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リビングウイルを入り口とした人生会議

2019年12月24日(火)

日本医事新報12月号の連載記事(第103回目)は、
「リビングウイルを入り口とした人生会議」で書いた。→こちら
これを抜いたからポスターが炎上したのではないか。
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日本医事新報12月号  

リビングウイルを入り口とした人生会議   長尾和宏
 
「リビングウイル裁判」
 この2年半、リビングウイルの意義を巡る行政訴訟に関わってきた。リビングウイルとは「人生の最終段階の医療において延命処置に関する本人の希望を表した文書」である。「いのちの遺言状」とも訳されている。1976年(昭和51年)に日本に入ってきたもので現在、約3%の国民が書いていると推計されている。リビングウイウイルを尊重して話し合いを経て延命治療を差し控えるとともに十分な緩和ケアを提供した結果の穏やかな最期のことを「尊厳死・平穏死」と呼ばれている。尊厳死は安楽死とよく混同されるが両者は違うものだ。前者は自然死であり、後者は医師が薬剤で人為的に死期を早める行為で区別すべきだ。
 43年間リビングウイルの普及啓発活動を行ってきた一般財団法人・日本尊厳死協会は国(内閣府)に公益申請を行ったが2度にわたり却下された。公益認定の要件はすべて満たしているにも関わらず不認定とされた理由は一点だけであった。その理由とは「患者がリビングウイルを書くと医師の訴訟リスクが高まるから」であった。信じ難い認識であるが、それが我が国の公式見解であった。そこで「リビングウイルがあると果たして医師の訴訟リスクが本当に高まるのか、そうではないのか」を問う行政訴訟を日本尊厳死協会がおこした。2019年2月、東京地裁は私たちの主張を認め国は敗訴した。しかし控訴期限である2週間後に国は控訴した。そして10月30日に東京高裁で二審判決が言い渡された。一審判決を全面支持するだけでなく、今後本人意思が不明な人が増える中、リビングウイルの重要性を説くなどかなり踏み込んだ判決文書であった。リビングウイルの意義を巡る議論は2年半に及ぶ法廷闘争を経て決着した。以上、リビングウイルの意義を問う裁判だったので「リビングウイル裁判」と命名した。
 
 
医療は誰のものか
 医療は誰のものか?「そりゃ、患者のものだ。患者の意思を尊重するのは当たり前だ」と答える医療者や市民が大半だろう。しかし現実には11月14日まで政府の公式見解は単純化するなら「医療は医師のもの、終末期は医学会のガイドラインで決める」であった。患者の意思よりも医学会のガイドラインを重視する医師がいる。たとえリ患者がビングウイルを書いても無視されたり、家族の意向で一転、真逆の方向に変わることがある。本人が望んでもいない治療を続けられているという声が多く届けられる。しかし11月14日の司法の判断でリビングウイルの意義が確定した。すなわち患者さんが自分の意思表示をすることは医師にとって歓迎すべきことである。たとえば長生きしていつか認知症になって意思表示ができなくなったり、遷延性意識障害に陥った時に、本人意思を確認できるほうがご家族を含めた話し合いはスムースに運ぶ。つまり医療は医療者のものではなく患者さんと家族のものだ。当たり前のことが当たり前のこととして司法が裁定を下した日が11月14日。「リビングウイル記念日」とはこの日である。
国会では医療基本法が議論されていると聞く。そもそも「患者意思の尊重」は医療の基本中の基本であるが我が国ではすっぽり抜け落ちていた。本人意思尊重はヒポクラテスの時代から医療の土台である。ユネスコの生命倫理の大原則でもあるにも叶わらず、世界で唯一日本だけが違反したままであった。終末期医療に関して日本は完全にガラパゴス化している。そう思い「リビングウイル裁判」の二審判決直後に記者会見を行った。しかしこうした経緯を報じたメデイアは残念ながら無い。患者意思尊重という医療の土台が極めて脆弱な実態を報道せずに、スイスに渡って安楽死した日本人はセンセーショナルに報道する。視聴率が優先するのだろうが、私たちの足元を報じるのがメデイアの役割であるべきだ。
 
 
人生会議の入り口とは
 比較的元気なときからもしもの時の療養の場やケアについて話し合いを繰り返すアドバンスケアプラニング(ACP)が国策となった。18年秋に国はACPのニックネームが「人生会議」と決まり多死社会のピークである2040年頃までその啓発活動が続けられるだろう。2019年10月、NHKの朝イチでその特集が組まれ、私の在宅現場における人生会議の様子が放映された。しかし収録時、患者宅に集まったケアマネや介護職や家族も全員が人生会議という言葉を知らなかった。国がいくら旗を振っても具体的ではないので現場には届いていない。それはリビングウイルを否定しながら人生会議を啓発してきたツケでもあろう。そもそも本人意思を「忖度」するのが人生会議であり、関係者だけで勝手に決めるものではない。リビングウイル(的なもの)が人生会議の核であり、入り口である。
 従来の教科書にはこう書かれてきた。「リビングウイルや事前指示書の有用性は欧米で否定された。しかし人生会議は有用だからこれからは人生会議を広めよう」と。しかし今回の判決を素直に受けとめるならば、リビングウイル(的なもの)を人生会議に反映させるべきである。「本人意思を伝えて頂くと人生会議がスムースに運ぶ。だからできるだけ本人の本音を上手に引き出し対話を重ねよう」と。
新聞の見出しには「終末期医療は本人意思尊重」という文字が並んでいる。しかし本文中に「リビングウイル」という7文字は見事に伏字にされてきた。係争中であった内閣府への忖度であろう。しかし今後メデイアは堂々とこの七文字を使うべきだ。「医療に関する自分の願いを表明し、家族の同意も得て、医者やケアマネと何度も相談しましょう」と書くべきである。当然のことだが認知症=意思決定できない人、ではない。会話が全く成立しない人でない限り、上手に聞けば意思表示はできる。意思表示と意思決定は異なるが、家族や医療・介護者が上手に介助することで本人意思を引き出すことは可能である。「その人の最大の利益とはなにか」を話し合うコミュニケーションスキルが今後の医療・介護の課題である。
 
 
ポスター失敗を活かす
 人生会議というニックネームが誕生し1年が経過したがまだ認知率は低かった。そこで厚労省は約4000万円をかけて吉本興行に依頼し人生会議の啓発ポスターを作製した。しかし芸人さんの表情や書かれている文言に対して苦情が殺到したため早々に中止された。期せずして“炎上”したことは啓発という観点からは一定の効果はあった。しかしせっかくなので寄せられた苦情を分析してみてはどうだろうか。「死なんて縁起でもない」、「病人が見たら気分が悪くなる」、「表情が気持ち悪い」など様々な受け止め方があるのだろう。苦情のなかに日本人の死生観を垣間見ることができる。今回、クレームを呈した人も不快にならないポスターはどんなものだろうか。知恵を結集し人生会議の啓発方法を練り直して欲しい。
 ポスターに書かれた「人生会議しとこ」というコピーの主語は一体誰なのか。「会議」というからには主治医か、いや患者ないし家族なのか。いうまでもなく人生会議の主役は患者さんであろう。ならば素直に「人生会議の主役は患者さんです」とか「自分の希望を一度書いてみて家族や主治医と話し合ってみよう」でもよかったのかもしれない。
 ちなみに当院ではこれまで在宅で約1200人をお看取りしてきた。年間、120~140人なので看取りは日常である。定期訪問以外にも日曜や休日や夜間に時間を作りできるだけ多くの家族が集まった時に患者さんの話を聴くようにしている。外来診療においても患者さんの死生観を聞き出しその要点を簡潔にカルテに記している。町医者が提供する医療行為にはいつも「人生会議的」な要素があるべきだと考える。
 
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今日はクリスマスイブだね。
でも、私はずっと仕事漬け。

もうそんな年でもないし・・・

皆様は、それぞれのイブを楽しんで下さい。

28日の宴会は、残席僅かになったそうです。
今からでも、という人は遊びに来て下さい。

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この記事へのコメント

長尾先生、いつもお疲れ様です。
元気を振り絞って、活躍して頂いて有り難うございます。
「人生会議」のポスター炎上以来、医師や医療者の考え、患者家族・遺族の「もっと、私たちを見て」(疲れ果てて、傷ついています。)
と言うことだろうかという意見などを読むに付け、患者本人は黙る方がいいのだろうかという気になりました。
患者本人は、家族や、医師や、医療者の考えに合わせていった方が、丸く収まる「人生会議」になるのかもしれない。「生きていく人が大事です。死んでいく人よりは。」そこに患者周囲の本音の意見は、集約されていく不安さえ感じました。
法的に担保されたリビングウイルは、患者の望みや気持ちを表す、門番の様な物になり得るのかもしれません。
家族が重点の、家族のことを考えるための、遺族になる家族達が本当の主役の「人生会議」。
患者は実は主役では無く、人生会議の理想を演じる役者に過ぎないというようなことにならないために、改まった「人生会議」がいらないように、何とかしておきたいと思います。

Posted by 樫の木 at 2019年12月24日 05:17 | 返信

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