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1.17  25年前の今日、僕は目覚めた

2020年01月17日(金)

今日は、阪神淡路大震災からちょうど25年目である。
あの朝のことは今でも鮮明に記憶に焼き付いている。
あれで価値観が変わり、自分の背中を押してくれた。

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阪神大震災で5000人もの人が亡くなった。

あれから25年が経過した。
つまり四半世紀、である。


しかし今でも亡くなった人を「悼み」続けて
泣き続けている人が自分の周りに何人かいる。


深い悲嘆には「時間」とう概念はない。

しかしそれを知っているからこそ、
「時が解決する」なんて嘘を言う。


昨日の芦屋市での講演でも冒頭に話したが、
あの時、私は市立芦屋病院の勤務医だった。

まさに、野戦病院、だった。

外部からの手が入ったのは、24時間後だった。
つまり24時間は陸の孤島で、まさに孤軍奮闘。

病院に嫌気がさした。
患者を、家に帰した。

仮設住宅が建ち始めたら、
往診を依頼された。


3ケ月後、僕は病院を辞めた。

震災が背中を押してくれたのだ。


小さいころに住んでた、尼崎の地で開業した。
雑居ビルの2階の世界一小さな診療所だった。

新規開業なので患者さんはゼロ、の日もあった。
たまに来た患者さんにはビールを振舞っていた。


実は、
人生初の本(町医者冥利)の中に、
人生初の講演録が収録されている。

講演タイトル
「震災が教えてくれたこと」こちら


読んで頂ければ分かるが、恥ずかしいくらい若い感覚だ!
しかしこの中に、自分の「町医者としての原点」がある。

ちなみに、この講演の司会は、当時の姫路市医師会会長の
空地先生がしてくれたが、今、その息子さんが会長である。



25年前、僕は目覚めた。

25年とは、ひと世代変わる時間。
しかし、あっと言う間、でもある。

震災で旅立たれた人を回顧しご祈りを捧げるとともに
今日という大きな節目に「僕の25年間」を振り返る。

極めて不健康で、明確に老いた25年間、だった。

そして、次の25年後は無い、はずだ。


PS)
今生きている、いや、生かされていることは素晴らしいこと。

まさに奇跡である。

だから感謝しかない。

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この記事へのコメント

長尾先生、お久しぶりです。四半世紀が過ぎましたね。「震災が教えてくれたこと」拝読いたしました。震災の前の日に、神呪寺にお詣りにいっておられたのですね!びっくりです。そして、私も、あの震災の時、神様が怒っておられると、思いました。それ以外、考えられなかったです。神様に叱られないように、すこしでもよい社会を、、、と、先生もずっと実践され続けておられるのだと思います。そういう方が、被災体験を通じて大勢集まれば、世の中も、より良くなっていくかもしれませんね。今年は、ますますご活躍でお忙しいと思いますが、おからだ、くれぐれもお気をつけて。(中川れい子)

Posted by 中川れい子 at 2020年01月17日 04:21 | 返信

「震災が教えてくれたこと」は、大変良いご講演の記録ですね。
私は宝塚市で阪神大震災に会いました。六甲山の東の端になるのと、安物のプレハブに住んで居ましたので、お皿が大分割れたのと水道ガスが1ヶ月以上止まりました。電気は直ぐ付いたと思います。
神戸市東灘区の南森町のマンションに住んで居る従弟が電話してきて「柱が折れた。柱が崩れた」と言ったのですけど、意味が分からず「まあいいから、宝塚にお出でよ」と言ったら「うん」と言って電話が切れました。それっきり電話が通じなくなりました。従弟のマンションは1Fが、駐車場になっていたので、斜めに倒れたそうです。叔父は地震が切っ掛けで脳梗塞になって老健に預けられ、長男のいる神奈川県の巨大老健でノロウイルスに感染して、鎌倉の鈴木病院で死にました。阪神間の地盤が流状化して揺れが激しく、インフラの復興が長期に渡りました。上水道が復帰しても、下水道の復興に時間が、掛かりました。私はあんまりお役にたつようなことはしませんでした。長尾先生をはじめ、多くの医療関係者の方達が物凄い尽力を尽くして下さったのだなあと驚きました。
この「町医者冥利・震災が教えてくれたこと」は素晴らしい記録だと感じました。

Posted by 大谷佳子 at 2020年01月22日 06:31 | 返信

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