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刑務所施設と奴隷病院

2020年01月23日(木)

町医者をしているといろんな施設や病院に出入りする。
刑務所みたいな介護施設や身体拘束だらけの奴隷病院。
在宅では全く見ない姿を見るたびに、本当に心が痛む。
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真昼間に訪問しても、ある施設では外鍵をかけられて
日差しを遮断された部屋に幽閉された認知症の人がいる。

刑務所そのものだ。

認知症の人を私が外に連れ出すと元気になり笑顔が戻る。
しかし肝腎のか介護スタッフが認知症介護の知識がない。


「どうして鍵をかけるのですか?」

「みんなに迷惑をかけるからです!」

「どうして外に出さないのですか?」

「みんなに迷惑をかけるからです!」

認知症も介護もなにも知らずに「閉じ込めることが良い介護だ」
と信じて疑わない職員たちと話していると絶望的な気分になる。


こんな刑務所施設で弱っていく人を見るのは、辛い。
実は行政もどの施設が外鍵をしているか知っている。

その施設を潰すとさらに難民が増えるので見て見ぬフリ。
施設の経営者は、お金儲けのことしか頭にないようだ。

私は行政の怠慢だと思う。
厳しく指導して、欲しい。

しかしそれをしないのは、
行政も介護を知らないから?

もちろんごく一部の劣悪施設であり、例外だろうが、
せめて「すべて外鍵の牢屋施設」くらいは注意すべき。


一方、病院のなかにも、負けず劣らず「抑制しまくり」の病院がある。
なにかあればすぐに手足を縛るが。「承諾書」の問題だと思っている。

身体抑制で「入院関連機能障害」や認知症を作っているのだが、
困ったことに病院側にその自覚がない様子を見ると、胸が痛む。

末期がんに
・高カロリー点滴と
・酸素を与えて、手足を縛り付けている病院。


がんを急速増大させた上に、大量の水分で溺れさせられて
それが「最高の医療」だと医師全員が思い込んでいる病院。

苦しいので最期は「鎮静」だ。
それが緩和ケア、だという。

医療の奴隷になった患者さんが可愛そうだが、
退院を希望しても「できません」のひとこと。

そう、「死なないと退院できない」のだ。
そこに入れて喜んでいる子供の顔を見ると呆れる。

いつから病院は「人を奴隷」にする場に変わったのかな。
奴隷にしていることに気が付かない医療者に呆れるだけ。

いずれにせよ、
刑務所施設と奴隷病院なら前者のほうがまだましかも。

理由は、医者関与がまだ少ないからである。
医療が高齢者を苦しめる犯人であることが、多いから。

あくまで、一部の施設や病院での話ではある。


在宅医療とはまったく別の世界が、本当にある。
たまにそれを見かけると、まさに「驚愕」する。


ということは、別の世界の人達は私達を見ると
「驚愕」するのだろうが、どちらが正しいのか。



2つの態度がある。

・見て見ぬフリをするか
・間違いを指摘するか

前者は敵を作らないが
後者は敵だらけになる。

困った事態はできるなら避けたい、のが人情か。
しかし患者さんのために我慢できない時もある。

年を取ったので、なるべく大人しくしていようと思う。
しかし時々、本当のことを言ってしまうので嫌われる。

まして「国立認知大学」なんてやるから
いろんな施設や病院から嫌われるのは当然。

それでも「患者さんのため」と思い、嫌われても発信する。

やっぱり、「在宅」という素敵な世界をもっと多くの人に知って欲しいな。

在宅医療への反論も多いだろうが、少なくとも施設や病院よりも、自由だ。


研修希望の医師や看護師は問い合わせて欲しい。
現在、新人を募集中なので是非お問い合わせを。



PS)
ついつい愚痴ってしまった。
自己嫌悪だけどアップする。













































































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※本ブログは転載・引用を固くお断りいたします。

この記事へのコメント

私の両親はともに介護施設で生活し、母は4年後に介護施設で亡くなり、父は8年余の介護施設生活から病院へ移動して数日で亡くなった。
ともに劣悪な介護施設ではなかった。私は月に一度、必要ある時は週に2回か3回、面会に行った。そのたびに介護職員やナースさんと話をした。あまりに私が職員に話しかけるので、忙しいから話をしないでくれ、と言われたこともある。

足掛け10年の老親との関わりで、私が自宅で直接介護することは私の選択肢には、なかった。
理由は、私自身が自宅介護する意思がなかったからである。そのことについて、私を非難したければすればよいと思う。
「自宅で娘が直接介護して最期を看取ることこそ親孝行」という主張は、ずっと私を責め苛んだ。
私がその「自宅で直接介護して当たり前」という呪縛から逃れるのに、何年かかっただろうか。
そういった非難に、もう、慣れた。

母より後に残った父の死後、もう2年半が過ぎた。
父は最期まで、自宅で私が、自分の女房の代わりとなって身の回りの世話をすることを望んでいた。

それをずっと拒否し続けた私は、まったく後悔していない。

自宅で最期まで生活したければ、一人で生活する能力を身につけることである。
阿吽の呼吸で自分の手足のように動いてくれる昭和の女房を、使い殺してしまった昭和の男は、介護施設で我慢するしか、生きる道はない。
あるいはゴミ屋敷から孤独死ルート。

10年間ではっきりわかったことは「自由度の高い介護施設は料金も高い」、
「自由度の高い医療機関は料金がバカみたいに高い」ことである。
カネのないヤツは医療の奴隷となるのが今の制度だ。

それよりもゴミ屋敷から孤独死ルートの方がまだマシだろう。
私は孤独死する。
しかしゴミ屋敷にはできない。キレイ好きだから。

Posted by 匿名 at 2020年01月23日 02:18 | 返信

匿名さんの考え方、素晴らしいですね
家族の介護を家族がやらなくてはならないんなんて文化はもう廃れてきています
今は、家族は施設送りにして、「利用料だけ」、「利用料とせめてもの洗濯物だけ」という家庭も多いです。
家で面倒見れる家庭はそうすればいいし、できない家庭は施設に入れるなり、一人暮らしにさせてナマポでも良いでしょう
親の介護で子が疲弊するパターンが一番悲惨ですね
医療の奴隷になってしまうのは、病院に受診するからです
病院受診すると、まず血圧を測りましょうです。血圧が高ければ、医療の奴隷まっしぐらです
その一瞬の数字だけにとらわれたニンゲンが医療の奴隷となり、病院の食い物、そして、国を食いつぶす寄生虫に成り果てるのです。
野生の動物がけがした時、どうしていますか? そういうことです。

老健職員から匿名への返信 at 2020年01月23日 12:19 | 返信

いつもブログ勉強になります。 ありがとうございます。

私は父親の介護をして 半年で自分が倒れ たまたま父親にお金があったので、老人ホームに入ってもらいました。 この経験で子供に頼むつもりは もうとうないのですが、かといって私は老人ホームに入るのも苦手です。   でも今の所、日本では 一人住んでいて要支援状態になったら 自動的に子供に負担がいくように、なっています。

最後まで自宅で診てくれるいいお医者さん、の本を購入しているのですが、  家族がいなくても、一人でも、自宅で診てくれるお医者さん、特集、の本でも出版されたら その近くに引っ越したいです。  

長尾クリニック、先生の生き方、行動、 いつも感謝し、応援させていただいています。(クリック一生懸命に押すだけ)  でも関西で夏、暑くて私は住める自信がありません。 すぐに要支援になってしまいますので。  今、東北地方を探しています。
  
安楽死法成立を一番望んでいます。 財産を国に取られようが構いません。  介護されてまで生きていたくない、という選択権が欲しいです。

Posted by AI at 2020年01月23日 02:05 | 返信

施設では管理が横行し病院では拘束が当然のように行われる。私たちが、いい加減年よりのリスクを受け入れ、病院信仰を止めなければいつまで経っても変わらない、と思う。

Posted by 小林 at 2020年01月23日 08:24 | 返信

老健職員さんに「素晴らしい」と書かれてしまった匿名です。何となくひっかかって、ベッドからノコノコ這い出てこの返信をタイプしています。
長尾ブログといえどもたかが他所様のブログ、見ず知らずのコメント欄に誤解百解あって当然です、が、私の気持ちは、以下の内容です。

要支援、要介護と認定される人たちの中には、本来ならば一人で生活できる人が少なからずいます。多くは高齢男性です。日常生活の雑事を学習する意欲さえあれば、習得する能力は十分にあり、一人で日常生活を営むことが可能です。しかし彼らはやらない。できないのではなく「やらない」のです。ゆえにヘルパーが必要となり、セクハラパワハラで来てくれるヘルパーさんがいないと生活は破綻する。
彼ら高齢男性は、「男子厨房に入らず」教育を受け、金を稼いで女房子供を養い、その女房と女の子供に身の回りの世話をさせることが当然、という文化の最中で生きてきたわけです。

私の父もそうでしたが「まさか女房が先に逝くとは思わなかった」そして「まさか一人娘がオレを介護施設に入れるとは思わなかった」のです。
(私の父の場合には外柔内剛、典型的な内弁慶でしたので介護施設では評判良い紳士でした。私には相変わらず毒づいていましたが。)

遅くとも70歳代前半、つまり前期高齢者段階で思考を切り替え、家事をマスターして料理に興味を持つようになればシメたもの、家事はカラダもアタマも使いますからボケも遅いです。
しかし80歳過ぎると、もう難しいと思います。父の友人も「皿洗いくらいは手伝おうと思うんだけど・・・ね」・・・思ってないのですよ。やらなくていい、と思っているのです。

毎日の食事の支度、材料の買い出し、台所を清潔に保ち決まった日にゴミを出す、日々の金銭管理、掃除洗濯etc.
「めんどくさいんだよね」「オレは定年だけど女房は死ぬまで女房、死ぬまで家政婦、死ぬまでオレの世話をしてくれる・・・」そういう思考から抜け出せない高齢男性が死に絶えれば、介護問題はガラリと様相が変わると思います。

匿名から老健職員への返信 at 2020年01月24日 03:08 | 返信

医療介護の仕事は、どれだけ患者に治療や介護をしてやったかで収入が決まります。
とくに介護は、自立で生活できていても、やれ訪問看護だ やれデイサービスだ と限度額いっぱいまでサービスを入れられているパターンがほとんどでしょう
限度額内は患者は1割負担で、国や行政に払わされる 国や行政の金のもとは国民ではないでしょうか?
年寄りの無駄な介護のために血税が割かれている現状をもっと知るべきです

そして、限度額いっぱいに無駄にサービスを入れているアホケアマネは恥を知れ
月1回の同意という名のスタンプラリーに勤しんでいる合間にやることがあるだろう?

Posted by 匿名 at 2020年01月24日 08:33 | 返信

皆さんの投稿を読んで、今この国の介護の現状がいかに劣悪化ということを再再認識します。
父親は老健で亡くなりましたが、スタッフの方に恵まれていました。
母親は特養に入所中ですが、すべてのスタッフが訪れる家族に必ず挨拶し声掛けし、入所している人にもきめ細かに声をかけてくださるという、とてもありがたい施設です。
在宅時に担当していただいたケアマネさんから、「スタッフの良い施設」ということで特養を探す際に教えてもらったところに入所希望を出して、幸いすぐに入所することができたことは幸運でした。

私も匿名さんの様に自宅で両親を介護する気持ちはありません。
私が働けなくなると私の生活が立ち行かなくなることもありますが、自分が自宅で介護しなければいけないという気持ちも考えもありませんでした。
なので、幸いなことに、自宅で介護しないという罪悪感は一切なく、その点で苦しむことはありませんでした。
匿名さんの苦しさを想像すると、言葉がありません。
今も、在宅で介護しなければいけないという呪縛に苦しむ人がおり、金沢でしたか、70代の嫁が舅姑と夫を殺害という悲惨な事件が起きました。
在宅介護の良さをとても理解しますし、応援しますが、
在宅介護のできない人が無理にすることはないと考えています。
そのために介護施設で働く人の給与を上げ、介護施設の認可基準を厳しくし、
介護施設がそれでも経営が順調にできるように、国や政治家はもっと国民の生活を豊かにするための
具体策を考えるべきだと思います。私たちの税金ですものね。

長尾先生、毎日応援しています。
くれぐれもご自愛くださいませ。

Posted by sue at 2020年01月24日 12:52 | 返信

今どき「自分だけはみっともない死に方をしない」と信じている人がいて、びっくりしました。ここで交わされている会話を、私は真っ向から否定します。

施設にお世話になるか・ならないかを自分で決めることができるのであれば、「高齢者の問題」など最初から存在しないのです。

家事が得意な女性が、家の中のことができなくなる。
指先を使うピアニストが認知症になる。
頭を使う数学者がボケる。

あなたはボケないの?なんでそんなことが断言できるの?

介護保険が導入される前は、夜間に叫び声を上げたり、通りを歩く人を見ては見境なしに突っかかったり、男の股間を握ってくる老婆がいたり、汚部屋になって近隣から苦情が発生する・・・こんな現象が全国の町のあちこちに溢れていた。だからこそ導入された介護保険制度です。そのおかげで、今の日本では、若い世代が高齢者の不愉快な現象を見なくなっただけのこと。

Posted by 通りすがり at 2020年01月24日 10:49 | 返信

通りがかりさんへの返信です。私はこの記事の最初のコメントと5番目の老健職員さんへの返信を書いた匿名です。
誤解百解釈あって当然と思いますが、このコメント欄投稿者はどなたも「自分だけはみっともない死に方をしない」なんて信じてないですよ。
どんな死に方をするかなんてそれこそ神のみぞ知る。

「家事が得意な女性が、家の中のことができなくなる。」私の母もそうでした。79歳の頃でしたか、洗濯機の前で考え込んでいた。いつもの手順がわからなくなるようです。でもご飯は炊けるんです、筑前煮も作れました。味が濃かったり、髪の毛が入っていたりしましたけどね。目も見えにくくなっていくからしょうがないですよ。
急にできなくなるのではなく、少しづつ、潮が引いていくようです。

祖母と父と母の老いて死にゆく様を、至近距離で見てきたおかげで、私は自分の「老・死」にさほど不安はありません。まあ、私はお一人様なので、私がどのような死に方をしても困る人はいない。遺体処理のお金だけは残します。

というよりも「みっともない死に方」って、あるのでしょうか?
祖母も父も母も「みっともない死に方」ではありませんでした。
「死に方」に、「みっともいい」も「みっともない」も、ないと思います。

不幸な死に方はあると思います。
その典型が、病院のベッドに縛り付けられ管だらけの身体で身動きず心臓だけ動いている。

通りがかりさん言及の、介護保険導入前の(主に高齢者の?)醜態については、薬やアルコールの影響が多いのではないかと、私は推測します。現在も処方薬含めて「薬が引き起こした犯罪」は相当数、ある(報道されませんが)。

尊厳死推進も過剰投薬告発も、長尾先生が死んだら、誰が後を継ぐのかしらね。

Posted by 匿名 at 2020年01月25日 03:06 | 返信

通りがかりさんでなく通りすがりさんですね。失礼しました。

通りすがるってどういう意味かな、と調べると
「通りかかる」は主語が動いていて相手が動いていない時、「すれ違う」は両方が動いているときに使います。
私は昨日、店の前を通りかかった。(店は動かない)
彼は昨日、佐藤さんとすれ違った。(佐藤さんも動いている)
「通りすがる」は動詞としてはほとんど使われず、「通りすがりの人」「通りすがりだが」のように修飾語として使われます。
とのこと。

また、通りがかる、と濁るのは間違いだそうです。
再度失礼しました。

Posted by 匿名 at 2020年01月25日 10:10 | 返信

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