薬の効果を知りたいからだよ。
薬については、入院しない限り、薬を全部飲んだか否かなんてわからないのだから、処方されても飲まなきゃ良いんだよ。言われた通りに飲むとボロボロになるよ。
入院は絶対にしないこと。廃人にされるだけだから。
Posted by 匿名 at 2019年11月02日 04:43 | 返信
沖縄ヘイト「匿名沖縄」さんへ
那覇市ホームページさん
1944年10月10日、沖縄戦の前哨戦として10.10空襲があった。
この空襲で旧那覇市街の90%が焼失した。
那覇市内にあった日本軍司令部も焼け、首里城の地下に司令部壕が掘られる。
その壕を掘ったのが学徒たち。
米軍は上陸地点の北谷から首里城まで進むのに50日間。
この間、沖縄守備軍は10万人中7万4千人が死亡。
1945年5月27日、首里城完全消失。
地下陣地にいた重傷兵5000名が、皇軍の命により全員殺害された。
琉球民族の首里城は、大日本帝国軍と米軍によって灰燼と化した。
旭日旗の跡に星条旗がひるがえった。
沖縄ヘイトの「匿名沖縄」さんは、知る由もない。
納税者から沖縄への返信 at 2019年11月03日 08:11 | 返信
沖縄ヘイトというレッテル張りをする「納税者」さんへ
沖縄県の玉城(たまき)デニー知事は3日、焼失した那覇市の首里城復元に必要な経費について、沖縄振興予算とは別枠での措置を求める声が与党内で上がっていることについて「そのような話で政府が決定していただけるのであれば、この上ないことだ。多くの県民も安心するだろう」と述べた。那覇市内のホテルで記者団の質問に答えた。玉城氏はまた、「首里城の件に関しては政府としっかり協力してやっていきたい」と語った。
私は事実を述べたまでです。ヘイトなどというレッテル張りは取り下げて願いたい
首里城再建よりも、普天間基地移設の方が優先ではないかと思う今日この頃
普天間基地では基地周囲の住民の命が危機にさらされている
「ヘイトは赤の逃げ口上」ということを「納税者」さんはお知りでしょうか?
沖縄から納税者への返信 at 2019年11月04日 12:10 | 返信
高校を卒業したら一度社会生活を送って、自分を見つめるのもいいかもね。
受験競争だけして、まっしぐらの東大卒の政治家なんぞは、おかしなことを言う人もあちこちいるのをみると、受験勉強って精神的におかしくなるんだなあと思います。
タイランドは、仏教系のお寺で一年間修行してまた会社に戻ることができるそうです。
徴兵制のある国も多いし、軍隊生活で鍛えられるのもいいかも。
私も社会でもまれて、久しぶりに鍼灸学校に行くと、始めて医学的な勉強をしてなかなかついて行けなかったけれど大学時代よりは真面目に勉強したなあと思います。周りも真面目だったし。
会社も大學新卒の学生ばかり採用せず、中途入社も優遇して欲しいなあとおもいます。アメリカでは自分に合わないと思ったら退職して自分の能力に会った会社に再就職する人が多いと聞きました。
「社長が無能な会社に勤めると、後々退職した後まで祟る」と思います。藤堂高虎だったか、戦国時代でも自分の理想と思う主君を次々に変えて自分の運命を好転させた人だそうです。
「身の丈」とか「身の程」と言う言葉はよくわかりません。
Posted by にゃんにゃん at 2019年11月05日 03:38 | 返信
沖縄ヘイトの「匿名沖縄」さんへ
鈴木耕さん
「沖縄差別」は、最近では「沖縄ヘイト」ともいえるような惨状を示している。
「保育園や小学校への米軍機からの落下物は、自作自演だ」
「基地のそばに学校を建てたり住んだりするほうが悪い」
「基地のおかげで生活しているのに、文句を言うな」
翁長知事。「目の前で落ちて、だれが見ても明らかなものにも『自作自演』とくること自体が、今までにない社会現象だ」
「弱者」から「抵抗者」への「ヘイト対象」の移動。
逆らう者はたたき潰せ。
劣化する政治、憎悪と卑しさが、日本ばかりではなく世界を覆う。
(2017年)
普天間基地を、「皇居」か「東京湾」に引き取るか、
在沖縄海兵隊全兵力をトランプに引き取らせるか。
どちらかご賛同いただけるなら、「沖縄ヘイト」を取り下げます。
納税者から沖縄への返信 at 2019年11月05日 02:54 | 返信
沖縄ヘイトとレッテル張りをする「納税者」さん
普天間基地を皇居へ移設するなんていう暴言妄言はどこのアイデンティティーをお持ちなのでしょうか?
普天間基地を本土へ移設した時点で、沖縄はシナの手に落ちるでしょう
保育園に落下した米軍機の部品カバーについては、当初から疑問符がついていましたね
上空を飛行はしたものの、部品カバーは全て取り外されており、払下げ品として500円程度で買えるものですよね
普天間基地はジュゴンのいない辺野古へ移設が最適でしょう
Posted by 沖縄 at 2019年11月07日 01:14 | 返信
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